4 桜
文芸部の真向かいに心霊研究同好会の部屋がある。新入生の見学時間だというのにドアはぴっちりと閉まっていて、さらに部屋の配置の関係でもあるのか薄暗く見える。来る者を拒んでいるかのような雰囲気だったが、八重が何も気にせずにさっさと扉に手をかけていた。
「入ろっか。すみませ~ん」
教室にいたのはたった一人だけだった。音に反応してか、顔を上げたその人と来留芽の目が合う。
「おや? 君達は新入生か。看板も特に出していなかったけど、よくここが分かったね。どうぞ、座って」
「ありがとうございます。私は常磐八重と言います。あと、女の子の方が古戸来留芽ちゃん、男の子の方が花丘一樹くんといいます」
「うん。私は
小野寺先輩はボーイッシュな人だった。心霊研究会などというところにいるような人に見えない。人は見かけによらないということだろう。
「では、ここはどんな活動をしているのですか?」
「基本的にはこの学園の七不思議の解明をしているよ。長期の休みは近くの地域の伝承を調べたり、曰く付きの物を探したりしているね」
その言葉に少し眉をひそめた。
曰く付きの物は本当に危険な場合もある。しかも一流でも手間取ることがあったりする。だから来留芽としてはあまり手を出してほしくないところだ。
「七不思議の解明で何か分かったことはあるのですか?」
七不思議。この学園ではなぜかそれが噂の範疇に収まっていないという。トップが危機感を抱く程度には不可思議で場合によっては危険なことが起こっているのだろう。来留芽はそれを調べに来ている。しかし、今のところ欠片も分かっていないと言うしかない。そもそも、まだ本格的に調べてはいないので仕方が無いのだ。
来留芽が内心でそう考えている傍で八重の問いに小野寺先輩は首を横に振って答えていた。
「いや、それがねぇ、何度か噂の場所を
小野寺先輩はそのように話したが、少しだけ顔が陰っていた。成果はないと言っていたが、もしかしたらまずいものを見ているのかもしれない。しかし、まだ来留芽が感じられる範囲では悪いものはなかったはずだった。
彼女は先輩なので来留芽が入学する前に何らかの怪異と遭遇している可能性はある。しかし、詳細を尋ねられるような様子ではなかったので来留芽は黙っていた。
そのあとはもう回る予定の場所もなかったため、日暮れまで八重が中心になって雑談を繰り広げる。そして、校舎が赤く染まる頃に来留芽達は心霊研を後にした。
夕暮れの中、三人はのんびり歩く。
「文芸部も心霊研も一人しか先輩がいなかったのは残念だね。もう数人と知り合っておきたかったかなぁ」
「僕もそう思います。でも、部に入ればどのみち挨拶できます。残念がる必要はないのではありませんか?」
「そうかもね。ね、花丘くん、来留芽ちゃん。夏目先輩の話はどう思った?」
八重が後ろ向きに歩きながらそう聞いてきた。心霊研の見学を希望していることから、こういった話が好きなのだろう。しかし鳥居越学園は本当に不穏な噂があるのだからあまり首を突っ込んでもらいたくないところだ。刺激しない言い方はないだろうかと思っていたら、花丘が先に八重の問いに答えていた。
「もしあの話が事実だったなら悲しいことですよね。でも、幽霊みたいなものはいると思います。確信は持てませんが」
「そうだよね。私は見たこともないもん。簡単には信じられないよ。来留芽ちゃんは?」
「人ではないモノはいる。ただ、人前に現れないだけ。幽霊だっている。見えるかどうかは人によるってだけ」
「「え?」」
結局、来留芽自身の本音がぽろりと落ちてしまった。
驚いた様子を見せる二人を横目に少し考える。文芸部の幽霊、彼女は悪いモノではないのは確かだろう。しかし、この世に留まっている理由があるはずなのだ。このような場合はプライベートまで踏み込んでしまう可能性があるので慎重に行動しなくてはならないのだが、あの幽霊の必死さが気になった。彼女が気にしていたのは夏目先輩だろうか? 復讐対象として? いや、あれは怨霊には見えなかった。では、一体なぜあの場所にいたのだろうか。
よくよく思い返してみた来留芽は一つの結論にたどり着く。
「……やるしかないか。八重、花丘くん。私、忘れ物してしまったみたい。取りに戻るから、二人は先に帰って」
