6 小野寺先輩の夢

 

 次に向かうは卓球部。

 距離的には心霊研の方が近いのだが、卓球部は見学者が少なくなった終盤にお邪魔すると否応なく練習に巻き込まれそうだ(花丘談)ということで心霊研を後に回すことになった。恐るべき花丘兄の社交性である。弟は苦労してきたらしい。


「兄の友人も悪い人ではないんですよ。ただ、皆して僕を可愛がるというか、構い始めるというか……その、少し対応に困ってしまうんです。もっとしっかり体験したかったら言ってください。こんな風に遠目に見学しているのはあくまでも僕の我儘なんですから」


 彼はそう言って「すみません」と頭を下げてきたが、来留芽と八重は二人して首を振る。


「いや、別にいいって。ここまで熱気がある中に入る勇気は私も持ってないもん。愛され末っ子も大変だね」


 そう、体育館の一階で卓球の球が転がり出さないようにドアというドアが閉めきってあるから嫌に熱気が籠っている。人の群れから煙がもわもわと立ち上る様子が目に見えそうだった。

 三人がやって来たのはサッカー部ほどではないがそれなりに見学者が入っている時だった。それでも男子一人に女子二人の組み合わせは目を引くようで、こそこそしていた来留芽達はあっさりと見つかってしまう。


「そこにいるのは光の弟だな? 折角だから友達と一緒に遊んでいったらどうだ」

「巌さん。部活なんですから“遊ぶ”というのはまずいでしょう。それに、僕達はもう一つ回りたいところがあるんです」


 即座に花丘が反論する。やりとりを聞いていた他の部員も一様に「遊ぶというのはまずい」というところでうんうんと頷いていた。そうしながらもラリーの応酬が止まることはないあたり憎い実力を見せていると言える。


「とはいえ、まだ二時半だ。完全下校まで三時間はある。少しはここで時間を潰したって良いと思うが」

「部長! あまり強引だとセンセーに怒られますよ?」


 副部長らしき人物が巌先輩を止めてくれる。花丘は少し安堵した顔をしたが、まだ早いと来留芽は思った。なぜなら、先輩はまだ諦めた顔をしていないからだ。


「む。晶か。だが、一樹は“ブレなき見本”。スポーツはほとんど得意で、試合をすれば教科書通りの完璧な技を見せてくれるのだぞ。お前も一度やってみれば分かる。一樹との試合は自分の未熟なところなどを自覚し、改善する取っ掛かりとなる。たまにしかやる機会がないのが残念でならない。で、今ちょうどその機会ができたわけだ。ここで引っ張り込まないでどうする」

「だから、巌さん……どうしようか、常盤さん、古戸さん。こうなるとあの人諦めてくれないんですよ」


 それなら一試合くらいやってあげればいい。部長さんが話した通り、完全下校まであと三時間はあるというなら一時間くらい割いてもいい。そう思って来留芽は八重の方を向く。彼女も同じように思っていたようで、一時間ならいいんじゃないかと花丘に告げていた。結局の所、熱意に負けてしまったのだ。

 試合すると決まったら嬉々として部長がユニフォームを出してくる。予備に置いてあるもの名のだそうだ。これは本気で相手するつもりだろう。

 ――花丘もお気の毒に

 そんな風に思う来留芽の口元は小さく弧を描いていたりする。


「いやーすまんな、一樹。軽く一ゲーム交代でいいか。他のやつとも試合してもらいたいしな」

「僕は休みなしですか? そんな無茶な……」

「光に付き合うより楽だろ?」

「まぁ、確かにそうかもしれませんが、ユニフォームを貸してもらったということは本気で相手しろと言うことですよね。精神的疲労は変わらないと思いますよ、ホントに」

「まぁそう言うなって」


 そのあとに見た試合は圧巻の一言で表せる。驚いたことに、部長を除く他の卓球部の挑戦者は花丘に勝てなかったのだ。ちなみに、来留芽と八重は隣で本当に軽く対戦している。そして一時間後、卓球部の面々は死屍累々といった有り様だった。


「やっぱりこうなるか。俺でさえぎりぎりなんだ。他は言うまでもなかったか。だが、自分の甘いところが分かったんじゃないか? 特に晶。持てる技術を駆使して戦うあたりは同じだからもろに違いを感じられたと思うが?」

「確かに部長の言う通り自分の甘いトコ、分かりましたよ。なるほど……うちに欲しいですね」


 それぞれがそう言うと二人そろって花丘の方を振り向く。


「一樹、入ってくれるよな?」

「一樹くんだっけ? 楽しくやろうよ」

「入部は遠慮しますから! もしここに入ったら毎日こんな風に挑んでくるつもりでしょう!?」


 制服に着替えて戻ってきた花丘がそう声を上げると、部長副部長の二人が逃がさないぞという気持ちを込めた笑みを浮かべて彼の肩に手を置いていた。花丘は腕をばたつかせて拒否しているが、めげずにググッと力を込めている。


