第145話「元魔王、第5階層の探索をする」
俺たちが先に見つけたのは、『魔物巨大化システム』の方だった。
場所は、塔の中層にある広い部屋だ。
その部屋の中央には、巨大なガラス製の柱があった。
柱の中には、オレンジ色の粉がこびりついている。
柱の下からは、いくつもの管が伸びている。管は壁や床を伝い、小さな容器に繋がっている。
「見た感じ、薬草から薬効成分を抽出する装置に近いな」
「そうなんですの?」
「ああ。高位の魔術師や薬師が使っているやつにそっくりだ」
「言われてみれば……そうですわね。規模が大きいだけで」
「だよな」
もちろん、『魔物巨大化ポーション』の材料が、薬草だったはずがない。
特殊な薬品か、俺たちには見当も付かないものを材料にしていたのかもしれない。
今の段階では不明だ。
素材らしきものが、なにも残っていないからだ。
「軽く少し調べてみる。『
俺は『
けれど──弾かれた。
魔術の中枢部分に、侵入を防ぐための防壁が
かなり強固な防壁だ。それが大量に存在している。
さすが、『古代魔術文明』の本拠地だ。
魔術的な侵入の対策もしてるってことか。
ただ、魔術構造の浅い部分には侵入できた。
それで、このシステムが完全に止まっていることは確認できたし、その理由がわかった。
このシステムは、動かすための部品──鍵のようなものが抜き取られている。
鍵のありかはわからない。
いや……もしかしたら、ガイウル帝国の皇女ナイラーラが持っている可能性があるな。
あいつは『エリュシオン』に侵入して、このシステムを利用しようとしていた。
鍵を持っているか……あるいは、その
「『魔物巨大化ポーション』は……ひとつだけ残っているようですわね」
オデットは管の先にある、ガラス製の容器を見ていた。
容器の中には、オレンジ色の液体が入っている。
外側には汚れがついているけれど、ポーションそのものはきれいなままだ。
「このシステムについて、もっと詳しいことがわかればいいんだけどな」
封印するか。あるいは、破壊するか。
平和利用できるなら、このまま残しておいてもいいんだけど。
「『フィーラ』。この『魔物巨大化システム』についての資料って、どこかに残ってないか?」
『塔の下層に、資料を収めた隠し部屋がある……と、聞いたことがあるです』
「わかった。あとで場所を教えてくれ」
本当は、『魔術ギルド』の人たちが来る前に調べたいんだけどな。
でも、俺はその前に、アイリスに『フィーラ』を会わせてやりたい。
『フィーラ』は、アリスの妹のミーアのことをよく知ってる。
転生したアリスに、詳しい話を聞かせてやりたいんだ。
アリスが転生したあとで、ライルたち家族がどうなったのか。アイリスも知りたいはずだ。
あいつは無茶して、この時代に転生してきたんだから。
この第5階層にあるものは『魔術ギルド』に渡しても構わない。
『魔術ギルド』にも色々問題はあるけれど……『聖域教会』よりは、はるかにましだ。
少なくとも『聖域教会』のように、世界を相手に戦争を起こしたりはしないと思う。
ただ、『フィーラ』だけは、俺が『収納魔術』で隠し持っていくことにする。
どうせ俺の『魔力血』がないと動かせないものだからな。
こっそり占有したって文句はないだろ。
「このポーションはこのままにしておこう」
俺は言った。
「こいつは魔物を巨大化させる。つまり、魔物の肉と骨を変化させるわけだ。その成分を研究して、応用すれば、医療の役に立つかもしれない」
「確かに……その可能性はありますわね」
オデットは
「現在の魔術では、失った手足などは再生できません。でも、このポーションは、魔物の肉体を大きく変化させるものです。肉や骨を増殖させることができるなら……失った手足や器官の再生も可能になるかもしませんわね」
「そうだな」
「そうすれば、人間は今より長生きできることになります。となると、不老不死のユウキも、さみしくなくなりますわね?」
「……それは別にどうでもいいんだけど」
「ふふっ。では、そういうことにしておきますわ」
