第51話「マーサ、主人(ユウキ)の髪を洗う」

「マーサ」

「どうしました? ユウキさま」

「俺の前世が不死の魔術師で、その記憶とスキルを持ったまま転生してると言ったらどうする?


『魔術ギルド』のオリエンテーションの数日前。

 昼食の席で、俺はマーサにそう言った。


 そろそろ話しておいた方がいいと思ったからだ。

 俺はいずれ成長が止まって、齢を取らなくなる。

 そうしたら人の世界から消えなければいけない。

 その時、マーサがびっくりしないように。


 俺にとってマーサは家族以上の存在だ。

 ライルやレミリアのことがわかって、これから前世のことと関わろうとしている今、俺にもいつ、なにがあるか分からない。

 だから落ち着いてるうちに、話しておこうと思ったんだ。


「いきなりですね」

「ごめん。びっくりさせた」

「それは慣れっこです」

「……本当にごめん」

「……ユウキさまが不死の魔術師の転生体だったら、ですか」


 マーサは俺のパンケーキに追加のハチミツを注ぎながら、首をかしげた。


「そうだな。それと、俺がいつか人の世界からいなくなる、と言ったら」

「いなくなっちゃうんですか?」

「成長期を過ぎると齢を取らなくなるからな。そんな奴が、ずっと人の世界にいるのは無理だろ」

「わかりました。ユウキさまが不老不死で、いつかいなくなるとおっしゃったら、ですね」


 マーサは少し首をかしげてから、


「とりあえず、マーサの忠誠心を試しているのだと考えます」

「嘘だと思ってる?」

「いえ、それはないです」


 ふるふる、と、マーサは首を横に振った。


「ユウキさまは、そういう嘘はつかないですから」

「じゃあ、試してるというのは?」

「マーサがすべてを捨ててユウキさまについていくか、いかないか、ですね」

「そんなひどい主人じゃないつもりだけどな。俺は」

「だから困るんです」

「困るのか?」

「だって、ついていくと行ったら、ユウキさまはきっと『マーサの母──メリッサのことはどうするんだ?』って言ってくださるでしょう?」

「そりゃ言うだろ」

「そこで、こんな手紙があります」


 マーサはメイド服のポケットから、小さな羊皮紙を取り出した。


「母の──メリッサからの手紙です。体調がよくなり、来月からお屋敷のメイドとして、復帰できそう、という連絡です」

「まじか!? よかったなマーサ」

「……そういうことをおっしゃるから困るんです」

「なにがだよ」

「なんでもありません」


 マーサは、落ち着いた顔で、ハチミツのびんを置いた。

 パンケーキの皿からはハチミツがこぼれて、テーブルを濡らしてる。けど、気づいてないようだ。


「マーサさまー。もうすぐお湯がわきますー」

「いい機会です。お茶をれる練習をしてください。レミーさん」

「わかったのー」


 キッチンの方からレミーの声と、お湯が沸く音が聞こえる。

 マーサはおだやかな笑みを浮かべて、俺の言葉を待っている。

 だから俺は説明を続けることにした。


 前世の俺が『聖域教会』に殺されたこと。

 いろいろあって転生したこと。3年前に、前世の記憶を思い出したこと。


 とある少女が俺を追いかけて転生したこと。

 前世の約束で、俺がそいつを嫁に──というか、引き取らなきゃいけなくなったこと。

 そいつも不老の可能性があるから、保護しなければいけないことを。


「ほんとは、男爵領だんしゃくりょうで教師カッヘルをぶちのめした時に、俺は消えるつもりだったんだ。ゼロス兄さまとケンカになって、正体をばらしちゃったから」

「そうだったんですか?」

「ああ。だけどゼロス兄さまは命をかけて俺の秘密を守るって言ってくれた。あと、俺を弟だって宣言しちゃったからな。それで、消えるタイミングを失ったんだ」

「なるほど。それでわかりました」


 マーサはうなずいた。


「実は、母がメイドに復帰できるように働きかけてくださったのは、ゼロスさまだそうです」

「兄さまが?」

「ええ。マーサが心置きなく、ユウキさまにお仕えできるように、だそうです」

「なかなかやるな、兄さま」

「ユウキさまのお兄さまですからねぇ」

「俺のせいか?」

「さぁ、どうでしょう?」


 困ったように笑って、羊皮紙を抱きしめるマーサ。

 それから、静かに目を閉じて、


「何年後ですか?」

「え?」

「ユウキさまの成長が止まって、人間の世界で生きられなくなる時期です」

「……10代後半までは普通に成長する。20歳前半までは童顔どうがんの青年で押し通すとして……あと10年ってところだな」

「では、その間に身辺整理をいたします」

「誰の?」

「マーサのです」

「……あのさ、マーサ」

「反論は受け付けませんよ。ユウキさま」


 ……だろうね。

 マーサはじーっと俺をまっすぐに見てるから。

 眉を少し寄せて、強い視線で。


 マーサがこんな顔をするのは、小さい頃、俺が野犬に襲われた時以来だ。

 あの頃は、まだ俺も前世の記憶に覚醒してなかった。


 そのとき、こっそりマーサの買い物に付き合って、野犬に襲われて──

 怪我はしたものの、なんとが撃退げきたいしたんだった。


 あの時、めちゃくちゃマーサに怒られた。というか、泣かれた。

