7 どうしてくれようか


 一通り話した小野寺先輩はずいぶんと顔色も良くなった。気分も浮上したようだ。来留芽はそんな彼女を見つめる。感覚の精度を徐々に上げていくと先程は気付かなかったが、先輩は確かに霊的な影響を受けていることが分かった。ほんの微かだがその気配を感じ取れたから。しかし……


「来留芽ちゃん? どうしたの、そんなに考え込んで。先輩の話に何か気になることでもあったの? ……否定だけはしちゃだめだよ。こういうときはそういうのキツいんだから」


 八重がこちらを振り向き、来留芽が考え込んでいるのを見て問いかける。最後の方は先輩に聞こえないようにか小さく囁いてきた。もちろん、来留芽に先輩の話を否定するつもりはない。むしろ本当のことだろうと思う。オールドアが請け負っている仕事のことをこの人は知らないはずだからだ。

 そして今の状況を考えると小野寺先輩はこちらに引き込んだ方が良さそうだと判断する。これ以上は何の対策もなしにあの強い想いと対峙できるとは思えなかった。

 問題は八重だ。彼女の親友は関係者だが、彼女自身は違う。ここで巻き込んでしまうと『日本霊能者協会裏関係総合本部』……正式名称は長すぎるので来留芽達は単に本部と呼んでいるが、その組織がうるさく口を出してくるだろう。つけいる隙を見せたらチクチクと嫌味を言い続ける。いや、八重の周りの人のほとんどが関係者で情報が漏洩ろうえいする可能性が高いことを挙げれば、本部の追及をかわせる可能性はある。


 ――よし、巻き込んでしまおう

 来留芽のその決断は早かった。


「小野寺先輩、八重、花丘くん。先輩の悩み事を解決できるかもしれないことを私は知っているのですが、聞きますか。そのためには絶対に誰にも私の話を話さないと約束してもらわなくてはなりませんが……」

「私の気が晴れるかもしれないならぜひ聞きたい。誰にも話さないと約束するよ」


 小野寺先輩はすぐに聞きたいと返してきた。藁にもすがりたい心境なのだろう。彼女に対して頷くと来留芽は八重と花丘の方を向いた。


「私も約束するよ。でも、いいの? 話してはいけないタイプのものなんでしょ? 私達が聞いて来留芽ちゃんは大丈夫なの?」

「僕も誰にも話さないと約束しますが、常盤さんの言う通り、古戸さんに何か危険が迫るなんてことはないのですね?」


 八重と花丘は聞きたいと言いつつも来留芽の身を案じてくれる。その本心から心配してくれる言葉は嬉しいものだと思う。


「大丈夫。一般に広く知られなければどうってことないから」


 二人の危惧はもっともだった。しかし、恐らく問題は無い。花丘はどのみち関係者になるだろうし、小野寺先輩はガッツリ関係者である。八重については……頑張って追及をかわそう。


「信じられないかもしれませんが――」


 そう前置きしてから来留芽は自分がオールドアという会社の社員をしており、その会社は“裏”の事件……幽霊などに関係する事件の相談・解決を請け負っていること、つい先日持ち込まれた相談で原因となる霊的現象は小野寺先輩が見た女性の怨霊によるものである可能性が高く、その女性は花丘家が所有している山の桜に関係があることなどを話した。

 さらに、来留芽は八重を見る。


「八重の親友は竹内千代と言ったよね。その子も関係している。依頼人が怪我させてしまったのが竹内さんだった。後日、彼女にも話を聞こうと思ってるのだけど」


 返事がない。覗き込んでも八重は彫像のように固まってしまっていた。目の前で手を振っても反応なし。

 来留芽は仕方が無いと肩をすくめると先輩に向き直る。


「そして問題の霊的現象ですが、依頼人は夜な夜な桜をバックに髪を振り乱して刃物を降り下ろしてくる女性を見ると話していました。小野寺先輩の夢と似たシチュエーションだと思いませんか? 今、私を含めた専門の人が解決に向けて動いているので、じきに先輩の悩み事も解決するはずです。いえ、解決して見せます」


 あまり詳しく話してしまうと怒られるのでかなり端折った話になってしまったが、先輩の悩み事は解決に向かっているのだと分かってもらえただろうか?


