3 文芸部の『ヒロイン』


 翌日、対面式やらオリエンテーションやらを済まし、昼食を食べたあとは部活、同好会見学になった。こうした時間が取れるのは年度初めの数日だけのようだ。この一ヶ月のうちに一年生はどこかの部活、同好会に所属を決めなくてはならない。それは仕事で来たと言っても過言ではない来留芽も例外ではなかった。

 その日の放課後のこと、八重に誘われて来留芽は一緒に行くことになった。彼女自身はもう何人か誘っていたようだったが、結局八重と来留芽、クラスメートの男の子の三人で回ることになる。


「はじめまして。花丘はなおか一樹かずきです」


 始めにそう自己紹介した花丘は爽やかな雰囲気で、八重と同じように社交的な人物だった。明るい人同士気が合ってのことか、それとも八重に押し負けたのかと思いつつ来留芽も自己紹介する。


「古戸来留芽。花丘くんも八重にひっぱられて?」

「あはは。まぁ、そんな感じですね」


 花丘は苦笑し来留芽は肩をすくめる。そこへ八重が割り込み、異議を申し立ててきた。


「二人とも、私が力ずくで付き合わせてるみたいなこと言わないでよ。花丘くんは行きたいとこが被っていたから誘ったの!」

「そうですね。僕が行きたいのはサッカー部、卓球部、文芸部、心霊研なんです」

「それで、私が行きたいのは卓球部、文芸部、和楽器同好会、心霊研なの。三つも被っているのを知ったら一緒に回ろうと誘うのも当然でしょ」


 確かにそれだけ被っていれば一緒に回るのもいいだろう。しかし一つだけ、異色なものが混ざっていなかっただろうか。

 来留芽は二人が話した部活動名をもう一度思い返し、尋ねる。


「心霊研って? そんな同好会あったっけ……」

「「あるよ」」


 名前からして胡散臭い。何をやっているかは朧気に分かるがよく認められたものだと思う。しかし、二人ともがそう言っているのだから間違いなくあるのだろう。そうだとしたら、来留芽の仕事的に丁度良い部活になるかもしれなかった。


「……まぁ、私は特に考えてなかったから二人が行きたいところについていくけど。今日はどう回るの」

「ええとね……サッカー部、文芸部、心霊研の順で回ろうと思っているよ。サッカー部は外だけど他の二つは図書室のすぐそばに部屋を持っているみたいだから。卓球部、和楽器同好会は明日ね」


 三人はまずサッカー部の見学に向かったが、既に見学者が大挙していた。部員は黒い絨毯の奥になり、遠目にしか見えない。八重に至っては背が低いものだから小さくジャンプする必要があったほどだ。


「ん~~! 見えないよ! 私は何でこう背が低いのかな!」

「あはは。本当に常盤さんは背が低いですからね。どうしますか? 人混みを掻き分けて見に行きますか? 結構軽い感じの対戦をしている程度ですが」


 花丘は男子の中でもそれなりに高い部類に入るのでしっかり人垣の向こうが見えているらしい。来留芽は女子の中では高めの身長なので背伸びをすれば見える。


「私はいい。前まで行っても今度は戻れなくなりそうだから」


 それだけ目の前の人垣は厚かった。それに、押し退けたことで怒られる可能性もある。割に合わないだろう。だから来留芽は首を振って断った。


「そうだね~。でも、花丘くんは見たいんじゃないの?」

「う~ん。まぁそうですね。でも流石に僕も彼女達を押し退けて前へ向かおうとは思えませんから。まだ時間は十分ありますし」

「それにしても、サッカー部なのにどうしてこんなに女子が多いのかな?」


 人垣から少し離れながら八重がそんな疑問を零したら、花丘が小首を傾げた。


「あれ、二人は知らないのですか。ええと、サッカー部の部長の噂は聞いたことありませんか? 頭脳明晰、容姿端麗、運動神経抜群の完璧部長って。まあ弟としては行き過ぎな評判だと思いますが」

「「……弟?」」


 きょとんとして花丘が教えてくれたことに来留芽と八重は二人で同じ単語を復唱した。花丘は「珍しい」とその表情で言いながら教えてくれる。


「あれ、これもですか。サッカー部の部長は花丘はなおかひかる。僕の兄です」

「へぇ。じゃあ、あなたがサッカー部に入ったらお兄さんの二の舞になるかもね」

「確かに! 花丘くんだと御姉様方に人気が出そう。愛でられちゃうかも?」


 八重の言葉は年頃の男の子にはあまり認めたくないものだろう。花丘は何となくどういう意味で人気が出るのか察したのか苦笑いしていた。彼は背は高い方だが、どことなく可愛らしい雰囲気が漂うのだ。


