5 瑠璃色の非日常へ

 

「ごめん、待たせた」

「いいえ。結局何かあったのですか?」


 結構な時間いなくなっていたから疑問に思うのは当然だろう。千代の問いかけには軽く頷くと当たり障りのない内容を答えた。


「知り合いを見つけたからちょっとね」


 別に間違ってはいないから良いだろう。それ以上言うつもりはない。


「知り合いですか。……あまり深く詮索しない方が良さそうですね」


 千代が賢明な判断をしたところで、八重と目が合った。


「あ! 来留芽ちゃん。もう、どこ行っていたの。気付いたら店内にいなくてびっくりしたよ。早速だけど、コレとコレとコレとコレ。どれが良いと思う?」


 選択肢はオーソドックスな苺ショートケーキ、チーズケーキ、抹茶ケーキ、フルーツタルトだった。


「どれも捨てがたいね。恵美里、二人とも同じものにするの?」

「……どっちでも良いかな……でも、違う種類の方が食べ比べできていいかも……」

「食べ比べ。いいね……そうするとチーズケーキと抹茶ケーキは? 分けやすそう」


 来留芽は選択肢の中から二つを挙げた。


「でも、誕生日だから豪華に見えるフルーツタルトも捨てがたいと思うんだよね!」

「私はショートケーキ推しです」

「どれも良いから……決めきれなくて。でも……チーズケーキと抹茶ケーキにしようかな。確かに分けやすそうだから」

「じゃあ、ショートケーキとフルーツタルトはまた今度食べようね」


 そうは言ってもまたここに来たときに同じように迷いそうだ。しかし、それも楽しいから良いかもしれない。会計を済ませて嬉しげに笑う恵美里を見ながらそんなことを思っていた。

 ケーキを買ったあとは恵美里の家まで四人で行くことにした。今日はもう小野達が手を出すことはないだろうが、それを知っているのは来留芽だけだ。八重や千代からすれば恵美里が家に着くまでは心配なのだろう。


「……ここまででいいよ……」

「え、家まで一緒しちゃダメだった?」

「ううん。そういうわけじゃないけど……じゃあ少しだけ……寄り道しても……いい?」

「もちろん」

「どこに寄っていくのですか?」

「公園だよ……ここを上がったところにあるの」


 住宅街の細い道をするすると抜けていく恵美里についていった先にあったのは公園だ。そこまで大きくは感じなかった。中央にどんと構えている大樹があったので逆に小さく見えていたように思う。この公園は意外と高台に位置しているので、階段を上るのが大変だった。千代はもちろん、八重も息が切れている。しかし恵美里は思ったよりも疲れていない様子だった。慣れだろうか。


「わたし……いつもここに来てのんびりしているの……小さいときから苦しいことも楽しいこともこの樹に報告していて。お父さんみたいに思っているんだ」

「確かに、ここまで堂々としていると安心感を抱きますね」


 大樹を見上げて千代は目を細めている。その一方で八重は目をぱちくりとさせて樹の幹を見ていた。


「あれ、しめ縄がある……ねぇ、来留芽ちゃん。こういうのがあるってことはこの樹って特別なもの?」


 しめ縄はそこに神か神に近い存在がいることを示す。人がそこに神秘的なものを見ている証でもある。

 来留芽はゆっくりと樹を見上げ、その心地よい空気を感じるように目を閉じながら、口を開く。


「特別なものだろうね。恐らくこの樹はまほろばの主……土地神様に近い存在だと思う」


 この土地の清浄さには驚かされる。だから、思わず何も濁さずに言ってしまった。“まほろば”は辞書的な定義で言えばすぐれた立派な場所ということになるが、裏的には土地神様の加護を有する場という意味を含んでいる。しかし、ふと思い出す。この場にはそういったことに馴染みがない恵美里もいたのだったことを。


「……なんてね。でも、昔から日本はあらゆる物を神聖視してきたのだから、しめ縄が巻かれているということはこの樹が神聖視するに足る物だと言える」

「そっか……昔からこの樹にわたし達は安心感を抱いていたのかな……だから神聖視されたのかもしれないね。……いつも見守ってくださりありがとうございます。わたしにも運が向いてきたかもしれません……三人も新しい友達ができました!」


