4 「念のためだよ」

 

『……ああ、話していなかったか。彼女の名前は翡翠。旧姓が鏡音で今は日高を名乗っているはずだ』


 鏡音翡翠

 今は日高翡翠と名乗っているという。


 ――日高、ね……

 そう少し考え込む。来留芽のクラスに日高という名字の子がいるのだが、まさか彼女の母親が? しかし、日高翡翠の年齢などは聞き損ねていた。ひょっとしたら別人かもしれない。それに、恵美里の母親の名前が翡翠とは限らないのだ。


「おっはよ~来留芽ちゃん!」

「……おはよう、八重」

「どことなくお疲れ?」

「まぁね」


 八重ののんきな態度を見ると緊張も和らぐ気がする。日常的な会話が今の来留芽にとって癒やしかもしれない。歩きながらそのまま八重と軽い会話をして、いつもの日常が始まったと思いきや、それは校舎の入り口に着くまでだった。


「……何アレ」


 八重が顔を険しくして進行方向を睨んだ。それにつられて来留芽もそちらを見る。どうやら日高が女の子のグループに囲まれて何か言われているようだった。


「……っ! あなた……よ」

「目障り……」


 まだ離れているから全て聞こえるわけではない。しかし、断片だけでも日高がどんなことを言われているのか理解した。二人は互いに顔を合わせて頷くと急いで人混みをかき分け走り寄る。


「ちょっと! そこのガラ悪い女達! 日高さんに何しているわけ?」

「は? あんた誰? ってかガラ悪いって何。私達はな~んにも悪いことはしていないけど?」

「へぇ。一人に寄って集って暴言振るうのが悪いことじゃないって? 馬鹿じゃないの」

「暴言じゃないから! 私達はあくまで事実を言っているだけ」

「そうよ。幼なじみだから東くんが優しくしてくれているのにこいつときたらそれに甘えているんだもん。東くんの迷惑になっていることを分からせなきゃ」


 ――勝手な言い分を……

 怒りが湧き上がりそうになったが、冷静になれと自分を抑えて状況を見る。

 日高と対峙していた女達はこの場で一番もやをまとっている。悪意ありきの暴言であることは明白だった。来留芽も日高をかばうために参戦する。


「その東くんとやらは本当に日高さんを迷惑だと言っていた?」

「……そりゃ、はっきり言ってはいないけどそんな根暗でどんくさい女、迷惑以外の何でも無いでしょ」

「本人から聞いたわけでもないのに決めつけるなっ! あなた達の方が東とやらの迷惑になっていることに気付きなよ」


 八重が普段では考えられないほど激高したが、相手は馬鹿にするように笑っていた。


「はぁ? 東くんのために行動している私達のどこが迷惑だって?」

「全てでしょ。あんた達が馬鹿なことをやっているから東って人の評価も下がるんだよ。それに、東くんのためって言っているけどあんた達がやっているのは憧れの人の近くにいる女の子の排除……結局は自分のためじゃない」

「……行こう、日高さん」


 八重の言葉がトドメとなったようだ。沈黙した彼女達を尻目に日高を連れてその場を去る。だいぶ騒いだので人垣ができはじめていた。こうなると日高は萎縮いしゅくしてしまうだろう。そういうこともあって教室へと急ぐ。


「あの……朝、ありがとうございました」


 教室に着くとすぐにHRになってしまった。日高があの暴言を受けて大丈夫か心配だったが、授業中の彼女の様子はいつもと変わらなかったことに密かに胸をなで下ろす。

 そして昼休みになると彼女の方からこちらに来てお礼を言ってくれた。丁寧な良い子だと思う。


「ううん。同じクラスの大切なメンバーだし、困っているところを助けるのは当然のことだよ」

「でも……あんな風に正面切って助けてくれる人はあまりいないし……」


 微かに笑顔も浮かべている様子を見てこれなら大丈夫かと思う。ただ、不思議なのは幾度となく濃いもやに触れているはずなのにその影響を全く受けていない点だ。本人に自覚はないようだが、ひょっとしたら霊能者の素質があるのかもしれない。

 昨日の話もあって、どうしても気になってしまう。


「ああいったことがあったらちゃんと助けを呼んで。私達は助けに向かうから」

「うん……善処する……」


 それはやらない人の台詞だと突っ込むのは野暮だろうか。


「あ、せっかくだから日高さんもここで食べていったらどう?」

「いいの?」

「いいよ~。日高さんって、下の名前が恵美里だったっけ。恵美里って呼んでも良い?」

「うん、……うんっ! うれしい……わたし、そんなに親しい人がいなかったから……」

「……東爽太くんは?」

「っ!」


 八重がニヤニヤしながらそう言うと日高恵美里はボンッと顔を赤くした。その子のことを恋愛的な意味で意識しているようだ。赤くなってあたふたしている様子が可愛らしい。


「爽くんは親しいけど……家族みたいなものだし……友達とは違うもん」

「東君が好きなのですね。恵美里さんは」

「すっ……!」


 千代が直球で言った言葉に彼女はまた顔を赤くしてカチンコチンに固まってしまう。八重が手を伸ばして目の前で動かすが反応しない。いや、微かに震えて涙目になっているから反応はあるのか。そんな様子を肩をすくめて見ると来留芽は黙々と弁当を食べ進めた。


