夜桜之章

1 鳥居越学園 


 

 それは、幼い頃の約束呪縛だった。


「いいかい、お前は危険なんだ。迂闊に感情を出してはいけないよ。喜怒哀楽……それが呪詛のどんな部分を引き出すのか分からないんだ。

 だから、油断は禁物だよ。

 お前が抱えるものは一度ひとたびバランスを崩せばあとは周囲を破壊していくだけなのだから……」


 社会に馴染むことなどできない運命にある。しかし、を抱えている限り死ぬことは許されない。心なんか空洞でいい。


「いっそ――いっそ、人ではない化物になってしまえれば楽だろうにね……」


 それは、薄れた遠い記憶に残る嘆きだった。



 ***



 高校に受かったお祝いとして今日は一日中親友の八重やえと遊び回ることにしました。私は今、後ろに髪を一つにしているゴムの上からお気に入りのシュシュを巻いておしゃれをし、彼女の家に迎えに来ています。


「こんにちは。八重は準備できていますか?」

「あら、いらっしゃい。あの子は今自分の髪の毛と格闘しているところよ。悪いけどもう少し待っていてもらえるかしら」


 八重はショートヘアの明るい子で、朝はいつも逆立った自分の髪の毛と格闘しています。今日もそれは変わらなかったようです。もちろん、それくらいは私も分かっていました。


「はい。やっぱり眠れなかったのでしょうか?」

「ふふっ。そうね。高校に無事に受かって舞い上がっていてね。それに加えて今日はお買い物でしょう? 楽しみにしていたようで、眠れなかったみたい。遠足前の小学生じゃないんだからと思うんだけど」

「私も少し眠れませんでした。母からは浮かれすぎだと笑われてしまって」

 

 しかし、八重の母親はそんな私を笑い飛ばします。


「家の八重ほどじゃないでしょ。あ、来たみたいね。八重! 早くしなさい!」

「ごめんっ。髪直すのに時間掛かって。じゃあ、行ってくるね」

「気を付けてね。怪我しないように。ま、楽しんでいらっしゃい」


 私達二人とも苦労の末に高校に合格したことを親は知っているので、浮かれすぎている様子に注意をしつつも笑顔で見送ってくれました。

 町へ繰り出し、ショッピングモールを歩き回り、高校での生活に必要な物を買いそろえました。ただ、一人で来るとそうでもないのですが、八重と来ると異様に買い物量が増えてしまいますね。余計なものとまでは言いませんが、アクセサリー類が加わっていたりします。

 そうして過ごしているうちに日もとっぷり暮れてしまい、私は八重とも別れ暗い夜道を家に向かって歩いていました。  

 この辺りは一定間隔に街灯がありますが、古いものなのでどこか頼りない気がします。時折ちかちかと瞬く様子は私の不安をあおりました。このご時世、夜は変質者が潜んでいることもあり、通り魔などもよく聞きます。


「私に限って、それはないとは思いますが」


 それでも早く帰ってしまおうと私は足を早めました。

 ふと、足下に注意していた視線を上に向けていくと少し先に見える山が……いえ、そこに咲き誇っている桜が光を放っているように見えます。

 

「一体何でしょうか……」  


 こんな時間に誰かがいるのでしょうか? と、首を傾げます。

 それにしても不思議な光景でした。満開の桜の木のうちたった一本が夜闇に浮かび上がっているのですから。


『……様……我が恨みは、未だ……』


 突然聞こえたのは呟くような声でした。その“恨み”という物騒な言葉に私の足は動きを止めました。


「っ、だれ!? なに、うらみ……?」

『……この恨み、とくと思い知るがいい!!』


 その瞬間、女性の絶叫のような言葉が頭を揺らします。それと同時に脳裏に般若の面を被り、着物を着た女性が骨ばった手を伸ばして来るのを見ました。それが動けなくなった私に到達しようというその時、目の前が急に白に塗りつぶされて……


「キャアァァーー……!」



 *** 



 暖かな春の日差しの中、満開に咲き誇る桜。そんな景色が続いている川沿いには何組もの親子が談笑して歩いている。彼らはこの先にある鳥居越学園の新入生とその親で、今日行われる入学式に向かっているのだ。

 鳥居越学園はそこそこ難関な高校である。そこに受かったことに対する喜び、これからの楽しい生活を夢見て皆一様に明るい表情を浮かべているが、例外もいる。その例外の一人、常盤ときわ八重やえは学園までの道すがら、終始不機嫌であった。