「いや、もう暗くなるから女の子を一人でいさせるわけにはいきませんよ。僕達も一緒に戻ります」
「大丈夫だから。先生だっているだろうし。じゃあね。また明日」
そう言うと来留芽は返事を待たずに駆け出す。その後ろで八重と花丘は少しの間互いに顔を見合わせていた。
「……どうしよう。学園に先生はいても帰りはどのみち一人になるよね」
「常磐さん、僕達も追いかけよう」
***
カツカツと廊下を歩く音がする。日の光は既になく、生徒のほとんどが下校済みであることもあり、蛍光灯も沈黙している。そこに響く靴音はそれだけで怪談を作れそうだ。しかし幸いと言って良いのか、周囲には他に人の気配はないようだった。
しばらくして、カツカツという靴音が止まる。文芸部の前だった。
次いでガラリとドアが開けられる音がした。靴音はそのまま部屋の隅に向かっていく。
「……夏目先輩。こんなとこにいると風邪引きますよ。春とはいえ、夜はまだ冷えるんですから」
七不思議の『ヒロイン』の話にあった、桜宮姫という少女が亡くなったというその場所に夏目栞先輩が座っていた。彼女は力を抜いた様子で、そのままゆっくりと首だけを動かし扉の方を見る。
「貴女は、古戸さんだったかしら? 忘れ物でもしたの?」
振り返った彼女は力ない微笑みを浮かべていた。意識的に作って貼り付けたような笑みだ。今までもきっとその本心を塗りつぶして作ってきたのではないだろうか。ただ、今は考えることを止めてしまったかのような、抗うことを諦めてしまったかのような瞳をしていた。
少しでも変な突き方をしたら最悪へ転がり落ちてしまいそうな緊張がそこにある。
来留芽は慎重に近寄り、口を開いた。
「夏目先輩がやけに思い詰めた様子だったので」
「心配してくれたの? 別に私は大丈夫なのに」
――何が大丈夫なものか
心の中でそう呟いて来留芽は首を振った。本音を言えば、彼女が決行するのも自由だと思う。どうしても逃げたいことだってあるだろう。逃げられるのなら、逃げてしまっても良い。しかし、そこにこちらの界隈の者が関わってくるとなると話は別だ。
「その薬、睡眠薬ですよね。適当な量を服用するならいいですが、そうではないなら……」
来留芽は言葉を濁したが、言いたいことは伝わったはずだ。
夏目先輩は何を考えているのか分からない静かな瞳で来留芽をじっと見た後、小さく首を傾げた。
「どうして分かったのかしら? ……そうよ、私はここで自殺しようと思っていたのよ。本当に、どうして気付いたの?」
不思議なことは何もない。来留芽は心の中でそう呟くと溜息を吐いてからあらぬ方向を見て言った。
「必死に引き留める人がいたからです」
改めてよく考えると文芸部で見かけた幽霊は必死に伝えようとしていた。『止めて、死んじゃだめ』と。どうしてそこまで必死になっていたのかは分からなかったが、その姿に心が動かされたのは間違いない。純粋に人を案じる幽霊は本当に珍しかった。
「引き留めるって……私が死のうと思っていたのは誰も知らないはずよ。貴女だって今日会ったばかり。私は可能な限り隠してきたの。引き留める人が現れるはずがないのよ」
苦しいと言えなかったのだ、自分以外の誰も知らないこと。と自嘲の笑いを浮かべる彼女に向けて来留芽は否定の意味を込めて首を振った。
――そんなことはない
少なくとも一人、ずっと気に掛けていたであろう存在が今この部屋にいる。
来留芽の目にはその姿が映っていた。
「私は幽霊が見える、と言ったらどうしますか? ……桜宮姫。その人が先輩を止めようとしていると言ったら」
「そんなはずはないわ! 冗談言わないで。彼女が私を取り殺そうとするならばともかく、私を救おうとするはずがない! 私は……私は、彼女を虐めていた、彼女の姉の子孫なのよ。恨まれているはず。憎まれているはずなの! 私を救おうとする訳がないし、その必要もないでしょう!?」
夏目先輩が声を荒らげると、幽霊に動きが現れた。一歩近付いて何とかして声を届けようとする。
『チ……ガ……ウ。ワタシハ』
「な、何なの!? キャアッ!」
不意にガタガタ、カタカタと物が音を立てた。ラップ現象、ポルターガイストと呼ばれるものだ。本棚の本まで飛び出してきて、夏目先輩の頭上から落ちてくる。咄嗟のことで対応できない様子の先輩の元へ来留芽は駆け寄り庇った。
