第6話 正義の味方、白狼仮面!

「喜一君はその後どうなってしまったんでしょうか」

「いやそれがですね先生、その次の日なんですけど」

 その後喜一が不登校になってしまったのではないかと不安を口にした修二であったが、ここで屋台の店主が得意気に話に割り込んで来た。


 話によると、やはりあの事件の翌日から喜一はクラス内で孤立していたらしい。男子からはこれ幸いとばかりに嘲笑され、女子からはそっぽを向かれた。特にひどかったのが喜一の前後に座っていた女子二人で、喜一の悪行を言い触らしていた。カンニングだの放課後に阿波建設に勤める社員の息子にパシリをやらせていただの、実際に喜一がやっていた事ならばそれは因果応報であり仕方がない事である。

 だが実際に彼女たちが言い触らしていたのは悪質極まりないデマその物でありただ喜一を貶めるがためだけに作られた、それ以上の意味を全く持たない作り話である。もちろん喜一は否定したが二人を含めクラスの誰も聞く耳を持たなかった。


 そして事件の数日後の放課後。二人の女子児童は相変わらず口からデマを垂れ流し続けていた。昨日まで他の女子たちと一緒に喜一をもてはやしていた癖にである。機を見るに敏と言えば体はいいが、やっている事は要するに掌返しである。このあからさまな掌返しには一郎も注意するより先に呆れてしまったらしい。

 その二人の女子児童が校門をくぐろうとしたその時、またあの白い獣が現れた。だがその白狼の面前にいたはずの二人の女子児童は後ろが大騒ぎする中、二人ともまるで白狼など見えていないかのように歩を進めた。彼女たちは喜一の化けの皮を剥いでくれた白狼と言う存在を、自分たちの味方であると信じて疑っていなかったのだ。

 だが彼女たちの浅はかな自惚れは瞬間に粉砕された。白狼は突如唸り声を上げ、女子児童に飛びかかりランドセルに括り付けられていた人気アニメキャラのストラップを喰いちぎった。そして後ろ脚を蹴り上げてもう一人の女子児童に砂をかけると、そのまま校庭を走り去って行った。

「うちのせがれなんかねえ、その光景が今でも目に焼き付いてるらしくて。慌てふためいて先生たちが駆け付けた時にはもうどこにもいなかったそうで」

 昨日は一直線に校門から出たので追わなかったが、今回はそれはできない、校内にあんな危険な生き物を放置してたまるかとばかりに教師たちは児童を帰した後の校内を血眼になって探し回ったが、日が暮れるまで白狼の痕跡すら見つけられなかった。

 もちろん親たちは学校に抗議した。あんな大きな獣を校内に入れるとは何事だ、危なくて通わせる事ができないじゃないか。お説ごもっともな批判であり学校としては真摯に受け止め反省するしかなかった。だが実際、どこをどう探せば白狼が見つかるのか正直見当も付かなかった。校内の隅々まで四六時中監視する事などたかが一公立小学校にできるはずもない。そしてそれ以上に問題だったのは、この問題に対しての児童たちと親との距離が予想外に大きかった事である。













「正義のヒーロー白狼仮面!とか流行りませんでした、ねえ城田先生?」

 子どもたちに取って白狼は恐ろしい獣ではなく、父親の権力を笠に着て威張っていた阿波喜一や自分が気持ち良くなるが為だけに口から出任せを吐き出し必要以上に喜一を傷付けていた二人の女子児童と言う、わかりやすい悪である存在を成敗してくれたヒーローだったのだ。その三日後に発生した四年生の図工の授業で他の児童の完成しかかりの絵に白い絵の具を塗り付けた児童の靴が白狼によって齧られたと言う事件が、児童たちの印象を完全に決定付けた。男子児童たちは白狼の強さに憧れ、女子児童たちは白狼が決して人体に傷を付けない優しさに惚れた。

 それから十五年もの間、この小学校で何か問題が起こるたびに白狼が現れ、問題を解決して去って行った。当初は危惧していた親や教師たちも白狼が決して子どもたちの人体を傷付けない事を知りだんだんと警戒心を解き始め、今ではすっかり白岩小学校の守り神となっていた。最近では白狼の名が知られたためか校内で問題が起きる事も少なくなり、結果白狼が出現する事も少なくなっているが、白狼が現れた頃は児童たちの間で正義の味方である白狼を模した存在として白狼仮面なるごっこ遊びがほぼ全校で行われていた。

 誰かを不当な理由で仲間外れにするような真似をすると白狼が来るぞと言う脅かしは、この学校の児童にとって冗談ではなくどんな叱責よりも重たかった。実際、そういう真似をやって白狼にランドセルの紐を引き裂かれた児童が出てしまっては誰も反論のしようがなかった。白狼に襲われる事は悪い子の証であり、白狼に襲われたと言う事は過去に罪を犯したと言う烙印であり、児童たちにとって何より重たい十字架であった。


「いや、教育委員会の方とか新聞社の方とか来るんですよ、でも正直その存在を目の当たりにした方は一人もいなくて」

 どうして白狼について教育委員会は関知していないのか、メディアを通してその存在が知れ渡らないのか。その修二の当然の疑問に対して城田は焼き鳥の皮を焼酎で流し込みながらそう答えた。いかに状況証拠や目撃証言があった所で、物的証拠がない事にはどうにも信じられる物ではない。実際、十五年間の間に白狼を捕らえた映像や写真は一つとしてない。せいぜい都市伝説のような形で漏れ聞こえるのが限度である。そしてそれでも白狼の噂を漏れ聞いた親たちが、白狼と言う絶対的な力により子どもが良く育つのではないかと考え小学校の近くに転居して来るケースが多々あり、結果白岩小学校はこの少子化の時代に十五年間で児童数が三割増しになっていた。







