5 夢。
懐かしい夢を見た。母と父が泣きながら来留芽に詫びている夢だ。
『ごめんね、ごめんね、来留芽。私がちゃんと昇華できていれば……貴女にこんな苦しい思いをさせることはなかったのに。ごめんね』
――お母さん、泣かないで……。お母さんのせいじゃない
そう呟いて手を伸ばす。しかしその手は目の前にいる母に届かず、ただ空を切るだけだった。
『すまない、来留芽。僕の力不足だ。辛いよな……人の悪意はどこからでも聞こえてきてしまうもんな。でも、人の社会から離れることはできないんだ。どうにかして緩和させてやりたいが……』
――お父さんはいつも私のためにいろいろしてくれた。お父さんの護りおかげで今の私がある
伸ばした手はまた何も触れることなくただ虚ろな空気を掴む。
泣かないで、悲しまないでと叫んでも母と父には届いていないようで、その様子が変わることはなかった。当然だ。
これは夢なのだから。
来留芽の記憶に残っている母と父はどちらも明るい笑顔を浮かべているものが多い。しかし、昔に何かが原因で
それからのこと、二人と距離を取るようになり……愛されているのだと自覚し、いつか恩返しができればいいと思っていたのに、もうその機会は二度と来なくなってしまった。
『来留芽、気持ちを強く持って。私達がいなくても、強く生きなさい』
『もう側にいてやることはできなくなってしまったが……』
『父さんも』『お母さんも』
『『お前(貴女)を愛しているからね』』
――待って!! お父さん、お母さん!!
遠のく姿に追いすがる。しかし、追いつけないうちに二人とも赤い華が咲く向こう側へ……。
「来留芽や、来留芽。そろそろ起きねばならぬよ。お前の親はいつもお前の心の中にいるであろう? ほれ、泣くでない」
慣れ親しんだ祖父の声にハッと我に返った。先程までの焦りもなくなり、来留芽は自分が夢に押し潰されそうになっていたことに気付く。
「守屋お祖父様……また、私の夢の中まで来たの。まぁ、今回に限っては助かったけど」
「そうだのぅ。あのままでは彼岸に引きずり込まれておったわい。そうなると流石のワシでも助けには行けんでな。そうだ、来留芽や、お前の近くに強い怨霊がいるようじゃな。早めに解決したほうが良い。ちょうど山無の倅の修業が一段落したところじゃ。近い内にオールドアに帰そう」
「うん」
渡世家当主の
「そろそろ朝じゃ。ちゃんと起きるのだぞ?」
それに返事を返そうとしたところで目が覚める。今し方見た夢を思い返しつつ瞬きをして滲んだ視界をはっきりさせてから体を起こすと、たまたま様子を見に来ていた細が側に来て覗きこんできた。そうして、ホッと安堵した表情を見せてくる。
「来留芽、よかった……どこかおかしいところはないな?」
正直、寝起きを見られるのは嬉しくないのだが、心配している相手にそれを言うのはどうかと思い、文句は言わないことにした。
「だいたいはいつも通りだと思う。夢の中でちょっと心が押し潰されそうになったけれど、お祖父様が助けてくれたから」
細は安堵の表情を険しく一変させる。
「そうだったのか……。夢には干渉できないからな……来留芽自身に注意していてもらわないと。今日のことについては今度守屋さんにお礼を言わないとな。あの人も今どこにいるのか、足取りが全くつかめないというのも困ったものだ。……樹が拉致されて大分経つが、大丈夫かあいつ?」
「近い内に帰すと言っていたから、ついでに顔を出すんじゃない?」
「だといいな。……今からでもちゃんと対策しておかないと」
細は疲れたように溜息を吐いた。
祖父はことあるごとにオールドアの男衆相手に腕試しをしてくるのだ。
「流石に教職に就いている細兄に怪我させるようなことはしないはずだけども……」
「あの人は自分の中でやると決めたならば相手がどんな立場にあってでもやるぞ」
真剣な顔をして言い放たれたその言葉にそうかもしれないと思ってしまった。身内ながら、男衆に対する祖父の厳しさには来留芽にも思うところがある。しかしそれが来留芽に向けられたことはない。それは良いことなのか、悪いことなのか。
「今のところはおかしなところはなさそうだな」
「細兄から見てもそうなら、大丈夫かな」
軽く調子を確かめてから、大丈夫だろうとお墨付きをもらって支度をし始める。一方で細は祖父に荒行に連れ回されないための対策を眉間に皺を寄せて考えながら出ていった。
