8 準備が整っていく
「来・留・芽ちゃ~ん!」
翌日のこと。朝、来留芽は学校のホールで後ろから掛けられた元気な挨拶に対して振り向くと少し力の抜けた顔になる。注目を集めながら駆け寄ってきたのは八重が目に入ったからだ。二人並んで教室に向かう途中でふと彼女の親友のことを思い出す。今回の件に関わりがあると考えられる竹内千代はおそらくその親友だろう。
来留芽は隣を歩く八重をちらりと見てどう話を切り出そうか迷った。
「八重」
「ん? なになに?」
「竹内千代さんって……入院しているというあなたの親友だったと思うのだけど」
「うん、そうだよ。千代がどうかした?」
予想外の言葉だったからか、きょとんとした様子で頷く八重。彼女には来留芽の仕事について軽く説明してある。だから言えばきっと協力してくれるだろうという予想はあった。ただ、最初に冷たく拒否したことが心の重しとなっていた。
「その、やっぱりお見舞いに行きたいと思って。それに、少しあちら側のことで聞かなきゃならないかもしれない」
「あちら側というと……」
八重はそれまで浮かべていた明るい表情を消して周囲を窺うような様子を見せると、階段下の影に来留芽を引っ張っていった。少しでも聞かれてしまうリスクを下げようと気を回してくれたらしい。
「あちら側って、幽霊とかそういうもの?」
「そうなる」
もう少し詳しい説明をしようと口を開いたのだが、人の声が近付いてきたことに気付いて八重共々反射的に頭を引っ込めた。
「……有明、心配してた子はどうなりましたか?」
「今日は休むらしい。無理せずにとは言っておいたが……」
「これが幽霊を見たとかだったら面白いのですが」
「また趣味の話か……」
二人が通り過ぎたところで来留芽と八重はひょっこり顔を出す。二人並んでそっと廊下の先を窺った。
「行ったかな?」
「たぶん。八重、朝のホームルームの時間が近くなっているから手短に言うけど、竹内千代さんが遭った事故が問題で、相談に来た依頼者が鬼を見ていたらしいの。それで、事故の被害者にも何か問題が起こったりしていないか聞きに行った方が良いだろうと私達は判断した」
「はぁ~……やっぱり、千代に良いことじゃないんだよね?」
「それはもう」
仮にあの鬼女が竹内千代にも影響を及ぼしていたなら、放っておいて良いことなどないだろう。あまり長期間そういった存在に触れていると“普通”に戻れなくなってしまうからだ。
「分かった。ちょうど今日行こうかと思っていたんだ。来留芽ちゃんは時間ある?」
「大丈夫」
来留芽がそう言ったとき、ちょうどチャイムが鳴り、二人はそろってしまったと顔を歪めた。そして慌てて自分達の教室へと階段を駆け上がる。
幸い、担任の鈴木先生よりも早くに教室に着いたので遅刻扱いにはならなかった。
そして、その日の放課後。来留芽は八重に連れられて病院へ見舞いに来ていた。早速八重が彼女のすぐそばまで行き、テンション高く挨拶をしている。そのノリに合わせてハイタッチをしている彼女の入院理由は事故だそうだが、存外元気な様子に見えた。この分であれば近いうちに退院できるのかもしれない。
「初めまして。同じクラスの古戸来留芽です」
「初めまして。竹内千代です。わざわざ見舞いに来てくれたのですか。ありがとうございます。もう少ししたら学校に行けると思うので、そのときはよろしくお願いしますね」
「分らないことがあれば何でも聞いて。もっとも、八重の方が嬉々として教えそうだけど」
八重はベッドサイドの椅子に座り、来留芽は壁に背を預ける格好になった。
「ああ、そうですね。そこが八重の良いところですから。他にも八重のことはよく知っています。何かあると目を合わせようとしなかったり。……来留芽さんはただ見舞いに来たわけではないのですよね?」
目の前にいる八重の肩がビクッと跳ね上がったのが分った。やはり八重は嘘をつけないタイプだ。そして、この竹内千代という子は侮れない。尤も、この場では嘘をつく必要はないから気付かれても構わないのだが。
申し訳なさそうに振り返った八重に向けて来留芽は大丈夫だと言うようにゆっくりと頷いた。そして一歩近付く。
「見舞いというのも本当ではある。学校で必要になるプリントを届けに来たの。でも、私としてはもう一つここに来た理由があって……」
「それは何でしょうか? 私が答えられるなら答えますよ」
目の前の子の表情は変わらない。しかし、左手で右手首をぎゅっと握っていた。よく言えば芯の強い、悪く言えば強情そうな雰囲気がある。
この子は何か不安なことがあってもひた隠しにしそうだ。ここは直球でいく方がいいだろう。そう思い、一つ息を吐いて話す。
