第104話「元魔王、家族を出迎える」

 ──王都近くの街道で──





 グロッサリア男爵家だんしゃくけの馬車は、街道を進んでいた。

 乗客はゲオルグ=グロッサリア男爵と、娘のルーミア。

 御者ぎょしゃは執事が務め、護衛は男爵家の兵士が担当している。


「……もう一度しっかり復習しなくては」


 ユウキの父のゲオルグは、手元の羊皮紙マニュアルを見た。


「……子爵家ししゃくけへの叙爵じょしゃくの儀式の手引き書──まずは控え室で、名を呼ばれるまで待機。謁見えっけんの間に王家の方々と、上級貴族の皆さまがそろったら名前を呼ばれるので、服装ふくそうをチェックしてから立ち上がる。子爵ししゃく叙爵じょしゃくされる場合は、歩き出すのは右足から。謁見の間の入り口には、初代国王陛下と王妃さまの像があるので、それぞれに2回ずつお辞儀。ただしこれも子爵ししゃくの場合で──いや、今は子爵家のルールだけでも覚えなければ……それから……」

「父さま父さま。落ち着いてください」


 向かい側の座席で、ルーミアが笑っていた。


「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。男爵領で何度も練習していたじゃないですか」

「……それは、そうなのだが」

「ルーミアも、ゼロス兄さまもお手伝いしました。父さま、ビシッと決まっていました」

「数日間、必死で練習したからな」


 こほん、と、咳払せきばらいするゲオルグ。

 娘に心配されたのが気恥ずかしいのだろう。横を向いて、ごまかすように、


「……そうだな。子爵ししゃく叙爵じょしゃくされる儀式での作法は、もう充分に復習したのだ。今さらあわてても仕方がないな」


 グロッサリア男爵領だんしゃくりょうに、子爵家への昇格を知らせる使者が来たのは、数週間前のこと。

 理由は、庶子しょしであるユウキが『魔術ギルド』で功績を上げたことだった。


 使者は言った。


「『魔術ギルド』で功績を上げた魔術師は、個人として爵位しゃくいをもらうか、実家の爵位を上げるかを選ぶことができる。

 ユウキ=グロッサリアどのは、グロッサリア男爵家の爵位昇格しゃくいしょうかくを望まれた」


 ──と。


 話を聞いたゲオルグは、思わず混乱してしまった。

 ユウキが優秀なのはわかっていた。

 だが、これほど早く、家の爵位しゃくいに関わるほどの功績こうせきを上げるとは思っていなかったのだ。


「……わしは、ただの成り上がりなのだが……」


 その自分が子爵ししゃくになったらどうなるのか、想像もつかない。

 とまどったゲオルグは、息子のゼロスと、娘のルーミアに意見を聞いてみたのだけれど──


「しょうがないですよ。父さま。ユウキのすることですから」

「やっぱりユウキ兄さまはすごいです!」


 ──参考にならなかった。


「……だが、そうだな。息子であるユウキが成果を上げたのだ。父親として、それを受け入れねばなるまい」


 ──けれど、決心はついた。


 ゲオルグはユウキの父親だ。

 息子がしたことならば、それがなんであれ受け入れる。

 それが子爵家への昇格だというなら、望むところだ。


 元々ゲオルグは男爵家だんしゃくけの名を上げるため、ゼロスを『魔術ギルド』に入れようとしていた。

 そのやり方は間違いだったのだけれど──結局、家の名は上がってしまった。

 ならば、いまさら慌てるべきではない。覚悟を決めなければ。

 