 乱暴だ、ただ乱暴なだけだ。修二はそう吐き捨てたくなった。いかに人体に危害を加えていないとは言え、白狼が成して来た事は立派な私刑ではないか。児童の肉体を傷付けずとも精神を著しく傷付け地位を必要以上に低下させている、信賞必罰は原則であるがそれにしても度が過ぎている。人間である自分たちのルールなど白狼にとっては知った事ではない事は承知しているが、それにしても白狼のやり方は余りにも強引だ。

 入学式の時だってそうだ。自らの咆哮により二人の児童のおもらしの責任の所在を曖昧にする、責任を取ると言えば格好はいいが教師たちからすれば全く大きなお世話であり、揚げ足取りそのものの屁理屈ではあるが白狼は児童たちに自らの素晴らしさを植え付けているのだと考える事も不可能ではない。

 何が白狼だ。そんな物に依存したらどうなるか。悪い事をすれば成敗されると言うのはまだいい。だが世の中そういつも誰かが助けてくれる物ではない。絶対に助けてくれる存在である白狼に縋っているとどうなるか、答えはそこにあるじゃないか。城田一郎はもう三十七歳のはずなのだが未だに独り身であり、そして浮いた話の一つもありはしないらしい。白狼と言う絶対的存在に寄りかかり続けているとこんな甲斐性なしになってしまう。修二の頭の中に、白狼に対する嫌悪の念が芽生え始めていた。




「問題はないと言ってるんだ、頼む信じてくれ」

 修二は電話に向かって泣き声でそんな事を言っていた。まだ白岩小学校の副校長に就任して十日ほどしか経っていないのに、信江から大丈夫と言う電話がかかって来るのはこれで四度目である。いい加減にしろと怒鳴りたくなったが、信江が真摯に自分の事を思ってくれている事を考えるとそれもできない。その結果がこの泣き落としである。情けないとは思ったし逆効果かも知れないとは思ったが、それでも自分が大して苦労している訳ではないと認識して欲しかった。

「あ、うん…………じゃあね」

 信江はまるで、母親を亡くしてすぐの頃の様に修二の事を心配していた。その信江の気持ちを思うとこんな強引なやり方をするのは辛いが、同時にその頃のように信江の心が弱ってしまっていると思うと別の意味での不安が込み上げて来る。自分は仮にも三十年教師を務めてきた。白狼なんかに頼らずとも児童をうまく導ける自信はある。自分の父親を信じてもらいたい、誰よりもよく知っているはずの。信江も信江で悟君と何かあったのかと言う修二の問いに対し別に何もないよと曖昧そうに言い返して来たのであるからどっちもどっちとも言えなくもないが、正直不安が募って来る。

「ここにはい、えんぴつが15本あります。それで」

「先生声が少し大きいです」

 修二も男である。教師人生最後の賭けとして白岩小学校に乗り込んできた手前、そうやすやすと白狼などと言う暴威に屈する訳にはいかない。そう考えると授業にも気合が入ると言う物だが、入り過ぎて空回りしては意味がない。その辺の力の加減という物を三十年のキャリアを持つ修二は良くわかっていたはずであった。

「あっすみません、聞こえますか」

「聞こえます」

 もちろんその間に様々な問題に遭遇し、心を乱された事は一度や二度ではない。それでもその度に乗り切って来た。白狼などと言う得体の知れない物如きで動揺して児童たちに悪影響を与えてはいけないとばかりに修二は声の音量を下げた。







(今はそんな訳のわからない物を考えている場合ではない、とりあえず目先の問題を何とかしなければ…まさかこの学校目当てに来たんじゃないだろうな)


 転校生。別に珍しい話でもない。だが副校長と言う管理職になってからは当然ながら初であり、正直これまでと同じように扱っていいのかどうかわからない。

 大体、時期がおかしい。四月末などと言う中途半端な時期にわざわざ転校して来る理由と言うのが正直思い当たらない。白狼に縋ろうとしているのではなかろうか、そんな予感が修二の頭をかすめた。

 あんな物に頼って立派な人間になれるのであれば、学校と言う仕組みはいらない。白狼と言う存在は、ある意味では秩序に対する挑戦者なのだ。白狼自身からしてみれば秩序の為に動いているつもりなのだろうが、暴威と一緒に振りかざされる秩序はファシズムに通ずる。それだけでも歓迎に値しない。


 修二は中高では鉄道研究会に所属していた、家には今でもその時の名残である四十年前の時刻表が眠っている。小学校時代の憧れの職業は電車の運転手だった。どうしてあそこまで正確にダイヤ通りに電車が動くのか、その仕組みに感動したのは小学生の頃であり、今でも日本の電車の正確な運航を誇りにしている。

 赤山修二は人間なんてちっぽけな物であるから手に手を取り合って生きて行かねばならないと三十年間口にし続け、そして現に思っている。にもかかわらず、正確なダイヤグラムを作り上げた人間の偉大さにずっと感動し続けている。それが人間と言う物ではある。

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