2 表があれば裏もある

 

 生徒は体育館へ戻って各保護者と合流した。道すがらの雑談で京極先生が教えてくれたことには、このあとは親とともに学校を見て回ることになるらしい。入学式自体に緊張して式後の動きなんてすっかり頭から飛んでいた。八重はしっかりと今日の流れが書かれた紙を握っている母と合流する。


「八重、担任の先生はどうだった? クラスの皆ともやっていけそう?」

「うん。担任は鈴木先生っていう人で……ほら、あそこにいる先生だよ。体育館の入り口のとこで囲まれている。友達については心配しないで」


 そう言って先生を指させば母も分かった様子だった。鈴木先生はどうやら八重のクラスの数人とその親に囲まれているようだ。母も行くと言いそうである。


「ああ、あの人ね。後で挨拶あいさつに行きましょう」


 予想通りだった。どうして親というものはこう挨拶ばかりしたがるのか。


「はぁーい」


 ため息を吐きつつ返事をする。八重も嫌というわけではない。だがあえて言うならば鈴木先生ではなく京極先生の方が話していて幸せな気分になれる。その京極先生は今は見当たらないのだが。


「ええと、確か、これから部活動の見学だったかしら。八重、どこか行きたいところはある? どうもこの時間は新入生が学校の間取りに慣れるようにとの気遣いで取られているみたいなのよ。行きたいところが思い付かなくてもいろいろ回りましょうね」


 それは、いざ高校生活が始まったら学園を探検する余裕がなくなることを暗示しているのではなかろうか。まだ夢の中な高校生活に一抹の不安を覚える八重であった。



 ***



 ほとんどの生徒が親と合流して学園の見学に向かった一方で、一人だけぽつんと体育館の壁側に立っている女生徒がいた。彼女の名前は来留芽くるめ。長い黒髪の綺麗な少女だ。しかし、綺麗ではあるのだがあまりはっきりした表情を浮かべないのでどこか近寄りがたい雰囲気を出している。

 来留芽は保護者として来る予定の叔父を待っていた。彼は仕事が忙しいにも関わらず今日はなんとかして時間を作ると宣言し、それはほとんど実現していた。しかし、今日の朝に突然仕事が舞い込んできて泣く泣く来留芽と出ることは諦めることになったのだ。

 それでも学校を見学する時間には間に合わせると約束していたから来留芽はおとなしく待っている。別に独りでもいいと言いかけたのだが、あの叔父はいらぬ心配をして非常に口煩くなるので止めてしまった。今思うとあのときに拒否しておいた方が良かったかもしれない。

 あまり動かない表情の中に、親しい人ならば見て取れる程度の後悔の色をにじませつつ、来留芽は溜息を吐いた。


「来留芽。まだあの人来ないのか? 珍しいな。時間に遅れるなんて」


 手持ち無沙汰に壁に背を預けながら人の流れを見ていると、軽い調子で話しかけてくる影が近付いてきた。来留芽はその人物に気が付き、壁から僅かに背を浮かせる。

 やって来たのは、きれいに撫で付けられた髪にきっちりとしたスーツを着ている細だ。


細兄ささめにい。確かにまもる叔父さんは時間に厳しいけど今朝のあの内容じゃ遅れても仕方がないと思う。被害者が出ていたんだから」


 実は来留芽にとって細は小さいときから遊んでくれた兄だった。今は来留芽の父が設立した会社の社員でもある。ちなみにその会社はオールドアという名で裏では怪奇現象の相談解決を仕事にしている。本日舞い込んできた仕事もその手のものであった。

 来留芽が姿勢を正したのは一瞬のことで、すぐに深く考え込むような顔になって元の体勢に戻る。その隣に立ち、細は来留芽と同様に壁に背を預けた。


「……事故の加害者、“裏事件”としては被害者なのは大岡おおおか修三しゅうぞう。三十五歳。在住はここ蓮華原市。で、夜な夜な着物を着て髪を振り乱した女が刃物を降り下ろす夢を見る、らしいな。そしてついに運転中に見てしまい恐怖で手元を狂わせ、事故を起こしてしまったと」


