花丘家之蔵
1 花丘祖父
それは、夜桜の鬼女の事件が解決する前のことだった。
花丘家の当主は孫からもたらされた非日常的な話に頭を悩まされていた。
花丘家は古くから続く家である。屋敷の建て替えなどは数度あったらしいが、その家が所有する蔵だけは昔のまま建っていた。その古めかしい蔵は見る者に歴史を感じさせるとともに、何かがいるような霊的予感をも感じさせる佇まいだ。
「うーむ、そういえば昔から蔵に行くと妙な感じがしていたな。儂の祖父にも蔵にゃ扱いを間違えるとマズいもんがたくさんあるから迂闊に手を出すんじゃねぇと言われた覚えがある。先祖代々それを守って売却もしなかったというかできなかったわけだが……本当に危険なモンがあるのかね」
儂は蔵のことを考えるきっかけになった、可愛がっている孫とのやりとりを思い出す。
***
「お祖父様。少し頼みたいことがあるのですが」
「おお、一樹か。何かな?」
一樹から頼み事をされるとは珍しいと少し驚いた。一樹の頼み事なら何でも叶えてやろう、儂頑張っちゃうと爺馬鹿を発揮しかけていたが、その後に続けられた言葉には困惑しきりだった。
「オールドアという会社に家の蔵の整理を依頼してもらいたいんです」
「蔵の整理? そんなもの外部の業者に頼むようなことじゃないだろうに。何でまた……」
一樹は少し躊躇うような素振りをしていたな。今思えばあまりにも荒唐無稽な話で儂が信用するか分からなかったからだろう。
「お祖父様は蔵に何かいると感じることはありませんでしたか」
「なんだ、それは。鼠か? あの蔵に入り込んでいるのか。古いものもあるから、壊されないうちに駆除せねばならんな。もっとも、それだって外部に頼むことではないだろう?」
流れるように話したのは一樹の言う“何か”に思い当たる節があったからだった。儂も昔から蔵には得体の知れない何かが存在していると思っていたのだ。それを言い当てられたようで、動揺してしまった。
「お祖父様! そういうモノではないのです。あの……幽霊みたいな一般には信じられていない存在のことです」
普通はここで怒り出すか笑い飛ばすかするところだろう。しかし、儂は思い当たるところがあったからか何の反応も返せなくなってしまった。
「……」
儂の沈黙を勘違いしたのか、一樹は慌てたようにまくし立てる。
「お祖父様? その、本当なんです。昔から蔵は怖くて……もう慣れましたけど、友人とその話をする機会があって、危険だと言われたのです。彼女は本物の霊能者というか……そういう方向の仕事をしているので嘘というわけではないはずです」
「それは、また珍かな得がたい人脈を得たものだな」
言いたいことはなかなか口から出てこなかった。微妙な言葉をこぼした儂に一樹は怒られると思ったのか少し縮こまっていた。あまり怯えられるといくら儂でも泣く。
「いや、そうではなく……お前が本物と断定した根拠はあるのか?」
「心霊関係の問題を抱えていた先輩に護符を渡していたのですが、見事な効き目だったようです」
「それだけではな……信用できない」
そもそも儂自身が経験したわけでも無いことを易々と信じるわけにはいかなかった。ただ、そういった方面の話を全く聞いたことがないわけではない。一樹には悪いが秘密にさせてもらうがな。
しょげてしまった一樹に居心地の悪い気がしながらも、もう少し詳しく聞こうと儂は口調を和らげて声を掛けた。
「一樹。お前の友人で霊能者というのは同級生の女性なのかい?」
「はい……古戸来留芽という子です。同じクラスになって、部活動見学の際に彼女ともう一人常磐八重という子と三人で回ることになったのが最初の接点です」
「では、その子がオールドアで霊能関係の仕事をしているんだな? 従業員の構成とかは聞いたかい?」
「いえ……あ、でも京極先生もオールドアの社員だということを話していました」
儂は失礼だが古戸来留芽とやらが一樹を謀ったのだと思っていた。高校生の子どもだからおおよそオールドアで働いていてもバイトか何かで、客足を増やそうとしてそんなことを言ったのだろうと考えたのだ。しかし、一樹が気になる姓を言った。
「京極? 確か、一樹のクラスの副担任だったな? 彼もオールドアで働いているのかい?」
「はい。そのようです。ああ、古戸さんが先輩に渡した護符は京極先生が書いたものだと話していました」
「そうか……京極、か……。一樹、少し考えてみたい。今日の所は下がりなさい」
「分かりました」
儂が一樹に考えてみる、と言ったのは京極という姓にまつわる話がいくつかあったからだ。暗黙の了解とされるそれは、“京極家に逆らってはならない”という単純ながら危険な臭いのする不文律である。商売仲間から遠い昔に聞いた覚えがあったのだ。
『なぁ、イチ。京極家って知っているか?』
『京極家? 知らないな。新興の商人か?』
『いや、昔から裏で幅を利かせている家だよ。商売もしている』
『……危険な所なんじゃないか』
まだ若かった頃、商売仲間で親友だったある男が雑談ついでに話していった。
『そうだな。危険と言えば危険だ。彼等に関わるとき、決して反抗してはいけないんだ。さもないと……消されるという噂だ』
『それは恐ろしいな。関わらない方が良いんじゃないか』
『それがそうとも言えない。良い商売相手は彼等との繋がりがあったりするんだ。どうしても関わらなくてはならなかったりする。それに、下手な商売相手より信頼できるんだ。彼等は侵してはいけない領域というものが明確だからな』
『しかし、面倒な』
『シッ。そんなこと言って不興を買ったらどうするんだ。ともかく、京極という姓が出てきたらよく考えて行動しろよ』
具体的にどういうことがあったというような話は聞けなかった。しかし、京極という姓が出てきたとき下手を打てば危険な目に遭うことは確かなようだった。関わるべきか、関わらざるべきか。孫が持ってきた話はその胡散臭さも相俟ってひどく悩むことになった。
***
「……一度行ってみるか。自分で見て判断したい。あの京極家が関わっているならば余計にな」
儂は今まで直接あの家が関わるような話を持ち込まれたことはなかった。間接的には関わったことがあるかもしれないが……。ともかく、いきなり現れた京極という姓には慎重に立ち回らなくてはならない。
「伊藤さん。一樹を呼んでもらえるか?」
「かしこまりました。一樹様はもう学校から帰ってきていますのですぐにいらっしゃるかと思います」
「ああ、分かった。頼むよ」
家政婦を雇うなんて、いいご身分だと我ながら思うことがあるが、まぁ、祖父から三代の内に花丘家もかつての栄華を取り戻してきている。大きな邸を建てたこともあり掃除などが家族だけでは追い付かなくなったので仕方ないことだ。
孫達は家のことをひけらかさない良い子に育ったが、特に一樹はやっかみなどがあったのか友達を呼ぶことがなくなってしまった。あまり良くない傾向だな。人を見る目をもう少し鍛えさせるか?
