第142話「『古代魔術文明の遺跡』第5階層侵入(オデットの想い)」
──『エリュシオン』第5階層探索の前日。オデット視点──
その時までオデットは、魔術師としての覚悟が試されているのだと思っていた。
──『エリュシオン』地下第5階層探索に参加を命じられたこと。
──『
──『魔術ギルド』の有力者である、老ザメルより目をかけられていること。
どれも、1年前のオデットが想像もしていなかった名誉と、立場だ。
オデットがあの頃のままだったら、感動で声も出せなくなっていただろう。
あるいは、自分には不相応だと、すべてを辞退していたかもしれない。
(少なくとも……緊張のあまり食事も取れなくなっていたでしょうね)
そう考えて、オデットは肩をすくめた。
『エリュシオン』第5層の探索を明日に控えた日。
『魔術ギルド』での『
あとは作戦開始を待つばかりだ。
そろそろ緊張で、食事ができなくなってもおかしくないのだけれど──
「オデット。『
「いただきますわ」
──そんな想いも、ユウキの『不死ぞうすい』を食べたら吹っ飛んだ。
オデットは空の食器をそっと、ユウキの前に差し出す。
ユウキは満足そうな顔で、そこに熱々のぞうすいを入れていく。
ここはユウキの宿舎。そのリビング。時刻は夜。
『魔術ギルド』での仕事を終えたオデットは、ユウキの宿舎を訪ねていた。
そうしたら、熱々のぞうすいで歓迎された。
宿舎のまわりにいたコウモリたちが、オデットの接近に気づいていたらしい。
だから、ユウキは、オデットの分の夕食を用意してくれたのだ。
メイドのマーサとレミー、弟子のコレット=メメントは先に食事を終えて、自室に引っ込んでいる。
ユウキたちの打ち合わせの邪魔はしない、ということらしい。
だからこうして、オデットはユウキに給仕をしてもらっているのだけど──
(……ついさっきまで『魔術師としての覚悟が試されている』と思っていたのですけれど)
なんだろう、この状態。
友人と向かい合って、熱々のごはんを食べている。
ただ、当たり前のことをしているだけなのに、緊張も不安も解けていく。
「でも、ユウキがわたくしに気を遣うことなんてないんですのよ?」
おかわりを受け取りながら、オデットは言った。
「探索は明日なのですわ。ユウキだってすることがあるでしょうに」
「優先順位の問題だよ。仲間をハラペコのままにしておくわけにはいかないだろ?」
「でもこれ、ユウキの手料理ですわよね。作るのも大変だったのでは?」
「『
「……そ、そうですの」
言いながらオデットは首筋の汗を拭い、熱々の『不死ぞうすい』を
この
材料は野菜と卵とコーン。ミルクと肉が少々。
ユウキの言葉通り、高価なものは使われていない。
スレイ公爵家の
(なのに……食べていると心が安らぐのは……どうしてでしょう?)
熱々。ほっこり。するする。
コクのあるぞうすいが、するり、と喉を通っていく。
身体が温かくなり、気持ちが安らいでいく。
もちろん、これはただの
『
なのに、食べていると、なぜか安心してしまう。
子どもを思って作られた家庭料理なんて……スレイ公爵家では食べたことなかったですわ──そんなことを考えながら、オデットは食事を進めていく。
「どうするオデット? おかわりはまだあるけど?」
「2杯でやめておきますわ」
結局、2杯目もからっぽにしてから、オデットはやっと
「明日は大事な探索がありますもの。食べ過ぎるわけにはいきませんの」
「オデットの方の準備はすべて終わったんだっけ?」
「ええ。『霊王騎』は順調でした。フローラさまの『レプリカ・ロード』も問題ないようです。時間が余ったので、アイリス殿下のところにも行けましたわ」
「そっか」
ユウキはお茶を飲みながら、うなずいた。
「あいつ……いや、殿下はなにか言っていたか?」
「できれば、第5層の探索に同行したいとおっしゃっていました」
「無理だろ」
「ですわね」
「今回の探索は『カイン派』と『ザメル派』が許可した者しか参加できない。殿下はその選考に入っていない。王族が2人もいたら、護衛に人を割かなきゃいけないからな」
「アイリス殿下は対策を考えていらっしゃったようです」
「対策?」
「ええ……『
「あれかー」
『獣王騎』は、ユウキたちが無力化した『
現在は『カイン派』が管理下にある。
「あの