どうでもいいことかもしれないが、あのままだと学園に着くまでにほぐしておかないと女子に恐がられるだろう。なまじ顔形が良いから異様な迫力が出るのだ。二枚目のイメージが削がれてしまうぞ、と注意し損ねたのだが大丈夫だろうか。
「おはよう、来留芽。細から少し聞いたが、父に助けられたそうだな?」
こんな朝なのにいつも通りの極道系の顔に、どんな服を着てもなぜか極道系の姿に見える守が挨拶をしてきた。何度も思うが、この叔父に朝の爽やかさは全く似合わない。完全に目が覚めた頭を緩く振って来留芽は朝食の席に着く。
「お早う。うん。助かった。どうやら、私の近くに強い霊がいるらしい。まぁ、予想はつくけれど。早く解決しろだって。樹兄を帰すとも言っていたけど、そっちは多分保険」
「樹にやらせるとなると、消霊か。あれ、無理に霊を消すことになるから本人の負担が大きいんだよな。できればやらせたくないんだが」
守は顔をしかめてそう言った。
浄霊は霊を穏便に成仏させることで、除霊は半強制的に霊を成仏させること、消霊は無理矢理成仏させることだ。後者は高い霊媒を使ったり、本人の体力をごっそりと奪ったりして、いろいろと負担が大きい。社員に無理をさせたくない彼にとって消霊はできるだけ避けたいのだという。
「手がかりは無いに等しいんでしょ?
「聞いて驚け、花丘家だよ。今まで知らなかったのだが、花丘財閥の家があそこの近くにあるらしい」
「花丘? 私のクラスメートに花丘一樹って子がいるけど、その花丘?」
昨日一緒に回った爽やか系の顔を思い浮かべる。来留芽が知っている花丘は彼しかいなかった。
「ああ。多分そうだろうな。この辺りは他に花丘という名字の家はなかったはずだ」
花丘家に縁のある鬼ということだ。そういえば、と来留芽は昨日自分が倒れた状況について思い返す。
「私が倒れたのも花丘家を振り返ったら何か負の心が襲ってきたからだった」
そして、あれほど強い想いを残しているのなら放ってはおけないと思う。救えるのなら、救いたい。
「これは花丘家関連で決まったかもしれないな。それならこちらであの家の過去などを洗っておこう。明日には何とか分かるはずだ」
「情報を集めるのはよろしく。じゃあ、行ってくるね」
***
学園に着いたら当然のごとく八重達に質問攻めされた。昨日は何故夏目先輩と現れたのとか、一人じゃ危険だから気を付けようよ、とか。自分を心配してくれる友達は良いものだなと思う。また、仕事柄夜に行動することが多い来留芽には一人じゃ危険だからという言葉が大変耳に痛い。
授業の合間の十分間休憩も昼休みもそんなことを言われて過ごしたのでうんざりした来留芽は放課後には「いっそ八重達も巻き込むか……」と据わった目であっさりと裏のタブーを犯そうとまでしていた。しかし、ギリギリで思い止まる。
部活動見学で頭を冷やそうと考え、八重に引っ張られるまま花丘と合流した。
「今日は卓球部と和楽器同好会だよ。あと一つくらい回れるけど、来留芽ちゃんはどこか行きたいとこある?」
「特に……いえ、もう一度心霊研に行きたい」
小野寺先輩の何かを憂えた顔がちらついて仕方ないからだった。どうも、この学園の心霊現象は現れるかどうかは別として、話自体は分かりやすい。心霊研なんて名乗っている以上、いろいろと調べたのだろう。その時に心霊現象、怪奇現象に遭遇してしまったかもしれない。もしそうならば、来留芽達の仕事だ。
その判断をするためにも、もう一度くらいしっかりと話を聞かなくてはならない。
「いいね! じゃあ、来留芽ちゃんは心霊研に入ることを考えているんだ。私もそうしようかなぁ。知っている人がいた方が過ごしやすいもんね」
「でも、卓球部と和楽器同好会の見学を先にしてもらっても良いですか?」
「それはもちろん! もともとの予定だし」
まずは和楽器同好会に向かう。その同好会は一年生の教室がある四階の部屋を借りているらしい。ちなみに吹奏楽部も四階だ。同じ音楽系の部活動で衝突などはないのだろうかと少し不思議に思う。
「お邪魔します。見学に来ましたー」
「あら! ようこそ、和楽器同好会へ。女の子二人に男の子一人ね。かっこいい子じゃない」
「ええと……お邪魔します」
かっこいいと言われてどう反応すべきか迷ったのか、花丘の返答は無難な感じになっていた。
「お?
