10 叶わないだろうけど
桜が見せてくれたのはそこまでだった。来留芽は唐突に現在へと引き戻される。しかし、これで来留芽達が何をすれば良いか分かった。
「桜子さん。あなたの心残りは、何?」
もう八割方分かっていると言って良い。それでも、今の彼女の口から聞きたいと思った。
記憶の旅から戻ってきて、来留芽はうつむく桜子に問いかける。般若の面はいつの間にか消え去って、彼女は普通の女性の姿になっていた。血の染み付いた着物はそのままだが、それはおそらく彼女の業なのだろう。それでも今はきっと、ありのままの彼女の、ありのままの心でこの場所にいる。
「叶わないだろうけど……忠次様に会いたい。咲子をどう思っていたのか、私にはもう愛を感じていなかったのか、真実を彼の口から聞きたい」
――何の言葉も交わせなかった最後を覆したい
そう言うと両手で顔を覆って泣き出す。彼女ももう自分が今いるのは遥か先の時代で、自分の願いが叶いようのないものだということは理解しているようだった。
しかし……と来留芽は考える。今この時代にあの忠次にそっくりの一樹が生きているというのは果たして単なる偶然の一致だろうか。
そうではない、と思う。この世の中に似ている人がいたとする。そこには、似ているだけの理由がどこかにあるはずだ。きっと忠次も桜子について悔いが残っており、彼女が怨霊から正気に戻った今日この時を待って生まれ直したのではないだろうか。
「社長、花丘くんを……」
来留芽は振り返って一樹を呼ぶ。本当は結界から出るのは危険なのだが、この状態でも桜子は結界の向こうを見ることができないようだったのだ。背に腹は抱えられない。やるしかないのだ。幸いここには一流の術者が三人もいる。彼等に任せれば何とかなるだろう。もちろん、来留芽とて精一杯一樹の安全を考慮して動くつもりだ。
社長に付き添われて一樹がこちらに歩いてくる。どことなく緊張した顔だ。それはそうだろう。散々危険だということを伝えたのだ。
「花丘くん」
しかし、彼が鍵となっているはずなのだ。彼は近くにやって来ると桜子から目を逸らさずに口を開いた。
「古戸さん、この人が桜子さんですよね。……懐かしいな、『久しぶり、桜子。また会うことを、ずっと願っていた』」
懐かしいと言って目を細める一樹に、そしてその言葉に来留芽はヒュッと息を飲む。まさか、本当に忠次の生まれ変わりなのかと驚いたのだ。しかし、それに続いた言葉は一樹とは少し違った声で、しかも、よく見ると一樹に別の人物が重なって見えた。彼が忠次だとしたら、彼は一樹に
この場にいる霊能者の面々は互いに視線を交わすと状況を見守ることにした。
「……忠次様? どうして、このような……」
桜子は涙で潤んだ目で見上げ、彼の姿を見て取ったようだ。軽く目を見開きまた涙を溢れさせる。彼女にとって懐かしい姿がそこにあった。怨霊となっても忘れ得なかった姿が。
「『俺と似た魂を持つこの子の体を少し借りているんだ』」
忠次にとって長い時を経てようやく相まみえた今この時は、まさに奇跡だった。おそらく、彼女にとっても。
「『桜子、長い間、苦しませてしまい済まなかった。あのときのことについて弁解させてもらえないか』」
彼は座り込んでいる桜子の視線に合わせて膝をつき、深く頭を下げた。
「……なぜ、咲子と一緒にいたのですか」
桜子の声が震える。
――でも、これを聞かなくては前に進めない
そう思って彼女は再び顔を両手で覆いつつ絞り出すように声を出し、尋ねた。
「『調査の一環だった。桜子と息子の周りをうろちょろしている不審人物がいると言われてな。兄貴は世間体を気にして内々に収めようとしていたんだ。その意思を汲んで俺が動いていた』」
――二人に危害を加えられたくはなかった
そう小さく呟いて忠次は拳を握り締める。だが、それが仇となって桜子を失ってしまったことはずっと棘となって心に突き刺さっていた。今この瞬間もじくじくと痛むが、それを言い訳にするつもりはない。
「では、咲子にあなたが考えた服を贈るというのは……」
桜子は小さな疑問を口に出す。
――裏切られた、と思っていたあれは……