オデットは肩をすくめてみせた。
そんな話をしながら、俺たちはゴーレム『フィーラ』の案内で次の場所に向かった。
次の目的地は階段を登った先にある制御室だ。
そこで『魔力ぐらいの障壁』を解除すれば、俺たちの役目は終りなんだが──
「ちょっと待った。『フィーラ』」
『はい。上位者さま』
「あそこにある、
俺は階段の途中で見つけた部屋を指さした。
扉は、開いたままだった。
中は真っ暗で、床には石の棺が並んでいる。
部屋の中は、真っ暗に焼け焦げてる。脱出前に誰かが、火炎魔術を使っていったらしい。
……
『フィーラにはこの部屋に入る権限がなかったです。なので、ここのことは、
「それでいい。言ってみてくれ」
『────理解したです』
ゴーレムの『フィーラ』は数秒間、動きを止めてから、
『ここは「完璧な人間」になるための実験施設だったと聞いているです』
「『完璧な人間』……なんだそれ?」
『わからないです。フィーラには──の──記憶は──ない──だから』
「わかった。無理しなくていい」
ゴーレムの『フィーラ』にそう言って、俺は部屋に入った。
棺を見ると……
『第9司祭 エムラフェル』
『第7司祭 ログルエル』
『第3司祭 ヴァリューガ』
『第1司祭 ニヴァールト』
これは──
「今まで現れた、ゴースト司祭の名前か。知らない奴の名前もあるけど」
「『完璧な人間』って……一体なんですの?」
「わからない。でも、ここが実験施設で、棺に名前がある者が、その被験者だとしたら……」
「まさか……
「……いや、違うと思う」
俺は首を横に振った。
「死霊を『完璧な人間』と呼ぶのは無理がある。ここに名前がある司祭が死霊になったのは、実験が失敗したからじゃないか? たぶん、その成功例が、不死の第一司祭なのかもしれない」
「『聖域教会』は、ここで人体実験をしていたということですの?」
「司祭連中にとっては、実験台になるのが名誉だったのかもな」
「悪趣味なのは間違いないですわ」
「まったくだ。これ見よがしに、第一司祭の棺もあるってのも嫌だよな」
帝国の皇女によると、『聖域教会』の第一司祭はまだ、生きている。
ライルからの情報によると、奴は『古代器物』で不死になったらしい。
俺としては『持っているだけで不老不死になる古代器物』を使っているのだと思ってたけど……この様子を見ると、あいつは変な実験と『古代器物』を組み合わせて、不老不死になったのかもしれない。失敗したら死霊になるような、やばい実験で。
正直、そんなものには関わりたくないんだが……。
「オデット、ちょっと部屋を出ていてくれるか?」
「第一司祭の棺を開くんですの?」
「ああ」
「気にしないでください。わたくしも魔術師ですわ。棺の中身くらい……見てもなんとも思いませんわ」
「……まぁ、空っぽだと思うけどな」
俺は『
筋力を上げた状態で、第一司祭の名前が書かれた棺の
ぎぃ、と、音を立てて、蓋がずれた。
棺の中は──
「……予想通りだ。なにも入っていない」
俺は言った。
オデットは、安心したようなため息をついた。
ここに、第一司祭の遺体はない。
やっぱり、奴はまだ、生きているんだろうか。
他の司祭の棺の中は……いや、見たくないな。
そっちは『魔術ギルド』の調査に任せよう。
「『完璧な人間』ってのが不老不死を意味するなら……1階にあった血塗れのローブは、不死になった証拠として残したのかもしれないな。刺されても斬られても死にませんでした、って」
「やっぱり『聖域教会』は悪趣味ですわ」
「同感だ。で……そろそろ時間を気にした方がいいかな」
「そうですわね」
俺たちだけで、この階層の調査を終わらせるのは無理だ。
時間をかけすぎると、デメテル先生や老ザメルが心配するというのもあるけれど……他の魔術師たちに、俺たちが貴重な『古代器物』『古代魔術』を、こっそり手に入れたと
『魔術ギルド』だって一枚岩じゃないからな。そういう疑いを持つ者もいそうだ。
俺たちはすでに、ゴーレムの『フィーラ』を入手してる。