「そんなんじゃありませんよ。二人はたまたま回る場所が被ったから一緒に回ることになったってだけです。普通の友達ですよ」
からかわれまいと思っているのだろうか。花丘はかなり感情を顔に出して反論していた。
「おうおう、そうむきになるな。からかっただけだよ。やっぱ反応良いよな、一樹は。光は優等生な反応しかしないからつまらねぇんだよな」
「それこそ多分ですが、兄が信成さんをからかっているのだと思いますよ」
「やっぱりか~。あいつ、俺にだけたまに他人行儀な態度を取るんだよな。俺をからかっていたのか」
「はいはい、二人ともそこまでにして。話ができないじゃない」
「すみません」「すまんな」
「それじゃあ、まずは自己紹介からね。私は
彼女はショートボブの勝ち気なお姉さんといった印象だ。彼女が言った“篳篥”とは奈良時代あたりに日本に伝わった管楽器の一つだ。そして“龍笛”は横笛の一つ。どちらも雅楽で使われる。
「俺は
こちらは何と言えばいいか……“漢”という感じの見た目だ。肩幅もあり、体つきもがっしりしている。何かスポーツでもやっているのだろうかと思わされる。つまり、文化系の部活に似合わない。
それぞれ自己紹介を済ませて、早速和楽器談義になった。和楽器は実は来留芽が所属する会社オールドアの社長である守叔父さんが得意だったりする。
二年前の渡世家当主の白寿のお祝いの席で来留芽達の年代の人は初めて叔父さんの龍笛の演奏を見たのだが、あのヤクザな見た目で優雅に龍笛を吹く姿を視界に入れ、思考停止から回復した者から吹き出し、飲み物食べ物が宙を舞うことになった。
その惨劇以来、来留芽や細のような若い者は必死に和楽器を習得し、それらを守叔父さんから徹底的に引き離したものだ。
だから来留芽もいくつかの和楽器は使える。
そして、少しだけ備品として存在していた和楽器を使わせてもらって三人はその教室から出た。あの同好会は雰囲気はいいが、もともとの目的を遂げるには不便だ。今のところ一番良いのは帰宅部。来留芽の事情を学園側のトップは知っているので配慮を願うことは可能だろう。しかし、そうするとわざわざ連れ出してくれた八重に悪いと思う。だから次点で心霊研だろうか。
「和楽器もいいね。来留芽ちゃんが使えるとは思わなかったよ」
「……まぁ、私だって覚えたのは視界の暴力をなんとかしようとしてのことだったからね……」
本当は習得しようとは思っていなかった。古い家に生まれたわけじゃなし、今までは必要性を感じていなかったのだ。しかし、状況がそれを許さなかったと言えば良いか……あの惨劇を起こしはしないと決意した以上、習得しなくてはならなかった。
とても他人には言えたものではないので言葉を濁した来留芽に八重は不思議そうな顔をしたが、それ以上追及するつもりはないようだった。
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