第11話「元魔王、魔物を瞬殺する」

 ──そのころ、山の中腹では──



「お逃げくださいお嬢様! 『ダークベア』の相手はまだ無理です!!」

じぃを置いて逃げられますか!!」


 少女は剣を構えた。

 傷ついた老人を背中にかばいながら、目の前の敵をにらみつける。


 彼女の馬車が山のふもとについたのは夜明け前。

 人気のないうちに山を探索するため、爺と一緒に山道に入った。


 地図の通りに移動したはずだった。

 だが、道は急に途切れた。道に迷った2人はそのまま、魔物の生息領域に入ってしまったのだ。


「あいつめ。なにが『魔物のいない安全な山』だ。地図もでたらめではないか!」

「今はここを切り抜けるのが先です!!」

「わしが盾となります。お嬢様は魔術を」


 長柄のついた斧を杖の代わりにして、老人が立ち上がる。

 彼の左腕はひどい傷を負っていた。『ダークベア』の不意打ちを受けたのだ。

 魔術で血は止めたが、完全治癒には時間がかかる。だが、その時間はない。


『グォアアアアアアア!』


 大人の倍ほどもある熊が、後ろ足で立ち上がる。

 魔物の目はまっすぐ、老人と少女を捕らえている。逃げられそうになかった。


「『──根源たるは熱の坩堝。地より出でる溶岩にも似て、灼熱の息吹をここに示さん』」


 習った呪文を思い出しながら、少女は宙に紋章を描き始める。


「お嬢様の詠唱の時間を稼ぐ。ここは通さぬぞ! 熊公!!」


 老人が斧を振った。

 堅い音がして、刃が『ダークベア』の腕に食い込んだ。


『ギィアアアアアアア!!』

「今です! 離れなさい爺!」

「承知!!」

「『炎神連弾イフリート・ブロゥ』!!」


 少女の周囲に、複数の火炎が生まれた。

 それが一気に、『ダークベア』に向かって殺到する。


『グ、ヴゥオオオオオオオ!!!』

「効いておりますお嬢様。そのままとどめを!!」

「はい!」


『古代魔術』の長所はその連射力にもある。

 呪文によって魔力の『回路パス』さえ通せば、同じ魔術を続けざまに放つことができる。


『ヴゥオオオオオオオ!! ヴゥオオオオオ!!』


 火炎は次々に生み出され、目の前の『ダークベア』を焼き尽くしていく。


「危ないところでしたな。まったく、奴の情報ときたら……」

「黙って、じぃ!」


 少女は耳を澄ませる。


『────ヴゥオオオオ。ヴゥオオオオ』


 吠え声が聞こえた。しかも、近い。

 少女は手元の羊皮紙を読み直した。


『この山の評価はA。魔物ゼロ。いたとしても、低レベルの魔物が数体。安全度AA。試験会場に最適。景観も良い場所です。いつでもお越し下さい』──そう書いてある。


 だが、『ダークベア』は危険度Cの魔物だ。中級以上の冒険者でなければ戦えない。

 そんなものが複数いる場所が、安全度AAであるものか。

 だから自分と爺だけで来たものを──


「爺! こっちへ。今すぐ逃げます。あなたの治療は走りながら──」

「お嬢様!!」


 左右の木々が、揺れた。

 現れたのはさらに巨大な『ダークベア』2体。

 怒りに目を光らせて、少女に向かって腕を振り上げる。


「くっ!!」


 がぎいぃんっ!!


 振り下ろされた爪を剣で受け流す。だが、熊の力を消しきれなかった。

 少女は地面を転がり、木に当たって止まる。


『ダークベア』の1頭は少女の方に、もう1頭は爺やの方に向かっている。


「……がはっ!」


 呪文を唱えようとして、少女は思わず咳き込んだ。

 倒れたときに胸を打ったのだ。声が出ない。魔術が、使えない。


「お嬢様!!」

「……嫌」

『グォアアアアアアアアア!!』

「私はまだ、やらなければいけないことが──!」


 少女の悲鳴をかき消すように、『ダークベア』が巨大な爪を振り下ろした。

 