声を普通の人に届けるだけの力は彼女の負担が大きい。余計な現象も起こしてしまい消耗も激しいはずだ。このままでは何も成せないまま消えてしまうかもしれない。そう思った来留芽は慌てて制止する。
「待ってください。桜宮姫。今声を届けるために無理するとあなたは消滅してしまう。伝えたい言葉があるのなら、私を使えばいいから」
珍しくまともな幽霊なのだ。無理が祟って消えてしまったらもったいない。ここはきっと来留芽の出番なのだ。霊媒になるくらいはできる。
『アリガトウ』
『コホン……夏目栞だったわね』
一体何を言い始めたのかと訝しげな視線だ。それを目の前の、まだ若い女生徒……栞が向けてくる。
彼女は微笑みを浮かべると言葉を続けた。
『貴女は私の姉、琴の子孫みたいだけど……あの人とは違うわ。琴の後悔に取り込まれちゃだめよ。私には貴女を恨む筋合いはない。それに、姉は最期まで私を死に追いやったことを後悔していたことは知ってるのよ』
その言葉に栞はハッとすると口元に手を当てていた。信じられないものを見ているかのように目を見開いている。
「どう、して……?」
『ずっと見ていたのよ。私は誰かを恨むためにこの世に残っている訳じゃないはずなの。こうして場が整ったのはむしろ貴女のためかもしれないわね』
――せっかく言葉を紡げるこの機会、ここで活かさなくてどうする
彼女は見守ってきた少女に微笑む。
『私はね、死んでからこんな幽霊になっちゃって後悔したわ。私が死に、家族が離散していくのを見て、どうにもできない自分を恨んだわ。ねぇ、栞。家族が上手くいっていないからといって“死”に逃げちゃダメよ。死んでしまったら何を願っても、生きているときのように自分から動くことはできないの。生きていれば、と思ったわ。
貴女はもっと、本音を言って良いのよ。貴女を心配している人は貴女が思う以上にいるし、どれだけギクシャクしていても家族は家族。貴女が死んじゃうとたぶん私の時と同じようになるでしょうね。貴女の友人も嘆き悲しむでしょう。きっと後悔するわ』
自分と同じ道を辿りそうな子に言葉を告げたいと思ったのだ。自分の思いを、後悔を。
そうすることでようやく罪を償えるような気がしていた。そう、そのためにずっと自分を保ってきたのだ。
『私と同じ道を歩んでほしくないの。辛いでしょう、苦しいでしょう。でも、楽しいことも嬉しいことも感じられる。それが生きているということの
――勝手かもしれない。でも、諦めてほしくなかった。自分が、それをできなかったから
『私は、貴女を……』
そこで、彼女……桜宮姫の言葉が途切れてしまう。夏目先輩が
「大おばあ様?」
「貴女をずっと見守り続けるつもりよ。姉の遺した愛しい子孫だから。
……と言っています。時間切れで最後は言えなかったようですね」
それでもきっと、彼女の気持ちは届いている。夏目先輩の目に溢れる涙がそれを物語っていた。言葉が届いた。思いが届いた。彼女の時はまた少しずつ進む方へ傾いたのだ。
「古戸さん……今のは、一体……いいえ、さっきのが大おばあ様だったのね。琴という名前の姉を持っていたことは話していないもの。姫おばあ様は琴おばあ様の言う通り、
「先輩の正面、洋劇の本棚の前に」
そこで柔らかな笑みを向けていた。心を自分の見守っていた血族に打ち明けることができたからか、雰囲気が変化しているようだ。
「そう……私、頑張って生きます。悩み事も皆と相談するわ。見ていて下さい」
夏目先輩はそう言うと深く頭を下げた。
『ちゃんと見守っているわ。だから、頑張って』
「聞こえたっ…っ、ううっ……頑張るわ。頑張って生きるから……っふ、ありがとう」
これで夏目先輩は大丈夫だろう。
どうやら、桜宮姫は本当に珍しいことに幽霊とは少し異なる存在になっていたようだ。未練によってこの世に留まった幽霊だと時が経つにつれて
彼女のような存在はずっと姿を現し続けることはない。次第に姿を薄くしていく彼女は最後に南の方角を指して困ったように微笑むと消えてしまった。この学園から南というと、春には桜で染まる小さい山がある。そこに何かがあるのだろうか。
『――お願い、貴女ならきっと……だから、過去に囚われている彼等を助けてあげて』