「……念のため、護衛騎士としてアイリスに書状を出しておくよ。『絶対にやめてください』って」
「心配性ですわね」
「うちの子が危ないことしようとしてたら止めるだろ」
「確かに、オリジナルの鎧は危険ですものね」
『獣王騎』を扱える者は見つかっていない。
『カイン派』の者が試験的にまとってみたけれど、結局、魔力を吸われて終わりだったらしい。
オリジナルの『王騎』は、本当に扱いが難しいものなのだ。
オデットが『
彼女はあの鎧の力をコントロールできず、暴走させる寸前だった。
『霊王騎』を完全に支配できたのは、ユウキが力を貸してくれたからだ。
「アイリス殿下が『獣王騎』に魔力を吸われてしまっても、暴走させてしまっても……大変なことになりますものね」
「いや、あいつならたぶん『獣王騎』を使いこなせる」
「……え?」
「詳しい説明は省くけど、あいつはすごく強い魔力を持っている。しかも、俺の魔力と近い状態になってるんだ。問題はあの鎧の内部機構をコントロールできるかどうかだけど……」
「できますの?」
「あいつがどれだけ情報を持ってるかによるな。例えば……オデットって『霊王騎』を支配したときのことを、アイリスに話した?」
「話しましたわ」
「じゃあ、できるんじゃないかな」
「そんなあっさり!?」
「あいつは飲み込みがめちゃくちゃ早いんだ。ある程度理解したら、あとは直感でなんとかする。アイリス……いや、アリスの発想力と理解力は『フィーラ村』でも随一だったからな」
「前世からそうでしたの?」
「ああ。なにするかわからないから、怖くて目が離せなかった」
「ふふっ。そうなんですの」
オデットはそう言って、お茶を一口飲んだ。
(たぶん……アリスさんが才能を発揮できたのは、いつも見守ってくれる方がいたからでしょうね)
なんとなく、そんなふうに思ってしまう。
ユウキの前世──『フィーラ村』のマイロードは優しい守り神であり、村人を導く先生だった。
そんな人がいるのなら、人々は安心して能力を発揮できる。
無茶をしたらマイロードが止めてくれるし、間違っていたら正してくれるからだ。
そんな安心感もあって、村人たちはのびのびと能力を発揮できたのだろう。
その最たる者が、アリス=カーマイン──アイリスの前世というわけだ。
もしかしたらアイリスは、前世の記憶に目覚める前から、ずっと自分を見守ってくれていた人の存在を、どこかで感じ取っていたのかもしれない。
だからこそ、アイリスは安心して、魔術の才能を発揮することができたのだろう。
他の王子王女をさしおいて、『魔術ギルド』に加入できるくらい。
(そんなこともあるかもしれませんわ。だって……わたくしだってユウキと出会ってから、変わりましたもの)
そんなことを考えて、オデットは苦笑いする。
それから彼女は口調を変えて、
「でも、それなら殿下を『獣王騎』の使い手にしてしまえばいいのではなくて? そうすればあの方も『エリュシオン』第5階層の探索に参加できますわ」
「それはやめといた方がいいな」
「どうしてですの?」
「俺とアイリスは、いつか人間の世界から消えることになるから。アイリスが『獣王騎』の使い手として鎧に認証されたら、他の人間が使えなくなるだろ。そうしたら、あの『王騎』は王国から失われることになる。帝国がなんかしてきたときに困るだろ。たぶん」
「……あ」
ユウキは不老不死で、アイリスはおそらく、祖母の不老の体質を引き継いでいる。
ふたりが人の世界に居続けた場合、他の者たちと時間がずれていく。
魔術師たちの興味を引いて、研究材料にされる可能性だってある。
だから、いつかユウキとアイリスは、今の立場を捨てて、遠くへ行ってしまうことになる。
ユウキは、その後のことをすでに考えているのだ。
(……こんな優しい時間も、いつか、なくなってしまうのですね)
オデットも、ふたりについていく覚悟はできている。
貴族の立場を捨ててしまっても構わないとは思っている。
けれど──
(他に方法はないのでしょうか)
ユウキが守り神をやっていた『フィーラ村』の人たちは、ディーン=ノスフェラトゥの死後も彼を慕って、転生した彼を支える方法を考え出した。『グレイル商会』がそれだ。
同じようなことができないだろうか。
例えばオデットが次のスレイ公爵になって、領地の一部に『新生フィーラ村』を作れば──
(──え?)