 細がスマホを操作しながら徐に告げた。それは朝来留芽がちらっと聞いた、突然舞い込んできた依頼の詳細である。なんの脈絡もなく言われたが話の内容からして間違いない。しかし、その情報が目の前の人に伝わっていることに疑問を感じて来留芽は首を傾げた。


「どうして細兄が知ってるの」


 朝に客が来たとき、細は既に出勤していた。だから内容まではまだ知らないはずだった。

 そう問えば、細はスマホを見せてくる。そこには裏業務という題と先程の内容、事故の被害者の名前が載った一本のメールがあった。


「これがあるからな」

「守叔父さん……社長から? でもこの時期は細兄は動きにくいはず。それなのにどうして……」


 この時期と言わず、教師として行動している細はおおっぴらに動けないはずだった。とはいえ、裏関係の仕事がなくなるわけでもないので彼が適任とされるようなものは割り振られる。それでも忙しい時期は考慮してくれるものなのだ。


「被害者の名前を見たか? ほら、竹内千代とあるだろう。来留芽のクラスメートだ」


 つまり、細が教師として関わる範囲内にいるということでもある。


「ああ、それで。って、ちょっと待って。じゃあ、八重の言っていた親友って、もしかしてその竹内千代?」

「なんだ、知っているのか?」

「クラスメートの常磐八重って子が、親友が入院しているって言っていた。竹内千代はその子かもしれない」


 そうすると、来留芽が主導して動くことになるのだろうか。

 そう思って少し予定を思い返してみた。余裕はある。学業優先だということで仕事はあまり入っていないからだ。


「接触できそうか? おそらく、この仕事は俺と来留芽で請け負うことになる」

「やるしかない。でもさっき断ってしまったからどうなるかは分からないけど」


 来留芽が主導で動き、八重を接点にすれば竹内千代とのコンタクトも取りやすくなる。しかしそれは自分達の怪しげな仕事を打ち明けるということでもある。人並みに常識は備わっているのでこういったことが世間一般では信じられていないことは知っている。無愛想な自分に話しかけてくれた八重に奇妙な目で見られるのは避けたいと思う程度には彼女のことを好ましく感じていた。


 ただ、困ったことに教員である細は来留芽ほど自由に動けない。結局動くのは来留芽になるだろう。仕事は仕事だと諦めるしかないのだろうか。どう動くべきかと顎に手を当てて考え込もうとしたその時、体育館の入り口の人垣が割れ、シンと静まり、空気が変わった。ちなみに人垣とは体育館入り口にある校舎全体の地図を見ていた人達のことだ。向かう先が定まっていなかったのか、このあと体育館にやってくる部活目当てなのか。特にまとまった集団ではないはずなのに一律に道を開けるように割れたのには苦笑いを浮かべるしかなかった。


「社長……守さん、来たみたいだな。行くか、来留芽」


 空気が変わったというそれだけで断定できるのかと傍で聞いていれば不思議に思うだろうが、来留芽は何の疑問を持った様子もなく頷くと歩き出した。


「細兄、いいの? 教員なんだから本来は私一人についていると面倒なんじゃない?」


 それを聞くと細はクククと笑って割れた人垣を指差し、あそこに一人で向かう勇気があるかと聞いてきた。綺麗に割れた人垣の向こうからゆったりと歩いてくるヤで始まりザで締められる系統の顔のおじさん。そこに自分が向かうところまでを想像して片手で顔を覆い項垂れる。きっと、おそろしく目立つことだろう。


