第16話「元魔王、兄と語り合う(物理)」
──同時刻、森の中で──
俺とゼロス兄さまは『キトラルの森』を走っていた。
腕輪を使っての『
普段の倍速で手足を動かすのも、木々の間をすり抜けるのも。
コウモリのディックがいれば最短コースを案内してもらえたんだろうけど、それはなしだ。俺が勝ってもしょうがないからな。
だからディックたちには森の外で
「ゼロス兄さま! 話がある。走りながらでいいから聞いてくれ!」
俺は叫んだ。
前を走るゼロス兄さまは、答えない。
俺がすぐ後ろにいることは気づいてるはずだ。さっきから、何度も振り返ってるから。
「ああもう!! たまには俺の言い分も聞けよ! 勝手に怒って、勝手にキレてるんじゃねぇ!!」
「黙れ」
ゼロス兄さまは冷えた目で、俺を見た。
「お前が男爵家を乗っ取ろうとしていることは、もうわかってるんだ」
「誰が!? いつ!? 何月何日何時何分何秒、俺がそんなこと企んだ!?」
「メイドたちが話しているのを聞いた!」
「俺が知るか!!」
「カッヘル先生が教えてくれた! お前が、メイドたちに僕の悪口を言っているところを!!」
「だからいつ!?」
「何度も! 毎日のように!! 一昨日の夜も!!」
「俺は一昨日の夜は屋敷にいなかっただろうが!!」
俺はマーサと一緒に、町の宿にいた。
そんなことはゼロス兄さまだってわかってるはずだ。
「うるさいうるさいうるさい!! お前なんかに
「だから別にいらないって言ってるだろうが!!」
「そうやってお前はいつも僕を否定する!!」
「よしわかった。一発殴らせろ。ゼロス兄さま!!」
「お前が男爵家の乗っ取りを企んでないなら、どうして王女殿下がお前まで呼び寄せる!? おかしいだろう!?
「じゃあ本当のことを言おうじゃねぇか。
「わかった。言ってみろユウキ!」
「俺がこないだ屋敷を抜け出して裏山に行ったら、クララさんって人と、斧持ちのバーンズさんって人が魔物に襲われてた! そのとき、ちょっとだけ俺が手を貸した!! その時に知ったんだろうよ! 男爵家に黒髪で黒い目の子どもがいるって!! それでなにを考えたか知らないが、庶子の俺まで呼び寄せた。それだけだ!!」
「本当か!?」
「嘘だと思ったら斧持ちのバーンズさんに聞いてみろ!」
「……お前はいつもそうやって……」
「え?」
「お前はいつもそうやって僕のできないことをする!!」
背中越しに見えるゼロス兄さまの手が、奇妙な動きをしてる。
『古代魔術』か!?
「────『風精召喚』!!」
「召喚の『古代魔術』か。すげぇな兄さま!」
俺は短剣を抜いた。
ゼロス兄さまの周囲に青白い球体が発生した。数個。
そこから鳥の形の使い魔が生まれ、俺に向かって飛んでくる。
ナイフのように鋭い、2対の翼をひるがえして。
がいいいんっ!!
1羽目の翼を、俺は短剣で受け止める。
2羽目はなんとか切り払う。3羽目は、地面を転がって避けた。
「そんなに強いのに、なんで俺のことなんか気にしてるんだよ! ゼロス兄さま!!」
「うるさい! そのまま寝ていろ!!
ゼロス兄さまとの距離が開く。兄さまは走りながら使い魔を召喚してる。
徹底的に、俺の足止めに徹するつもりか。
「……いい加減、頭に来た」
もういい。正体がばれても構わない。
結局、俺は人間をやるのに向いてなかった。
遠慮するのは止めだ。
試験も魔術ギルドも関係ない。
こっから先は、ただの兄弟ゲンカだ。
ゼロス兄さまを一発ぶんなぐって、わからせて、ついでに教師カッヘルをぶちのめして──
俺は、
俺は『
素直に家族の前から消えてやるよ!
「『
俺は左手に『魔力血』の
『
そのまま、俺は地面を蹴って走り出した。
「いいかげんに人の話を聞きやがれこのくそあにきいいいいいいっ!!!」
『フィィ!?』
「うざいっ!!」
がいいんっ!!