 その爪が、空を切った。




「この裏山は魔物が多いんだ。試験会場に使うのは無理だよ」

「──え」


 気づくと、彼女は知らない少年に抱かれ、宙を飛んでいた。

 小柄な少年だった。髪は黒。瞳の色も黒。年齢は少女と同じくらいだろう。

 この少年が、彼女を助けてくれたのだ。


「……『身体強化ブーステッド』の古代魔術? でも……なんてすごい……」


 彼は『ダークベア』の攻撃が当たる直前に駆けつけて、少女を抱いて跳んだのだ。

 信じられない──と、少女は思った。

 少女も護衛の老人も、『ダークベア』さえ彼の接近に気づかなかった。

 いくら『古代魔術』の『身体強化ブーステッド』でも、そんな速度が出せるわけがないのに。


「あ、ありがとうございます。あなたは!?」

「この時期の『ダークベア』は繁殖期だ。俺だって、ナワバリには近づかないようにしてる。出会ったらすぐに逃げるのがベストだ」

「……え? あ。はい……」

「まぁ、ここまで『ダークベア』を怒らせたら手遅れか」


 少年は少女を地面に下ろして、短剣を構えた。


「こっちはいい。お前たちはあっちのじいさんの援護を」

『ギィギィィ!』


 少年が呼びかけると、森の中から4匹のコウモリが現れ、『ダークベア』に向かっていく。

 まさか……戦おうとでも言うのだろうか。


『ダークベア』は中級クラス。危険度で言えば五段階のCクラス。

 少女と爺でギリギリ戦えるレベルだ。コウモリが何匹向かっていったところで──



 ガンッ!



『グォオオオオオオオオオアアアア!!』


 あごにコウモリの体当たりを喰らった『ダークベア』が、よろめいた。

 さらにこめかみに、耳に。

 コウモリたちはすさまじい速度で『ダークベア』を攻撃し続ける。


『グゥオオオオアアアアアアア!!』


『ダークベア』の身体が、地面に倒れた。


「うそ……コウモリが『ダークベア』を……」

『……ガァ!? ガアアアアア!?』


『ダークベア』は頭部から血を流してうめいている。

 コウモリたちの翼と爪は、まるでするどい刃のようだ。厚い毛皮に守られた『ダークベア』の身体を、あっさりと切り裂いていく。

 胴体に攻撃しないのは、爺が斧でそちらを攻撃しているからだ。


「なんと。これは愉快ゆかいだ! このわしがコウモリと共闘きょうとうとはな!!」

「すごい。コウモリたちが……じぃ連携れんけいを取ってる……」


 少女は呆然ぼうぜんと、目の前の光景を見ていた。

 老人が斧を振るタイミングで後ろに下がり、斧を振り終わったタイミングで突撃する。

 傷だらけの『ダークベア』は立ち上がることさえできない。


「まだ魔術は使えるか?」


 不意に、少年がつぶやいた。


「火炎魔術をもう一度頼む。さっきのはよく見え・・・・なかったから・・・・・・

「は、はい。魔力はまだ残ってるから、『回路パス』を再起動すれば」

「合図したら撃ってくれ」


 少年は短剣を手に走り出す。


「──消えた!?」


 少女は思わず叫ぶ。

 彼の動きが、とらえられなかった。

 やはり『身体強化ブーステッド』にしては速すぎる。

 レベル1の『古代魔術』で、こんな速度は出せはしない。


「『────根源こんげんたるは熱の坩堝るつぼ』」


 少女は、少年の指示通りに魔術の詠唱をはじめる。


『グァ? グゥアアアア!!』


『ダークベア』が左右を見回す。魔物は、少年の位置をつかめていない。

 少年は高速で死角に回り、『ダークベア』の背中に短剣を突き立てた。


『グガァ!?』

「……終わりだ」


 少年は短剣を魔物の体内に押し込んでく。

 でも、浅い。

 短剣では『ダークベア』の肉は切れても、心臓までは届かない。


(動きが止まった。今のうちに!)


 少女が魔術を発動させようとしたとき、


「もう、届いた。『こおれ』!」

『グウゥアアアアアアアア!!!』


『ダークベア』の胸から、血が噴き出した。

 鋭く尖った、氷の刃とともに。


 少女は一瞬で理解する。あれは氷系統の通常魔術だ。

『ダークベア』の体毛は強い。炎も氷も、ある程度なら防いでしまう。

 だから少年は『ダークベア』を傷付け、そこに氷の魔術を打ち込んだのだ。


「あれ? じゃあ私の魔術はいらないんじゃ……?」

「いや、『ダークベア』は生命力が強い」


 少年が『ダークベア』の背中を蹴って飛んだ。

 そのまま少女に向かって手を振る。


「念のためとどめを頼む! 古代魔術で倒すところがはっきりわかるように!!」

「は、はい! 発動!『炎神連弾イフリート・ブロゥ』!!」


 少女が『古代魔術』を発動させると、火炎が飛び出し、瀕死ひしの『ダークベア』を焼き尽くした。


「そこのご老人も! ディックたちもそいつから離れて、もう一匹の方にも火炎が行く!」

「お、おぉ」『ギィギィッ!』

「そこの人。生き残りの『ダークベア』に火炎魔術を!!」

「あ、はい」


 言われるまま、少女は魔術を連続発動。

 爺と戦っていた『ダークベア』に火炎を飛ばす。


 頭部と胴体から血を流した『ダークベア』は、魔術を避けることができなかった。

 全身に炎を浴びて、崩れ落ちた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る