第43話 世の中、何があるか分かりません

 「慣れ」って言うのは、恐ろしいモノだ。普通に考えたら「異常な事」なのに、それが当り前になっている。土曜日、ラミアとデートした事も。ラミアとのデートは(朝飯の時に作って貰った味噌汁が超美味かった)……「楽しい」と言うよりも、(中学生が初めて好きな子とデートした時のような)気恥ずかしさがあった。


 手を繋ぐのはもう慣れたが、その唇にキスされるのは、やっぱり緊張する。気持ちが(屋上の時のように)冷静でなければ、「え、あっ」とドギマギし、そして、「う、ううん」と戸惑ってしまった。彼女の唇は、それ程に甘い。

 その唾液が口に入ると、まるで媚薬を飲まされたような感覚になってしまう。それこそ、頭の奥が蕩けるように。彼女のキスには、それ程までの力があった。俺の隣を歩くウリナも。

 

 彼女は優しげな顔で、俺の手を握り、その表情に「クスッ」と微笑んだ。


「楽しみですね、美術館」


「ああ。丁度、人気の展示会がやっているみてぇだし。俺も絵なら苦手じゃねぇからな」

 

 俺は彼女の趣味にホッとしつつ(これが読書だったら死んでいた)、彼女の手を握り返して、美術館までの道を歩きつづけた。

 美術館の前は、混んでいた。流石は人気絵師の展示会なだけはあって、俺達くらいの高校生はもちろん、俺達よりもずっと年上の老人達も並んでいる。それぞれの手に前売り券を、前売り券が無い者は、展示会のパンフレットを持って。

 

 俺はその様子に苦笑したが、ウリナの方は楽しそうに「フフフ」と笑っていた。


「流石は、人気絵師の角原かどはら列歩れっぽ。これだけの人を呼び込めるとは、流石です」


「う、うん、確かに。俺も、名前だけは知っていたからな。『江戸時代の中期に活躍した絵師だ』って。当時は、あんまり人気が無かったようだけど」


「時代が『彼』に追い着いていなかったんです。芸術には、良くある事ですよ。印象派で有名なモネだって、最初は」

 

 彼女は楽しげな顔で、印象派の歴史を話しはじめた。

 

 俺はその話を聞きつつ、改めて「モノフルにも色んな奴がいるんだな」と思った。

 

 彼女は、印象派の歴史を話し終えた。


「わたくし達も、それと同じです。最初はまったく売れなかったがオモチャが、何かをキッカケに……フフフ。世の中、何があるか分かりません」


「確かに、な。サイコロサイズのオモチャなんて、余程のマニアじゃなきゃ買わないだろうし」


 俺は人間の作る力、流行の凄さに生唾を呑んだ。


「俺は、その流行が良く分からないけど」


 興味があるとか以前に。俺には、流行を感じる力が備わっていないのだ。


 俺はその事実に苦笑しつつも、二人分のチケットを買って、彼女と一緒に角原列歩の展示会を観はじめた。角原列歩の展示会は、圧巻だった。今まで(学校の行事とかで)色んな展示会を見てきたけれど。

 ここの展示物は、そのどれもが敵わない。他の展示会が、霞んで見える程に凄かった。俺の隣で作品を観ているウリナも、声には出していないが、俺と同じように「う、ううっ」と唸っていた。


 ウリナは、その両目に涙を浮かべた。


「素晴らしい」


 俺はそう感じる、彼女の感性を「素晴らしい」と思った。


「ああ、本当に。俺も、すげぇと思うよ」


 俺達は揃って、人気絵師の世界に浸りつづけた。その世界が終わったのは、最後の絵を観てから数分後の事だった。現実の世界に引き戻される、俺とウリナ。


 俺達は互いの顔を見合い、そして、「来て良かった」と言い合った。


「夢のような時間でしたね?」


「うん! 俺も夢中で楽しんじゃったよ!」


 俺達は、互いの言葉に笑い合った。


「昼食まではまだ、時間がありますけど」


「そうだな。丁度、何か飲みたかったし」


 ここは、空気を読んで。


「何処か喫茶店にでも入ろうか?」


「はい!」と笑った顔が、眩しかった。「わたくしも、お茶が飲みたいですし」


 俺は彼女の手を握り、近くの喫茶店に行った。喫茶店の中は、それなりに人が入っていた。常連客と思われるおっさんから、俺達よりも若い子どもまで。店のカウンター席には、いかいにも無愛想なおばさんが座っていた。

 

 俺達は近くのテーブル席に座り、俺はアイスコーヒーを、ウリナは紅茶のダージリンを頼んだ。


「かしこまりました」と、テーブルの前から歩き出す店員。「少々、お待ち下さい」


 彼女は「ニコッ」と笑って、店の厨房にメモを置いた。


 俺は、正面のウリナに視線を戻した。


「雰囲気の良い店だな」


「はい。お茶をするなら、最高のお店です」


 俺達は注文の品が来るまで、さっき観てきた展示館の感想を言い合った。


 俺は、自分のアイスコーヒーを飲んだ。


「うぉ、美味い」


「わたくしの紅茶も、すごく美味しいです」


 俺達は「ニコッ」と笑って、昼飯までの時間を過ごしつづけた。

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