第7話 白狼が生まれた日

 白狼が現れてから二度目の土曜日、修二は町を歩き回っていた。自分の青春時代の頃を思い起こさせるような素朴な商店街がこの町には生き残っている。大手資本の参入やその他の要因で過去の物となりつつある穏やかな空気があった。そんな商店街の外れに真新しい看板がぽつんとあった。全国チェーンのコンビニエンスストアである。

 普段ならばどうと言う事もないそのコンビニを特異な存在に見せる力がこの商店街にはあった。コンビニになど滅多に入らないはずの修二が引き付けられるかのように、真っ先に入店したのは自然な流れだったのかもしれない。





 修二が入ると、炭川と言う名札を胸に付けた男性店員が随分と愛想よく声をかけて来た。見ると他に客はいない。個人商店が強いこの町で大手資本のコンビニは苦しんでいるようであり、だからこそ折角入って来た客を逃したくないのだろう。

 ……と言っても、修二は特段目的があって入った訳ではなく、ただうろうろ店を動き回るばかりで買い物をするつもりは全くない。妻が亡くなってから二十年、ずっと家計を握って来た身としては無計画な買い物をして限りある現金を浪費するような愚は犯したくない、現にそういう姿勢を貫いたからこそ十年前に家を買う事ができた。うろつくばかりで物を買う兆候のない修二ははっきり言って迷惑な存在であるが、それでも炭川なる二十代半ばの店員は笑みを浮かべながら修二を見つめていた。営業スマイルと言えば体はいいが、要するに作り笑いである。正直な話、余り感じのいい物ではない。

 自分にいら立っているのならば仕方がないとも思うが、その笑みからは苛立ちや焦りは感じられずむしろ下卑た物が見えていた。折角来てくれた客を何があっても逃すまいと必死になって愛想の良い店員を演じようとしている。ある意味真面目に働いているとも言えるが、どこかずれているなと言う印象が否めない。

(付け焼き刃でああいう事をやるなら、いっそやらない方がましだ)

 店員から下卑た印象を受けたのは顔だけではない、髪の色も問題であった。茶髪とまでは言い切れないにせよ黒味が乏しく、暗めの栗色と言った所か。しかしその癖先端だけは綺麗な金色である。大方、普段金髪にしていたのを慌てて黒く染め直したのであろう。髪の毛を傷めるぞと思うと同時に、一度髪を金色に染めたからには貫き通せと思わずにいられなかった。

 二十分ほど店の中を歩き回った挙句、結局修二は自動販売機で買うより安いペットボトル入りのお茶を2本持ってレジに向かい、会計を済ませ足早に店を出た。


「あら、赤山先生。うちの息子がお世話になっております」

 コンビニを出た所で修二は一年三組の才川と言う男子児童の母親に出くわした。うちの息子が迷惑をかけていませんかだのお体は大丈夫ですのだの当たり障りのない会話の後、彼女は頭を下げて修二が出て来たばかりのコンビニに目を向けた。

「今の時間だと私の甥っ子がバイトをやってまして、応援がてら何か買おうと」

「そうなんですか」

「あの子もこの町の事が大好きみたいでねえ、いろいろ余所で大変な思いもして来たみたいですけど」

「余所で?」

 聞けば、中学校・高校と他の地区の学校に行って馴染めず、大学では一人暮らしを始めそして心機一転を図ってロックに走ろうとしたがそれも上手く行かず、その後の就職活動にも失敗してこの町に帰って来たそうだ。

「あの子は父親もサラリーマンで家業がないから困っちゃって、それで最近できたコンビニでバイトをしてましてねえ。バイトがない時は商店街のあちこちを回って就職活動をしてるみたいですけど、まあねえこのご時世ですから」

 不況でどこもなかなか余裕がないと言いたいのだろうが、見た所この商店街は随分と活気があり、余所のようにシャッター商店街化している様子は見受けられない。むしろそういう商店街の需要を脅かしているはずのスーパーやコンビニの様なチェーン店が押されている側のようである。そういう点では余裕があるはずだ。