「あなたは事故に遭ったと聞いて少し確認したいことがあるの。確か……加害者は大岡修三。彼は不思議なことを話してくれた。夜な夜な着物を着て髪を振り乱した女が刃物を降り下ろしてくるという夢を見るってね。事故当日もそれが見えて運転の手元が狂ったみたい」
「それはっ……」
こちらが驚くほど落ち着いていた千代の様子が変わるのが分かった。これは当たりかもしれない。そう思いつつ来留芽は構わず言葉を続ける。
「あなたも同じような経験をしたのではないかと思って聞きに来たのだけど、その反応だと、やはり見たってこと」
来留芽の探るような視線と千代の警戒した視線がぶつかる。
「あなたは何者なのですか? あれが何か知っているということは……もしかして、あなたがあれを見せたのですか?」
「それはないよ、千代。来留芽ちゃんから話は聞いたから。来留芽ちゃんって、“そういう”方面の人だって」
どうどう、と言うように両手のひらを見せて両者の視線に挟まれた八重はとりあえず千代を落ち着かせようとする。
「そう……八重がそう言うなら、信じましょう」
動揺していた千代だったが、八重の言葉を聞いて落ち着いた態度に戻る。二人の間の信頼関係をあてにして八重に同行を頼んだのは正解だった。
そんなとりとめのない思考を散らして来留芽は真剣な表情を千代に向けた。
「話を聞かせてもらえる?」
「ええ。私が今から話すのは本当のことです。嘘ではありませんから。
――あのとき、私は夜道を歩いていました。基本的には足元を注視していたのですが、ふと顔を上げて山の方を見たのです。すると、桜の一本がぼんやり光っていて……」
よくある夜桜のライトアップではなく、桜の木、枝、花びら、その一つ一つが光っているような不思議な光景だったという。
「それをみとめると同時に声が聞こえてきました。しかし、内容はよく分かりませんでした。恨みがどうのこうのと言っていたのだと思います」
そう言いながら左手で右腕をギュッと掴み、病衣に皺を作っていた。
「最後だけははっきり聞こえましたね。『わが恨み、とくと思い知るがいい』という叫びでした。そして、体が動かなくなって、脳裏に映ったのは骨ばった手を伸ばしてくる、般若のような顔をした女性でした」
千代はその般若を思い出したのか、目を伏せるとブルッと震えた。
「そう。教えてくれてありがとう。あなたがそれを見たのはその一回だけ?」
「……あなたはエスパーか何かなのでしょうか。正直に言うと、入院してからも何度か夢で見ています。私のところに手が届くかどうかというところで目が覚めるので、もう慣れてしまいましたが。大丈夫ですよ、夢くらい……」
それは認識が甘い。そう断じて来留芽は首を振った。
「ああいうのは見るだけで多少の影響が出るから早めに対策をしないと危険。今日はこの護符を枕の所に置いて寝て。もう夢を見ることはないはず」
「あ、小野寺先輩に渡したのと同じもの?」
八重が横から覗き込むとそう尋ねてくる。それに来留芽は頷く。
これは細が珍しく自分から作ってくれたものだ。本気でこの件を解決する気になってくれたのはいいが、こうやって気を回せるならもっと早くにしてもらいたかったものだと溜息を吐いた。
「そう。細兄……京極先生が作ったもの。効果は保証する」
「……ありがとう。とても助かります」
やはり辛かったのだろう。来留芽達のような裏を知る者ならばともかく、彼女のように普通に生きている人にとっては気楽に相談もできない以上、ストレスを溜め込むことになる。大した精神力だと思った。
病院を後にして、来留芽は真っ直ぐオールドアへ帰ってきた。社員用ラウンジを覗くと樹が寛いでいる姿を目にする。懐かしい童顔ゆるふわヘアがジャージ姿で片耳にイヤホンを当てて座っていた。懐かしいというのはここ数ヶ月彼を見ていなかったからだ。
「お、来留芽~! お帰り~兄ちゃん、帰ってきたぞ~!」
「ただいま。樹兄もおかえり」
「ただいま! こうやって挨拶できるっていいねぇ。というか、誰かと話せるって幸せだ~」
う~ん、久しぶりの感覚だ! と言いながら伸びをする樹を見て一つ疑問に思った事を聞く。
「守屋お祖父様とは挨拶とか会話しなかったの? 礼儀作法には意外と厳しいはずだけど」
「挨拶する間も無く山奥やら滝壺に放り込まれたんだよ~。あの爺様、無茶苦茶だ」
樹は苦々しくそう言うが、祖父は無茶苦茶が普通なのだ。こちらは諦めるしかない。
「御愁傷様。ところで、守叔父さんは?」
「来客があって対応してる~。花丘家の当主サンらしいよ。あ、話は聞いているから。この件は僕も出るよ」
……話は聞いているから?