これ以上、疑いをかけられるようなことはしない方がいい。
俺はともかく、オデットはこれからも貴族社会で生きていくんだから。
「寄り道して悪かったな、『フィーラ』。『魔力ぐらいの障壁』の制御室へ案内してくれ」
『わかりましたです』
制御室はすぐ近くにあった。
部屋に入ると──透明な結晶体が、柱に埋め込まれているのが見えた。しかも、光を放っている。
この施設はまだ、生きているらしい。
「念のため──『
俺はスキルを起動した。
結晶体に『魔力血』を注いで、『魔力ぐらいの障壁』を動かしているシステムを『侵食』する。
だが──
「……やっぱり、無理か」
「『魔物巨大化システム』と同じですの?」
「あれより強力な防壁がある。『古代魔術文明』の重要施設だからな。当時の魔術師にも侵入できないような、強力な防御がほどこされているんだ」
「信じられませんわ。ユウキでも……分析できないなんて」
「魔術構造の深いところに入るのは無理だ。表層部分なら、なんとかなりそうだけど」
俺は魔術の浅いところを読み取っていく。
ここにあるのは、第5階層の防衛機能をコントロールするための結晶体だ。
予想通り、『魔力ぐらいの障壁』を操作できるようになっている。
すぐに発生・解除することもできるし、十数分後に発生・解除するようにもできる。
たぶんライルたちは、自分たちが脱出してから障壁が発生するように、セットしたんだろう。
たいしたもんだ。
ある意味、あいつは世界を救ってるんだよなぁ。
あのまま『聖域教会』が暴走を続けていたら、『古代魔術』と『古代器物』を駆使した、最悪の戦争が起きていたかもしれないんだから。
「障壁は解除できそうですの?」
「難しいな。パスワードが設定されてる」
「パスワード?」
「制御室のシステムを動かすための合い言葉だ。『古代魔術文明』は、そういうものを使ってたらしい。特定の言葉を伝えないと、障壁の発動や解除ができないようになってるんだ」
おそらく、パスワードを設定した管理者がいて、そいつがこの例の障壁も管理していたんだろう。
誰でも障壁を発動・解除できたら大変なことになるからな。
「つまり『裏切りの賢者』ライル=カーマインさんは、『聖域教会』から障壁を操るパスワードを入手して、さらにそれを書き換えた、ということですの?」
「ああ。それで『聖域教会』が障壁を解除できないようにして、奴らを閉じ込めるつもりだったんだろうな」
「でも、『聖域教会』は、ここから逃げ延びた……」
「というか、放棄するしかなかったんだろうな。そこまで奴らを追い詰めたんだから、たいしたもんだよ。ライルは」
もしも、ライルが管理用のパスワードを書き換えていたなら……その内容は、なんとなく予想がつく。
……『ディーン=ノスフェラトゥ』か。
……それとも『ロード=オブ=ノスフェラトゥ』か。
いや、違うな。
その言葉は『聖域教会』の連中も知っている。
奴らが思いつきそうな言葉を設定するわけがない。
でも、俺なら、ライルの考えそうなパスワードがわかる。
俺はあいつが生まれたときから、面倒を見てきたんだから。
ライルは妻のレミリアと娘のアリスを
あの夫婦の望みは、アリスが俺の嫁になることだ。ずっと前から、そう言い続けてた。
アイリス──アリスからの伝言にもあった。
『責任もって、うちの娘を引き取れ』
『どうせこいつはお前以外のところには嫁にはいかねーんだから!』
──って。
となると、ライルが設定しそうなパスワードは──
「アリス=ノスフェラトゥ……か?」
ふぉんっ。
結晶体が点滅をはじめた。
正解だったらしい。
魔術構造の防壁が、弱くなっている。
俺を管理者として認めたようだ。
「とりあえず、調査はここまでだな」
「そうですわね」
「『フィーラ』はあとでこの第5階層にある隠し通路と隠し扉の場所を教えてくれ。
『承知いたしましたです。上位者さま』
「ちなみにだけど、資料室の他には、どんな隠し部屋があるんだ?」
『フィーラも、すべてを知っているわけではないですが……司祭や勇者しか入れない場所……「
「……『王騎』か」
