第162話「元魔王、王女の墓参りに付き合う」
「どうされたのですか? アイリス殿下」
次の日。
朝食の席で、ジェイス
「目元が赤くなっておられるようですが……なにかあったのでしょうか?」
「気になさらないでください」
「……はぁ」
「ただ、昔のことを思い出しただけですから」
フォークとナイフを置いて、アイリスは
「遠い昔のことを思い出して……少し悲しくなっただけです」
昨夜、墓参りを終えたあと、俺はアイリスにミーアのことを話した。
──ミーアの墓のこと。
──彼女が残した言葉のこと。
──『ラピリスの石』のこと。
それらを伝えたあと、
アイリスは『ラピリスの石』を抱きしめて、泣いた。
アイリスは、あの石のことを覚えていた。
あれはレミリアの宝物で、記念日には必ず身につけていたそうだ。
それが200年の時を超えて、俺たちの前にある。
ミーアが死んでいるという事実と共に。
不老不死の俺でも、村人──家族が死ぬのはきつかった。
アイリスにとっては
だから俺は、アイリスが落ち着くまで側にいた。
泣きつかれた彼女が眠るまで、ずっと。
アイリスの目が赤くて
俺が氷の魔術で冷やして、薬草を染みこませた布をまぶたに当てたのだけど、完全には治らなかったらしい。
でも、アイリスは気品に満ちた表情で、
「墓参りの前だからでしょう。昨夜、レイチェルお祖母さまの夢を見たのです。それで少し泣いてしまいました」
「そうだったのですか」
「朝食を済ませたら、墓地に参ります」
アイリスは、打ち合わせ通りの言葉を口にした。
今日はアイリスの祖母の墓参りをして、それから、ミーアの墓に向かう予定だ。
「そうすれば、気持ちも落ち着くと思いますので」
「
ジェイス侯爵は一礼した。
「では、護衛を手配いたしましょう」
「護衛を?」
「侯爵家の
「ありがたいお話ではありますが……必要ありませんよ」
アイリスは首を横に振った。
「私には
「殿下が部下を信頼されているのはわかります。ですが──」
ジェイス侯爵は言葉を
アイリスの後ろに立つ俺を見て、言いにくそうな表情で、
「万が一、
ジェイス侯爵はテーブルに額がつくほど、頭を下げた。
アイリスが困ったような表情になる。
アイリスは王女として来ている。
王家の者が、侯爵家の
墓参りには俺とアイリス、ジゼルとマーサだけで行くつもりだった。
ミーアの墓は墓地のはずれにある。
そこで王女が泣いていたら、どうしても人の注目を集めてしまう。
だから、事情を知っている者だけで行くべき、そう思っていたのだが──
「──王女殿下」
俺はアイリスの耳元にささやいた。
「侯爵さまのご
「ユウキさま?」
「護衛が多い方が安心です。墓地まで道のりも、素早く安全に移動することができるでしょう。その分、空いた時間を休息に使うことができます。王女殿下は
「────あ」
アイリスが目を見開く。
俺の言いたいことがわかったようだ。
──ジェイス侯爵の護衛は断れない。だから、その分素早く移動しよう。
──空いた時間は昼寝に使う。
──ミーアの墓参りは、夜に行こう。
俺が伝えたのは、そういうことだ。
「承知いたしました。侯爵さま」
アイリスはおだやかな笑みを浮かべて、答えた。
「墓参りには、侯爵家の護衛に同行していただきます」
「おお。ありがとうございます。殿下!」
ジェイス侯爵は目を輝かせた。
「ご提案を受け入れてくださったことに感謝します。それから……護衛騎士の方」
「はい。侯爵さま」
「護衛騎士どのは歴史の浅い家の出身とうかがっておりますが……貴族としての立ち振る舞いがおわかりのようだ。さすがは『魔術ギルド』に所属されるだけのことはありますな」
「ありがとうございます」
俺は貴族としての礼を返した。
「王女殿下のおかげをもちまして、『魔術ギルド』への所属を許されております」
「……うらやましいことですな」
ジェイス侯爵は苦笑いした。
それから、アイリスに視線を戻して、
「『魔術ギルド』に所属することは、貴族にとって力を示す意味もありますからな。当家には『魔術ギルド』に入れるほどの才能の持ち主がいないもので……ずっとそれを気に病んでいたのですよ」
ふぅ、と、侯爵はため息をついた。
アイリスの祖母──レイチェルは、先々代のジェイス
侯爵は正室の子孫だから、レイチェルと
そのせいか、ジェイス侯爵家の関係者で、魔術の才能を持つ者はアイリスだけ。
ジェイス侯爵家の者が『魔術ギルド』に所属したことはないそうだ。
「ですが、この先はわかりませんぞ。我が息子には『魔術ギルド』の高位の方のご家族との縁談があるのですからな」
侯爵は得意げに胸を反らした。
「将来は当家にも、魔術師の才能を持つ子が生まれることでしょう。そうなったらぜひ、殿下から『魔術ギルド』のことを教えていただきたいものです」
「ええ。その際は、よろこんで」
アイリスは王女の表情でうなずく。
「それにしても……存じ上げませんでした。ご
「本決まりになるまでは
「相手の方のお名前をお聞かせくださいますか?」
「ケイト=ダーダラさまです。B級魔術師テトラン=ダーダラさまのご
……テトラン=ダーダラ。
聞き覚えのある名前だ。
確か、
イーゼッタ=メメントも、当初はダーダラ
その人の身内が、アイリスの親戚と結婚するのか……。
以前、オデットが少しだけ、ダーダラ
ダーダラ男爵家は辺境──ガイウル帝国との国境の側にあるそうだ。
歴史ある家で、王家からも信頼されている。
その関係で、『魔術ギルド』の事務関係を任されているらしい。
侯爵がアイリスの護衛にこだわるのは、縁談があるからだろうか?
