2 『最後の返却』
文芸部の新入生を恐怖に陥れた心霊研の会長は幽霊が実在している証拠はないと言って彼等を落ち着かせていた。
「もっとも、実在していないとも言えないのですが」
文芸部を後にしてからそう
そんな彼の次の目標は図書室の怪談話だという。文芸部のすぐ近くだ。
「お邪魔します。木藤です」
「あら……木藤くんね。あまり騒がないようにしてね」
「もちろんです」
会長はあらかじめ司書に利用許可をもらっていたらしい。もうすぐ図書室を閉める時間になるが、許可があれば少しだけ延長してもらえるのだ。
さて、この図書室も悪いモノがいる様子はまだ感じられない。だから、残念ながら怪談が本当の事かどうかは判断できなかった。ここではどんな話があるのか。
「じゃあ、今度は私が話そう」
図書室の怪談話は小野寺先輩が話してくれるそうだ。彼女も会長のようにこちらがゾッとするような語りを披露してくれるのだろうか。
――図書室の怪談は二つ紹介しよう。一つは『最後の返却』だ。まずはそちらから話そうか。
ある年に、本好きな少女がいた。ああ、もちろんこの学園に通っていた子だよ。少女の名前は
しかし、いつの時代も目立つ人は極端な扱いをされがちだ。うまく立ち回ることができれば人気者に、そうではなければいじめられっ子になってしまう。
彼女は後者だった。
「いつも本を読んでいるネクラが。生意気なんだよ」
「痛いっ! やめてよ……」
あるときは叩かれ
「今日は何の本を読んでいるん? キャハハ、何これ、子どもっぽ~い」
「え~、そんなの読んでるんだ。似合わね。捨てちゃえば?」
「いいね」
「っ! 返して!! ……あっ」
「どうせまた買ってもらえるんでしょ?」
あるときは大切な本をめちゃくちゃにされて
「おい、ネクラ女。本ばっかり読んでいるんじゃねーよ」
「べ、別にいいでしょ! あなたには何も関係ないじゃない!」
「うるせーな」
何度も読書の邪魔をされた。
そんな中でも気の許せる友人はいたのだろうと思うよ。けれど、いじめに正面から立ち向かってくれるような勇気がある子達ではなかったのだろうね。いじめは長い時間行われていたらしい。
それでも彼女は三年間を過ごし、卒業式を迎える時がやって来た。でもその当日、彼女はやって来なかったんだ。少なくとも卒業式の前日から行方不明になっていたそうだ。
「まさか、あいつ……」
「おい、滅多なこと言うなよ」
「お前たち、何か知っているのか?」
「「いや、何も知りません! 先生!」」
「そうか……答辞を頼んであったから欠席するはずはないんだが」
彼女の母親から捜索願いが出されていて、警察は捜索を開始した。そして数日後、彼女の水死体が発見される。警察の見立てによると彼女が死亡したのは卒業式の日の前後、状況から見て卒業式前ではないかという結果になった。
警察が目をつけたのは彼女をいじめていた面々だった。いじめについては勇気を出した子がいたのだろうね。警察の知るところとなっていたらしい。
「今日ここに来てもらったのは譲羽芙美子の死亡について何か言えることがあるのではないかと思ったからだ」
「……何もないです」
「これを見ても、そう言えるか?」
警察が見せたのは彼女の遺品と見られる“ある物”だった。中を読んでもいいと言われたので彼等は読んだ。そして最後の方まで読み進めると顔を白くして震えだし、自分達が追い詰めたのだと謝っていたらしい。
その、“ある物”とは――
……少し時間を巻き戻そう。捜査官は彼女の足取りを辿るためによく利用していたという図書室にも足を運んでいた。
「先輩、本当に譲羽芙美子は死ぬ前まで図書室に来ていたんすかね?」
「今からそれを調べにいくんだよ。目撃証言は卒業式の前日、三月十九日の午前で途絶えている。しかも、それは母親だからな……。もし彼女がその日に図書室に来ていれば記録が残っているかもしれない」