一瞬、浮かんだアイディアに驚く。
不可能では、ないと思う。
スレイ公爵家の領地は広い。人の来ない山もある。
そこに隠れ里を作れば、ユウキとアイリスをかくまうこともできるかもしれない。
(そのためには、わたくしが次期スレイ公爵になる必要があります。それを実現するだけの人脈は……ありますわね。老ザメルが後援してくだされば不可能ではありません。財力は……事情を話して『グレイル商会』のローデリアさんに頼めば……)
「……どうした、オデット。ずっと黙ってるけど」
「い、いえ。なんでもないですわ」
心配そうに見ているユウキ。
オデットは慌てて、手を振ってごまかす。
「と、とにかく、殿下は『獣王騎』の使い手にはなれないということですわね」
「そういうことだよ」
「わたくしが『霊王騎』の使い手になったのはいいんですの?」
「やっちゃったものはしょうがないだろ」
「……そうですわね」
「それに、オデットは実家から身を守るためにも、『魔術ギルド』の重要人物になるべきだと思う。そのために『霊王騎』の使い手になったのは良かったんじゃないかな。老ザメルも味方になってくれてるし、もう、実家からなにか言って来ても大丈夫だろ」
「……ユウキ」
「そういうオデットだからこそ、俺の『
ユウキは考え込むように、頬杖をついた。
オデットにユウキの『魔力血』を与えるのは、『魔力喰らいの障壁』突破のための作戦だった。
『エリュシオン』地下第5階層に通じる回廊には『魔力喰らいの障壁』が存在する。
そこを突破するためには、『王騎』か『レプリカ・ロード』をまとった状態で、『対魔術障壁』を張る必要がある。
けれど、ユウキとオデットには裏技がある。
それはオデットに多めの『魔力血』を与え、一時的にユウキの使い魔にしてしまうことだ。
そうして『一体化した』状態で、ユウキが『対魔術障壁』を使えば、『魔力喰らいの障壁』は突破できる。それで駄目なら、スライムのメイを使って魔力的に一体化する。
そういう裏技があるのだが──
「あんまりたくさん『魔力血』をあげると、どうなるかわからないからな。うっかり不老体質になったりすることも……」
「今さらですわよ。ユウキ」
オデットは肩をすくめた。
覚悟なんか、もうとっくにできている。
この不思議な友人と出会ってから、オデットは変わった。
たぶん、これからも変わり続ける。
家の事情に悩んでいた貴族の娘には、もう戻れないのだ。
「あなたの友人である以上、こんなのは当たり前のことですわ。わたくしを見くびらないでください」
「そっか」
「それにあなたは『フィーラ村』の子どもたちが、なにをしでかしたのか知りたいのでしょう? その手がかりが、地下第5階層にはあるかもしれないのですわ。だったら、迷うことなんてないでしょうに」
「……うん。わかった」
「その代わりと言ってはなんですが、ひとつ、お願いがありますわ」
「いいよ」
「まだなにも言ってませんわ」
「オデットには世話になってるからな。俺にできることだったら」
「……本当に、あなたは、もう」
オデットは苦笑い。
そして──
「では、お願いですわ。いつかわたくしが実家とケンカすることになったら、こっそり手を貸してくださいませ」
「いいよ」
「相手は公爵家ですわよ?」
「『聖域教会』よりもましだろ」
「まぁ、そうですけど」
「うちの子たちは『聖域教会』相手にケンカを売って勝ったんだ。その守り神が、公爵家を相手に怖じ気づくわけにはいかないからな」
「本当にあなたは守り神体質なのですわね」
「100年以上やってたからな」
「承知しましたわ。いざという時になったらお願いします。それでは──」
ユウキとオデットは深呼吸。
それからふたりは、明日の細かい打ち合わせをして──
その後、ユウキからオデットへの『魔力血』の受け渡しが行われたのだった。
──現在。『エリュシオン』第5階層に続く通路で──
「──ユウキ=グロッサリア。それにオデット=スレイ」
『魔力喰らいの障壁』を突破した直後──カイン王子の声がした。
「必ず無事に戻ってきたまえ。無理だと思ったら、逃げてきても構わない。君たちはこれからの『魔術ギルド』に必要な存在だ。私たちが間違えないように。『魔術ギルド』が──『聖域教会』とは違う存在で、あり続けるために──」
(やっぱり、こんなことになりましたわね)
『霊王騎』の中で、オデットはまた、苦笑いする。
ユウキがカイン王子に説教していた声は、途中からだけど、聞こえた。
内容は『無茶するな』『あなたを大事に思っている人のことを考えろ』というようなものだった。
アイリスが聞いたら笑うだろうか、それとも『マイロードが言わないでください』と、怒るだろうか。