まとわりつく鳥を、俺は拳でなぐりつけた。
『────ギィィ!?』
魔力で作られた鳥は、一撃で霧散する。
『身体強化』
手の
「まちがやれゼロス! ゼロス=グロッサリアアアアアアア!!!」
「ユウキ!?」
「たまには俺の言い分も聞きやがれ、くそ兄貴!!」
「なんで!? どうしてお前がそんな速度で動ける!?」
「『古代器物レプリカ』は魔力の使い方で効果が変わるんだろうが! そういうことにしとけ!!」
「ふ、ふざけるなあああ! どうしてお前が、僕以上に!!」
「わかった。じゃあ言う! 実は俺は200年前に死んだ魔術師の生まれ変わりで! 『古代魔術』の妙な適性を持ってる! そのおかげで魔術を2倍がけしてるから、移動速度も身体の強度も2倍だ!! どうだ、わかったかくそ兄貴!!」
「こんなときまでお前は! ばかげたことをおおおおっ!!」
ゼロス兄が木を蹴り、方向転換する。こっちに向かって来る。
「その減らず口を黙らせてやる!! ユウキ!!」
「ようやくこっちを見たな、ゼロス兄!!」
「ああ、僕は前々からお前のことが気に入らなかった!!」
「知ってるよ! 庶子が嫌いなんだろ!?」
「違う!! お前を見てるとイライラする! 僕はお前を見返すために『魔術ギルド』を目指したんだ!! 面倒だよ! 『古代魔術』も、勉強も!! お前がいなければこんなことにはならなかったんだ!!」
「俺のせいにしてんじゃねぇ!!」
「うるさいっ!! 『古代魔術』──『風精召喚』『火精召喚』」
兄さまの指が、複雑な紋章を描き出す。
2つ。
右手は身体の前、左手は後ろ。2種類の紋章を。
『ギギィ!』『ギュオオオ!!』
2対の魔法陣から風の鳥と、炎をまとったトカゲが現れる。
「
「僕は
「上等だ!!」
俺は『身体強化』を再度発動。
2倍がけの速度で、兄さまに向かって走り出す。
「行け! 『
「ざけんな! そんな
俺は拳で青い鳥を、短剣で炎のトカゲを切り払う。
その間に数歩。距離を詰める。兄さまはまた召喚魔術を発動させる。
さすが『古代魔術』の召喚術。速い。連続使用も可能か。
だけど、こっちは『化け物』だ。多少の傷は無視する。鳥の翼で頬が切れたけど関係ない。炎で服が焦げたけど問題ない。どうせ男爵家とはここでおさらばだ。
心残りがないように、ゼロス兄さまとカッヘルをぶちのめして行く!
「ユウキ……お前……。手が……血が!!」
「俺が『
「いや、違う。お前は、僕の家族で。僕は……僕は……」
間合いに入った。
俺は拳をふりかぶる。
『身体強化』2倍がけで殴ったら死んじゃうから、1倍で。
ゼロス兄には男爵家を治めてもらわなきゃいけないから。
人間の兄弟ゲンカらしく、怪我しない程度に殴ってやるよ。
「歯ぁくいしばれ!!
俺の拳が、ゼロス兄の腹にヒットした。
「ぐぉ! ユウキ──お前……は」
ゼロス兄の身体が転がり、草の上で止まる。
兄さまが握ってたアミュレットも吹っ飛んでる。
「……痛ぇ」
俺の右手の傷口からは、血があふれてる。
あーあ、ゼロス兄さまの顔と腕にまで飛び散ってるよ。
右手、めっちゃ痛い。
やっぱり、素手で使い魔と殴り合うのは無茶すぎたか……。
「…………違う……僕は……家族に怪我をさせるつもりは……ユウキ……血が……怪我を……」
「起きろ、ゼロス兄」
ぐい。
俺はゼロス兄の腕を掴んで、身体を起こした。
「男爵家は好きにしろ。俺は庶子だ。何度も言うけど、
「……ユウキ。お前……」
「男爵家を好きに作り替えるならそうしろ。だが、俺の家族に手を出すことだけは許さない。将来、俺がここに立ち寄ったとき、ルーミヤとマーサがなにかされてたら、俺は兄さまを許さない。男爵家も魔術ギルドも関係ない。俺は化け物としての寿命のすべてを使って……兄さまを潰す」
「…………う、うぁ」
兄さまの身体が、震え出す。
俺が手を放すと、兄さまが力なく、地面に座り込んだ。
……やってしまった。
正体をばらして、『古代魔術』の
完全にアウトだ。
……誰かが来る前に逃げるか。
「お前たち、そこでなにをやっているのだ!!」
不意に、声がした。
森の出口の方から人が歩いてくる。斧持ちの、バーンズさんだ。
……ちっ。出遅れたか。
「試験を受ける者同士の戦闘は許可しておらぬ! 一体ここでなにをしているのだ!!」
「……こ、これは」
ゼロス兄さまが俺と、バーンズさんの方を見た。
俺は兄さまに自分の正体を明かした。
ゼロス兄さまはそれをバーンズさんに言うだろう。
兄さまに、俺をかばう理由はない。
俺の人間生活はここで終わりだ。
バーンズさんは王女殿下の護衛だからな。『
コウモリのディックたちに足止めを頼んで、その隙に山に逃げよう。その後は、放浪生活だ。
めんどくさいな。
できれば、マーサにお別れを言いたかったな。
「これは……ただの兄弟ゲンカです。バーンズさま」
……兄さま?