 それ以来だ。マーサの、こんな真剣な顔を見るのは。


「仕方ないんです。マーサはもう、ユウキさま専用のメイドとして調整をされていますので」

「した覚えないけど?」

「自覚してください」

「そう言われても」

「ユウキさまの言葉、動作、すべてがマーサに影響を与えているのです。今さらユウキさまから離れて、どうしろというんですか?」

「俺はマーサには、幸せになって欲しいんだが」


 本気でそう思ってる。

 マーサには借りばっかりだからな。

 正直なところ、『古代器物』のひとつも売り払って、現金をマーサに残してやろうと思ってたんだけど。


「ユウキさまー。マーサさまー。お茶ですー」


 とととっとっ、と、トレーを手にレミーがやってくる。

 トレーの上には3つのティーカップ。中のお茶は……派手にこぼれてるな。

 でも、半分以上は残ってる。立派なもんだ。


「この短期間で成長したな。すごいぞレミー」

「えへへー」


 頭をなでると、髪を揺らしてレミーは笑う。


「ユウキさまとマーサさま、ケンカしてます?」

「してないぞ」

「してません。マーサがユウキさまについていくことは、確定ですので」


 腰に手を当てて、むん、と胸を反らすマーサ。

 なぜか隣でレミーも同じポーズを取ってる。


「前世の忠誠なんか知ったことじゃありません。今世でおそばにいるマーサの忠誠に比べれば、どうってことないです」

「ないですー」

「意味わかってないだろ。レミー」

「ユウキさまのメイドとして、ずっと一緒にいるという意味ですよ? レミーさん」

「わかったー」

「ほら。レミーちゃんだってわかってます」

「わかっちゃったのか」

「わかっちゃいました。もう、ふたりとも手遅れです」


 降参だった。


 マーサには人間の世界で、普通に幸せになって欲しかったんだけどな。

 迷惑かけてるし、俺の運命に巻き込むのはどうかと思ってた。


 でも、マーサの性格はわかってる。言い出したら聞かないんだ、マーサは。


 こうなると、マーサも不老不死にしなきゃいけない。

 俺の『魔力血ミステル・ブラッド』を大量に与えれば、50年くらいは不老になるだろうから、その間に不老不死になれる『古代器物』でも探すか。


「そもそも、ですね。マーサがいなくなったら、ユウキさまはどうやって髪を洗うんですか?」

「自分で洗えるよ。それくらい」

「ユウキさまのは洗うと言いません。濡らすと言うんです」

「わかった。本当のことを言おう」

「なんですか? ユウキさま」

「不死の魔術師は、目に泡が入るのに弱いんだ。そういう種族で……」

「……レミーさん。お湯は沸いていますね?」


 おいこら。

 なんで不敵な笑みを浮かべてるんだよ。マーサ。


「いえ。ユウキさまが不死の魔術師の転生体であることを確認しようと思いまして。その弱点、確かめさせていただきます」

「お湯たくさんわかしたよー。桶に入れるよー」

「よろしい。ではユウキさま。お風呂の準備には時間がかかりますので、今日は髪だけ洗いましょう。そこの長椅子に仰向けになってください」

「……どうしても?」

「『魔術ギルド』のオリエンテーションの前ですから、身だしなみを整えておくべきかと」


 そう言ってマーサは、メイド服のボタンを外していく。


「……いつも思うんだが」

「はい。ユウキさま」

「俺の髪を洗うのに、マーサが下着姿になる必要はないよな?」

「ユウキさまのリクエストですけれど?」

「俺の?」

「はい。9歳の頃、髪を洗うのを嫌がったユウキさまが『自分だけ服を脱ぐのは不公平だ。マーサも一緒に脱ぐなら言うことを聞く』とおっしゃったので」

「ごめん悪かった!」


 ……なにやってんだよ。前世の記憶が戻る前の俺。


 そんなことを考えてる間に、マーサは俺の服のボタンを外し始める。

 しょうがないから俺は上だけ脱いで、部屋の長椅子に横になる。

 椅子の端から頭だけはみ出すようにすると、マーサがそれを、ふわり、と受け止めてくれる。


 あとはいつも通り。

 マーサの指が俺の黒髪の間に入り込み、やさしくお湯をかけてくれる。


「あのさ、マーサ」

「なんでしょう。ユウキさま」

「たまには俺が、マーサの髪を洗うのはどうだろう?」

「いいですね。練習なさってください」

「そうすればマーサが、俺の髪を洗うのに時間を取られることもなくなるから」

「それは別の話です」

「別の話なのかー」

「そうですよー」


 しゃかしゃかしゃか。


 真昼のリビングに、マーサが俺の髪を洗う音だけが響いている。

 いつの間にかレミーは、長椅子の下で眠ってる。

 メイド服の上がはだけてるのは、マーサの真似をしたんだろうな。


「ユウキさまの身の回りのお世話は、マーサのお仕事ですよ?」

「……そうだね」

「ずっとですよ?」

「わかった。ずっとな」

「約束です」

「……うん」


 マーサが、安心したようなため息をついた。

 それから俺は、たっぷりとマーサに髪を洗ってもらい──


 その後、役割を交代して、マーサを全身ずぶ濡れにしてしまったのだが、それはまた別のお話。

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