だから……このことはアイリスには内緒にしよう──オデットは思う。
親友同士でも、少しくらいの秘密は許される。たぶん、だけど。
オデットしか知らないユウキの姿があってもいいはずだから。
「それじゃ行こうか。オデット」
『当てにしてますわよ。ユウキ』
ふたりの後ろで『魔力喰らいの障壁』が閉じた。
振り向くと、ぼんやりとした壁があるだけ。
カイン王子や他の者の姿は見えない。
ここから先は、ふたりきりだ。
通路を少し進んでから、オデットは『霊王騎』を外した。魔力を温存するためだ。
脱いだ『霊王騎』は、ユウキの『収納魔術』でしまってもらう。
代わりにユウキが取り出したのは、『
これは飛行能力があり、機動性も高い。
知らない場所を探索するには最適だ。
『ごしゅじんー』
『オデットさまー』
『おまもりしますー』
『ていさつもしますよー』
ユウキのマントから、コウモリ軍団が顔を出す。
使い魔、王騎、すべて揃ったところで作戦会議を開始する。
これからユウキは『黒王騎』をまとって、通路を進む。
オデットはその背中に乗る。
ふたりの少し先を、コウモリ軍団が進み、危険がないか探る。
通路はかすかに光を放っている。
先の方まで見通せるけれど、油断はできない。
ここは『古代魔術文明の遺跡』であり、『魔術ギルド』が踏み込んでいない、謎の場所なのだから。
「それじゃ作戦開始だ」
『『『おまかせくださいー』』』
「俺は『黒王騎』を使う。オデットは背中に乗ってくれ」
「わかりましたわ。ところで、ユウキ」
「どうした?」
「気をつけましょうね」
「わかってる」
「おそらく、ユウキが考えている以上に気をつけた方がいいと思いますわ。わたくしたちが
「アイリスが『獣王騎』を奪って、ここまで来るかもしれないからな」
「前世のアリスならともかく、今の彼女は王女ですわよ。いくらなんでもそれは……」
「……200年前、俺が古城の屋根の上で天体観測してたとき、アリスがそこまで登ってきたことがあるんだ」
「……え」
「当時、俺が冷凍系の通常魔術を教えた後だな。屋根の一部を凍らせて、それを手がかりにして登ってきたんだ。子どもって時々、信じられないことするよな……」
「あ、危ないですわよ!? それであなたはどうしましたの!?」
「もちろん、怒って叱った」
「その後は?」
「村人に頼んで、天体観測用の場所を作ってもらった。ハシゴと手すりがついた奴」
「……その後は」
「子どもたちの授業に天体観測が加わった」
「…………ほんっとに甘い守り神だったんですわね。あなたは」
「いや、天体観測の授業は元からあったんだ。それが本格的になっただけだから」
「ふふっ。そういうことにしておきますわ」
「……まぁいい。とにかくアイリスを心配させないように、さっさと探索を済ませよう」
この第5階層には『魔力喰らいの障壁』を解除するためのシステムがある。
それと、魔物を巨大化させるための機構もあるはずだ。
ユウキとオデットの目的は『魔力喰らいの障壁』を解除すること。
そして、『フィーラ村』のライル=カーマインたちがどうなったか、その手がかりを探すことにある。
「せっかく第5階層まで来たんだ。アイリスにおみやげを持っていかないとな」
「せめて魔術の奥義を発見しよう、とでもおっしゃいなさい。まったく」
そうして『黒王騎』をまとったユウキと、その背中に乗ったオデットは、通路を進んでいく。
前方にはコウモリたち。
『身体強化』した彼らは超音波で、前方の様子を探ってくれる。
やがて、通路が終わる。
その向こうに、空間が広がっているのが、見えた。
そして──
『ごしゅじんー。報告ですー。町があるですー!』
──偵察から戻ったコウモリが、告げた。
『通路の出口には……なんかゴーレムみたいなものが倒れてるですよ? 機能停止しているようですー。見に来てください。ごしゅじんー、オデットさま』
そうしてコウモリ軍団は、地下第5階層の情報を教えてくれたのだった。
──────────────────
・お知らせです。
コミック版「辺境魔王」の第2巻が、いよいよ明日、発売になります!
書店にお立ち寄りの際は、ぜひ、手に取ってみてください!
2巻からはメイドのマーサと、謎の少女 (?)が本格的に登場します。
ますます盛り上がるコミック版「辺境魔王」を、よろしくお願いします!
連載版は毎月24日ごろに、「コミックウォーカー」「ニコニコ漫画」に掲載されますので、ぜひ、読んでみてください。
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