捜査官はなかなか彼女の足取りを追えていなかった。だから、少しでも分かるものがあればと思って図書室までやって来たそうだ。
「失礼します。警察です。連絡はいっていると思いますが」
「ああ、連絡はもらっていますよ。譲羽さんの個人貸出カードでしたね? 少しお待ちください」
司書が彼女のカードを探している間、捜査官二人は図書室を見回していた。
「本当に、年季の入った図書室だよな……」
「正直、何か出てきそうで怖いっす」
「随分と軟弱なことを言うな。気持ちは分かるが」
「ホラ、先輩だって本当は怖いんじゃないんすか?」
「さてな」
「あ! 明言を避けやがりました!?」
「……お二方、ここをどこだと心得ておりますか?」
背後から聞こえてきた刺々しい言葉に二人は背筋を伸ばし直立する。
「し、司書殿。田辺が騒いで申し訳ない」
「悪いのはオレだけっすか!? 松山先輩だって……!」
「……はぁ、こちらが譲羽さんのカードです。こちらは表なので、最新の記載は裏面にあります。ただ……」
ツツ……と最近の貸し出し記録をなぞり、見ていく。三月十八日までは普通の貸し借り記録だった。三月十九日は返却だけしている。問題は、その後だ。
司書は困惑した様子で裏返したカードの一部分を示す。
「この、最新の記載ですが……私にも覚えがないのです」
日付は三月二十日。返却の欄だけ丸が付いている。題名は『いじめの心理』。このようなタイトルは司書も聞いたことがなかったんだ。丁寧にも分類番号もあったのでその場所を調べてみることにしたそうだ。
「ええと……140の棚ですね。この辺りでしょうか。……ああ、これですね」
『いじめの心理』は一冊のノートだった。譲羽芙美子という名前があったから彼女が書いたものだと分かる。司書と捜査官二人は彼女の個人貸出カードとノート、そこに挟まれていた図書カードを囲む。
「司書殿の身に覚えのないこの記載はおかしいところだらけだな」
「そうっすね」
「ああ。例えばここと、ここ」
先輩捜査官は図書カードの名前の部分を指さす。題名に続く名前欄には彼女自身の名前がある。それは司書によればいつもと変わらない筆跡だという。しかし、その欄の下に共に借りたとでも言うようにその当時有名だった名前があった。
――
「この柊という生徒はいるんすか?」
「いや、今この学園にはいないぞ。……確か、十数年前に同じような死に方をした子の名前だ」
若い方の捜査官の疑問に答えたのは司書ではなく、先輩捜査官だった。そのことに疑問を抱く前に若い捜査官は内容に驚き、青ざめた。彼は知らなかったようだが、柊文珠といえばその当時は図書室の幽霊の名前として有名だった。
「そ、それ……その子に譲羽さんが誘われて死んでしまったとか言わないっすよね」
「……どうだろうな。真偽のほどを確かめられるようなものじゃないからそれは一旦置いておこう。こっちの日付について考えるぞ」
名前については誰かがふざけて書き込んだ可能性もなくはないからだ。しかし、個人貸出カードの日付に使われているはんこについては、これを押せる人が限られているので何か判断材料が見つかるかもしれない。そう思ったのだろう。
「しかし、三月二十日、か……卒業式の日付だな。こちらの校舎は閉めていたというし、入れるはずがない。ちなみに、はんこは……?」
「ずっと私が持っていました」
とは、司書の言葉だ。では、どうやって押印したというのだろう。司書が卒業式後にはんこの年月日を調整して押したのだろうか? そんなことをしても得にならないだろうにね。
「あっ……」
そのとき、若い捜査官が何かに気付いたように声を上げた。そして個人貸出カードを持って食い入るように見る。
「どうした、田辺」
「ここ、不自然に消えているんすよね。十二月十三日の三の数字っす」
「……そうだな」
彼はそのまま消えている文字を挙げていった。不自然に消えていたそれらの数字を拾えば、三月二十日を表す数字列に並べ直せた。それが意味することは……?
