8 嗤い、笑う

 

 細の鳥に乗って空を急ぎ、恵美里の住まう地域が遠目に見えるようになった。一際目を引くのは大樹だが、どうやらすでに誰かが戦闘しているようで、風が吹き荒れているのが見える。


「誰かフライングしたのか? 単独は危険だっつったのに」

「そうとも言えないかもしれない。あの大樹が土地神様なのでしょう。手を出された怒りでという可能性もある」

「……そうか……それだとまずいな。万が一土地神様が押し負けてしまったらこの一帯が支配されてしまうだろう」


 上空は風も穏やかだったのですぐに大樹の公園の真上に着いた。しかし、下が荒れているので着陸ができそうにない。それに、正直に言えば来留芽と藤野だけで相手取れるとは思えなかった。


「藤野さん、近くに誰かいない?」

「……ここからだと、薫が一番近いようだね。でも、呪の芽の除去に手間取っているそうだ。他はちょっと遠い」


 つまり、援軍は期待できないということである。来留芽と藤野だけでやるしかない。


「……風が弱まったみたい。お先に」

「ちょ、短絡的な行動は……仕方ないな」


 来留芽は鳥の背から少し下を覗くとほぼ垂直に地上へひらりと降りて行った。ベテランの藤野からすればその行動は短絡的で、いつもは止めるのだが、公園の入り口の方に翡翠の姿を見つけたため自分も風が吹き荒れる戦場に舞い降りた。



 ***



「ああ……お願い、止めて……」


 藤野は手を組んで目をつむって祈る彼女のそばに降り立つ。そして、彼女の願いを聞いた。この心根の優しい彼女が巻き込まれてしまったことを申し訳なく思う。

 そのまま周囲を確認した。土地神様が力を振るったのだろう。この場所はたいへん濃い霊力に満ちている。そんな中で特に訓練を受けたわけでもない彼女が意識を保っているのは驚くべきことだ。だが、流石に限界だろう。今は体を休めてもらいたい。


 藤野は彼女の耳元でささやいた。


「この場は私達が鎮める。よく頑張ったね、翡翠さん」

「え……この声は……」


 パチッと目を見開いた彼女にほほえみかけてから彼女がこれ以上怖い思いをしないようにと額に手を当てて呪を掛け、意識を失わせた。さらに周囲に結界を作る。これ以上彼女が傷付かないように。傷付かせないために。


「……これでよし、と。あとは元凶を消すだけだね」

『ハッ、そんなゴミみたいな力しか持っていない奴が二匹ばかり増えたって大したことねぇんだよ! それよりお前ぇ、翡翠をどこにやった!』


 結界は悪いモノから守る効果がある。あの歩く人影、人型の呪詛の塊は悪いモノとされ、結界に守られた翡翠を認識できなくなったのだろう。


「さて、ね。お前曰くゴミの力で守っているんだけど、分からないんだ」


 それに気付いた藤野は影をあざわらう。影が馬鹿にしている“小さい力”で守っているのだと、それを破れないお前は弱いのだと指摘する。


「藤野さん、あまり挑発しないで欲しいけど……無理か」

「悪いね。翡翠さんに手を出した時点で私はあいつを許せないから。徹底的に貶めて潰さないと気が済まないんだ」


 普段温厚な人が怒ると怖い実例が目の前にあった。


『わらわの分もあるぞ。わらわのお気に入りの翡翠に手を出し、あまつさえここを手に入れようとする浅ましさ、死んでも償いきれるものではなかろう。何よりわらわの気が済まぬ』


 土地神様も怒りは大きいようだった。この荒れに荒れた風は土地神様の怒りを受けてのものだろうか。


「まぁ、恵美里まで狙われちゃ困るし。ここで滅しておくべきか」


 微妙に怒るタイミングを逃した気がするが、来留芽もあの影には怒りを抱いているのだ。あれを完膚なきにまで叩き潰すのには賛成している。


「呪術師の力を見せてあげるよ」

『呪術師……だと……?』

「そう。呪で構成されている君の天敵とも言える存在。それが私達だ!」


 そう言って藤野は呪符を放つ。それらは影を取り囲み、円形に形を作った。そこに土地神様の力が補助に入ったようで、より強力になっている。


「縛!」

『なっ!? くそ……動けない……この俺様がこんなちんけな術で……そんなの……認められるかっ!』


 影はグググ……と腕に力を入れていた。呪詛の力が拘束を弾き飛ばそうとしているのが見える。力ずくで破られそうだったので来留芽も藤野と同じように拘束の呪符を使う。


「縛っ!」

『良くやってくれた、呪術師達よ。わらわの出番じゃな。アレを分解する! 一つ一つを相殺もしくは昇華するのじゃ!』

「「了解」」


 土地神様の少女が操る風は影を幾千も刻み、とうとう影は形を保てなくなり純粋な呪詛として散った。


『くそ……がぁぁぁああああ!!』


 来留芽達の目には呪詛が黒い文字列に見えている。一般の人だとただの黒い霧にしか見えないだろう。そして、二人はそれらを相殺していく。呪や呪符を使ったり、単純に霊力を込めて殴ったりしてもいい。