「……絶対無理。恥ずかしい」


 二人ならまだましと思い、細に来てくれるよう頼んだ来留芽の表情にはやはり少しだけ後悔の気持ちが表れていた。


「おお、来留芽。待たせたな。細、来留芽についていてくれてありがとな。皆さんも、通してくれて助かりました」


 守がそう言って手本のようにきれいなお辞儀をすると周りの人達は唖然として固まってしまっていた。

 無理もない。誰がこんな叔父の見てくれ(スキンヘッドにスモークグラス、スーツ)でここまで丁寧な謝辞を受けると思えるのか。

 しかし敢えて言っておきたい。叔父は堅気だ。あくまでも。本人にとっても泣く子は逃げ出し笑う子は泣き出す外見の厳つさは悩みの種であるようで、お酒が入ったときに必ずこぼすのは子ども受けの悪さや職質歴だったりするが……。どちらかというと子ども好きで仕事も全うにこなしていると言って良いのにそれを信じてくれる者はあまりにも少ない。本当に外見で損している人なのだ。

 そんな風に内心で思ってから、来留芽は叔父の側に立った。そして彼の腕を引く。


「守叔父さん。校内見学に行こう」


 唖然としている人達が立ち直るには元凶の排除が一番だろう。怖がらせて申し訳ないと思いつつ叔父を連れ出した。とはいえ、個人的に見て回りたいところはそんなにない。連れ出したはいいがどこに向かおうか迷うことになった。


「来留芽。お前はどこに行きたい?」

「どうしようか……部活とか同好会とか参加するにしてもあまり活動的ではないところがいい」


 ――その方が調査もしやすいだろうし

 そんな言葉を心の中で呟いた。

 忘れてはならない。来留芽がここに入学したのは七不思議の解明のためなのだ。とは言え、それを終えたからと言って学校を辞めるつもりはないが。


「……来留芽。仕事第一で考えなくてもいいんだぞ? むしろ、学生であるうちに思いっきりやりたいことをやるべきだ」


 叔父は困ったように笑う。困らせている自覚はあるのだが、どうしても人間関係に積極的になれなかった。


「でも、本当に人が少ない方がありがたいのだけど。叔父さんも知ってるはず。私の体質の面倒臭さを。何がどう作用するか全く分からないんだから。だったら、心の平穏のために人間関係の軋轢が少なさそうなところに入りたい」


 人の社会はおそろしい。それを酷く実感するのは来留芽の体質のせいでもあるが、それでもなおそう強く思う。足を止めて来留芽はうつむいた。


「……そうか。まぁ、来留芽が良いなら文句は言わないよ。好きなところにしなさい」


 叔父は慣れた様子で来留芽の頭をぽんぽんと叩く。子ども扱いをしているような行動だが、少し落ち着いた来留芽は先導するように前を歩き出した。

 そして、叔父と共に校内を見て回る。その間、来留芽はこの学校に来ることになった依頼について思いを馳せていた。


 依頼者はこの学園の校長先生だった。内容は校内でたまに起こる不思議な現象の原因と危険性の調査で、もし危険性が高かった場合は原因の排除を、とのことだった。学校の七不思議というのはそう珍しいことではない。無論『裏』の人達にとっては、だが。しかし、わざわざ依頼に来る人は珍しい。


「不思議な現象って言ってもはっきりこれと分かるような物ではないらしいけど……今のところ嫌な感じもないし、本当に起こっているの?」

「それの調査も含めての仕事だ。時間はたっぷりあるから焦らずにな」


 その後も校内を一通り見たが、残念ながら来留芽が入りたいと思うような部活も同好会も見つからなかった。それならばまた明日八重とも話して決めようか、と思い学園をあとにする。

 門を出れば川沿いに植えられている桜が夕暮れの太陽に照らされ、鮮やかに輝いていた。そして薄紅色の中を部活動見学に満足した親子が歩いて行く。この先の明るい未来を疑うこともなく。ここの桜は毎年このような光景を見てきたのだろうか。


 ――良い景色。とても、平穏で……心がのまれてしまいそうな


 来留芽はその光景の中に自分がいることを感慨深く思った。少し振り返り、桜並木の向こうで静かに門を構えている鳥居越学園を見る。


 ――やるしかない。そう思ってこの学園に来た。けれど、少しは心穏やかに過ごせるだろうか……


 この先一体何が起こるのか、まだ分からない高校生活が少し楽しみに思えて、気付けばほんの少しだけ表情が緩んでいた。


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