第60話「元魔王、内海を渡って歌を聴く」

 翌日。

 俺とオデットは、対岸のトーリアス領に向かうことにした。


「んーっ。よく寝た」

「そうですかよかったですわね」

「なんで怒ってるの、オデット」

「怒ってません」

「……そうなのか?」

「ええ、怒ってません。ちっとも怒ってませんとも。まったく」


 大丈夫かな。オデット。

 目の下にくまができてる。よく眠れなかったんだろうか。


「眠れなかったなら、出発を1日遅らせても……」

「寝不足の日が増えるだけですので、ご遠慮いたします」

「……そうなのか?」

「そうなのです!」


 前世で村人の体調管理をしてきた立場で見ると、オデットのは睡眠不足。

 そんなにひどくはなさそうだ。

 船の中で眠ってもられば、体調も回復するだろ。


「わかった。でも、疲れたと思ったら早めに……ん?」

「どうしましたの? ユウキ」

「いや、なんだか俺のほおが痛いような、突っ張ってるような……?」

「……気のせいですわ」

「……気のせい?」

「ええ。きっと、そっちの頬を下にして眠っていたのでしょう。今のユウキはおめめぱっちりで頬はつやつや。ほんっとに憎たらしいほど快眠できてますわ。ええ。まったく問題ありませんとも」