何だったのだろうか。
「『ああ、あれか……』」
忠次は嫌な記憶を思い出してしまったと言うように顔をしかめた。そして告げる。真実を。
「『咲子、だったか? そいつは意外と疑い深い奴でな。下級から高級娼婦にまで上り詰めたそのときにいろいろあったんだろう。そんな人物に呉服屋の息子は本気だと思わせるにはああするしかなかったんだ』」
……だが、そのせいで誤解されていたなら俺が悪かったな。すまない。と彼は再度頭を下げた。
花丘家の極秘文書の一つは客観的事実と事件がどうして起こったのかの推測が書かれていた。所謂調書のようなものだ。しかしそれは事件の全貌を捉えてはいなかったようだ。それについてはもう一つの極秘文書が詳しい。それが、花丘に持たせておいた本だ。
桜子は彼が持つ一冊の本に気付く。まだ混乱している頭でそれをぼんやりと見ていると視線に気付いたのか、彼がそれの説明をした。
「『ああ、これが気になるのか。これは……生前の俺の日記だな』」
懐かしさに目を細めて彼はパラパラとめくった。
桜子への愛も、彼女を失った後の苦しみも全てが
「『どうしてこんなに長い時間残っていたのか不思議だが、全てが君に再び出会うためだとしたら俺は嬉しいな』」
桜子はその言葉に赤面しつつも差し出された日記を読んでいた。それを見れば忠次が桜子をどれだけ愛していたのか、桜子が死んだ後、彼がどれだけ苦悩したのかが伝わってくる。彼の愛は疑うまでもなく桜子に向いていたのだ。狂おしいまでに彼は彼女を愛していた。それを知って、ようやく桜子もすべてを理解し、認めることができた。
「私は……私はあの時、忠次様を信じることができていませんでした。貴方のことを信じていればこんなことにならずに、あの子もちゃんと育てられたのに……私こそ、ごめんなさい。信じることができなくて、ごめんなさいっ」
涙が溢れる。もうやり直しがきかないほど時が経ってしまっていた。
「『いや、いいんだ、桜子。互いに謝るのはこれで仕舞いにしよう。俺は今日のこの日を待っていたんだ。君と再び向かい合えるこの日を』」
――長い時を経てしまったが再び心を通わせることができた。この奇跡を喜ぼう
忠次はそんなことを思いながら彼女の頤にそっと手を寄せて顔を上げさせた。そして、触れているようで触れていないキスを贈る。今すぐにもこの距離を縮めたいと願った。
「『なぁ、俺達はもう生きてはいないということには気付いているだろう。俺を許してくれるなら、冥府まで共にいかないか。かつて約束したように一生を共にいることはできなかった。だが、その代わりにせめて冥府まで共にいてくれないか』」
狂おしいまでに自分を求めていた忠次にしては控え目な要求だ。そう思って桜子はクスリと笑う。
「冥府といわず、その先までずっと許される限り共にいます。忠次様。もう、一人にはいたしません」
そう言って笑顔を浮かべる桜子はとても美しかった。忠次の霊も一樹から離れ、桜子を強く抱き締める。まるで今まで抱きしめられなかった分を取り戻そうとするかのように。そして、二人はそのまま宙に消えていった。
ありがとう、と最後に言い残して。
***
桜子と忠次を送り出して数日が経った。来留芽達は後始末に追われてあまり寝ていないため、学校に登校した日は朝から眠気でぼんやりしていた。だからだろうか、八重の突撃に気付けなかったのは。
「来~留~芽~ちゃ~ん!」
突然背中に衝撃を受けて倒れかける。誰がぶつかってきたのか、直前の声ですぐに分かった。
「な、何……八重?」
「花丘くんに聞いたよっ。お化けの事件のこと! 知らないうちにぜーんぶ解決しちゃったみたいじゃん。私は詳しく教えてもらえるの?」
桜子達が成仏したことは、花丘が知っている。だが、そう言えば口止めを忘れていた。それだけ疲れ果てていて頭が回っていなかったようだ。果たして、八重に話して良いものかと一瞬考える。下手な対応をしてしまうと本部がうるさいのだ。一応こちらから巻き込んだのだし、説明責任が発生するのだと……ごり押しできれば良いが。
そこまで考えてから来留芽は潜めた声で返答する。