「以前は後継ぎがいなくて大変だったんですが、ここ数年は子どもたちがこの商店街に居ついてくれるようになりまして」

「ここ数年?」

「新しく社会人になった子が実家である商店街に戻ったり、あるいは後継ぎのいなくなって困っていた商店に入ったり、そうでないとしてもこの町に戻って来てくれる子が多くてそういう若い子たちのおかげでねえ……阿波建設ももう少し頑張れていればそういう子たちのお陰で立ち直れたのに…………やっぱり地元を軽視しちゃいけませんよね。先代の社長さんは反対してたっぽいんですけどね、あの蓼川って専務さんがねえ」


 阿波建設は十年ほど前から地元の人間を重点的に雇用する事をやめていた。採用する人間が偏って優秀な人材を集められなくなるのを嫌ったらしいが、その結果地元の人間から不興を買っていた。名門校出身のエリートで幹部候補生上がりの蓼川と言う専務の方針だったらしいが、別段驚くような方針でもない。

「あの白狼の眠る土地を開発しようって言ったのもその蓼川さんだったらしいんですけどね、ああいう土地が眠っているのかどうしてもわからないって入社した二十五年ほど前からずっと思っていたみたいで…………」

 知識に重きを置くエリートであったらしい蓼川と言う人物から見れば、駅から徒歩五分の平地と言う優秀な条件の土地が白狼などと言うカビの生えた民話の産物に占拠されているのが不可解だったのだろう。それでどうやら入社したての頃になぜ手を付けないのかと上層部に対し盛んに訴えていたそうだ。結果先代社長からの不興を買ってそれ以降は口に出してはいなかったようだが内心ではずっと気にしており、出世して発言権を得てようやく手を付けられるようになったのだろう。その時社長であった阿波喜多夫は蓼川を信用していたからこの件についてはほぼ任せきりであり、また白狼についてもお祓いと社の建設を行えば解決すると思っていた。

「最後まで白狼騒ぎとは無関係だと言ってたんですけどね」

 白狼が現れ社長の息子である喜一を襲ってからも蓼川は専務であり続けたが、社内での地元出身の古参社員からの評判は悪くなっていた。蓼川が地域外からの採用を増やしたのはあくまでも社内の硬直化を防ぐためだったのだろうが、現実には地元からの反発の声を聞きたくないだけだと判断され、蓼川は社内でますます孤立したらしい。

 最終的には創業者である阿波一族すら去り本当に行き場を失くした人間しか残らなくなった阿波建設の残務処理を押し付けられる格好で社長に、要するに阿波建設の歴史の幕引き役をさせられた。その後かつての御曹司であった阿波喜一は阿波建設を吸収合併した会社の一社員になったそうだが、蓼川は阿波建設を吸収合併した企業に拾われる事もなくどこかに消えたと言う。

「奥様ともお別れになり今はいずこで何をしているのか…全く寝た子を起こした罰と言うのは恐ろしい物ですわね、息子にも言い聞かせておかなきゃと改めて思いましたよ」

 地元の祭祀を蔑む事は良くない。確かに良くないのだが、ここまで罰を受けるに値するような事なのだろうか。そして修二は彼女の言葉の中に蓼川に対する悪感情があるのを感じずにいられなかった。


 映像の様な確固たる証拠こそないものの、そしてそれゆえに蓼川は無関係であると言い続けたが蓼川が決定した工事が行われた直後から、白狼が白岩小学校に出没するようになったのは紛れもない事実のようである。阿波建設の社員であった蓼川が目覚めさせる形になった白狼により、阿波建設の御曹司であった喜一が襲われたと言う事実は軽くない。喜一は確かに父親の権威を笠に着て子どもたちからは不興を買っていたが、阿波建設の支持も相まって大人たちからはよくある事だと半ば諦めめいた思いで見られていた事もありそれほど嫌われてはいなかった。それに対し蓼川は完全なよそ者であり、タブーを犯した結果喜一を辱しめまた愛されていた阿波建設を潰した戦犯であった。