「……一樹、入ってくれるよな?」

「……一樹くん、卓球部においでよ」


 先輩方はしつこかった。そんな彼等の様子を来留芽と八重、他の卓球部員は演劇でも見るような気分で眺めていた。


「入りませんし、楽しくないです! もう時間なので失礼します。ユニフォームありがとうございましたっ」

「おい、言い逃げか? だがそれは許さん! こちらには二人、人質がいるからな……」

「くっ、巌さんともあろう人が……卑怯な!」

「ふっ、残念だったな一樹……というかお前、なかなかノリ良いのな」


 入部の話を拒否する花丘を見て、部長副部長の二人は今度は来留芽と八重の肩に手を置いて人質呼ばわりしてくれたのだ。完全なおふざけと分かっていたので手を叩き落とさせてもらった。


「花丘くんにも意外な一面があるんだね」

「ああ、こいつは仲間内では割とはっちゃけるタイプだ。普段の優等生な態度、あれは大きな猫だ。そして隠れ人見知りでもある。二人とも、よくこの短期間でこいつの信頼を得たものだな。っと、ところで次の予定はどこなんだ?」

「心霊研です。来留芽ちゃんのリクなんです。昨日行ったのですが気になることがあるらしくて。ねっ」


「ねっ」の部分で頷いておく。気になっているのは心霊研自体ではなく、小野寺先輩なのだが、同じことか。


「心霊研? 椿のところか。なぁ一樹、どうも最近のあいつは物憂げでな。理由を聞いても話してくれないんだよ。少し話を聞き出してくれないか?」

「あいつって、巌さん……もしかして、小野寺先輩と……」


 小野寺先輩をあいつと言ったり、彼女の様子を心配したりしている姿から自ずと二人の関係がうかがえる。まさかと思ったのか、花丘が問いかけた。


「ああ、付き合っている。……ちなみに光はもう知っているから告げ口は意味ないぞ」

「分かりました。小野寺先輩にはできる範囲で聞いてみます」

「頼んだ」



 ***



 来留芽達は心霊研の部屋の前に着く。人影もなく、物音がしない。誰もいないのだろうか? ノックしようとしてふと後ろの二人に尋ねた。


「二人は時間大丈夫? 話の内容次第だけど大分遅くなるかもしれない」

「「大丈夫だよ」」

「そう。まぁ、あまりにも遅くなったらまた京極先生に言えばいいのだけどね」

「連日付き合わせるのはさすがに忍びないのですが」

「それが先生の仕事だから。文句は言わないと思う」


 というか、言わせない。そう言って花丘の言葉を一蹴しておく。

 そして、ドアをノックして部屋に入る。部屋の中は電気をつけていなかったため薄暗く、見えにくい。勝手だとは思ったが電気をつけさせてもらった。


「っ、小野寺先輩?」


 そこには窓際の席に座って机に顔を伏せている先輩の姿があった。体調不良で伏せているのか、単に寝ているだけなのか。近付くとどうも穏やかではない表情を浮かべていた。悪夢でも見ているのか。来留芽はそっとその肩を揺する。


「んんっ、うう……。だぁれ?」


 小野寺先輩の反応に花丘が口を押さえて顔を背ける。昨日会った先輩はボーイッシュな格好いい雰囲気だったが、今の先輩は寝惚けていることも相俟って幼子のようだった。


「小野寺先輩、大丈夫ですか?」

「んー、あっ! ……こほん、君達はたしか、昨日ここに来てくれた子だね。今日も来てくれたのか。寝ていてすまなかったね」

「いえ……本当ならそっとしておくつもりだったのですが、どうも夢見が悪いようだったので起こしました」

「ああ……やっぱりそうだったか。最近ずっと同じような悪夢を見るんだよ。最愛の男に裏切られ、思い出の桜の木の下で命を絶ち、残っていた未練によって鬼と化してしまう悲しい夢だ」


 ――それは

 まさかと思って来留芽は目を見張った。


「少し話を聞かせてくれませんか? 誰かに話すことで気が楽になるかもしれません」


 先輩はどうやら本当に参ってしまっているらしい。それはそうだろう。彼女が夢に見ている『桜の下の鬼女』はただの妄想の産物ではない。オールドアに持ち込まれた依頼の鍵となるモノ……現世に留まっている霊かもしれないのだ。故に夢に出てくるだけでもその人に何かしらの影響を及ぼす。そして、このままこの夢を見続けると先輩は向こうに引きずり込まれてしまう恐れがあった。あれはとても強い想いだ。普通の人はそう長く抵抗はできまい。