「部活動の妨げになるのはいただけませんね。兄も実は少しだけ困っているみたいですから」


 それでも女子を邪険にはしないのだろう。そこが人気の理由の一端に違いない。


「女の子の期待に応えるのも大変だよね~。さぁ! 次は文芸部だよ」


 文化系の部活・同好会は校舎の教室が基本的な活動場所になる。文芸部の部室は一階の図書室の隣にあるようだ。しかし、何故か人の気配が少なかった。


「いい位置ですね。向かいが心霊研のようです」

「図書室が近くにあるのは良いよね!」

「そこの三人。私達文芸部に見学に来てくれたのかしら? どうぞ、入って」


 扉の前で話していると、中から一人の先輩が出てきて、中に入るように促される。扉を開けておけばいいのにと思ったが、その教室に入ったらその思いも忘れてしまった。文芸部らしいと言えば良いのだろうか、図書室と間違えそうなほど壁側にはぎっしりと本が詰まった棚が並んでいたからだ。


「ようこそ、我が文芸部へ。扉の前で止まってないで中へおいで。適当なところへ座ってちょうだい。お茶くらいは淹れられるけど何かリクエストはある?」

「ほうじ茶ありますか? 先輩」

「あるわよ。隣のイケメンくんは?」


 さらりとそう言われたのだが、来留芽と八重の視線が花丘に向かってしまった。確かに彼は顔が整っている。しかし、本人にここまではっきり言う人がいるとは思わなかった。


「僕ですか。僕は常盤さんと同じお茶でいいです」

「私もほうじ茶がいいです」

「あら、それなら皆でそれにしましょうか」


 先輩はお茶の準備をすると、ふとポットの隣に置かれていた箱を静かに横に倒す。そして、何事もなかったかのように来留芽達の所まで戻ってくると早速話し始めた。妙な動きが気になったが、先輩の目は触れてくれるなと語っていたため、踏み込めずにお茶だけを受け取った。


「それで、私は夏目なつめしおりよ。副部長をしているわ。ええと、私以外のメンバーは今日は用事があって来ていないのよ。殺風景に見えるかもだけど、平時は八人ここにいるから大分狭くなるわよ。また今度来てみてね」


 その言葉でようやくこの部室に夏目先輩以外の人がいない理由が分かった。しかし、珍しいことだ。新入生の捕獲期間にそんなに用事が重なるものだろうか? 

 そんな疑問を抱きつつも、それぞれお茶を一口飲んでから今度は来留芽達の自己紹介を始めた。


「あ、私は常磐八重です」

「花丘一樹です」

「古戸来留芽です」

「うん。聞きたいことがあったらなんでも聞いてちょうだい」


 そのまま椅子に座って雑談する。しかし、気のせいかもしれないがどことなく先輩の顔色が悪いように見える。大丈夫だろうかと内心で心配していたのだが、来留芽の表情にその気持ちが表れることはなかった。


「早速ですが夏目先輩、壁際の本棚にあるのって……」

「ああ、あれらは資料よ。シェークスピアとかの作品が置いてあるの。卒業した先輩の作品もいくつか置いてあったと思うわ」


 八重が示した先の本棚を見て小さく息を呑んだ。たまたま目をやってしまった本棚の隅にゆらゆらと立っている少女がいたからだ。そして、その子は半透明だった。

 ――幽霊

 来留芽は目を見張った。


「来留芽ちゃん? どうしたの?」

「いいえ、何でもない。先輩、この学校って七不思議があるんですよね。文芸部関係もあるのですか?」


 不思議そうに首を軽く傾げてそう聞いてくる八重を誤魔化し、来留芽は質問を続ける。もちろん、視界の端には半透明の少女を捉えたままだ。


「突然ね。文芸部も幽霊がいるらしいわ。でも、そういうのは向かいが担当よ。私はあまり好きじゃないわ」

「すみません」

「いえ、まぁ……いいわ。少しだけなら話してあげる。七不思議って言っても、噂話の段階だと七つ以上あるわ。そのなかで、文芸部関係だと、『ヒロイン』かしら」



 ――これは、文芸部と演劇部に伝わる話よ

 この学園では五月に文化祭があるのは知っているかしら? 私が知っている七不思議の話はその文化祭で起こった事件が発端だとされているわ。

 私達文芸部と演劇部は合同で劇を行うのが伝統なの。その時は『茨姫』の演劇をやる予定だったそうよ。脚本を文芸部が書き、演劇部がそれを演じる……それが毎年の流れだった。

 当時の演劇部はなかなか良い人物が多かったようでね。茨姫候補も何人か出たそうなのよ。だけど、誰かがこう言い出したの。


『文芸部の姫に演じてもらいたい』

 と。文芸部の姫というのは、当時の副部長だった桜宮さくらのみやひめという子よ。とても可愛い子だったそうよ。

 当然、主役の茨姫が文芸部の子にやってもらうとなると、演劇部の面目が立たないのは分かるわよね? でも、顧問が桜宮さんを見てからその話が現実に近付いちゃってね。その状況がおもしろくない他の茨姫候補の子達は桜宮さんを裏でいじめたりしていたみたい。その人達もプライドというものがあったのでしょうね。

 桜宮さんは次第に暗く、俯きがちになっていったそうよ。茨姫を辞退したいと言っても、茨姫候補の子達を除いたほとんどが彼女が演じることに賛成していたこともあって受け付けてもらえなかったらしいわ。