王女が侯爵領で怪我をしたり、魔物に襲われたりしたら、縁談が潰れかねないから、それを恐れているのか?
……本当に、それだけなんだろうか。
そんなことを考えながら、俺は侯爵の話を聞いていたのだった。
「──お
アイリスは祖母──レイチェル=アローラの墓の前で、一礼した。
俺は少し離れたところで、それを見ていた。
侯爵家の護衛を、アイリスから引き離すためだ。
侯爵家の兵士といえど、王女と護衛騎士の間に入るわけにはいかない。
俺がアイリスから距離を置けば、他の護衛はさらに離れることになる。アイリスの声が、聞こえないくらい遠くに。
そうすればアイリスは、心置きなく墓参りができるんだ。
俺の隣にはマーサと、ジゼルがいる。
ふたりは昨夜、アイリスが泣いているのを見ている。
だから、ふたりは言葉を発することなく、アイリスを見守ってる。
もう少し墓地が静かなら、言うことはないんだが。
でも、仕方ないか。ジェイス侯爵の護衛が……大量についてきてるからな。
侯爵が寄越した護衛の数は50人。騎兵が10人に、歩兵が30人弱。
これにメイドや女性兵士も加わってる。
彼らの動く音、馬の足音、鎧の触れ合う音で、墓地は夕べよりも
王都から連れてきた兵士たちは、侯爵家の兵士たちの前で一列縦隊。
彼らがアイリスの墓参りを邪魔しないように、壁になってくれている。
アイリスがレイチェルの墓の前で、なにかをつぶやいている。
内容はわからない。というか、そういうことは聞かないようにしてる。
俺が前世で『
本人があとで俺に話したければ付き合うし、話したくなければ、聞かない。
そんなふうにしていたんだ。
まぁ……村の連中は墓参りの後、酒を手に俺がいる古城を訪ねてきてたんだが。
墓参りの夜は、遅くまで思い出話に付き合わされるのが常だったからな。
よく聞かれたのは『自分と死んだ家族のどこが似ているか』という話だった。
家族は顔つきや性格だけじゃなくて、動きなども似てくるものだ。
そして、墓の下にいる者のことを、一番よく知っているのは俺だ。その子が親になる前から、古城で面倒を見てきたんだから。ぶっちゃけ、赤ん坊のころの泣き顔まで覚えてる。
だからみんな故人を
『マイロードに、お前と親父は耳のかたちが似ている、とか言われるのが楽しみのひとつなんでさぁ!』なんて、酒を飲みながら言ってたやつもいたっけ。
そんなことを眠くなるまで、語り合う。
『フィーラ村』では、そういう夜を過ごすこともあったんだ。
「……お待たせしました」
やがて、アイリスが顔を上げた。
王女の表情でこちらを見て……少しだけ、目を伏せた。なにか企んでいる表情だ。
あー、これは思い出話に付き合わされるパターンだな。
「マーサとジゼルは、今日は昼寝しておいた方がいいな」
俺は小声で、ふたりに告げた。
「マーサは、夜遅くにお茶を
「は、はい」
「わかりました。そのようにいたします」
ふたりがうなずくのを確認してから、俺はアイリスに手を差し出した。
護衛騎士っぽく手を引いて、アイリスを
俺たちが本格的に動き出すのは、夜になってからだ。
それまでは
夜になったら
アイリスが満足するまで墓参りをして、帰ったあとは、眠くなるまで話をしよう。
それを済ませたら王都に帰って、今後の計画を立てる。
俺はライルとレミリアの手がかりを見つけるために、国境地帯に向かう。
アイリスは何度も外出できないから、俺ひとりで行くことになるだろう。だから──
ざざっ。
そんな俺たちの前で、不意に、ジェイス侯爵領の兵士たちが動いた。
彼らは左右に分かれて、誰かのために道をあける。
割れた人垣の向こうに、馬を引いた人物がいた。若い男性だ。
馬の
だとすると、あれはジェイス侯爵の子どもだろうか。