「そうか。私は君の話を信じるよ。それで、解決の目処は立っているのかい? できるなら早めにあの夢から解放されたいのだけど」


 それはそうだろう、と来留芽は同意するように頷く。そして、スッと三本の指を立てた。


「解決の目処というか、比較的穏便に除霊する方法、やや強引に消霊する方法、最後の手段の三つのどれかで対応することになっています。オールドアとしては一番始めの方法を取りたいところなのですが、これは幽霊などの過去やらを調べてからようやくできるので、もう少し時間が必要になるため、今のままでは難しいです。

 二つ目は術者に大きな負担がかかるから避けたいところです。単純により料金を取る方法だからおすすめしないというのもあります。

 三つ目は消霊でも無理だった場合。これはとても危険だからやりたくないというのが本音です。そして二つ目と同じで料金がかさみます」


 来留芽は先輩に向けてそう説明した。その説明を花丘が特に真剣に聞いていたのは彼も無関係ではないからだろうか。


「古戸さん。花丘家としても今回の事件は早く解決してもらいたいところです。依頼の重複などは、大丈夫ですか?」

「別に構いません。でも、詳しいことは会社の方で話してもらいたいかな。それと、花丘家からの依頼にするならあなたのお父様かお祖父様に来ていただいた方がありがたい、と思う」

「そうですね。オールドア、で間違いありませんよね? 近いうちに向かわせてもらいます」


 さて、ここまで沈黙し続けている人をそろそろ正気に戻さないとならない。


「八重」「常盤さん」

「「大丈夫?」」


 日常を生きる彼女は突然こちら側…非日常のことを話されても困ってしまうだろう。幽霊もあやかしも普通は見る機会などそうない。だから余計に裏の世界は一般の人には受け入れがたいのかもしれない。


「……へっ!? えっ、えっと、幽霊っているの!? じゃなくて、ええと、いやでも……本当に?」


 石像のように固まったままだった八重が息を吹き返したかのように再起動した。しかし、未だに混乱の中にいるらしい。


「常盤さん、落ち着いて」

「いや、だって、何で花丘くんは普通に受け入れているの!? 幽霊でしょ? 私、本当にいるとは思わなくて」


 八重の反応は実に正常なものだろう。裏の話を聞いたあとの取り乱し振りも何らおかしいところはない。


「確かに、花丘くんは意外と落ち着いてる。古い家の生まれだからこういったことに耐性があるの?」

「そんなところです。家の蔵には曰く付きのものがたくさんあると言えば分かりますか? 小さいときから人ではない何かが存在していることに気付いていました。まさか山まで曰く付きだとは思いませんでしたが」


 のほほんと話してくれるが、裏の知識と照らし合わせて見れば花丘家は大変危険な状態にあると言える。ただ、怪異といっても全てが人に危害を加えるようなものではない。中には善良な、それこそ神の因子を持つものさえ存在する。

 とはいえ、放っておいても良いことはないというのも確かだ。これは近いうちに花丘家からも依頼があるかもしれない。もしくは、オールドアに依頼に来た際にこちらから話を持っていくことになるか。見たところ特に異能持ちではない花丘が感じ取れるだけの妖力もしくは霊力を持っているモノはどうしても厄介事を引き寄せてしまう。好意的なモノであればいいのだけど、とまだ見ぬ怪異に、そして花丘の安全に思いを馳せる。


「少し話が逸れましたが、ともかく、小野寺先輩。先輩の悩み事……桜の木の下の鬼女については近く解決して見せますので、大丈夫です。それと、これ以上夢を見るのは危険なので対策としてこの護符を枕の下に置いてください」