 そして、文化祭の前日のこと。事件が起こってしまった。


 前日だから一日中クラスの展示やら部活の展示やらの仕上げに入るんだけど、劇もリハーサルをやることになっていたのよ。もちろん、当日に着る衣装も舞台のセットもすべて使ってのやつよ。集合時刻は午後四時だった。

 けれど、桜宮さんはその時間を過ぎても来なかった。彼女は真面目な性格で病気や怪我でない限りは少なくとも十分前には来ているような子だったそうなの。だから、集合時刻に遅れるというのは少し考えられなかったのね。

 彼女のことをよく知っていた文芸部のメンバーと一部の演劇部のメンバーはすぐに探しに向かったらしいわ。一つ一つの教室を見回って、この文芸部の部室でようやく見つけた。彼女はそこの椅子に座って本棚の方を向いていた。胸にお気に入りの本を抱いて。ぱっと見たところでは眠っている様だったらしいわ。でも……その目が開くことは二度となかった。

 ……彼女は自殺してしまったのよ。



「「自殺!?」」


 八重と花丘が驚く一方で来留芽は先ほど先輩が指した辺りを見つめる。幽霊は今もその近くにいた。彼女が桜宮姫という子なのかもしれない。

 自殺したということ、奇跡的に今も幽霊として留まっていることを考えれば、やはりそれなりに“想い”が残っていることは間違いないだろう。

 話を聞くに、いじめた子達への復讐心だろうか?

 しかし、それにしてはドロドロとした感情が伝わってこなかった。来留芽は人の“負の感情”を聴くことができる。もしこの幽霊が復讐心によって留まっているならばその暗い感情が聞こえてきてもおかしくないのだが……。

 来留芽は顎に手を当てて少し考え込んだ後、目線だけ上げた。


「夏目先輩、まだ、続きがありますね?」


 続きの話を聞けば分かるかもしれない。そう思って来留芽は尋ねた。夏目先輩は真剣な表情で頷き、続きを話す。


「ええ。桜宮さんは自殺してしまったけれど、それは決していじめられたことが理由ではなかったそうなの。家庭の不和と聞いたわ。後から発見された遺書にもそうあったらしいわ。でも、学園で噂されているものはちょうどこの夕方、この部室を覗くと恐ろしい表情を浮かべた女の子が襲いかかってくるというものよ。彼女の話が発端だとは思うんだけど、私達の部に伝わるものと違うのよね……そこは納得いかないけど、まぁ、噂っていうのはそんなものよね」


 来留芽はもう一度幽霊の少女を見る。やはり暗い感情は伝わってこない。おそらく彼女は比較的無害な存在だろう。それどころか、何か大切なことを伝えようとしているように見える。残念ながら声がでないのか、口が動くばかりだったが。


「何か、私も納得いきません」


 ぽつりとそう呟いた八重に向けて夏目先輩は微笑んだ。


「まぁ、彼女がどう思っていたのかは私達が知る術はもうないからね。自殺の原因は家庭の不和でも、幽霊になってからいじめた相手への恨み辛みが爆発してそんな感じになったとも考えられるのだし」


 先輩の目に僅かに浮かんだ苦しげな感情に我知らず言葉が口をついて出た。


「少なくとも憎悪といった暗い感情に苦しんでいた訳ではないはず。もし、噂通りの幽霊が出るならここはもっと荒れてないとおかしい」


 負の気をまき散らす怨霊・悪霊と成り果ててしまえばそれの周囲は霊的に不安定になる。しかし、この場は特にそのような感じはしないのだ。


「来留芽ちゃん……何か知っているの?」

「え? あ、いや……何でもない」


 考えていたことが口に出ていたようだった。内心慌てて、しかしできるだけ外に出さずに取り繕ったが八重には不信感を持たれてしまったようで、視線が外れてくれない。


「もし……もし、それが本当なら少しは気持ちがましになるわね。桜宮姫さんは私の曾祖母の妹なのよ。自殺を考えるほど追い詰められていたのに救えなかったことをずっと後悔していたらしいの。実は、私は桜宮さんに曾祖母の代わりに謝りたくてここに所属したのよ。今だその機会は訪れていないけれど……」


 少し下を向いてしまった先輩を見て八重は元気付けようと明るい声を出していた。


「先輩、きっと、その気持ちは届いていると思いますよ! あの、あまり思い詰めないようにしてくださいね」

「ありがとう。八重ちゃん。ま、今の私の不調は別物だから。気にしないで。それより、まだ他の部活も回るんでしょ? いってらっしゃいな。招き入れた私が言うのもなんだけど、今日は部活をやっているって感じじゃないもの」


 その言葉が後押しになって、来留芽達は文芸部を後にする。夏目先輩も話し終わった辺りから本格的に顔色が悪くなっていたので三人は無理に居座ることはしなかった。

 そして来留芽は肩越しに夏目先輩と本棚の前に佇む幽霊を見ると、後ろ手に扉を閉めた。


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