ほとんどの『王騎』は『聖域教会』の手の中にある。
それ以外は、俺が所有している『黒王騎』。
王国が所有しているのは『霊王騎』『獣王騎』の2体。
それと『聖王騎』の残骸だけだ。
『王騎』は最強の『古代器物』だ。その情報を知っておくに越したことはない。
というか、他に何体の『王騎』があるんだろうな。
それと『フィーラ』の言葉の中にあった、『禁断の王騎』も気になる。
……後でちゃんと、調べておこう。
「ふふっ。ユウキってば、結局、内緒でここを調査するつもりですのね」
「そりゃ調べるだろ。魔術師としても興味深い場所なんだから」
それに、ライルたちが『古代器物』をどうやって封印したのかも、まだわかっていない。
その方法がわかれば……もしかしたら、第一司祭の持つ『不死』を無効化できるかもしれない。
調べるべきことは、まだ多いんだ。
「それでは、障壁を解除する」
俺は結晶体に魔力を注いだ。
解除までの時間は……約15分。
即時にすると『魔術ギルド』の人たちがなだれ込んでくるかもしれないからだ。
この第5階層は、『魔術ギルド』に調査してもらうことにする。
ただし、障壁の管理権限は、俺が所持する。
ここは『フィーラ村』の村長、ライルが封印した場所だからな。
その役目は、俺が引き継ごう。『魔術ギルド』が取り扱いに失敗したときは、いつでもこの場所を封印できるように。
……まぁ、それほどの大問題は起こらないと思うけど。
カイン王子も老ザメルも、それなりに信用できる人だから。
なにより、重要なものはすべて『聖域教会』が持ち去ってしまったからな。
ここにあるのは、残り物だけだ。
「それじゃ行こうか、オデット」
「ユウキ」
「どうした?」
「忘れないうちに言っておきますわ。ここまで連れてきてくれて、ありがとうございました」
突然だった。
オデットはスカートの
「わたくしは、普通の魔術師では知り得ないことを知ることができました。あなたの友として、仲間として、感謝とともに、この情報を悪用しないことを誓いますわ」
「オデットが悪用するとは思ってないけど?」
「それでもです。これは、けじめなのですから」
「……そっか」
本当にいい奴だよな。オデットって。
貴族なのに、少しも偉ぶったところがないし。
いつも俺とアイリスの味方になってくれる。
だから──
「ありがとう。俺はこの時代に転生して……オデットに出会えてよかったよ」
「い、いきなり、なにを言いますの!?」
「いや、オデットにはいつも助けられてるし、そもそも、オデットがいなければ、俺はここに来ることもできなかっただろ? 俺はオデットに感謝してるんだよ。オデットが『魔術ギルド』のトップに立ってくれればいいと思うくらい」
「無茶を言うものではありません! わたくしがギルドの上位に立つとしたら、それは、あなたの力を借りてのことです。そんなの、かっこ悪すぎます!」
「そういうオデットだから、信頼してるんだ」
「……もう」
オデットは照れた顔で、横を向いた。
「わたくしが『フィーラ村』に生まれていたら、あなたの弟子になっていたかもしれませんわね」
「オデットなら、いい弟子になりそうだな」
「ふふっ。そういう想像も、面白いですわね」
そんなことを話しながら、俺たちは第4階層への通路に向かう。
ゴーレムの『フィーラ』は、すでに『収納魔術』でしまってある。
報告する内容も決めた。
──俺たちは第5階層に入ってすぐに、一番大きな建物に向かった。
──建物の中を調べていたら、光る結晶体を見つけた。
──魔力を注いだら反応があった。報告するために通路に戻ったら、障壁が消えた。
そういう言い訳をする予定だ。
疑われることは、ないと思う。
というか、疑う理由そのものがない。
今現在、生きている人間で、第5階層に入ったのは俺たちが初めてなんだから。
やがて、『魔力ぐらいの障壁』が見えてくる。
その向こうは見えない。けれど、人の話す声が、かすかに聞こえる。
俺たちは障壁の前で、しばらく待つことにした。
障壁が徐々に変化していく。