「昼に話すよ。でも、人目のないところじゃないと」
「そこは大丈夫! 屋上の占有権を取ってもらうから」
屋上の占有権? そんな物があったのか。しかし、どうやって取るというのか。
来留芽が浮かべた疑問を見て取ったのか、続けて八重が話す。
「屋上の占有権というのは便宜上の名称というか、結果的にそうなるというか……あのね、花丘くんの人気とかツテを利用してもらうんだよね」
納得した。そして、屋上を占有するために方々の機嫌を取る羽目になるだろう花丘に同情する。いや、もしかして今もそれをやっているのか? まさかと思ったが、千代が慈愛のこもった笑顔で頷いたのでその予想が正しいと知る。
「花丘くんも災難だ……。ところで、千代はいいの? トラウマになってはいない?」
「恐らく大丈夫だと思います。花丘君から少し聞きましたが、あの鬼は悪くない結末を迎えたのでしょう。それならばむしろトラウマを上書きしてくれそうだと思いますから」
トラウマにはなっているのか。やはり一般の人はこういうことに関わるのは大変なのだろう。
昼休みになって、来留芽達は屋上に向かった。そこには既に三つの人影があった。卓球部で出会った麓郷先輩、そして小野寺先輩と細だ。
「おう、遅いぞ一樹」
「どうして巌先輩がいるのですか?」
驚いたように花丘が聞いた。麓郷先輩は桜子の件には全く関わっていないはずだったからだ。
「椿の付き添いだ。あと、そこの京極先生に用事があって押しかけさせてもらった。お前ら、何か変な事件に巻き込まれたんだって? 椿の異変には気付いたが、そんなにやばい物だとまでは分らなくてな。助かった、ありがとう」
麓郷先輩は丁寧にお礼を言ってくれる。しかし、別にお礼を言われるほどのことはしていないと思う。むしろ、小野寺先輩の件は細が一番活躍しただろう。
「それは京極先生に言うべき言葉だと思います。私はお礼を言われるほどのことは……」
「いや、詳しくは知らないが、恐らく霊的関係の事件だったんだろう。今なら分かる。ああいうのは危険を伴う物だと言うことも知っている。だから、お礼を言いたかった。もちろん、京極先生にも……」
「ああ、いい、いい。生徒を守るのは教師として当たり前のことだからな」
細がそのままずっとお礼を言い続けそうな麓郷先輩を止め、その場を収拾しにかかる。
「まぁ、来留芽も大人しく受け取っておけ。それで、早速だが話をしたい。しかし、
今回の事件に
そして事件の概要は細が、あの夜桜の話は来留芽が主に話す。八重と千代は二人とも反応が良くて話しがいがあった。
「桜子さんは元の姿に戻ってから成仏できたんだ。良かったね」
「だが、咲子さんが鬼にならなかったのは何故だろう? 聞いたところ、彼女だって鬼になりそうな気がするのだけど」
小野寺先輩は昨日からその疑問を抱いていたらしい。
これはあくまでも予想になるが、桜子に真実を告げたときに咲子が抱いていた恨みなどは昇華されていたのではないだろうか。完全になくなりはしなかっただろうが、桜子の絶望には今一歩足りなかった。だから怨霊は桜子をベースにしていたのではないだろうか。
「なるほどねぇ。何にせよ、長い時を苦しんでいた二人がまた出会うことができたのは本当に良かったと思うよ。私が見た夢は救いがなかったからね……」
きっと二人は仲良く歩いて行くのだろう。ひょっとしたら向こうで息子とも再会しているかもしれない。とはいえ、行く先は冥府……地獄と呼ばれる場所だ。どうしても、考えてしまう。
「生きている内に仲を取り戻せればもっと良かったんだろうけれど……。でも、人ではなくなってまでも求めた絆は戻った」
「そうだね」
「どんな形であれ、ようやく彼等は先に進めた。ベストじゃなくても、ベターな結末に持って行けた、はず」
忠次の願いが二人を引き寄せたのだろうか。願い続けていればいつかきっと叶うときが来るのかもしれない。
来留芽は青く透き通るような空を見上げながら桜子と忠次、二人の旅路を思う。
夜桜之章Fin.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます