第8話「元魔王、古代魔術に覚醒する」
「誰か、木剣を持ってこい!! これより、わしとゼロスの模擬戦を行う」
「はい。じゃあ俺が」
「ユウキはそこで、わしとゼロスの戦いを見ているのだ」
「……はい」
「ここには誰も来ぬよう、ネイルに徹底させておく。『古代魔術』を家の者が目にすることがないようにな。それでよかろう、カッヘルどの」
「男爵さまのお考えには、このカッヘル、
こうして、父さまと兄さまは、俺の前で模擬戦を行うことになったのだった。
準備はすぐに終わり、父さまと兄さまはそれぞれの武器を手に向かい合っている。
父さまは太めの木剣を、両手持ちで構えている。
対するゼロス兄さまは片手持ちだ。
「勝敗はわたくしが判断いたします!」
2人の間に立ち、教師カッヘルが叫んだ。
「どちらかが敗北を認めるか、剣を落としたら負けとします。よろしいですか」
「うむ」「異論はありません。先生」
「では、はじめ!!」
「参ります、父さま!!」
先に仕掛けたのはゼロス兄だった。
指で空中に図形のようなものを描きながら、呪文のようなものをつぶやきはじめる。
「『成就せよ! 我は────────────』」
「お見事です。ゼロスさま!」
ゼロス兄の詠唱は、俺には聞き取れない。今まで聞いたどんな言葉とも違う。
「発動──『
ゼロス兄さまが地面を蹴って走り出す。
「──速っ!」
兄さまの身体能力が格段に上がってる。
父さまとの間合いを一瞬で詰め、片手で剣を振り下ろす。
がっ。
父さまは兄さまの剣を、両手剣で受け止めた。
いや──受け止めきれていない。押されてる。
兄さまよりも頭ふたつ分は背が高く、倍くらい横幅がある父さまが、ゼロス兄さまに力負けしてる。
冗談のようだった。
ここまでの力を持つ魔術は、前世でも見たことがない。
一般魔術だと、せいぜい何割か腕力を上げるのが限界だ。なのに、今の兄さまは力と瞬発力が、おそらく何倍にもなってる。
……怖ぇ。
これが『古代魔術』の力か。
「ゼロスよ。それが、学習の成果か」
「はい。『古代魔術』なら、父上と対等に戦えます!」
「たいしたものだな!!」
父さまが歯を食いしばり、ゼロス兄の剣を押し返す。
一瞬、兄さまが下がったのにタイミングを合わせて、後ろに飛ぶ。
さらにゼロス兄は間合いを詰めて、木剣を振る。
力も速さも、すでにゼロス兄さまが上だ。それでも父さまが戦えているのは、戦闘経験の違いだろう。
『古代魔術』が『聖域教会』と『リンドベル魔術ギルド』にしか使えない理由がわかった。
兄さまが詠唱したあの呪文は、発音が特殊で、音の合間に規則的な息継ぎを入れていた。おそらくは独自の、『古代魔術』専用の言語だ。
あれを解読しない限り、『古代魔術』を使うことはできない。
俺だって無理だ。
あんな奇妙な呪文、教わらない限り唱えられるわけがない。
「どうだユウキ! これが僕の力だ! 少しは思い知ったか!?」
ゼロス兄さまは父さまが振り下ろした剣を弾いて、叫んだ。
「お前には理解もできない力だよ。僕はこの力で、魔術ギルドの上位魔術師になる。そして、このグロッサリア男爵家を上級貴族と同じ地位まで高めるんだ!!」
「そうですよ。ユウキくん。これが『古代魔術』の力。あなたには想像もつかないほどの力です!」
気づくと、教師カッヘルが俺を見ていた。
「歴戦の男爵さまと対等に戦える力。これを手にしたゼロスさまは、貴族として高みにのぼっていくでしょう! いずれあなたは、私やゼロスさまとは口を利くこともできなくなるのです! 身分の差がわかるでしょう!?」
「そうですね」
俺は教師カッヘルの言葉を聞き流していた。
『古代魔術』で強化した兄さまの剣もすごいが、父さまはそれにぎりぎりで対応している。
この時代の人間を敵に回す怖さが、はっきりとわかる。
……『古代魔術』を間近で見たのは初めてだが……恐ろしいな。
俺がすべてのスキルを使ったとしても、勝てるかどうかわからない。
そもそも魔術の理論がまったくわからないからな。さっきだって、兄さまの指の動きを覚えるのがせいいっぱいだった。
兄さま、指でこんな
こうやってこうやって……これに
どくん。
心臓が鳴った。
手足が熱くなる。身体の深いところから力が湧いてくるような感覚。
──なんだこれ。
まるで前世の……『不死の魔術師』ディーン=ノスフェラトゥに戻ったような。
体力と、エネルギーがみなぎってくるような──?