 そんなふうに覚悟を決めたゲオルグは、ルーミアを連れて、王都めざしてやってきたのだった。


「ゼロスも一緒に来ればよかったのにな」

「忙しいみたいですね」

「最近のゼロスは一生懸命、領地経営などの勉強をしているようだ」

「ルーミアたちが出掛ける前まで、ずっと本を読んでましたね」

「……そんなに急いで大人になることもないのだがな」

「ゼロス兄さまは、ユウキ兄さまの帰る場所を守りたい、って言っていました」

「ユウキの帰る場所?」

「はい。ユウキ兄さまが王都でなにをやらかしても大丈夫なように、ユウキ兄さまが帰る場所を守りたいって」

「ゼロスはユウキがなにをしでかすと思っているのだ……?」

「ユウキ兄さまは、ルーミアのおうちを男爵家から子爵家にしましたよ?」

「ああ。だが、さすがにこれ以上はないだろうよ」


 ゲオルグは苦笑いした。


「我らはしょせん、なりあがりの貴族だ。それが子爵ししゃくになったのだ。一生分の幸運を使い果たしたようなものだ。いくらユウキでも、これ以上のことはないだろうよ」

「そうでしょうか?」

「そうだとも。まったく、ルーミアもゼロスも心配しすぎだ」


 そうゲオルグが言ったあと、しばらくして、馬車がまった。

 王都近くの町に着いたのだろう。


 爵位昇格しゃくいしょうかくの儀式を受ける者は、一度この町に宿泊して、王家からの呼び出しを待つことになっている。

 その間に身支度を整え、儀式への心構えをする、というのがならわしだ。


 面倒だが、ならわしなら従わざるを得まい──そんなことを考えながら、ゲオルグは馬車のドアを開けた。


「お待ちしておりました。ゲオルグ=グロッサリアさま」


 帽子を被った文官が、馬車の前に立っていた。


爵位昇格しゃくいしょうかく、おめでとうございます。王都から参りました案内役の者です。宿舎までご案内させていただきます」

「う、うむ。お手数をおかけする」


 ゲオルグは慌てて会釈えしゃくした。

 ルーミアもドレスの裾をつまみ上げ、お辞儀をする。


「明日にはご子息と、アイリス=リースティア王女殿下がご挨拶あいさつにいらっしゃるそうです。それまで宿舎でごゆるりとお過ごしください」

「感謝いたします。案内役どの」

「いえいえ、こちらこそ伯爵・・となられる方のお手伝いができて光栄です」

「こちらこそ、なにもわからぬ田舎貴族ゆえ……ん?」


 ふと気づいた違和感に、ゲオルグは案内役の方を見た。


「今、なんと?」

「? お手伝いができて光栄です、と」

「その前ですが」

伯爵はくしゃくとなられる方の、と」

「伯爵?」

「ああ、使者が行き違いになったのですな」


 案内役の男性は穏やかな笑みを浮かべて、


「あれからご子息がさらに功績を上げられたことで、グロッサリア男爵家は、一気に伯爵まで爵位が上がることになったのですよ。いや、優秀なご子息を持たれてうらやましい。貴族の間でも、この話で持ちきりだそうですよ。叙爵じょしゃくの儀式については、改めて指導の担当者が来ますので……あれ? グロッサリア男爵!? 目がうつろになっておりますよ? どうされたのですか!?」

伯爵はくしゃく……わしが……伯爵」

「父さま、落ち着いてください」


 ルーミアは呆然とする父の背中を、ぽんぽん、と叩いた。


「父さま、前に言ってましたよ? 子どもを『魔術ギルド』に入れて、上級貴族とよしみを通じて、男爵家の名を高める、って」

「言っていた……確かに言っていたのだが……だが」

「さすがユウキ兄さまです。『魔術ギルド』に入って数ヶ月で、父さまの願いを叶えるなんて。これでルーミアも今まで以上に、みんなにユウキ兄さまを自慢できます! えっへん!」

「それで済ませないでくれ……ルーミア」


 ルーミアのなぐさめもむなしく、ゲオルグ=グロッサリアはしばらく呆然と立ち尽くしていたのだった。





 ──翌日 (ユウキ視点)──




「それは大変でしたね」


 アイリスはそう言って、テーブルの向こうにいる父さまとルーミアに笑いかけた。


 ここは、王都の近くにある町。

 別名『王都の玄関口』だ。


 宿場町として知られていて、貴族向けの宿が建ち並ぶ場所でもある。

 今回、ゲオルグ父さまの叙爵じょしゃくの準備ができるまで、この町が待機場所として使われることになった。

 そこで俺とアイリスは、儀式前のあいさつのために、父さまを訪ねることにしたんだ。


「体調は大丈夫ですか、父さま。顔色がまだよくないですけど……」

「大丈夫だ。心配することはない」


 父さまは俺を見てうなずいた。


「ただ、これから改めて、伯爵はくしゃく叙爵じょしゃくの作法について学ばなければいけなくてな……」

「……ごめんなさい。父さま」

「謝ることはない。お前は『魔術ギルド』で、められるべき成果を上げたのだからな。まぁ、わしに伯爵が務まるかは不安だが……それは、ゼロスとお前の世代に期待することにするよ」