色が薄れていき、やがて、点滅をはじめる。
障壁の向こうが見えてくる。
カイン王子にデメテル先生、老ザメルも、フローラもいる。
みんな心配そうな顔してる。
そうして、障壁が完全消滅する。
通路は完全に解放されて、その向こうにいる人たちの姿が、はっきりと見えた。
俺とオデットは一歩、前に出て──
「障壁の解除に成功しました」
「残念ながら『第5階層』の秘密は、まだわかってはいませんわ」
「一番大きな建物を探していたら、それっぽいものがあったので」
「手当たり次第に、調べてみたのですわ」
「正直なところ、諦めて帰ろうとも思っていたんですけど」
「なんとかなるものですわね」
「まさか、こんなに簡単に障壁が消えるとは思ってませんでした」
「とにかく、任務完了を報告いたしますわ」
──それから、皆に向かって、頭を下げた。
『魔術ギルド』の人々は、しばらく無言だった。
カイン王子も老ザメルも、じっと俺たちを見ていた。
そして──
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」
──通路が震えるくらいの歓声が上がった。
こうして、『エリュシオン』の障壁突破作戦は無事に完了し──
俺はアイリスの元に、ゴーレム『フィーラ』を届けに行くことにしたのだった。
──その頃、グロッサリア伯爵家では──
「これも、ユウキ
少し前から、ゼロスは父の仕事を手伝うようになった。
父には「後継者としての自覚を持つため」と言ったが、本当はユウキのためだ。
伯爵家でユウキの正体を知るのはゼロスだけだ。
だから兄として、彼をサポートしようと思った。
ゼロスが伯爵家に届いた、ユウキ宛の書状を処理するのはその一環なのだけれど──
「書状をぜんぶ僕の方に回すのはどうかと思うんだけどね……」
ユウキは『魔術ギルド』で、めざましい活躍を見せている。
そんな彼に興味を持つ貴族は多い。
パーティへの招待、会談の希望、さらには
それが伯爵家に届いているのは、ユウキが魔術ギルドに『自分は
だからユウキ宛の書状は『魔術ギルド』経由で、伯爵家に送られてくるのだった。
「仕方ないか。僕は、ユウキの兄なんだから」
家庭教師カッヘルがいた頃のことを、ゼロスは忘れていない。
操られていたとはいえ、ゼロスはユウキにひどいことをしてしまった。
ユウキは気にしていないようだが、ゼロスにとっては後悔しかない。
「その分、今、兄らしいことができているなら……いいんだけどね」
ユウキ宛に来た貴族からの誘いは、すべて断ることになっている。
ユウキは貴族との付き合いに興味はないし、縁談にも心を動かすことはない。
彼は、転生した不死の魔術師で、貴族社会とは別の価値観で動いているからだ。
ゼロスはユウキの前世について、詳しくは知らない。
でも、ユウキは家族を本当に大切にしている。きっと前世でも、優しい人だったのだろう。
それだけで、ゼロスには十分だった。
「『弟のユウキはアイリス殿下の「護衛騎士」です。今は、王女殿下をお守りする任務に専念させたいと考えております』……これでいいかな」
ユウキがアイリス王女の『護衛騎士』になっているからこそ、この口実が使える。
そうでなければ、断りの書状を出すのは、もっと大変だっただろう。
成り上がりのグロッサリア伯爵家が貴族の誘いを断るには、気を遣わなければいけないのだ。
「アイリス殿下に感謝するんだよ、ユウキ。さてと、次の手紙も縁談かな……?」
ゼロスは別の書状を手に取った。
裏返して、その差出人を見て──思わず、息をのむ。
「これは!? いや、でも……これは……断れるのか?」
ゼロスは震える手で封を開く。
書状の内容は……やはり、縁談だった。
『当家の娘を、ユウキ=グロッサリアどのと
これは、娘の意志にも叶うことだと信じている』
──そんな文章だった。
ゼロスは書状を手に立ち上がる。
これは、自分ひとりでは決められない。父に相談しなければ。
一番重要なのはユウキの意志だ。
彼は、このことを知っているのだろうか……?