 来留芽は鞄から封のされた護符を取り出した。


「あ、ああ……ありがとう。なかなか本格的だな」


 ――本物だもの

 内心でそう呟いて肩をすくめる。

 来留芽が持ち歩いている京極印の護符は効果抜群である。少し身内贔屓が入っているかもしれないが、プラシーボ効果をあてにしたような偽物とは違うとだけははっきり言おう。


「おや、これ、京極って書かれているのか。どこかで聞いたような気がするね……」

「僕達一年一組の副担任の先生が京極という苗字です。この辺りではそんなに見ることはありませんね。珍しい」


 京極の文字に気付けば自然と浮かぶ感想だろう。実際、京極というのはまさに細兄……つまり、京極先生のことなのだ。


「その護符は細兄……京極先生が作ったものです。先生をやっていますが、間違いなくその筋の人です。その効果は保証します」

「それじゃあ、京極先生が来留芽ちゃんと元から知り合いだったと言っていたのは……」


 少し上目遣いになってそう聞いてくる八重に対してコク……と頷いた。


「細兄は昔からオールドアで働いていた。私が三歳くらいのときに来たと言っていたような気がする」

「ってことは、今から十二年前には働いてたってことだよね。京極先生は二十六歳だと話していたから……働いていた歳は十四歳ってことになるんだけど……」


 指折り数えながらそう言った八重に向けて来留芽は首を振った。十四歳どころではないという意味での動作だ。おそらく、裏の特性を考えるに細兄は十歳頃から仕事をしているだろう。


「裏は万年人手不足だから。労働基準法なんて当てはまらない」

「なかなかブラックな世界なんだな。君もそんなところで仕事しているのだろう? 体には気を付けるように。さて、そろそろ完全下校時刻だ。この場は解散しよう。護符は今夜から使わせてもらうよ」

「はい。しかし、根本を解決しない限りは先輩も安全とは言えません。その護符も念のために明後日には交換してください。そのときは京極先生のところへ行ってもらえれば」

「分かった。しかし、京極先生といえば私が訪ねられるとき……休み時間はいつもたくさんの女の子に囲まれているようなんだけど」


 その予想はできていた。しかし、そんな状態ではまともに“仕事”できないだろう。細だって依頼でここに来たというのに、一体何をやっているのか。


「古戸さん、何か気に触ることでもあったのかい?」

「いえ。そうですね……女の子については、細兄には私から言っておきます」

「私が思うにだが、何も京極先生ばかりが悪いわけではないのだよ。私が仲良くしている子達を押さえられないのも原因の一端を担っているんだ」


 ノーマルだのアブノーマルだのと言い争いになっちゃうから近寄れないんだ。先輩は続けてそう言うが、なるほど、知れば知るほど実にくだらない。


「そんな人達に仕事を妨げられるのはちょっと看過できない……」


 ――どうしてくれようか


「「ヒッ」」


 腹の内をうっかり顔に出していたようで、八重と花丘の二人に怯えられてしまった。少しだけ悪いと思ったが、元々の来留芽の本性はこんなものだ。別段隠そうとしているわけでもないのだから、どうせそのうちにバレることだろう。


「まぁ、命の危険がないなら両方を成敗してもらってかまわない。ああでも、実行する際には京極先生に一言言うように」


 もちろん、細に何か考えがあってのことかもしれない以上、勝手に動くことはしない。とはいえ、彼は女の子を侍らして喜ぶようなタイプではない。それに、教職に就いているため、そのような行動はあまりいい目で見られることではない。十中八九その子達に勝手につきまとわれているのだろう。細の本性諸々を知っている身としては、彼女達はひどく危険な綱渡りをしているものだと思う。

 彼は意外と人嫌いで内心で毒舌を発揮している、そんな人物だ。外面がいい人は内面との差がひどいと思うのは来留芽だけだろうか。



 ***



「細兄、侍らしている女の子達、何とかしてもらえない?」


 夜、帰ってきた細に向けて来留芽は開口一番、そう告げる。二人の間の空気が一瞬沈黙に包まれた。


「……何を突然言うかと思えば。女の子達というとあの子達のことか。侍らしているつもりはないけどな。でも、流石に来留芽の目に付くほど邪魔になってきたのかな?」


 全く……しれっとよく言う。そう呟いて来留芽はやれやれと首を振った。細の言い様からして纏わり付いていたあの子達はさして重要というわけではないようだ。

 それなら、遠慮はいらないだろう。


「邪魔……うん、そろそろ細兄にも動いてもらわないといけなくなりそう。心霊研の小野寺先輩が夢で件の鬼女に出会っているらしいから、解決を急ぐ必要があるの。護符は渡したけど、いつまで持つか分ったものじゃない」

「そこまで強くなっているのか。確かにそんな状態じゃ解決を急がなくてはならないと判断するのも尤もだな」


 そう言って表情を一変させる。

 ああ、やっと真面目な顔になった。裏で働く細の顔だ。ここまでエンジンがかかれば後は早い。そう思って来留芽は満足げに一つ頷いた。


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