「おーい……フリーズしちゃったねぇ」

「……あぅ……爽くんには秘密で……」

「どうして?」

「……絶対に家族にしか思っていないもん」


 もしそれが本当なら難儀な恋だと思う。家族同然に育った相手だと好きになっても告白する勇気を持てないだろう。動かない今のままで十分に温かい世界が形成されているのだから。それを壊すかもしれない行動はきっと恐怖を伴う。


「じゃあ、告白はしないの?」

「今の関係が崩れたら怖いの……昔から守ってもらっているから……もう少し自分で立てるようになってからかな……」


 振られること前提に話しているようだ。気持ちは分かる。東という人は女子に人気なのだろう。つまり、よりどりみどりなわけだ。そんな状況を知っていれば引っ込み思案な彼女が選び、選ばれる自信をなくすのは仕方が無いことなのかもしれない。

 しかし、いつまでも勇気を出さずにいるというのも問題だろうに。恋心は否定も肯定もされずに抱えていくには重すぎるものなのだ。


「あ、そういえば一つ恵美里に謝っておかなきゃならないことがあったんだった」


 八重がポンと思い出したように話を切り出したが、恵美里は思い当たることがなかったようで、小首を傾げている。


「あのね、前に町で恵美里が花屋にいるときさ、絡まれていたでしょ。私達は向かいのカフェにいたんだけど、助けられなくて。だから次に困っていたところを見かけたら絶対に助けると決めていたんだ」

「えっと……そういえば、あったね……でも、ちょっときつい言葉を言われただけだから大丈夫だよ? 慣れているし……」

「大丈夫では無いでしょう。言葉の暴力は慣れてはいけません」


 恵美里は予想以上に悪意に晒されているのかもしれない。それでも腐ることなく生きている。精神的に強い子だ。


「ね、花屋さんで恵美里はカーネーションを買っていたよね。お母さん思いなんだね」


 少し悪くなった空気を吹き飛ばすかのように八重が話題を変えた。


「そうかな……」

「私なんてそれを見るまで母の日のことすっかり忘れていたよ」

「お母さん……夜遅くまで働いているから……」

「そうなんだ。それは感謝の気持ちを抱かずにはいられないね」


 この流れで恵美里の母親の名前を聞き出せたらいいが……どう話せばいいのだろうか。

 来留芽は密かに機会を窺う。


「うん……自慢のお母さんだよ」

「そういえば、恵美里のお母さんって何て言う名前?」


 丁度良いと思って尋ねたのだが少し突然すぎたかもしれない。内心では焦っていたが、それを表情には出さずに恵美里の様子を見る。こういう時口からすらすらと言葉が出て答えを誘導できる口上手が羨ましくなる。


「えっと……翡翠だよ。私と同じ五月生まれだからそう言う名前をもらったんだって」


 恵美里は少し戸惑いつつも答えてくれた。まさかと思っていたことが事実だったとは……。

 来留芽は精一杯動揺を抑えた。

 気取られないようにしないとならない。『あなたのお母さんが危険な状態にあるかもしれない』などとても言えないのだ。


「……綺麗な名前だね。恵美里は五月生まれだったんだ」


 だから、来留芽はそう言うに止まった。


「うん。今日ケーキを買って……二人でお祝いするんだ」

「あれ、二人?」

「その……わたし、母子家庭だから……」

「あ、そうか。ごめんね、言いにくいことを」


 八重が慌てて謝ったが、恵美里はそこまで気にしてはいないようだった。

 来留芽は気にするほどの余裕がなかった。



 ***



 放課後になって、来留芽達は恵美里について行き、一緒にケーキを選ぶことになった。彼女がまた町中で暴言を吐かれるのを防ぐためだ。せっかく誕生日祝いをするのだからケーキがまずくなりそうな出来事は起こさないに限る。

 と、八重が力説したので恵美里も少し申し訳なさそうな顔をしつつ来留芽達と帰ることに許可を出してくれた。


「へぇ。ここって結構有名なケーキ店だよね。私はまだこっちの方までは足伸ばしていなかったから知らなかったなぁ」

「そうなんだ……わたしは昔からここを利用しているよ。そうだ、せっかくついてきてもらったから……何か食べていく? 少しなら出せるよ。お礼として……」

「いや、それは私達の方がもらい過ぎちゃうよ」

「そうですね。でも、何もいらないというのも恵美里さんが納得しないのでは?」

「うん……」


 そこで八重がぽんっと手を叩いた。


「じゃあさ、ここは友達らしく未来の約束をすればいいじゃん。また今度一緒に食べに来よう?」

「いいね」

「そうですね。いいアイデアです」


 来留芽と千代がまず賛成し、次いで恵美里も花がほころぶような笑顔を見せて頷いた。


「うんっ! ……楽しみにしているね。あ……どうせなら……ケーキをどれにするか、一緒に決めてもらえないかな……?」

「いいよー。見れば見るほど迷うよね」


 そのとき、来留芽はケーキ屋の外に見覚えのある、怪しい女子グループを見つけた。八重達に少し離れると言い、そっと外に出る。誕生日を祝うという恵美里の気持ちが曇ることのないように今日の所は引いてもらおうと考えたのだ。


「そこで何をしているの。確か……二組の小澤さん、小野さん、成岡さん、森田さん。性懲りも無く恵美里にちょっかいをかけに来た? あなた達、前にも花屋で恵美里に何かしていたと思うけど。一人を複数でいじめて楽しい?」


 路地からケーキ屋をこっそり覗いている四人に淡々と声をかける。一様に驚いた様子を見せるが、彼女達の一人がすぐに反論してきた。


「……っ! あの女が悪いのよ……」

「どう悪いと。恵美里は至って普通の子。あなた達より余程根がいいと思うけど?」

「あの女は性根がひん曲がっているのよ! あの女が……あの女さえいなければ……」

「ちょっと、小野さん……?」


 小野という少女がこのグループのリーダー格なのだろう。しかし、他の三人は突然の小野の豹変に驚き戸惑っている。もとはこんな過激な発言をするような子ではないのかもしれない。


「あの女がいるからっ! 私は振り向いてもらえない! 迷惑ばかり掛けているあの女は邪魔なだけじゃないか!」


 ――様子がおかしい

 来留芽は顔を険しくさせると小野に集中した。

 これは完全に負の心に取り込まれているのかもしれない。護符を使用していたのが仇になったか。


「三人とも、この人おかしくなってる。離れていて!」

「「「う、うん」」」


 言葉に力を乗せて指示する。

 三人が完全に離れ、遠くに行ったのを見て、来留芽は護符の効果を切ると小野を取り巻く黒い霧に集中する。この場で来留芽ができることと言えば黒い霧を取り込んでしまうことだ。呪符があれば消耗も少ないのだが、生憎と今は手元になかった。


「くっ……」


 小野を何とか押さえ、その額に手を当て、霧を吸収しやすいようにして一気に全てを取り込む。彼女が抱いていた暴力的な感情が伝わり、うめく。彼女の方はというと、多少の負担が掛かっていたからか気絶してしまったようだ。


「ふぅ……この子、どうしようか」


 何とか落ち着き、振り返ると逃げたはずの三人と目が合った。


「「ヒッ」」


 やはり怯えられてしまうか。来留芽の場合、もやを吸収する際にはその様子が一般の人にも見えてしまうことがあるのだ。恐らく彼女達の目には黒い何かが小野の体から来留芽の方へ移り消えていく様子が見えたのだろう。


「……っ、小野さんはどうなったのですか」

「死んではいないよ。目が覚めたとき少し記憶が混乱するかもしれないけど……命に別状はない。……あのまま飲み込まれていたら危なかっただろうけれど」

「じゃあ、私達が彼女を家に連れて行きます。もう関わらないでください!」


 腰が引けながらもそう言ってくる。勇気のある子だ。来留芽の異様さはその目で見ただろうに。

 そう思いつつちらりと小野の様子を確かめる。


「それなら日高さんに近付かないことが一番だけど。あなた達があの子に嫉妬するほどこの子のようになってしまう可能性が高い。特に学校では気を付けて。あ、でも今はあなた達がこの子を連れて行くことはできない。先に病院へ連れて行く」

「やっぱりどこか悪いところが……」

「念のためさ」


 そこに来留芽以外の返答があった。二人して振り向いた先には藤野の姿があった。


「ごめんね。このことを知られたままというのは困るんだ。さぁ、君は何も見なかった……」


 そう言いつつ彼女の額に手を当て何事か呟く。おそらく忘却の呪を使ったのだろう。

 ふらつきながらも去って行く彼女達を見送ると藤野は来留芽に向き合った。


「呪って使い勝手がいいよね。特定部分の記憶の消去は呪が一番精度が良いんだよ。あ、これは君の父親の受け売りだけどね」


 小野は藤野が病院へ連れて行くそうだ。抱えながら来留芽にも簡単に事情を尋ねてきた。

 今回のことは一般人を巻き込む関係で本当に危なかったらしい。これに懲りたら普段からある程度の呪符を所持しておくこと、呪符を介さない呪のかけ方を知ることを徹底するようにと叱られてしまった。


「もっとも、記憶を消しても残ってしまうものもある。それでも、やっておいて損はないからな」


 今までは呪を習う以前の問題があって後回しにしてきたのだが、とうとう向き合わざるを得なくなったということだろう。これから来留芽を待ち受ける修行の日々を思って溜息を吐く。


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