 来留芽の提案に小野寺先輩は頷いた。


「そう、だね。自分のなかで整理するためにも話すのもいいかもしれないね。聞いてくれるかい。あまり良い話ではないけれど」

「構いません」



 ――そうか。では話そうかな。これは私の夢で見た話だ。

 江戸時代。徳川将軍が天下を治めていた時代の、その中頃の話。

 とある江戸の大店は子宝に恵まれて確か……男の子が三人、女の子が四人いた。長男はそのまま店の跡継ぎに、次男はその補佐に据え、三男は奉公に出された。長女は自分の家と同じくらい勢いのあった店へ嫁ぎ、次女は奉公先でまずまずの男と連れ添った。三女は妻を亡くした布団屋の後添えになった。まぁ、相手方が穏やかで、しかし、やり手の人だったから幸せだっただろう。

 そして、ついに四女も手放される時が来た。相手は呉服屋の次男、忠次という。その経営手腕は彼の兄も一目置くほど素晴らしいもので、若くして番頭として活躍していたそうだ。

 それに目をつけた大店の主は四女の桜子をその嫁として与えた。それが、悲劇の始まりになるとも知らずに……。

 嫁いだ初めは大店の娘ということもあり、歓迎された。今でもよく言う嫁姑の争いはないに等しかった。桜子の素直さに姑が満足してできた関係だった。

 そんな平和な生活がしばらく続いたが、彼と桜子の間にはとんと子供ができなかった。彼の親戚、桜子の親戚両方に責められることになった。唯一の救いとしては彼の母……桜子にとっての姑はずっと庇っていてくれたことだろう。時間の猶予は十分あった。それでもなかなか宿らない命に周囲は苛立ち、忠次と桜子の二人は悲しんでいた。

 二年後、ようやく桜子に小さな命が宿った。皆が喜び、生まれてくる命を楽しみに待つようになった。彼女を責めていた親戚も手のひらを返すように今度は赤子用の布やら玩具を持ち寄るまでになった。皆が待ちわびていたのだ……夫、忠次も楽しみにしていた。


 しかし、彼の態度がだんだん変化していった。

 その変化はいつからだったか……夫の忠次は週に三日ほど帰ってこないときがあった。初めは何かの付き合いで遅くなっているのだと思っていた。しかし、妊娠してから感覚が過敏になった桜子は帰ってきた忠次が目を合わせてくれないことに気付いた。そして、微かに香る他の女の匂いにも……。

 それに気付いてしまった彼女は問い詰めずにはいられなかった。だが、夫はそれをのらりくらりとかわして決定的な言質をとらせなかった。

 忠次が不在の夜は日に日に増えていった。長男をかわいがる素振りはあるが、桜子にはもう愛を感じてはいないような気がした。

 ある祭りの日に彼女は夫を尾行することにした。彼はこの日、付き合いと称して出掛けていったのだ。そして目にした光景は彼女を絶望させるに足るものだった。失意のまま彼女は家に帰り、夫との思い出を壊し回り、最後に月夜に浮かび上がる満開の桜の木の下で、口づけして気持ちを確かめ合った記憶を心に思い浮かべながら死を決意した。

 けれど、成仏することはできなかった。こんな終わりは嫌だ。自分が死んだ後、残された我が子はどうなる? そんな感情が彼女を現世に留め、鬼となってしまった。そして彼女は鬼であり続ける。彼への愛が憎しみに変わり、道連れにしてやるという哀しい動機にのみ突き動かされて……。



「こんな話さ。私が見たのもここまでだ。ただ、彼女が亡くなるところは詳しく覚えていないんだ。そこは謝っておくよ。彼女が救われるといいけれど……まぁ、単なる夢だからね」


 小野寺先輩は淡々と流れだけを話しているようだった。

 先輩が見た夢の女性が、来留芽が請け負っている仕事の『桜の木の下の鬼女』であるならば、現代まで彼女は救われることなくそこに居続けていることになる。この先を見ても救われない可能性の方が高い。亡くなるところは覚えていないというが、その方がずっと良い。小野寺先輩の話し方では夢の中で女性の人生を追体験しているようだった。それはつまり、亡くなる場面を見るということはその死を体験することになるのだろう。だから、覚えていなくて良かったと言える。

 ただ、いくつか気になることがあった。来留芽が意識を失う羽目になったあの負の心によって見えた光景では女性は自死ではなく殺されたというものだった。ならば、問題の桜の木の下で何かあったということだろう。もっと詳しい情報が欲しいところだ。社長なら何か調べてあるだろうか。

 ……自分が担当すると言っておきながら恥ずかしいが、背に腹は抱えられない。

『桜の鬼女』の謎を解くために来留芽は動き始めることにした。


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