来留芽はその言葉に違和感を覚えた。そもそも、帰ってきたばかりの樹はすぐに寝てしまう。特に祖父との修行の後はそうだ。そして叔父さんが話したはずはない。今日は会議が予定されているからだ。そうなると、どういう意味か。一つ思い当たることがあってまさかと息を飲んだ。
「よりによって応接間に盗聴仕掛けてるの!?」
盗聴・盗撮は樹の趣味だ。笑って済ませられることにしか使わなかったから今までは問題になってはいなかったのだが、今回は流石にアウトだろう。
来留芽は
樹が盗聴に専念し始め、来留芽も話し合いの結果を待つだけなので特に樹と話すこともなく、部屋はシンと静まり返る。
「あ、終わったみたいだ。来留芽、ちょっと回収してくるから社長達の引き留めよろしく~」
少しして樹はそう言うとドアに手を掛けた。しかし、来留芽もそうほいほいと従うわけにはいかない。犯罪すれすれ行為を見逃すにはそれなりに報酬性が無ければね。そう思って手を出してみた。
「報酬は?」
「ちゃっかりしてるねぇ。う~んと、花丘家の極秘文書二つでどう?」
「それは要提出書類でしょ。一応借りておく。でも、私の報酬にはならないから」
樹兄の悪事、すべて社長にばらそうか? とさらに脅しをかける。
「それはやめてっ! 仕方ない、僕の秘蔵の数珠を献上するよ。ちゃんとしたルートで手に入れたものだから心配はないよ~」
「……はぁ、もとからそんな心配はしてないけど。仕方ない、それで手を打つ」
そうしてポンと渡された数珠は、今はないがそれなりの歴史を刻んできた寺で受け継がれてきた物だった。その特徴を書いてある文献を覚えていたのだ。これは大変伝統的価値のある物ではないだろうか、と来留芽は思わず黙り込む。その隙にさっさと逃げた樹が閉めたドアをしばらく見つめていた。
それにしても毎度毎度一体何処から手に入れてくるのだろうか、あの兄は。扱いに困るものを提示しないでほしい。そんなことを思いながら数珠をしまった。
受け取る来留芽も来留芽である。
そんな批判には耳をふさぎ、とりあえず樹から借りた花丘家の極秘文書をぱらりと読む。そこにはとても興味深いことが書かれていた。小野寺先輩の話ではさらっと流されて特に疑問も沸かなかったところ……大店の子どもについて一つ話とは違う事実があったようだ。
この文書によると大店の子どもは男の子三人、女の子五人だったとある。ただ、末の二人の女の子は双子だったそうだ。彼女達は一卵性の双子で外見は全く同じだったらしい。しかし、性格は真逆で妹の桜子は静かな性格で父親に反抗することもなかった一方で姉の咲子は勝ち気でよく父親とぶつかっていたそうだ。
とうとう咲子は扱いに困った父親によって勘当され、家を追われることになった。そして行き着いた先は……
数年後、咲子は風の噂で桜子が幸せな結婚をしたことを知る。そこで自分が惨めに思ったのだろう。咲子は妹の幸せを壊すために動き始めた。
そう、桜子の夫の忠次を誘惑したのだ。
この頃には二人の育った環境の違いか、二人の外見は全く違ってしまっていた。桜子は清楚な美人に、咲子は派手な美女に。それが、咲子が忠次を自分の虜にしようとした理由の一つ。別の理由としては咲子に協力者がいたことだ。その協力者というのは桜子に
この二人の共謀が事件につながったと推測している。
「と……ふぅ。流石に事件については詳しく書かれてはいない。当時の人も詳しい経緯は分からなかったということかもね」
しかし、現代に起こっている事件を解決する手がかりになる。来留芽は溜め息を閉じ込めるかのようにそれを閉じた。
「やぁ、来留芽。極秘文書は読めた~?」
「樹兄。まず私の部屋の監視カメラを撤去して。話はそれから」
このタイミング、確実に仕掛けてある。瞬時にそう判断した来留芽はさっと立ち上がると無表情で樹に詰め寄った。
――女の子の部屋に監視カメラを設置するとか、万死に値する
「ごめんって。前に念のため設置したやつが残っていたんだよ~。悪気はなかったから許してっ」
悪気は無くとも使用した時点でアウトだろう。
ということで、告げ口した。流石の来留芽もこれは許しがたかったのだ。
***
「ごめんなさい~!」
ヤのつく人も真っ青な顔で座る鬼のような社長の前で樹が土下座している。本気で謝るその姿に来留芽は少し溜飲を下げた。
しかし、謝ったから許しますでは示しがつかない。それだけ樹がやったことはいけないことだ。
「樹。来留芽を心配してのことだったのは分かる。大方、式か何かを置いたはいいが回収できなかったのだろう」
監視カメラではなく、式だったことを今になって知った。樹のことだから機械だと思っていたが……考えてみれば樹が設置したと思われる時期と稼働時間が一致しない。
「はい……」
「減給と、夏休みに渡世の家の手伝いをしてもらおう。来留芽もそれでいいか?」
「はい」
渡世の家の事を知る来留芽にとっては少し罰の方が重く感じるが、やらかしたことを考えれば妥当だとも思う。どうせ後で細にも絞られるのだ。
……それもまた死なない程度にひどい目に遭いそうだが、樹のことだ。少しすれば完全回復するだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます