第12話「少女クララと老戦士、元魔王に感謝する」

「……はぁ」


 少女は地面に座り込み、ため息をついた。

 もう、魔物の声は聞こえない。次の『ダークベア』が来ることはなさそうだ。


「ありがとうございました……」


 少女は少年に向かって頭を下げた。


「危ないところを、助けていただきまして、感謝の言葉もありません」

「こちらこそ、いいものを見せてもらいました」


 少年は照れたように、首を横に振った。

 改めて見ると、自分と同じくらいの年齢だった。

 貴族ならば学園に入る少し前、まだ家庭教師に教わるくらいの年齢だろう。


(王都から離れた地方に、こんなすごい使い手がいたなんて。私と同じくらいなのに、魔物をまったく恐れなかった。一歩間違えば、自分も『ダークベア』の攻撃を受けていたかもしれないのに……私を助けてくださった……なんという勇気)


 少女は思わず胸を押さえた。

 心臓が高鳴っていくのを止められなかった。


(……もしかしたらこの人が……例の試験の?)

「助かったぞ、少年! すごいなお前さん!!」


 少女の動揺には気づかず、老戦士が声をあげた。


「このコウモリたちはお前さんの使い魔か? すごいな。『魔術ギルド』の教育機関にも、ここまでの使い魔を操れる者はそうはおらぬぞ。まったく、たいしたものだ!!」

「いえ、この子たちは元から強かったんです」

「……そうなのか?」

「ええ。俺は餌をあげてただけ。そしたら、仲良くなったんです」

「……強いコウモリがいたものだな」

「魔物が出る山で暮らすには、強くならざるを得ないでしょう。それより」


 少年の目が、まっすぐ、少女を見た。

 思わず気圧けおされそうになるほど、強い視線だった。


「地元の者なら『ダークベア』のナワバリには入りません。外から来た人は、兵士か冒険者の付き添いなしでこの山には入りません。あなたたちはどうしてここに?」

「い、いえ……私たちは……」

「お嬢様を責めないでくれ。わしらはここが安全だと聞いていたのだ」

「誰に?」

「グロッサリア男爵だんしゃく家に仕える家庭教師、カッヘル=ミーゲンという者に」

「…………ああ、そっか」


 少年は苦いものを飲み込んだような顔になる。


「あの野郎。もうちょっと考えて動けよな……もう少しで試験がだいなしに……」

「あなたはもしかして、グロッサリア男爵家の?」

「いえ、ただの狩人です」

「ただの狩人が魔術を?」

「魔術に詳しい狩人です」

「…………そうなんですか」

「…………そうなんですよ」

「それにしてもすごい腕前ですね。あなたでしたら『魔術ギルド』に入ることもできましょう」

「『魔術ギルド』の関係者の方ですか?」

「……え?」

「今のお話を聞けば、だいたい予想はつきます」

「は、はい。申し遅れました」


 少女は立ち上がり、服についた土を払った。

 それから、後ろに立つ老人の方を見る。

 その視線を受け止め、うなずいて、なにかを確認してから──


「私は試験のお手伝いをさせていただいている者です。名前は……そうですね……クララ=リステスと申します」

「わしはお嬢様の護衛のバーンズだ」

「数日後に、このあたりで『魔術ギルド』加入の試験が行われることになっているのです。私たちは、その下見に参りました。危険や、不正があってはいけませんから」

「領地の者には内緒だ。前もって伝えておくと大騒ぎになるのでなぁ」

「そういうことだったんですね」

「あなたのおかげで助かりました。よければ、お名前を聞かせていただけませんか?」

「……名もない狩人ではいけませんか?」

「いけないことはございません。私たちの恩人ですもの……そうだ」


 少女は耳の後ろに触れて、銀色の髪についていた髪留めを外した。


「これをお礼に差し上げます」

「……いえ、別にそういうものは」

「あら? 狩人さんなら、狩りで得たものはお金に変えようとするのではなくて?」


 少女は口を押さえて、笑った。

 少年は困ったような顔をしている。

 なぜだろう。その顔を見ていると、胸が温かくなっていく。


「私たちのせいで『ダークベア』の素材は焼け焦げてしまいました。これをその代わりとしてください。ね?」

「……ありがとうございます」

「ふふっ」


 少女クララは少年の手を取り、銀色の髪留めを乗せた。

 こばまれたらどうしよう……そんな思いが一瞬、頭の中をよぎる。

 しかし、少年は素直に髪留めを受け取ってくれた。


「本当に助かりました。あなたのコウモリさんたちにも、お礼を言っておいてください」


 少女は再び、少年に向かって深々と頭を下げた。老人も同じようにする。


「あなたが駆けつけてくださらなければ、今ごろ私たちは生きていませんもの。本当に……すごかったです。疾風のようにとは、あのようなことを言うのでしょうね……」

「…………あなたが」

「え?」

「…………馬鹿息子の娘に……そっくりだったんで」

「…………お孫さんがいらっしゃるの? まさか」

「…………なんでもないです。ふもとまで送ります」


 それから少年は、クララとバーンズを山のふもとまで案内してくれた。

 クララたちの馬車は、山裾の林に隠してあった。

 最後に、バーンズの方からも礼をしたいと言ったが、少年は断り、そのまま立ち去った。


「すばらしい方でしたね」


 クララはため息とともに、つぶやいた。


「あの若さであの戦闘能力。魔物の急所を一撃で狙う勇気。彼のような方が、私の近くにいてくださればいいのに」

「護衛としてですかな。お嬢様」

「はい。できればあの方には、本名をお伝えしたかったのですが……」

「命の恩人ですからな。ですが、すぐにその機会は訪れますよ」

「あの方なら『魔術ギルド』の試験も必要ないでしょう。すぐにでも側近として欲しいくらいです」

「お嬢様の右に立つ騎士。誰もが憧れるその地位に、ですな」

「バーンズはあの方が、今回の受験者だと思いますか?」

「間違いないでしょう」


 老人バーンズは斧を手に、満足そうにうなずいた。


「あの少年こそがゼロス=グロッサリア。『魔術ギルド』への加入を志す者でしょう」

「そうでしょうか?」

「なにかご不審な点でも?」

「教師カッヘルの報告書には、『金髪。長身。礼儀正しい貴公子』とありました」

「あの者の言葉が当てにならないのは、お嬢様も身にしみたのでは?」

「カッヘルの父親は優秀でした」

「いずれにせよ、わしはあの少年がゼロス=グロッサリアだと思いますよ。もしも別人であったのなら、カッヘルの奴はあれだけの才能を見逃しているということ。ならば、あやつはさっさとギルドから追放すべきでしょうな! お嬢様をあんな目に遭わせたのですからな!!」


 バーンズの言葉を、少女クララは聞いていなかった。

 彼女の脳裏には、さっきの少年の姿が、まだ残っていた。

 謎の狩人。魔物を一瞬で倒してしまう戦闘能力。そして、強すぎるコウモリたち。

 彼は『魔術ギルド』の試験のことを知っていた。その彼がゼロス=グロッサリアでないとしたら……誰だというのだろう。


「そして…………私に似ている人をご存じ、と」


 クララは首を横に振った。

 もう少し男爵家について調べなければいけない。そんな気がしていた。

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