「分かりました。……またお金にならない依頼かな。
そう小さく一人ごちた。自慢にはならないが、来留芽は何度か兄のような存在である樹に怒られている。お金にならない仕事をするな、と。しかし、恐らく来留芽は何度だってやってしまうだろう。
「古戸さん、私が言うのもなんだけど、もうお帰りなさいな。真っ暗だし、家の人が心配するわよ?」
「それなら、夏目先輩も一緒に来てください」
そう言うと、先輩は泣いて赤くなった目で困ったように笑う。
「さすがにもう全部終わらせようとは考えていないわよ?」
「それもあったのですが、もう一つ、人ならざるものと関わってしまった以上、それらについて注意すべきことを京極先生の同伴のもとで話したいのです」
「京極先生? 新任のイケメン先生よね? あの先生もこういったことと関わっていたのね。いいわ。一緒に行きましょう」
夏目先輩と一緒に暗い廊下を抜けて職員室に向かった。すぐに細を見つけることができたのだが、何やら二人の生徒と言い争っているようだった。よく見ればそれは八重と花丘だった。
「常磐、花丘。古戸は俺がちゃんと探しておくからお前たちはもう帰れ。常磐は寮だからそんなに距離はないが、花丘は自宅から通っているんだろ? 親御さんも心配しているはずだ」
「それは古戸さんだって同じでしょう!? 一人でいさせちゃまずいですよ」
「あ~そうか。生徒は知らないんだったか。俺と古戸はもとからの知り合いだ。この時間まで校舎に残っているんだったら帰りは俺が送っていくつもりだ。だからお前が心配するようなことはない」
きっと、細は来留芽が何か裏に関することに巻き込まれたと気付いている。二人を帰らせようとしているのは時間だけが理由ではないのだろう。しかし、あまり知られてはならない事情がぽろぽろと……。
「……あの言葉は本当なの?」
夏目先輩が来留芽の方を向いてこそっと確認してくる。来留芽はそれに頷き肯定した。
「京極先生には小さい頃からお世話になっています。ええと……叔父の知り合いなんです」
割と三人の近くに行ってからそのやり取りをしたのでそれに気付いた細が怖い笑みを向けてきた。顔全体を見れば笑っているのだが、目だけは冷静な膜を張って怒りを隠しているようだったのだ。
「……古戸。どこにいっていたんだ? 友達にこんなに心配かけて。まったく。聞いていたのかもしれないが、今日は俺と一緒に帰ろう。分かったな」
「あの、古戸さんは私を心配して来てくれたんです。あまり叱らないで下さい」
その様子を細は一瞬だけ眉間に皺を寄せて何かを見て取ると、一つ頷きこの場の解散を命じた。
「いろいろ聞きたいことというか、聞かなきゃならないことがあるみたいだが、それは明日に回そうか。今日はもう遅いから、常磐はすぐに寮に、古戸、花丘、夏目も俺が送っていこう」
この場で一番大人である細が言ったので来留芽達は大人しくそれに従う。
「先生、僕の家はあそこです」
「ああ、分かっている。……明かりが点いているから誰かしらはいそうだな」
学園を後にして、まず花丘の家に着いた。彼は意外と大きい家の子だったようで、門のところに着くやいなや家政婦さんが迎えに来ていた。そのすぐ後ろに花丘の兄もいた。サッカー部の見学では見ることができなかったが、なるほど、確かに女の子が騒ぐだけある。爽やか系の顔立ちだった。
「遅いぞ、一樹。一年生の見学時間はとっくに過ぎていたというのに……まったく。先生、お手間をおかけしました。ほら、お前もお礼を言え」
「京極先生、送っていただきありがとうございます」
「気にすることはない」
「はい。では、また明日」
花丘家を後にして来留芽はふと後ろを見た。何が気になったというわけでもなかった。ほんの気紛れだ。しかし、振り返ったその時、何か強い“感情”が襲ってきた。読み取ったのは怨嗟……負の心だ。
「っ!?」
――まずい!
脳裏に過ったのは一本の桜。若い女が強い負の心を抱きながらその木の下でコロサレタ……。
「来留芽? 来留芽っ!!」
「古戸さん? どうしたの!?」
遠くから心配する声が聞こえた気がしたが、それに反応する間もなく来留芽の意識は暗闇に落ちていった。
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