 恵美里の純粋さに助けられた。騙しているわけではないが、ちゃんとした知識を思うように伝えられないというのはつらい物がある。

 来留芽はもやもやとした気持ちが残ったまま、恵美里を見た。それを遮るように八重が前に出て柏手を打つ。


「恵美里はあなたの目が届かないであろう学校では私達がちゃんと守ります! ご安心ください! ……目、届かないよね?」


 なぜ最後に来留芽の方を向くのだろうか。せっかく誤魔化した意味が無くなるだろう、と眉をひそめる。しかし、来留芽は肩をすくめると小声で答えた。


「……この樹のまほろばに学園は入っていない」


 恵美里が土地神様のお気に入りであればまほろばに入っていなくても見守っている可能性があったが、来留芽には判断できなかったのでないものとした。

 八重が安心したように笑ったのを見て苦笑する。幸い恵美里はこのやりとりに気付いていないようだった。


「あ、いたエミー……っと、友達と一緒だったか」


 そうしていると一人の男子がやって来た。恵美里を“エミ”と気安く呼んでいることからこの人が東爽太だろうと判断する。


「爽くん!」

「迎えに来た。今日はおばさんと誕生日パーティーをするんだろ。せっかくのケーキが溶けちゃうぞ」


 ケーキはそう簡単に溶けるものではないが……きっと早く恵美里を帰らせたいという思いからの言葉だろう。もっとも、あまり長時間外に持ち歩いていて良いものではないのは確かだ。


「あ、そうだったね……」

「えっと、皆さんは一組の人ですか。……恵美里をいじめて、とか……」


 声を低くして言われた疑惑を八重が真っ先に振り払う。


「ないない。むしろ助けた方だよ。私達は。そう聞くってことは恵美里ちゃんの状況は知ってるみたいね」

「そりゃ、うちのクラスの奴が先導しているからな。知っているさ」

「だったら! 何とかして恵美里ちゃんに被害が行かないようにできないの!?」


 八重が喧嘩腰でそう言った。恵美里をいじめる主犯格が二組にいるからと言って東にその対応を頼むというのは少し厳しいのではないだろうか。それでも、東がもっとうまく対応してくれたらと思ってしまうのも分かる。


「精一杯やってるよ。奴らが恵美里の方に行かないように俺のとこに引きつけたり……クラスの男子と一部の女子も手を貸してくれてる」

「八重。東君の言っていることは本当だと思います。屋上から見かけたアレも今朝のことも本当にたまたま起こったのでしょうね」

「ま、あんた達が守ってくれるというのなら今のところは信じるよ。もっとも、一組は担任からして目を引くし、花丘もいるし、俺程度には注意を払っていない子が多いからそこまで心配はしていねぇけど」

「そ、爽くん……八重ちゃんも……わたしは大丈夫だよ?」


 こそこそと恵美里にしっかり聞こえない位置で話していたが、彼女は小さく首を傾けてそう言った。心配という言葉が聞こえていたのかもしれない。内緒話の共有者はくるりとそろって振り向いた。


「絶対大丈夫じゃない」

「エミのその言葉は信じないことにしているんだ」

「あ、うぅ……」


 東と八重がスパッと否定して恵美里が縮こまる。ここまでにしておいた方が良さそうだ。恵美里の精神的にも。そう考えた来留芽は千代と視線が合った。何となく同じ考えをしているように思えたので、彼女に向けて一つ頷く。


「八重。騎士ナイト君がいるのだから恵美里さんに危険はないでしょう」

「そうだね。……騎士ナイト君ねー……」


 多少の手落ちはあれども一生懸命に恵美里を守ろうとしていることからつけた渾名だろうが、実にぴったりだと思う。今も彼女のそばを離れない。まさしく恵美里の騎士だ。これ以上は来留芽達が出張る必要はないだろう。個人的には恵美里の母親の様子を知りたいところだったのだが、二人の様子を見ていると割り込むことはできないと感じた。


「爽くん……顔真っ赤……」

「エミもからかうんじゃない」

「うん……守ってくれて……ありがとう……」

「……っ! ほら、俺がいるんだからもう大丈夫だろ! 帰るぞ、恵美里」

「うんっ」


 二人は仲良く手をつないで去って行く。恵美里は振り向いてこちらに手を振ってくれたが、東がつないだ手を引っ張ったので慌てて前を向いていた。嫉妬による行動だろうか。見ていて砂を吐けそうだ。来留芽達三人はそう思いながらじとっとした目で見送る。


「……超仲良いじゃん。ふられる心配をする意味があると思う?」

「どう見ても両思い」

「いえ、両片思いという状態ということでしょう」


 来留芽達はそれぞれそのような風に解釈した。そこに共通した思いはただ一つ。

 見ていてとてもじれったい。


 彼等を見送ってから来留芽達も公園を後にする。そのとき、背後からごうっと風が吹いた。来留芽は確かに何かの気配が混ざっているのに気付く。学園でも感じた、鬼ではないあの気配だ。

 振り返って見えたのは悠々と枝を伸ばす大樹。ここがあれのもとだったのかと納得がいった。


「来留芽ちゃん、どうしたの」

「何でもない。いきなり強い風が吹いてきて驚いただけ」



 ***



 瑠璃色に染まった空。しかし、まだ完全に夜の帳が下りたとは言えない時間に来留芽は帰宅した。オールドアは誰一人残っていないようで、明かりが消えている。今日は直接住居スペースへと上がった。