 確かに彼らがなした行動による結果から言えばそんな所であろう、だが自分の目先の利益の為に虎の威を借りた喜一とあくまで会社の為に動いた蓼川。年齢の違いがあるにせよどちらが社会的に言って崇高であるかは言うまでもない。もちろん行動と結果は別物ではあるのだが、どうにも合点が行かない。




 そう修二が考えていると、コンビニから悲鳴が上がった。振り返るとサングラスにマスク姿の何者かが右手に包丁を握りながら何かを抱えて走っている。

「あら嫌だ強盗!」

 そう才川の母親が叫ぶまでもなく事の真相は明らかだった、コンビニ強盗だ。その姿は既にかなり小さくなっている。だが修二は追いかけた、犯人が逃げたのが白岩小学校の方向だからだ。放課後で児童はいないだろうとは言え校舎内に強盗などと言う輩を入れさせる訳にはいかない。だが修二も五十五歳、いくら体育の授業をこなせるとは言え体力はそれ相応に落ちていた。なかなか犯人との差を詰める事は出来ない。

 そして修二の必死の追跡も空しく、危惧していた事態が到来してしまった。犯人が校門を飛び越え白岩小学校の構内に入ってしまったのだ。校内に犯罪者を入れるだけでも嫌なのに、裏山を背にしており森や茂みが多い白岩小学校は逃げるのにも隠れるのにも都合がいい場所だ。全力疾走で息が切れていた修二は警察官がやって来るまで校門に手を乗せながら息を吐く事しかできなかった。

「この校門の向こうにですか」

 やって来た若い警察官に対しはいそうですと答えた修二の耳にまた悲鳴が聞こえて来た。校門の内側からだ。今日は土曜日で誰もいないはずだが、もしかしたら児童が勝手に入り込んで遊んでいたのかもしれない。一刻も早く何とかせねばと焦燥の塊になった修二であったが、次の瞬間両目を大きく見開いた。







「助けてくれぇぇ!」

 学校の構内から校門に向かって叫びながら走って来たのは一人の男性だった。サングラスはしていないが顔にはマスクをして左手で封筒を抱え込んでいた。服装はあちこちに破れ跡があり顔はマスク越しでもわかるほどに脅え切っている。間違いなく、コンビニ強盗だった。

「助けてくれって…」

「大きな、大きな白い犬が、白い犬が、た、助けてくれぇぇ!」

 その顔にはほんの先程まで浮かんでいたであろう冷酷さは欠片もない。肉食獣に襲われた哀れな小動物その物である。腰は完全に抜け、もはや目線も定まっていない。

「ああ、おまわりさん、犬いや狼が来る、来るぅぅぅ!」

 警察官は哀れみを込めた表情で校門を飛び越え、コンビニ強盗の青年を担ぎながら門を内側から開けた。その間、修二は顔を強張らせながら立ちすくむだけだった。

「さあ、警察に行けば安全ですから、ゆっくり話を聞きますからね」

 彼は紛れもなく強盗と言う犯罪の加害者である。だが因果応報、そう呼ぶには余りにも哀れ過ぎないだろうか。刑法と言う物がある。罪の大きさに応じて刑罰を与え、そしてその刑期を真摯に消化すればそれで後は自由、それが決まりと言う物だ。もちろん彼の行為には罰が下されるべきであるが、まるで赤子のように泣きじゃくるその姿を見ていると、怒りよりも哀れみばかりが込み上げて来る。強盗と言う悪逆なる行為を行った結果白狼の爪牙にかかってあのような姿になってしまったのだろうが、それにしてもと修二は思わずにいられなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る