なんだこれ。なんだ、この力は!?
「申し訳ありません! 体調が悪いのでこれで失礼します!!」
「……え?」「大丈夫か? ユウキ!?」
ゼロス兄さまと父さまが声をかけてくる。
でも、俺には答える余裕がない。
全力で足を動かし、3人から離れる。人目のつかないところへ。
そうだ。裏庭に行こう。
「ちょっと待てユウキ! お前は僕の力を見なければいけない!!」
「追いかけてこないでくれ! ゼロス兄さま」
なんで追いかけてくるんだよ。しかも『身体強化』した状態で。
今……捕まるわけにはいかないんだ!
俺は走る速度を上げた。
「──え? 追いつけない!? どうして!?」
兄さまの声が遠ざかっていく。
俺は屋敷の角を曲がり、裏庭に入る。
そして──思いっきり地面を蹴った。
──ゼロス視点──
「おい!? ユウキ!?」
ゼロスは弟の後を追って、建物の角を曲がった。
そのまま、離れの裏庭に入る。だが──
「……いない」
弟のユウキの姿は、どこにもなかった。
「嘘だ。『
「どうなさいましたか、ゼロスさま」
振り返ると、家庭教師カッヘルがいた。
「ユウキがいないのです。僕は、あいつに追いつけなかった。もしかしてユウキも『古代魔術』を?」
「ありえません」
教師カッヘルは首を横に振った。
「『古代魔術』を使うには、決められた動作と詠唱、それに体内魔力の運用が必要です。教わってもいない庶子に使いこなせるものではありません」
「でも!!」
「ゼロスさまもまだ『身体強化』を使えるようになったばかり、コントロールがうまくいかなかったのでしょう。本来ならば、手合わせでもゲオルグ男爵さまを圧倒しているはずですからね」
「……先生」
「さあ、男爵さまのところへ戻りましょう。ユウキどのに力を見せつけるという目的は達成しました。今度は、男爵さまにもそれを示さなければ」
「はい」
ゼロスは屋敷の前庭に向かって、歩き出す。
「でも……僕は、ユウキには敵わないような気が……たまに……するんです」
「あとで私とお話をしましょう。あの庶子など問題にならないことを。あなたには実力があるということを、いつものようにね」
そう言ってゼロスとカッヘルは立ち去った。
──ユウキ視点──
「……危ないところだった」
裏庭まで走ってきたあと、俺はそのまま2階まで跳んだ。窓を開けて、部屋の中に隠れた。
俺の『飛翔』スキルはまだ不完全だ。普通なら、2階までは飛べない。
跳べたのは『身体強化』が発動していたからだ。
ゼロス兄さまと父さまの戦いを見ていると、急に手足が熱くなった。
身体の奥から力が湧いてきて、まるで前世の全盛期に戻ったみたいだった。
やばい、と思ったから、逃げることにしたんだ。
「まさか『古代魔術』が、血で紋章を描くだけで発動するなんて……」
俺は自分の手のひらを見た。
そこには、『
さっき、父さまのゼロス兄さまの模擬戦を見たとき、無意識に描いたんだ。
前世で『孤高の魔王』をやってたときの
ライルは『そんなことするから吸血鬼って呼ばれるんだよ』って、笑ってたけど。
「『古代魔術』について、もう少し調べてみる必要があるな」
そう言ってから、俺は部屋の住人の方を見た。
「というわけで、ごめん。びっくりさせたな。マーサ」
「着替え中に飛び込んできて、おっしゃることはそれですか」
部屋の中では、メイドのマーサが俺を睨んでいた。
下着姿で。脱ぎかけのメイド服を抱きしめて。
着替え中だからか、いつもは結んでいる栗色の髪が、ふわふわと揺れている。
「いきなり窓が開いたとき、マーサがどれほどびっくりしたかおわかりですか?」
「……本当にごめん」
「ユウキさまだとわかった瞬間、安心しましたけど」
「いや、安心するのはどうかと」
俺が言うと、マーサは
彼女はマーサ。年齢は、俺より2つ上の15歳。
離れで仕事をしている、俺専属のメイドだ。
母親が男爵家に勤めていた関係で、マーサは昔からよく、この屋敷に来ていた。俺とルーミアにとっては幼なじみだ。マーサの母は今は体調を崩して、家で手仕事をしている。代わりにマーサがメイド兼行儀見習いとして、男爵家に勤めている。
「だって、マーサはユウキさまに
マーサは手に持ったメイド服で身体を隠しながら、俺の方を見た。
「ユウキさまは母が、男爵家のお勤めを辞めなければいけなかったとき、代わりにマーサを雇うように、男爵さまにお話してくださいました。ユウキさまがそう言ってくれなかったら、マーサと母は、今ごろ路頭に迷っていたかもしれません」