「父さま。大変です。父さま──!」
ゼロスは部屋を飛び出した。
父ゲオルグは庭にいた。ルーミアに魔術を教えているところだ。
ちょうどいい。ルーミアの意見も──と考えて、ゼロスは自分が混乱していることに気づいた。
ルーミアはユウキのことが大好きだ。
ユウキの縁談の話をするなら、彼女はいない方がいい。けれど、もう遅い。
ここで立ち去ったら、ルーミアは疑問に思うだろう。
「どうしたのだゼロスよ。そんなに慌てて」
「もしかして、ユウキ兄さまになにかあったのですか?」
やっぱりルーミアは勘がいい。
でも、これは、気づかないで欲しかった。
ゼロスは困ったような表情で、書状をゲオルグに手渡す。
「『魔術ギルド』から届きました。ユウキ宛の縁談です」
「縁談? いつものように断ればよいのではないか?」
「断るのが難しい相手なんです。ユウキがアイリス殿下の『護衛騎士』であることを口実にしたとしても」
「ふむ……書状の送り主は……!?」
表書きを見たゲオルグが目を見開く。
その表情を見ながら、ゼロスは、
「そうです。送り主は
「歴史ある公爵家が、我がグロッサリア伯爵家と!?」
「……お父さま。兄さま?」
ルーミアは不安そうな顔で、ゼロスとゲオルグを見ていた。
「スレイ公爵家って、もしかして……」
「そうだよ、ルーミア」
ゼロスは覚悟を決めて、告げた。
「縁談の相手は、
だからこそ、断りづらい。
成り上がりのグロッサリア伯爵家にとっては、信じられないほどの良縁だ。
貴族なら、これを断るなどありえない。
もしも断ったら──身の程知らずの成り上がりとして、伯爵家は貴族社会で孤立するだろう。
ユウキとオデットの縁談は不自然ではない。
オデットはユウキの良き友人であり、『魔術ギルド』の仕事をこなすパートナーだ。
しかも、オデットはアイリス王女の親友でもある。
常識で考えれば、これはとてもいい話なのだ。
ただひとつ──ユウキが不死の魔術師の転生体であることを除けば。
「すぐにユウキに手紙を出します。まずは、あの子の意志を確かめなければ」
「わかった。わしも、腹をくくろう」
「……父さま?」
「もしもこの縁談を断ることになったら、それはわしの一存ということにする。その後、わしは当主の座をゼロスに譲ろう。そうすればお前たちの不利にはならぬはずだ」
「父さま。先走りすぎです! 落ち着いてください!」
「お父さま!」
父ゲオルグの腕を
騒ぎを聞きつけた執事のネイルや、メイドのメリーサが集まってくる。
こうして、スレイ公爵家からの書状により、グロッサリア伯爵家は大騒ぎになり──
ゼロスは急ぎ、ユウキ宛の書状をしたためることになったのだった。
──────────────
・お知らせです。
コミック版「辺境魔王」の第2巻は、ただいま発売です!
2巻からはメイドのマーサと、謎の少女と謎の斧を持つ老人が本格的に登場します。
連載版は毎月24日ごろに、「コミックウォーカー」「ニコニコ漫画」に掲載されます。11月24日は、第14話が更新される予定です。
村市先生のコミック版『辺境魔王』を、ぜひ、読んでみてください!
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