3

 憂鬱な覚醒を促したのは不快なアラームだった。

 いつもより重たい目覚めの理由を半開きまぶたと共に考えてみる。嫌々部活に行って、副会長にどやされて、桜山が帰って、それで—————

 そこまで来たとき、先にある嫌悪感を感じとり俺は思考を止めた。


 支度を済ませて家を出る。いつもと違い俺は学校までの道のりを車窓を通じて眺めていた。通勤ラッシュの満員電車の窓際に押し込められ、車窓から飛び出したい気持ちに襲われる。

 車内の熱気に苦しむこと20分、ホームに飛び出してノロノロと自分の教室へ向かった。

 目覚めた時の憂鬱に俺はまだ追われていた。


 *


 四限が終わり、昼休み。

 曇り空の下でかじるパンには味が無かった。いや、俺が味に関心を向ける余裕がないせいか。

 昨晩、桜山に昼休み会えるかどうかを打診しておいた。もしこれがダメだったらどうするのが正解だろうか。直接行くべきか?いや、出会って数日の男子が自分の心にズカズカと土足で踏み込んできたらきっと不快に思うだろうし—————


「おまたせ……」


 そこには罰が悪そうな感じではにかむように笑う桜山がいた。

 俺は安堵して一旦胸を撫で下ろしていたが、話はこれからだ。


「ごめんね、昨日急に帰ったりして」


「大丈夫だ」


「あの後みんな何か言ってたり……した?」


 瞬間、昨日の仙花とのやりとりが頭をよぎったが下手に口に出すとかえって不安材料になりかねない。


「いや、別に」


「よかった。みんなを怒らせちゃったんじゃないかって思ってて」


 桜山は気まずさを誤魔化す様に微かに笑って俺の隣に腰掛けると、再び語り出した。


「中学生の頃さ、生徒会入ってたんだよね」


「え」


 あまりの衝撃に声が出てしまった。

 硬直する俺を尻目に桜山は話を続ける。


「書記だったけどね。色々大変だったけど会長がフォローしてくれてさ、わざわざ誕生日プレゼントにお花くれたりもしたなあ」


 表面的に取り繕った笑顔を見て胸が締め付けられるのを我慢し、俺は続いていく話をじっと聞いていた。


「でもその人辞めちゃったんだよね」


 表情が変わった。


「私のミス。議事録無くしちゃって。それを庇って私の代わりに責任取ってくれて。私ちゃんと管理してたんだけどなあ……どうし……どうしてなく、なくなったのかなあ……」


 言葉に詰まり、頬には涙がつたった。

 それでも彼女は笑っていた。出会って数日の男に無防備な姿を見せまいとしての行いか、それとも過去を払拭したい思い現れなのか俺にはわからなかった。


「最低だよね私……自分の後始末もできないなんて」


「確かに中学生だったっていうのはあるよ?でもそんなの言い訳にならないのは分かってる」


 やめろ。それ以上は。


「こんな情けなくてみっともない子、誰も」


「会長はそんな姿を見たくて庇ったんじゃない」


 限界だった。

 俺の被せる様な言い方に桜山はキョトンとしてこちらを見た。


「会長は桜山を信頼してた。だから次の人に、桜山に、繋げるため自分を犠牲にしてまで庇ったんじゃないのか?」


「どうして……そんなことわかんないじゃん!」


「これ」


 俺はスマホの画面を見せた。

 会長が桜山に渡した誕生日プレゼントの金蓮花キンレンカ。その花言葉は———


「困難に、打ち勝つ……?」


「常日頃から会長は桜山を応援してたんだよ。一心にな」


 僅かな思案。それを経て桜山はせきを切ったように泣き出した。嘘偽りのない真っ白な大声で泣いた。

 二人以外誰もいない校庭の隅で。大粒の涙を流して。


 *


 事が落ち着いてどれくらい経ったか。

 未だ空は曇り。体感的に20分はとうに過ぎていた。

 触れ難い雰囲気をまとい顔を伏せている彼女の隣で俺は何をするわけでも無くただ座っていた。


 その時、チャイムが鳴った。「教室へ戻れ」と世界が急かす。


「……行かないの?」


 隣の気配が消えないのを不思議に思ったのだろう、桜山が腕の間から目を覗かせて言った。


「行かない。気が済むまで居る」


「……ふふ、なにそれ」


「散々人にさらけ出させといて今更退けないだろ?」


 俺は可能な限り世界の意思に逆らってやるつもりでいた。この時ばかりは自分の醜い本能に従順でいようと長く響くチャイムの音を終業の合図のように聞き流してやった。

 バタバタと急いで教室に戻る他の生徒の足音の中に朝から同居していた憂鬱が少しだけ溶けていく様な気さえした。


「なあ」


「ん」


「無理はするなよ」


「うん。でも行くよ私」


 俺はただ校庭の表面をじっと見つめていた。隣から流れる桜山の声色は先程より明るいものになっているようだった。


「そりゃよかった」


「んふふ」


 こちらを向く桜山。その喜びと恥ずかしさを同居させたような何気ない微笑が俺の目に飛び込んできて、瞬間に授業のチョーク、自動車の排気、音という音をかき消した。


「士、顔赤いよ?」


 そう言われて自身の過ちに気づく。

 俺は思いがけず釘付けになってしまっていた。


「え、い、いやあ何か暑くて」


 咄嗟に顔を逸らす。全身から汗が吹き出してきて思考がまとまらない。


「ね、熱とかじゃない!?大丈夫!?」


「大丈夫、大丈夫だ」


 なんだかまた気まずくなってきている気がしたが、いつの間にか雲間から差した陽光を見てどうでも良くなった。
























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