男性の側には女性と、護衛の兵士がいる。
女性の方が誰なのかはわからない……いや、そうでもないか。朝食の席で侯爵は、子どもの縁談の話をしていた。ダーダラ男爵家との縁談が決まった、と。
となると──
「お久しゅうございます。アイリス殿下。ジェイス侯爵家の
「私はクライドさまの婚約者で……ケイト=ダーダラと申します」
ふたりはアイリスに向かって、深々と頭を下げた。
男性の方はジェイス侯爵の嫡子。女性の方は、ダーダラ男爵家の人間か。
なるほど……侯爵が護衛をつけることにこだわったのは、ふたりをアイリスと会わせるためだったのか。
護衛が大量に並んでいれば目立つ。
遠くからでも、アイリスの居場所を特定できる。
それを目印にして、ふたりはここに来たのだろう。
「お久しぶりですね。クライドさま。そして、お目にかかるのははじめてですね。ケイトさま」
アイリスの方は動じていない。
さすがは王女だ。こういう状況にも慣れているらしい。
「お目にかかれてうれしいです。お父上のテトランさまには『魔術ギルド』でお世話になっております。それに──」
アイリスの言葉を聞きながら、俺は周囲に視線を走らせる。
今のところ、異常はない。
王都から連れてきた護衛もいる。近くの樹木にはコウモリ軍団も隠れてる。
この状況でアイリスに手を出す奴はいないだろう。
クライド=ジェイスの護衛は数人。
ケイト=ダーダラには十数人の護衛がついている。そっちは全員、女性だ。
全員、地面に
なぜかケイト=ダーダラの護衛から、目を離せない。
護衛のひとり……
いや、違うか。
正確には、知っている人間に似ているんだ。
ケイト=ダーダラの一番近くにいる護衛が、俺の知っている人物の
家族や親族には、どこか似通った部分がある。
それを俺は150年の間、『フィーラ村』で見てきた。
親から子、子から孫へと引き継がれる
表向きは他人だけど、特徴が似ていると思ったら実は兄弟だった……という例も、たまにはあったからな。
だから、見ているとわかる。
ケイト=ダーダラのすぐ横にいる護衛の少女は、ある人物と雰囲気が似ている。
その人物はリースティア王国の人間じゃない。
むしろ敵だ。
彼女は強力な古代器物を
彼女の顔を知っているのは、ごく少数だ。
その場に居合わせた兵士たち。
彼女が捕らえられたあとで顔を合わせた、王家の者たちや王国の高官。『魔術ギルド』の賢者たち。
そして『
その人物の名前は、ナイラーラ=ガイウル。
現在、王都の塔に
ケイト=ダーダラの護衛の少女は、あの皇女に目と
髪の色と瞳の色は違う。身体つきも、ナイラーラ皇女よりは細い。
それでも……なんとなくあの皇女と似ているような気がするんだ。
だけど、おかしい。
彼女が本当に帝国皇女の血縁者だとしたら、どうして、ケイト=ダーダラの護衛をしているんだ?
彼女の動きに
彼女はただ、ケイト=ダーダラの側に控えているだけだ。
もちろん……他人のそら似という可能性も捨てきれない。
似ている人間はいるものだからな。
転生するまでの200年の間に、俺の人相判定がさび付いてることもあるだろう。
だが──
「…………ニール。いるか?」
俺は上着の中に隠しておいた、コウモリのニールに声をかけた。
『いるですー』
「あとでたくさん『
『飛べるですー』
「わかった。あとで書状を書く。それをオデットに届けてくれ」
オデットにもう少し、ダーダラ男爵家のことを調べてもらおう。
俺の
念のため、注意だけはしておこう。
俺の目的は、アイリスにミーアの墓参りをさせることだからな。
帝国関係のことは王家と『魔術ギルド』に任せよう。
アイリスを守る位置に
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