「やっぱり怒ってない? オデット」

「……怒ってませんってば」


 怒ってないのか……。

 本人がそう言うなら、いいのかな。



 こんこん。



 窓を叩く音がした。


『夜の間、宿のまわりは異常ありませんでしたー』

『おはようございます。ごしゅじんー』


 見ると、元子犬のガルム、コウモリのディックとクリフがいた。

 ディックは窓辺に、ガルムはクリフに抱えられて、窓の外に座ってる。

 3匹には、夜の偵察ていさつに出てもらっていたんだ。


『アームド・オーガ』が一体だけとは限らない。

 念のため、ディックとクリフには町の周辺の見回りを、ガルムには町のパトロールをお願いしてた。

 異常はなかったようでなによりだ。


「『冒険者ギルド』には、『アームド・オーガ』以外の魔物の情報はなかったですものね」

「ヨロイを着た魔物が奴だけならいいんだけど」


 今のところ、俺たちにはこれ以上できることはない。

 あとは、この土地の『冒険者ギルド』の仕事だ。


『冒険者ギルド』から『魔術ギルド』にも情報は行くだろうから、すぐに上位の魔術師たちが調査に来るだろう。戦力的には充分だ。

『アームド・オーガ』の盾はギルドに預けたし、攻略法も教えてあるからな。



 そんなわけで、俺たちは宿で朝食を食べたあと、町にでかけた。

『冒険者ギルド』に寄って、新しい情報がないことを確認してから、アイリスへの手紙を出した。

 ついでにもう1通、こっちは町を出る郵便馬車に預けておく。


「2通出せば、どっちかは確実に届くだろ。余った方は処分すればいいよな」

「いいえ、アイリスのことだから、1通は読む用に、1通は保存用にしますわよ」


 手紙を出したあと、オデットはそう言って笑った。


「宿はチェックアウトした。荷物は持った。ガルムは抱き上げて、ディックとクリフは荷物に入れて……と」

「忘れ物はありませんわね。では、行きましょう」

「そうだな。トーリアス家の船が待ってる」


 それから俺たちは、トーリアス伯爵家はくしゃくけの船が待つ港へと向かったのだった。





「…………すぅ」


 船が出航してすぐ、オデットは眠ってしまった。

 甲板かんぱんの上で、毛布を敷いて横になり、荷物を枕に寝息を立ててる。


『ガザノンの町』を出てから、約3時間。

 俺たちはトーリアス家の船に乗り、対岸に向かっている。


 内海うちうみは波が穏やかで、船はほとんど揺れない。

 船は風と潮流に乗って、対岸へと進んでいく。

 船員たちはのんびりと甲板に座り、帆の様子を見ている。

 トーリアス家は対岸に領土を持つ貴族だ。そこの船員なら、内海を渡るのなんて慣れたものなんだろうな。


「…………むにゅ」

「よっぽど疲れてたんだな。オデット」


 俺はオデットの身体に毛布をかけた。

 オデットはぐっすりと眠り込んだまま、起きる気配はない。


 あの豪華ごうかなツインルームでも疲れが取れなかったのか。

 ……やっぱり、無理してたのかな。

 対岸の町に着いたら、ちょっと高価たかめの宿を取って、すぐに休もう。

 それから2日くらい滞在すれば、疲れも取れるはずだ。


 俺もできれば時間をかけて、対岸のトーリアス領を見てみたい。

 あのあたりは200年前に『聖域教会』の拠点きょてんがあった場所で、『フィーラ村』の近くでもある。

 昔は別の王国があり、『聖域教会』をあがめていた。

 その国の跡地がどうなってるのか、じっくり見てみたいんだ。


「魔術師のあんちゃん。船はどうだい?」


 ふと気づくと、ガタイのいい船長さんが、俺の隣に立っていた。

 浅黒い肌に、短く切った髪。俺より頭みっつ分くらい身長が高くて、横幅は比較にもならない。

 船長さんは人なつっこい笑顔を浮かべて、俺に真っ赤な『トトトリンゴ』を差し出してる。


「魔術師のあんちゃんとねぇちゃんには世話になったからな、なんでも言ってくれ」

「船に乗せてもらっただけで充分ですよ」

「そうはいかねぇ。あんちゃんがいなかったら、ナターシャさまが殺されてたかもしれねぇんだ。そんなことになったら、領主さまと妹のオフェリアさまに、どんなに詫びても申し訳が立たねぇ。あんちゃんは、オレらの恩人なんだよ」

「じゃあ、ひとつ聞いてもいいですか」

「ああ、なんでも聞いてくれ」


 ガタイのいい船長さんは、ばん、と、胸を叩いた。


「船長さんは『ゲラスト王国』って、ご存じですか?」

「……歴史は苦手でなぁ」

「今は存在しない国ですからね」

「名前は知ってるさ。今の王国ができる前に、トーリアス領のあたりにあった小国だろ? 『聖域教会』とつるんで『八王戦争』に参加して、見事に滅んだって聞いてるぜ」

「やっぱり、滅んじゃったんですね」

「当時は『聖域教会』の大きな拠点きょてんもあったらしいがな。あんなもんを頼っていくさを起こして、王さまも王妃も死んじまった。今はもう、王宮の建物さえも残ってねぇよ」

「当時のものは、なにも?」

「ひどい戦争だったらしいからな。『八王戦争』は」


 だろうな。

『聖域教会』の『古代器物』と『古代魔法』を当てにして、各国が全面戦争をやらかしたんだから。

 うちの馬鹿息子──ライルが『古代器物』を封印してさえこのありさまだ。

 もしも『王騎ロード』が封印されずに暴れ回ってたら……今ごろ世界は焦土しょうどになってたんじゃないだろうか。


「いや……そういえば200年前のもので、残ってるのがあったな」


 なにかを思い出すように、船長さんが日焼けした額を、ぽん、と叩いた。


「歌だよ。200年前に作られたという歌が、今もまだ残ってるらしいぜ」

「歌、ですか?」

「ああ。祭りのときなんかに、よく歌われてる」

「いいですね……そういうのって」


 武器も国も消えて、歌が残ったか。

 なんか風流だな。そういうの。


「もうすぐ祭りの時期だ。よければ見ていってくれ」

「ありがとうございます。時間があれば、ぜひ」

「祭りではみんなが古い歌を歌って踊るからなぁ。運が良ければ、オフェリアさまが歌うのを間近で見られるかもしれないぜ」

「オフェリアさま? ナターシャ=トーリアスさまの妹君でしたっけ」

「そうだ。オフェリアさまは歌が大好きでな。『トーリアス領』の歌姫、って呼ばれているんだ。たまに港の桟橋さんばしに立っていらっしゃることがある。そういうときは、歌いながら船を出迎えてくださるんだよ」