「僕がユウキに突っかかって、ユウキが逆らったものだから。売り言葉に買い言葉で。それで」
「……おい、ゼロス兄さま」
俺は兄さまの耳元に顔を近づけた。
「……俺の正体、言わなくていいのかよ」
「……そんなこと言えるわけないだろ!? 馬鹿か!!」
怒られた。
「……男爵家の血筋に、化け物がいるなんて知られたら、家が潰されかねないだろうが。僕は嫡子として、家を守らなきゃいけないんだ」
「そうかよ」
「……それに、お前が本当は何者なのか、僕には確かめようがない。でもな……僕は負けたんだ。お前が僕の敵わない相手だってのがはっきりとわかった…………すっきりしたよ」
兄さまは疲れたように肩を落とし、落ちていたアミュレットを拾い上げた。
「お前が僕の悪口を言ってるなんて、嘘だってわかってた。でも、僕は男爵家を上級貴族に匹敵するものにしなきゃいけないんだ。そのためには、カッヘル先生に従う必要がある。だから、あの人の言葉を信じなきゃいけなかった。そう思ってるうちに……僕は……あの人が言うことが……本当だと思えてきて……」
「……兄さまはまじめすぎるんだよ」
「……うっさい黙れ。弟のくせに」
「久しぶりに弟って呼んだな。ゼロス兄さま」
「ああ、お前は僕の弟だ。だから、勝手にいなくなるな」
「……あのさ」
「お前がいなくなったあと、ルーミアに泣かれるのはごめんだ。アイリス殿下にも不審に思われる。僕には男爵家を守る義務があるんだ。僕のせいで、家を壊すわけにはいかない。だから……今は、いなくなるのはやめろ」
「…………わかったよ。ったく。人間って面倒だな」
兄さまは俺のことは誰にも言わないらしい。
ゼロス兄さまがそれでいいなら……いいか。
俺も、自分がディーン=ノスフェラトゥの転生体だって証明する方法はないもんな。
13歳で放浪生活送るのも大変そうだし。
消えるのは、いつだってできるから。
「話は終わりか? それでどうするのだ? 試験を続けるのか、ゼロス=グロッサリア」
バーンズさんは、ずん、と、斧の柄を地面に突き立てた。
「適性試験には、わしと戦うことも含まれている。わしを倒さずともよい。魔術で攻撃を避けて、森を抜けるのだ。それができれば『魔術ギルド』への入学を認めよう」
「
兄さまはズボンについた土を払って、立ち上がった。
そのまま、バーンズさんに向かって、深々と頭を下げる。
「僕は『魔術ギルド』に入れるような
「本当によいのだな。棄権で」
「はい。もう、決めました」
「わかった」
バーンズさんは斧を置いて、代わりに背中から、小さな弓矢を取り出した。
さらに
早口で説明してくれる。赤い布は合格の印、黒い布は失格の印だ。
バーンズさんはゆっくりと、黒い布を矢に結びつけた。
兄さまの反応を待つように、矢を空に向け、弓を引く。兄さまはなにも言わない。
そのままバーンズさんは、矢を空に向かって放った。
「これで、王女殿下にもわかるはずだ。ご苦労だったな、ふたりとも」
「ひとつお聞きしてもいいですか、バーンズさま」
「なんだ? ゼロス=グロッサリア」
「ユウキがバーンズさまを助けたというのは本当ですか?」
「ああ」
バーンズさんは、あっさりとうなずいた。
ここはごまかして欲しかったんだが。
「それは確かだ。だからわしと王女殿下は、ゼロス=グロッサリアとユウキ=グロッサリアを間違えた。殿下に悪気はなかったのだ。非礼は、わしがお詫びしよう」
「いえ、それはいいんです」
ゼロス兄さまは肩の力が抜けたように、笑った。
「……やっぱり、ユウキにはかなわないなって、思っただけで……」
そんなセリフを兄さまが口にしたとき──
「──────!!」
不意に、森の向こうから悲鳴が聞こえた。
王女殿下がいるあたりだ。
「話はあとだ。王女殿下の元に戻る。ついてこい!!」
バーンズさんは森の入り口に向かって走り出した。
俺とゼロス兄は顔を見合わせてから、その後を追う。
一瞬、俺の脳裏に王女殿下の顔が浮かんだ。
前世で子ども代わりだったライル、その娘のアリスにそっくりな、あの顔が。
「悪い。ゼロス兄、先に行く」
俺はふたたび『身体強化・2倍』を発動した。
ゼロス兄はついて来られない。俺が殴ったせいか、足下がふらついてる。
俺は兄さまに「ごめん。先に行く」と言い残して速度を上げる。バーンズさんを追い越して、さらに先へ。
「……アイリス王女殿下か」
ったく。
彼女がアリスにそっくりじゃなければ、放っといてもいいのに。
ライルも、アリスも……俺の記憶にちくちく刺さって来る。
ほんっとに面倒な子どもだよ。お前たちは!
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