「お祖父様。一樹です」
「お入り」
「どのようなご用事でしょうか」
「先日に話してくれたオールドアとやらについての話だ」
儂がそう言うと一樹はパッと顔を明るくさせた。期待に満ちたその表情に苦笑いする。
「依頼に向かってくださるのですか? 場所は教えてもらったので案内できます!」
「……そうだな。だが、まだ依頼すると決めたわけではない。とりあえず話だけでも聞いてやるかと思ったから行くだけだ」
一応釘を刺しておく。そう、まだ決まったわけではない。京極という存在が本物かどうかだけでも分かればすぐに行動するのだがな。もちろん、そのときは関わる……つまり依頼するという選択をするだろう。ただ、蔵に幽霊のようなものがいるとは実に胡散臭い話ではないか。やはり一樹の友人の子が話したのははったりで、京極というのも別の京極ではないかとも思ってしまう。その方が面倒臭くないから個人的に望んでいるのはそちらだ。
「分かりました」
「案内は頼んだぞ。車を出そう」
「瀬戸を呼んできます」
瀬戸は運転手の名字だ。夕方のこの時間なら車庫で仕事をしているだろう。
「さて、儂も準備しなくてはな。どうせなら曰く付きの物を持っていくか。本当に何かが取り憑いているかは分からないが……彼等の態度を見るのには十分だろう」
あまり大きな物は持てないから小さいもので年季が入っているとなるとすぐ出せる場所にあるのは……根付くらいか。白い蛇の根付だ。祖父から貰ったもので、大層気に入っている。
「お前には儂の成功も失敗も見られているからな……もし彼等にそれをピタリと当てられたら信じるほかはあるまい」
そして、儂と一樹はオールドアという会社の前で車から降りる。妙に人通りの少ない道に面したそこにオールドアという会社があった。古い屋敷を増築してオフィスに作り替えたのだろうか。看板があるからオールドアだと分かるが、周囲は手入れしていないらしく雑草の楽園になっている。儲けようという気概の感じられない外観だ。
一樹がインターホンを押す。ほどなくして扉が開いた。
「オールドアへようこそ」
出迎えてくれたのは若い男性だった。儂は彼を見て一瞬ギョッとした。大学生だろうか、髪を金髪に染めており、目つきも悪い。しかし、「オールドアへようこそ」と言ったので彼もここで働いているのだろう。
「あー、ここに来た用件は?」
迷惑そうに言われたその言葉に、儂の中からこの会社を信頼する気持ちが消えた。礼儀もわきまえていないこんな若者を登用するとは一体どういうつもりなのか。
「……言葉と態度に気を付けろ。とりあえず、お宅の社長を出してもらえるか?」
こんなバイトの従業員では話にならない。社長の顔が見てみたくなった。案外社長も大したことがないかもしれないとすら思える。
「それはサーセンっした。社長を呼ぶんで少し待っていてくれ……ください?」
……気を付けろといったそばから全く反省が見られないこの態度。儂は眉間に深く皺が刻まれるのを感じた。疑問系で返されても困るというものだ。
無礼な若者が一旦去って、一樹と二人きりになってから儂の怒りが口からこぼれていった。
「一体何なんだ、先程の若者は。あんなに礼儀がなっとらん者がいるとは思いもしなかったぞ。会社は何の指導もしていないのか? 一樹、悪いがここまでのやりとりでどうも信用できなくなってきた。社長の出方次第で態度を決めようと思うが、依頼をしないという選択をしたとしても恨むなよ」
「そうですね。確かに先程の人の対応は問題ですね」
儂は深く息を吐いて社長とやらを待つことにした。待っている間に案内された部屋の様子を見る。どうやらここは小さめの会議室のようだ。絵画も飾ってあるが、これはなかなか趣味の良いものだと思う。一応は古物商らしいところもあるようだ。
「しかし……客に茶も出さないとは……指導はどうしているんだ? 人がいないのか?」
「お祖父様」
「ああ、あまり他人を悪し様に言うのはいけないことだな。はぁ、それにしてもなぁ……」
その時、ノックの後に会議室のドアが開いた。
「失礼します。こちらに客人がいると聞きましたが……」
入ってきたのは悪人面の男と少女だった。男の方はヤクザかと思うほどそちら方面の雰囲気があった。入ってきてから何か言っていたようだが、驚きすぎて聞いていなかった。この会社、大丈夫なのか?
儂はそこはかとなく不安を感じていた。
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