「そんな……ばかな、と言いたいが」
「こんな偶然があるんすか?」
彼の言い分も尤もだろう。先輩捜査官は反論が思い浮かばずに沈黙する。
「司書殿は……流石にできないか」
「ええ、無理ですよ。それに、はんこを跡も残さずに取る方法なんて知りません」
その司書の言葉に、何を思ったのか若い捜査官が再びカードを手に取って様々に傾け始めた。
「先輩……はんこが押された跡、あるんすよ……。でも、ここにはないっす」
跡があると示したのは不自然な空白数字の位置だった。ない、と指したのは……三月二十日の数字列だった。その場にいた三人は青ざめた。まるで、インクだけ抜き取って場所を移したようではないか。
「人間業とは思えないな、やっぱり」
警察官が不自然を不自然のまま容認するのはいいことではないだろうが、その時はとりあえずそう結論づけた。
さて、ここまであえて見ないでいたノートにも向き合わなくてはならなくなった。しかし、嫌な予感しかしなかった。何せ、題名はもとより、どうやってあの場所に置いたのかさっぱり分からないし、個人貸出カードにも記載されていたものだから「何かある」と思わずにはいられなかったんだ。
「日記……っすね」
全員に見えるように机に置いたままページを捲っていった。若い捜査官は少し拍子抜けしたように呟いた。ノートは彼女の日記だった。それを見れば最初の半年はほのぼのと過ごしていたことが
「ひどいな、これは」
「こんないじめが本当にまかり通っていたんすか。悪い評判は聞かない学校なのに……」
彼女の日記には突然クラスメートの態度が変わったこと、それに伴い自分の物がなくなったり、盗まれたり、めちゃくちゃにされたりしたという記述が増えた。さらに読み進めていけば直接的な暴力にまで発展していたことも分かった。
そして最後のページには彼女に限界が来ていると分かる記述があった。日付は三月十八日。
『許さない。あいつらを呪ってやる。不幸になれ』
「これは……司書殿。このノートは今後重要になるかもしれない。持って行かせてもらう」
「はい……。いじめの事実があるのでしたら、明らかにしてください。お願いします」
「任せてくれ」
奇妙な個人貸出カードに図書カード、苦悩を感じられる日記……それらの存在が明らかになって、先輩捜査官はこう思ったそうだ。
――本当に、柊文珠のケースにそっくりだ。今もなお、あいつはここにいて、恨み続けているのか……? 譲羽芙美子にも手を貸しているのか……?
柊文珠は彼の幼馴染みであり、同級生だった。彼女もまたいじめられていた。そのきっかけというのが、好きな子に素直になれない少年の心を持て余していたその態度だったというのだから、あの頃を悔やんでも悔やみきれない。
彼にとって苦い思い出だったそうだ。
「行くぞ、田辺」
そして、ノートに書いてあったいじめの主犯格の者達を呼び出したんだ。
「今日ここに来てもらったのは譲羽芙美子の死亡について何か言えることがあるのではないかと思ったからだ」
最後に呼び出された女の子は寝不足からか濃い隈があり、何かに怯えているかのように挙動不審だったらしい。
「……私は彼女を殺していません」
それでも、譲羽芙美子の死については否定していた。
「そうだな。事故の可能性もある。……これを見ても、そう言えるか?」
彼女もまた黙々と読んでいたそうだ。途中で手が止まることもあったが、最後の方まで進めていた。そして、三月十八日の日記があるページを読んで……
「あ……ごめん、譲羽、ごめんなさいっ! ごめん、私、怖くて……ちょっと突き飛ばしただけであんな……ごめんなさい! ごめんなさい!」
そんな風にごめんなさいと謝るばかりになって、たいそう取り乱したという話だよ。そのあと落ち着いた彼女から詳しい話を聞くと、譲羽芙美子の幽霊が毎晩夢に現れていたと話したらしい。ただ無言で自分の方を指さしながら近付いてくるという内容で、彼女は譲羽芙美子を助けに行かなかったことをずっと後悔していたそうだ。
「……償いは、一生かかる。気持ちはずっと後悔から変わらないかもしれない。それでも前を向くことを諦めるなよ」
警官も似たような後悔を抱えていた。だから気持ちはよく分かったのだという。その助言に彼女は素直に頷いていた。
「はい……」
そして、その部屋には人がいなくなった。置き所が悪かったのか、ノートがストン……と床に落ちてその拍子にページが開いた。そこには、捜査官達が見た記述とは別の言葉があった。
『三月十九日
オ マ エ ガ 殺 シ タ 』
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