「私はこういうちまちました作業は苦手なんだけどね」

かおるにいなら豪快にやってくれるけど、今いないし」

「ああ、あの子は確か鬼混じりだったからね。こういう呪を壊すのは得意か。守もこういったことは得意なんだよね」

「叔父さんは何をやらせてもできる生き物だけど」


 それにしても一体どれだけの呪を貯め込んでいたのだろうか、あの鏡は。来留芽と藤野は散り散りになっていく呪詛を相殺したり解呪したりしているのだが、一向に収まる気配がない。


「困ったな。終わりそうもない」

『わらわも再び集ろうとするのを阻止するだけで精一杯じゃ。すまぬな』

「いえ、私達が来る前の戦闘で消費してしまったのなら、仕方ないことだと思う」


 それに加えてあの呪詛がまた集まろうとするのを阻止するにもかなりの力を使っているように思う。それでも割と余裕があるようなのは流石土地神様と言える。


「土地神様は翡翠さんや恵美里に加護を与えている?」

『そうじゃ。翡翠と恵美里に加護を与えておる。……少し前に一人の男がここにやって来てな、わらわのまほろばに住まうということで挨拶に来たのだと言っておった。その奥方が翡翠じゃった。夫君はわらわとは相性が悪かったから加護を与えることはできなかったが、翡翠はわらわと相性が良かったので代わりに加護を与えておいたのじゃ』

「そう……。そのおかげで今回結界の効果が高くなったみたい。……ありがとう、ございます」

『なんの。そなたの結界も見事じゃったぞ。お陰で今アレに集中できておる』


 来留芽達は話しながら作業を続けているが、そこまで余裕があるわけではなかった。依然として呪詛は何とかして集まろうとしているし、土地神様の力が弱まっているのか時々形を取り戻しそうになっている。


「一体どれだけの呪詛を蓄えていたんだ? あの鏡は……」

『鏡? あの呪詛は鏡に蓄えられていたもので間違いないのじゃな?』

「たぶん。いまは無き鏡音神社にあった鏡が取り込み続けた果てに生まれたものがアレ」

『取り込みすぎたと言うことじゃな。いまは無きと言うからにはその神社の神主をやれる者がいなくなってしまったということかの』


 まさにその通りなので藤野と来留芽は頷いた。


「何らかの原因で直系一族と傍系のほとんどが絶えてしまったと聞いた。ただ、翡翠さんはどうやら傍系の血を継いでいるようで、鏡を起こしてしまったのだと思う」

『そうであろうな。ところで、件の鏡は持ってはおらぬのか? 少量ならば鏡に閉じ込めてしまっても良さそうじゃが』


 土地神様に言われて初めて鏡を利用できると気付いた。早速来留芽は鏡を取り出す。今、この鏡は何の力もないただの古めかしいものに見える。取り込んでいた呪詛が全て出ていったので禍々しさといったものは見られない。

 しかし、呪詛を取り込む能力は失われていないはずだった。こういった物は一度試してみなくては分からないところが面倒だ。神職に就いていればある程度は勘で分かるようになるとは巴の言葉だが、本当だろうか。どのみち来留芽が神職に就ける可能性はないのだから実感することはなさそうだが。


「ええと、使い方が分からないのだけど……」

『鏡の面を呪詛が集まろうとしている方へ向けよ。そうしたらわらわがその鏡の容量分の呪詛を向かわせる』

「こう、ですか」

『うむ。少し衝撃が来るじゃろうが耐え抜くのだぞ。では、ゆくぞ』


 土地神が風で呪詛を鏡の方へ誘導し始めた。風と共に黒い文字列が鏡に飛び込んでくる。そのたびに大小の衝撃が来るが、来留芽は何とかして耐えていた。恐らくだが、角度を変えてしまうと呪詛が来留芽に掛かってしまう。別にそうなっても死にはしないが大変な苦痛を受けるのは間違いないので遠慮しておきたいところだ。


『あと少しじゃ。……それっ! むっ、いかん、残りの呪詛が……』


 土地神様は鏡に入る分だけ呪詛を送り込んでくれたが、元に集まろうとする方を散らすことを忘れていたようで、来留芽達の目の前で黒の文字列が人型を取りそうになっていた。来留芽は両手がふさがっていて呪符を放てそうもないし、藤野も位置が悪かった。


『何とっ……わらわの力を撥ね除けておるっ』


 驚いたように、おののいたように土地神は体を震わせた。

 土地神様の力を撥ね除けているということは呪詛の形に散らすことができなくなったということだ。三人の視線が集まる先で文字列が形を取り始め……。


「来留芽さん、呪符を!」


 藤野が叫ぶ言葉に反応し、来留芽は呪符を取り出そうとする。しかし、どれを選べば良いのか。拘束の呪符はまだ形を取っていないあれには効かないかもしれない。そう考えて迷ってしまった。その一瞬の迷いが致命的だった