「ただいま……」


 礼儀だからぽつりと呟いてみたが当然のこと返事はない。今日はどうやら既に全員仕事に出ているようだった。


「これは叔父さんのメモ?」


 テーブルの上に置かれていた紙を手に取って見た。


『来留芽へ

 おかえり。友達と楽しんできただろうか。君は今までろくに友達を作らなかっただろう。でも、ようやく親しい人を作っても大丈夫になったんだ。これからも仕事なんて意識せず友達と一緒に学園生活を楽しみなさい。

 ところで、私達は本部の依頼でここまで来てくれた方々と見回りに行っている。互いの能力を知っておかないといざというとき連携できないからだな。まぁ、うちのメンバーも癖が強いから連携など可能なのかと思ってしまうが。もっとも、向こうだって連携する気があるかどうか。

 細もこのあとこちらに合流する予定だ。だからオールドアには君しかいなくなるが、もし急な来客があったら簡単に話を聞いて、重要度が低ければ適当にあしらっておくように。

 P.S. 藤野が来たら悪いが君も駆り出させてもらう』


 人海戦術で探しているということだろう。見つかると良いが、もし本当に恵美里の母親が呪を持って行ってしまったのなら無事では済まないだろう。最悪を覚悟しておくべきか。


「あ……恵美里は母親と誕生日パーティーをやると言っていた……」


 来留芽は今日得た情報を思い出す。

 日高翡翠が呪を身に取り込んだ、もしくは呪に乗っ取られていると仮定すると恵美里が危ないのではないか。呪を取り込んだにせよ、乗っ取られたにせよ、最初に向かうのは最も心に残っている場所や家族……!

 ハッと気が付いて顔を上げた来留芽は手に持っていた紙をくしゃくしゃにしてしまう。しかし、それを気にすることなく視線を周りに巡らせた。

 こうしてはいられない。何とかして社長達にこの情報を伝えなくては。藤野の情報網なら既に知っていてもおかしくないが……オールドアの誰かが張り込んでいたとしても恵美里が犠牲になってしまう可能性は高い。


「そもそも携帯がつながるかも分からない」


 今回のようにオールドア以外のところから来た人達と一緒に活動する場合、携帯に良い印象を抱いていない一派もいるため使用を控える傾向がある。また、夜だと携帯は何故か異形に気付かれやすい。とは言っても来留芽の得意な呪も呪符も連絡には向かない。


「……こんな危険な時に霊能者の一人歩きは気が狂っているとしか思えないし、私では防御に不安がある。もう少し早くから準備していれば……!」


 しかし、今さら悔しがっても遅いのだ。とりあえずできることをと考え、ありったけの呪符を作る。ストックもすべて出してまとめる。

 呪というものは意外と汎用性がある。以前に薫のお茶を熱湯に変えたように、慣れれば気楽に使うことができる。対象の状態に手を加えるものと考えてもらえればいい。ただし、呪の中には、“のろい”という文字を使っていることからも分かるように、害意から使われるものも多い。そういうものは呪詛と言い分けているのだが、こういったものは一番問題を起こすためいくつか対応策が出来上がっている。その一つが呪符だ。呪符は呪詛の封印に使われることがある。鏡の入った箱に呪符が貼ってあった跡があっただろう。あのように使われるのだ。それ以外にもいくつかメリットがあるが、今肝心なのはそのことではない。


「呪詛返しは今回の場合はまずいだろうから呪詛を追い出すタイプのもので……封印はできる、はず。現場に社長と細兄がいれば何とかなると思うけれど……鏡は持って行った方が良さそう」


 あとは藤野が来ればいいだけだ。それは同時にオールドアの皆が苦戦しているということでもあるので歓迎できることではないが……。


 ピンポーン


 来留芽はハッとしてオールドアの入り口に向かう。全ての荷物を持って。


「おお……準備万端のようだね。状況が悪化した。アレは自分を構成する呪詛をあちこちに振りまいていたようだ。そちらに手を割かざるを得なくて、皆足止めされている。だから……」

「私達で日高翡翠の元へ行く」

「そう。幸い私も君も呪術師だ。アレに対応できる」

「場所は分かっている?」

「もちろんだよ。彼女には恵美里という娘がいた。君ももう少しで家を特定できそうだったね。こちらの者が割り出した場所から考えて、今晩彼女は必ず自分の家に戻るだろうと推測できる。娘を愛していることが仇となるとは思わなかっただろう……」

「後悔も反省も後に。今すぐ向かう手段は」

「細くんに式を借りてきたから。流石に呪で人は飛べないからねぇ。君が知るべき情報は空の上で伝えるよ」


 オールドアの外には非常に大きい鳥の式神が二羽待機していた。来留芽と藤野はそれの背に登る。そして、非日常へと飛び立った。


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