「八重、どうしたのよもう……せっかくの入学式なんだからもっと笑いなさいよ。むくれてないで。頑張って入った高校でしょう?」

「そうだけどさ……私は千代と一緒に来るつもりだったんだもん。千代と一緒だったら私だって笑顔を浮かべてたよ」

「そうは言ってもねぇ。千代ちゃん、今は入院中でしょ? 一昨日お見舞いに行ったけど全治二週間だったかしら。八重と一緒に入学式に出るのはとてもじゃないけど難しいって」

「分かってる。でも一緒に来たかったの……」


 八重の目にうっすらと涙が浮かぶ。本当に親友の千代と一緒に来るのを楽しみにしていたのだ。それが分かっているから母親も困った顔をするしかない。


「ね、八重。一昨日千代ちゃんが言っていたわよね。私の分もしっかり見てきてって。それで、退院したときには八重ちゃんが学校を案内してって。あなたの今の状況を聞いたら千代ちゃんは残念に思うわよ。学園は寮生活になるんだからあなたがしっかりしていないとしょうがないでしょ。ほら、分かったらさっさと泣き止む! こんなおめでたい日にウジウジしないの」

「うん。分かった……」

「さあ、行きましょう。たぶんもう少し行けば見えてくるはずよ」


 ザアッと桜が舞い仕切る中、鳥居越学園の門が見えてきた。八重と同じように真新しい制服に身を包んだ姿がいくつもその門をくぐっていく。校舎の入り口の前にはクラス番号が張り出されており、八重は一年一組の場所に自分の名前を見つけた。その名前の前に竹内たけうち千代ちよとある。嬉しいことに千代も同じクラスだった。


「え~、皆さん、初めまして。鳥居越学園へようこそ。この学園は長い歴史を持っておりまして、伝統を重んじる校風が形作られています。多くの行事を通してそれを感じていただければ幸いです。また、当校は……(中略)……それでは、良き高校生活を送ってください」


 学園長先生は雰囲気が柔らかく、親しみやすそうな空気をまとっていた。声もまた人をリラックスさせるような声なので至るところでこくりこくりと頭を揺らす“こっくりさん”を作り出している。八重自身も周りにつられて寝入ってしまっていたようだった。

 そっと口元をぬぐい、ばれてないことを願っておく。


「一組の人はついてきてください!」

「保護者の皆さんはそのままでお願いします! 生徒がいなくなり次第席を詰めていただけると幸いです!」


 在校生の先輩の指示に従って生徒は自分がこれから過ごすクラスへと向かう。その途中で自己紹介をしたりする光景がみられた。自分の周りにいるのはこれから一年間同じクラスで過ごすメンバーだ。そうなるのも当然と思える。

 八重も近くの子と話すことにした。少し緊張しつつ相手の顔を見てハッと息を飲む。まるでその子の周囲だけが世界から切り取られているかのような、不思議な感覚を受けたからだ。肩より少し長めに整えられた黒髪に凪いだ水面のように静かな瞳。整った顔立ちだが、無表情であるところがどこか影を感じさせる。入学の喜びは特に見えず、淡々としていた。

 それでも、何となく話しかけずにはいられなくて八重はいつもよりも静かに話しかけた。


「……ね、名前教えて? あ、私は常盤八重っていうの。よろしくね」

古戸こど来留芽くるめ。よろしく」


 そこから会話が続かない。どうも目の前の来留芽と名乗った子は会話を続ける気はないようだった。表情もほとんど変わらず、近寄りがたい印象を抱く。だが、これから一年同じクラスで一緒に過ごすのだからもっと仲良くなっておきたい。そう思って、頑張れと八重は自分を奮い起こす。


「えっと、来留芽ちゃんって呼んでいいかな?」

「どうぞ」

「じゃあ来留芽ちゃんって呼ぶね。私のことは八重と呼んでくれるとうれしいな。それでさ、来留芽ちゃんはどこの学校から来たの?」

「この地域の中学だけど。別に詳しい場所を言わなくてもいいよね。そういうあなたはどこから来たの」


 彼女にどこか冷たく切り返されて少し怯む。あまり自分のことを詮索されたくないのだろうか。だが、変わらない声音、変わらない表情なのに何となく動く感情があった。本気で会話を拒絶されているわけではないと思う。