「しまった!」

『フハハハハ……もはや俺様は土地神程度の力は通じないぜぇ。よくも俺様の力を削いでくれたなぁ、ババア』


 再び呪が形を取った。

 巷で言うゆるきゃらめいたコロコロとした形だが、人型だ。

 最初に見たものよりも幾分か小さくなっているが、人型を取れただけで人格も戻ったのか。来留芽が迷ってしまったが故の今の状況かと思うと悔しい。それにしても、神の力が通じなくなっているとは……。アレの言っていることが事実なら本当にまずいかもしれない。


「ふっ!」


 藤野が呪符を飛ばした。神の力に対策を取られたとしても呪符まで対応できているはずがないと踏んでのことだ。


『ふん……ゴミが何かしたか?』

「そんな……ばかな……」


 呪符が通じなかった。ずいぶん力を削いだと思っていたが、そうでもなかったということか。全く以て先程迷ってしまったことが悔やまれる。


「ごめん」

「いや、仕方が無い。後悔・反省は後だ」

『まずいのぅ……まさか、わらわの力が通じなくなるとは。一体どうやったのじゃ?』

『へっ、分からないか。分からないよなぁ。ヒントとしちゃあ、俺様が呪詛だってことだな。呪に使う語が全てこの身に詰まっているんだ』

「ま、まさか……」


 藤野はアレが何をしたのか理解したようだ。しかし、来留芽は分からない。それは土地神様も同じだったようで首を傾げている。


『俺様はなぁ、自由自在に呪を作れるのさ。必要な語は全て呪詛に含まれていたからなぁ』


 理解した。理解し難いが……来留芽も分かってしまった。


「……新しく呪を作ったというの……土地神様の力を無効化する呪を!? それに、私達のも……!」

『正解だ、嬢ちゃん』

「っ! くぅっ……」


 話すと同時に一瞬にして影が来留芽の目の前に移動してきた。それに驚く暇も無く吹き飛ばされる。体が真っ二つになったかと思うほどの衝撃だ。来留芽が一番に狙われたのはもちろん、呪を閉じ込めた鏡を持っていたからだろう。しかし、ぎりぎり土地神様の守りと来留芽の守りの呪符が間に合って鏡を手放さずに済んだ。


『ちっ……ババアの守りか。まぁ、意味は無いが、邪魔だな』


 土地神様が来留芽に風をまとわせ守ってくれたが、影はそれすらも無効化してくる。それに気付いて慌てて逃げるが、もうここまで来れば来留芽の呪符も効かないと悟った。

 最初からアレをどうにかできたのは土地神様の力ありきのことだったのだから。

 その土地神様の力を無効化するようになった影に来留芽達の呪符が通じるはずがないのだ。

 しかも、構成していた呪も読み取れない。天敵という優位性が失せてしまった。


『ぐぅっ』


 影が今度は土地神様を殴り飛ばした。そして来留芽の方をゆっくりと向いたかと思うと、瞬間移動かと見紛うほどのスピードで接近してくる。


「逃げろ来留芽!」


 咄嗟に放った呪符で藤野が影の動きを少し止めた隙に再び迫っていた影の手から逃れる。先程から影は接近戦しか仕掛けてこない。もしかしたらそれしか知らないのかもしれない。しかしあいつは呪を、呪詛を使えるだろう。それを学習される前に倒さなくてはならない。それなのに、困ったことにここにいる誰もが決定打を打ち込めそうになかった。


『そういえばお前は翡翠をどこかに隠しやがったよなぁ……どこだ? 言え。そうすれば命だけは助けてやらんこともないぞぉ?』


 影が今度は藤野を標的にして移動した。徐に手を伸ばし、グッと彼を掴み上げる。


「……誰が教えるものか」

『ならば、死ね。どうせお前が死ねば翡翠も出てくるだろう』

「さて、それはどうだろうね。俺が全力で翡翠を守れば、たとえ俺が死んだとしても数年は持つはずだよ。今の君に賭ける余裕があるのかな?」


 藤野が薄ら笑いを浮かべてそう言った。この場で笑える藤野に来留芽はぞっとする。嫌でも死を意識せざるを得ない状態だろうに、笑う。その様子をへたり込みながら見ていた来留芽の中から何かがせり上がってきた。

 それは歓喜だったかもしれない。


 ――誰がために死を覚悟する


 その意志の強さが琴線に触れたのだ。

 カチリと微睡みから目覚めたときのように意識が切り替わった。来留芽の口に笑みが浮かぶ。顔を上げた彼女の瞳は紅く変化していた。そして、疲れを感じさせぬ機敏な動きで立ち上がったかと思うとそのまま藤野と彼の首元を掴み上げている影に向かって歩いて行く。

 彼女が一歩歩くたびに紅い文字列が巻き上がった。それはまるで炎のようで……。その場にいた全員の注意を引いた。そして誰もがそれに魅入られ動けなかった。


『誰がために――』


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