「……不思議な姫さまですね」


 そういえばナターシャ=トーリアスも言ってたな。対岸で妹が待ってる、って。

 ペンダントを見せれば便宜べんぎを図ってくれるらしい。

 ……頼めば『フィーラ村』の跡地になにがあるか、教えてもらえるだろうか。


「ほら、耳を澄ませてみなよ」

「…………え?」

「……あんちゃんは運がいい。オフェリアさまが、歌っていらっしゃるぜ」


 優しい目をした船長さんは、それきり、黙ってしまった。


 船の甲板で立ち上がると、対岸が見えた。

 350年前、前世の俺が海鳥みたいにして渡ったときと、風景は変わってない。

 内海の向こうには港町。そして、その先は山岳地帯だ。

 俺が前世でディーン=ノスフェラトゥだったころは、人目を避けてあの山まで行って、『フィーラ村』を見つけたんだっけ。


 なつかしい風景をじっと見ていると──かすかに、歌声が聞こえた。




「──は黒き翼をまといし、真の王トゥルー・ロード




 きれいな声だった。

 少し幼いような──でも、透き通るような声だ。




「──やみにまぎれるその姿は、われらが民の希望なり」




 よく見ると、港から突き出た桟橋さんばしに、小柄な少女が立ってる。

 薄桃うすもも色の髪を風になびかせ、祈るように歌っている。




「──いずれよみがえるその姿──ああ、心やさしき守り神。


 ──その指先は人をやし、偽りの聖者を打ち払う──」




「……あんちゃんは本当に運がいい。この歌はレアだ」

「レアなんですか」

「『トーリアスの歌姫』は、本当に親しい者にしか歌を聞かせてくださらない。他の領土の者でオフェリアさまの歌を聴いたのは、あんたたちが初めてじゃないか?」

「光栄です」


 光栄こうえいといえば光栄だけど……。

 なんだろう。この歌。


 どこかの王を称える歌だよな。

 でも、歌われてるのは、今の王国の王さまじゃない。


 今はき『ゲラスト王国』でもない。

『聖域教会』をあがめていたあの国のイメージカラーは純白だ。少なくとも、黒とか闇じゃなかった。

 ──だとすると、一体誰を……?




「ああ、大いなるロードよ。彼がやがて戻り来る時を──民は待ち望む」




「むにゃ……なんですか……ユウキのテーマソングが聞こえてきま──」

「ストップ、オデット。それ以上はいけない」


 俺はオデットの口を押さえた。


「……もごもご? もご!?」

「船長さん。あの歌って、誰のことを歌ってるんですか?」

「さぁな。昔の歌だからなぁ」


 船長さんは困ったように頭をいた。


「詳しいことは知らねぇよ。歌ってるのは、オフェリアさまくらいだからな」

「……そうですか」

「なんなら、オフェリアさまに聞いてみるといい」

「いえ、そこまでしなくても──」

「────おーい! オフェリアさま。船長のザザルスです! お客人が姫さまに話があるそうですぜ────っ!!」


 って、いきなり紹介された!?

 船長さんは近づきはじめた桟橋さんばしに向かって、ぶんぶん、と手を振ってる。


 小柄な少女──オフェリア=トーリアスが手を振り返し、それから、隣にいる俺とオデットを見て目を見開く。そのまま、桟橋の柱の陰に隠れてしまう。


 そういえば、親しい人の前でしか歌わないんだっけ。

 初対面の俺とオデットを見て、びっくりしたみたいだ。


「……ぷはっ。なんでいきなり口をふさぐんですの、ユウキ」


 寝起きのオデットがかぶりを振って、俺をにらんだ。


「オデットがとんでもないこと言うからだよ」

「とんでもないこと……って、あれはまさしく『マイロード』であるユウキのテーマソング……って、あら? そんなものが、どうしてここに?」

「わからない。誰も知らない、秘密の歌みたいだ」


 そうでなければ『グレイル商会』のローデリアが教えてくれるはずだ。

 彼女の商会は、あちこちに支店がある大組織なんだから。


「まさか、俺が転生したとき、村の跡地がこの辺にあるってわかるように、歌を残したとか?」

「どんだけ優秀な村だったんですの。あなたの村は」

「あいつらが優秀だっただけだよ。ほんとに」


 でもあいつら、能力を無駄遣いしてるような気がするんだよなぁ。

 転生する俺のために、そんなに気を遣わなくてもよかったんだ。

 もっと自分たちの幸せのために力を使うべきなのに……なんでこんな歌まで残してるんだよ。まったく。


「オフェリア姫さま! こちらは魔術師のあんちゃんとねぇちゃんです。お名前はユウキ=グロッサリアさまと、オデット=スレイさま。姉君のナターシャ=トーリアスさまの恩人でさぁ!」

「……ねえさまの、恩人?」


 船の下で、オフェリア=トーリアスが不思議そうに、こっちを見ていた。

 船長の合図で板が降ろされ、船員たちが船を降りていく。


「ささ、お客人たちも。ナターシャさまからは、オフェリアさまにご紹介するように言いつかっておりますんで」

「行くか、オデット」

「ええ」


 そうして、俺とオデットは荷物をまとめて、船を下りた。

 それから──


「……ねえさまの恩人の、方々かたがた?」

「はじめまして。ユウキ=グロッサリアと言います。こっちは仲間のオデット=スレイ」

「はじめまして。よろしくお願いしますわ」

「……黒い髪と、黒い服……」


 オフェリア=トーリアスは目を輝かせて、俺を見ていた。


「まるで、歌に出てくる……トゥルーロード、みたい」

「人違いです」

「ですわ」

「えー」


 とりあえず、そういうことにしておいた。


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