 だから八重は普通に会話を続ける。


「私は少し遠くから来たんだ。親友がこの学園に行くって言っていたからどうしてもここに入りたくて」

「そう。その親友さんは?」


 その問いかけは会話の流れからして当然あってしかるべきものだ。だが八重にとっては突然のことだったし、ここに来るまでずっとその親友……千代のことを考えていたから思わず表情を陰らしてしまう。それに気付いたのだろうか、彼女は首を傾げるとこう言った。


「ごめんね。話したくないことだったらいいけど」

「ううん。違うよ。別に隠すようなことじゃないもの。私の一番の親友は竹内千代っていう名前で、この町に引っ越してきている子だよ。でも、つい先日事故に遭って入院しているの。一緒に式を受けたかったなぁって、さっきまでそのことを考えていたからちょっとね……」

「そう。その子はいつ頃退院できるの」

「うーん。二週間後だったかな? 休みの日にもう一度見舞いにいく予定だからそのときに詳しく聞くよ。何なら来留芽ちゃんも行く?」

「遠慮する。あなたの親友さんにとって私は赤の他人。そんな人が見舞いにこられても困惑するだけだから」


 ――千代がそんなことを気にするようには思わないけどね

 丁寧でいて意外と大雑把な性格の親友のことだ、来留芽が来ても気にしないだろうと思った。しかし彼女に気を使わせるのも申し訳ないし、次は自分一人で行こうと心の内で決める。

 そして、ようやく教室に着いた。一年一組の教室は南校舎の四階にある。一番日の当たりやすい方面だった。物理的には明るい新生活が待っているようだ。勉強の方は分からない。八重自身は自分の学力を信用していないとだけ言っておく。


「おしゃべりはそこまで。ここが皆の教室だ。席は出席番号で振り分けられているから、ひとまずそこに座っていてくれ。それと、騒ぎすぎないように」


 先輩とはここでお別れのようだった。

 席につくと、やはり皆八重の前の空席が気になるようでチラチラと視線が向けられている。ついでに八重自身にも向かっているように思えてちょっとだけ居心地悪く感じた。こうやって目立つのは好きではないので、彼等の視線から逃げるように近くの人と話して居心地の悪さを誤魔化すことにする。

 幸い、たいして待つこともなく先生がやって来たため視線はそちらに集中し、八重はほっと息を吐いた。


「皆さん、初めまして。このクラスの担任の鈴木すずき太郎たろうです。間違いなく本名ですよ。名前の由来は鈴木ときたら太郎だろ、という我が親の謎のこだわりからのようです。鈴木でも太郎でもタロちゃんでも好きに呼んでください。担当する教科は国語です。そして、多くの女子が気になっているだろうこちらの先生は副担任の京極きょうごくささめ先生です」

「初めまして。京極細です。鈴木先生ほどインパクトのある自己紹介はできないけど、簡単に。歳は二十六、皆とは十一歳差かな? 趣味はドライブ。海も山も好きなのでそのときの気分で行き先は変わります。それと……そうだ、俺の名前の由来は、生まれたのが細雪の降るクリスマスだったかららしいですよ。

 担当教科は歴史です。興味があったら何でも聞いてください。ただし、明日からな」


 鈴木先生は普通だが京極先生はすごくカッコいい。髪は染めていないのか、ナチュラルな黒だ。切れ長の目を柔らかく細めて笑う顔に女子の目が釘付けになるのも当然だろう。鈴木先生も見れないルックスではないが、京極先生には勝てない。


「「「明日?」」」


 京極先生が付け加えた言葉に数人が疑問をこぼす。八重もそのうちの一人だった。


「あ、そうでした。今日は生徒と担任ズの顔合わせだけでしたね。質問その他君達の自己紹介は明日です。じゃあやることありませんね。京極先生?」

「そうですね。時間からしてそろそろ保護者の方々との合流に向かうべきです」

「よし、それじゃあ適当に並んでもと来た道を戻りましょう~」


 なんだ今日はこれだけか、と拍子抜けする。八重自身は京極先生ともっと話したいと思っていた。女子のほとんどはそのようで、未練がましい視線が先生に向かっている。それを苦笑でいなす姿も素敵だと感じた。顔がいいと何をやっても格好良く見えるものだ。


 ――そういえば、来留芽ちゃんは京極センセに見惚れてなかったなぁ


 他の子はすぐに目が釘付けになってしまったというのに、珍しいことだ。色めき立った女子生徒の中でほとんど表情を動かさなかったあの少女には少し異質さを感じていた。


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