 それから、父さまはアイリスの方を見て、


「いや、申し訳ございません。王女殿下の前だというのに、余計なことまで申し上げてしまいました。久しぶりにユウキの顔を見たのがうれしくて、つい……」

「構いませんよ。ゲオルグ男爵さま」


 アイリスは俺を横目で見ながら、笑ってる。

 あ、こいつ。楽しんでるな。


 今回の主賓しゅひんはあくまでグロッサリア男爵。

 アイリスはお忍びであいさつに来た、という立場だ。


 だから王女であるアイリスと、男爵である父さまが普通に同席しているわけだし、ルーミアも同じように席についてお茶を飲んでる。

 親しみやすいアイリス王女に、ルーミアも安心しているようだ。

 ただ、今のアイリスの表情が、妙にアリスっぽいのが気になるんだが……。


「今日の私は男爵だんしゃくさまをお祝いするために参りました。堅苦しい礼儀作法は不要です。ルーミアさまも、ここの席では、対等のお友達のように話していただけるとうれしいです」

「そ、そんな。恐れ多いです……」

「気にしないでください。ユウキさまだってダンジョンでは、私に普通に命令して下さるのですから」


 アイリスは俺に向かって、片目をつぶってみせた。


「私も『魔術ギルド』では他の魔術師と同様に、ダンジョンを探索しております。魔物の出る場所では、一瞬の判断の遅れが命に関わります。そのため、最も判断の素早いユウキさまが、パーティのリーダーとなっているのです」

「「そうなのですか……?」」


 父さまもルーミアも目を丸くしてる。


「私が命を預けるユウキさまの、そのご家族であれば、私にとってはパーティの仲間の家族のようなものです。ここでは、どうか親しく話してくださいませ」

「で、でも……王女殿下にどんなお話をすればいいのか……」

「では、男爵領でのユウキさまについて教えていただけませんか?」


 ……アイリス殿下。いや、アリス・・・

 お前、もしかして俺の私生活に探りを入れようとしてないか?


「男爵領での……ユウキ兄さま、ですか?」


 ルーミアは首をかしげてる。


 アイリスはルーミアの言葉を待っている。

 物腰はすらりと背筋を伸ばし、ティーカップを優雅に持ち上げてのお姫さましぐさだけど……目は期待に輝いてる。しかも無意識にルーミアの方に身を乗り出してるな。


「ユウキ兄さまは……男爵領でルーミアに、通常魔術を教えてくれました」

「まぁ。そうだったのですか?」

「ルーミアは発音が苦手で、それで魔術の発動のところでつっかえていたんです。でも、ユウキ兄さまが根気よく指導してくれたおかげで、ルーミアも通常魔術が使えるようになったんです」

