ピコット

葉原あきよ

第一章 編み始めは輪の作り目(1)

 牟礼隼人むれはやとは、六畳間に突如現れた女に気さくに声をかけた。

「やあ、みなみさん」

 特に興味を持って見ていたわけでもない深夜のバラエティ番組をすぐに消すと、冷蔵庫の唸る音だけが残った。

「久しぶりですね」

 女の体は半分透けていて、背後の本棚がうっすら見える。白いふんわりとしたワンピースの膝から下は、煙のようにもやもやしていて、形になっていない。そんなことは全く気にせずに、隼人は彼女に話しかけた。

「先日、サークルに新入生が入りましたよ」

 南は、生前と同じように微笑んだ。黒い長い髪がさらりと流れる。隼人は目を細めた。昔から彼女の笑顔が好きだった。

「あなたにそっくりで驚きましたよ。妹さんですよね?」

 彼女がうなずくと、背後の本棚から本がばさばさと落ちた。自然に落ちたのではなく、彼女が手を触れずに落としたのだろう。

「その本がどうかしたんですか?」

 言うならポルターガイストだったけれど、隼人は驚きもせずに質問した。彼女が口をきかないことはわかっていたから、返答は期待せず、立ち上がって落ちた本を拾う。都内のエリア情報誌や歴史のムックの間に、クリアファイルがあった。それに気づくと、雑誌類はそのままにしてファイルだけを拾い上げ、南に掲げて見せた。

「これ、南さんの忘れ物。……妹さんに渡せってことですか?」

 彼女は少し顎を引いて、唇の前に人差し指を立てる。

「南さんのことは秘密で?」

 隼人が聞くと、彼女は大きくうなずいてにっこりと微笑んだ。生前はいつも少し見下ろしていたけれど、今は彼女が宙に浮いているから、ほとんど目の高さが同じだ。

「南さん……」

 本棚に両手をついて彼女を囲い込む。血の気のない青紫色の唇に口付けようとすると、現れたときと同様に唐突にすうっと掻き消えてしまった。棚板に額をぶつけるようにあて、隼人は脱力する。

「相変わらず、つれない人だ」

 彼女に触れないことなどわかっているのに。

 隼人は喉の奥で自嘲した。

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