「……あの時はまだ、カッヘルが来る前だったからな」
まだ男爵家も、今より少しだけゆるかった。
「それに俺の面倒を見てくれるのは、マーサのお母さんだけだったし。逆にマーサが離れで俺の面倒を見ることになっちゃったし、迷惑かけてるのは俺の方じゃないかと」
「ユウキさまは、何度も母のお見舞いに来てくださいました」
「だってずっとこの家にいるのは気詰まりだし、俺、他に知り合いいないし」
「ユウキさまがお見舞いに来るたびに、母の体調はよくなっているのですが」
「偶然だよ」
「そうでしょうか」
「そうそう」
「それでも……マーサの忠誠はユウキさまのものです」
人間ってそういうところあるよな。
「何度も言うが、俺はマーサを使用人だとは思っていない」
「いつもおっしゃいますね。マーサのことを、このお屋敷で生きていくための、相棒って」
「そういうことだ」
兄さまと家庭教師に
病気の母親と二人暮らしのマーサと。
この男爵家で生きていくのは、結構大変だからな。
「わかりました……ユウキさまがおっしゃるなら」
「そもそもだけど、マーサ」
「なんでしょう。ユウキさま」
「俺が2階の窓から入ってきたことに驚かないのか?」
「ユウキさまがすごいのは、マーサはよく知ってます」
「そうだっけ」
「昔は泣き虫だったマーサを、よく守ってくださいました。魔術で虫を追い払ったり、火傷した手を冷やしてくださったり。そのたびに『おっとしまった。
「なんかごめん」
「今回のこれも『おっとしまった。内緒だよ』で、よろしいですか?」
「うん。よろしく」
「承知しました」
「ごめんな」
「ところで、ユウキさま」
「うん」
「いまさらですが、マーサの着替えをのぞいたことについて、感想は」
「マーサがきれいなことは、よく知ってる」
「ありがとうございます。お礼に、あとでマーサが髪を洗ってさしあげます」
「こないだ洗ったばかりだからいいよ」
「だーめーでーす」
「……はい」
「よろしい」
「じゃあ、俺は部屋に戻るよ。あとでお茶を持って来て」
「はい。着替えを済ませてから、参りますね」
そう言ってマーサは頭を下げた。
俺は部屋に戻ることにした。
数分後。
マーサが淹れてくれたお茶を飲んでいると、部屋に父さまがやってきた。
「ユウキ、お前は王女殿下が来ている間、町の宿に泊まってもらうことになった。マーサと、他数名を供としてつける。が、王女殿下がこの地を去るまで、屋敷に戻ることは許されない」
俺から視線を
「本当は、お前がそこまでする必要はないのだ。部屋に閉じこもっている必要さえもない。だが……『魔術ギルド』から派遣された家庭教師の指示となれば……どうしても」
「構いませんよ。父さま」
家を出ると言い出したのは俺の方だ。それに、たまには宿屋でのんびりするのも悪くない。
教師カッヘルの顔を見なくて済むだけましだ。
「マーサがついてきてくれるんでしょう? だったら、俺は構いません」
「……すまない。ユウキ」
いきなりだった。
父さまは腕を伸ばして、俺を抱きしめた。
「わしはしょせん成り上がりだ。貴族などは向いていないのだろうな。つまらぬよ。実の息子にこんな肩身の狭い思いをさせなければならぬとはな……」
「父さま。マーサが見てます」
「見てません」
言葉の通り、マーサは後ろを向いていた。
「お続けください。男爵さま。ユウキさま」
「……まいったな」
マーサの前で父さまに抱きしめられるは、すごく照れくさい。
子どもをなぐさめるのは元々、俺の役目だと思ってたんだが。
前世では泣き虫のライルやアリスを、こうやってあやしてた。
でも、されるのも悪くない。
前世の俺は、親を知らない。
でも、今は父さまがいる。妹のルーミアも、ゼロス兄も。マーサも。
それだけでも、人間になってよかったのかもしれない。
「ありがとうございます、父さま」
「不自由はさせぬ。執事のネイルにそのように手配をさせよう。マーサも、ユウキのことをよろしく頼む」
「そのお言葉だけで充分です。父さま」
「ユウキさまのことはお任せください。男爵さま」
俺は父さまの腕から抜け出して、一礼。後ろでマーサも頭を下げている。
父さまが部屋を出るまで、俺はずっと、そのままでいた。
こんなとき人間の子どもはどんな顔をするのか、わからなかったからだ。
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