「ユウキさまは教え方が上手ですものね」

「そうなんです。兄さまは不思議なくらい、ルーミアがつっかえているところがわかるんです」

「ふふっ。なんとなく想像できます」


 アイリスは俺を見て、ふっふーん、と笑ってみせる。

 これはあれだな。『転生しても先生なんですねー。変わりませんね』って言いたいんだろうな。


 俺はアイリスの後ろに回って、爪先で椅子の脚を、とん、と、蹴った。

 あんまり調子に乗らないように、という合図だ。

 アイリスは「わかってます」とばかりに肩をすくめる。


 アイリス──アリスは調子に乗るとボロを出すからなぁ。

 まぁ、今はルーミアがすごく楽しそうだからいいんだけどさ。


「アイリス殿下は……本当にユウキ兄さまと仲よくしてくださっているんですね」


 ルーミアは目を輝かせて言った。


「殿下は王女さまで、ルーミアにとっては雲の上の人なのに……すごく、お話がしやすいです。ユウキ兄さまと近いお方なのが、わかります」

「こ、これ、ルーミア」

「いいんですよ。男爵さま。今は無礼講ぶれいこうなのですから」


 アイリスも楽しそうだ。

 試験のために男爵領に来たときとは違う。

 今のアイリスは、アリスの記憶を取り戻して、でも王女としての礼儀作法も活かして、するりとルーミアのふところに入り込んでる。なかなかやるな。


「……ルーミアも早く成長して、『魔術ギルド』でユウキさまやアイリス殿下のお手伝いがしたいです」

「そうですね。そうなったら素敵ですね」

「でもでも、ルーミアはまだまだです。男爵領では、ユウキ兄さまに迷惑をかけてばっかりでしたから」

「あら、そうなんですか?」

「はい。本を読んでるときも……わからない部分があるときは、ユウキ兄さまのひざの上で内容を教えてもらったり」

「……あらあら」

「兄さまが王都に旅立つ前はさみしくて、ついついい寝をお願いしたり」

「…………あら」

「ごはんを食べさせてもらったり、一緒にお風呂に入ってっておねだりしたり……」

「………………」

「殿下にお目にかかってわかりました。ルーミアも、いつまでも子どもじゃいけないんだって……」


 ルーミアは、ぐっ、と、拳を握りしめた。


「ルーミアも、殿下のように大人になります。そうして『魔術ギルド』に入って、殿下やユウキ兄さまを支えられる貴族になります!」

「そ、そうですね。でも、無理はしなくていいと思いますよ」

「……そうなんですか?」

「ええ。ご家族なのですから、それくらいは許されるのではないでしょうか。妹……あるいは娘という立場の方がそういうことを望んだのであれば、ユウキさまがそれを受け入れるのは当然でしょう。それくらい構わないと思います。ええ、家族であれば、それくらい構わないでしょう」

「…………アイリス殿下」

「ですから、ルーミアさまは、自分のペースで大人になればよろしいと思います」


 そう言ってアイリスは、ルーミアの手を取った。


「なんだか私、ルーミアさまのことを後輩こうはい……いえいえ、妹のように思えて来ました。よければ、もっとたくさんお話がしたいのですけれど」

「こ、光栄です。アイリス殿下」

「またいつでもお話する機会はありますよ。殿下」


 俺は言った。

 実はこれから、ルーミアだけ俺と一緒に、一足早く王都に向かうことになってる。

 父さまはしばらく執事たちと叙爵の儀式の準備をすることになるけど、その間、ルーミアは暇だからな。

 それと、マーサもルーミアに会いたがってた。

 だからルーミアは王都にいる間は、俺の宿舎に泊まることになってるんだ。


 だけど、アイリスは俺の宿舎には長居できない。

 男性の宿舎に、姫であるアイリスが泊まるとうわさが立つからな。そのあたりは気を遣ってる。

 アイリスを召喚しょうかんするって手もあるけど、その状態でルーミアとお茶会ってわけにもいかないし。

 というわけで──


「オデット……さまの宿舎でお茶会を開かせてくれるように、俺からお願いしてありますから」

「──え?」

「オデット=スレイさま、ですか?」

「スレイ公爵家こうしゃくけのご令嬢れいじょうと!?」


 アイリス、ルーミア、父さまがそれぞれ声をあげる。


「話はつけてあります。オデットさまならアイリス殿下の幼なじみでもありますし、許可を取れば泊まりがけもできるでしょう。オデットさまご自身も、ルーミアに会ってみたいっておっしゃってましたから」


 ちなみにマーサは俺の家族として参加することになってる。

 本人は「メイドとしてお料理の手伝いをします!」って言ってたけど、そういうわけにもいかないからな。


「……ユウキ兄さま」

「どうしたルーミア」

「公爵家のご令嬢にお願いを聞いてもらえるなんて……兄さまは、王都でどれほどのことをしてきたのですか……?」

「普通だけど」

「……ルーミアは今初めて、父さまの気持ちがわかりました」


 ルーミアは俺の服の袖をつかんで、うんうん、とうなずいてる。

 父さまは腕組みして同じようにしてる。

 アイリスも納得顔だ。なんだこの状況。


「で、どうする? ルーミア」

「……お茶会に参加します……いえ、させていただきます」


 ルーミアは俺のそでから手を放した。

 小走りにテーブルから離れて、俺とアイリスの方に向き直る。

 それから、ぎこちない動きでドレスの裾をつまみあげ、俺とアイリスに一礼した。


「ルーミア=グロッサリアは、兄さまのご招待をお受けします。オデットさまとお目にかかって、王都の兄さまのことをお聞きしたい、です!」

「もちろん、私も参加させていただきます。ユウキさま」


 アイリスも立ち上がり、ルーミアの隣で同じようにお辞儀をする。

 それを見たルーミアは姿勢を補正。ふたり並んで、びしり、と揃ったところで、顔を見合わせて笑い合う。


「というわけだけど、父さまは大丈夫ですか?」

「わしは執事も、案内役の方もついているからな。問題ないよ」


 そう言って父さまは立ち上がる。

 それから、アイリスに向かって深々と頭を下げた。


「アイリス殿下、わしの息子ユウキと、娘ルーミアをよろしくお願いいたします」

「はい。お任せください。グロッサリア伯爵はくしゃくさま」


 アイリスがそう答えて、話は決まった。

 伯爵と呼ばれた父さまの顔は、やっぱり少し青ざめていたけど。


 そんなわけで俺とアイリスは、ルーミアを連れて、父さまより一足先に王都に向かうことになったのだった。

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