第3話「元魔王と、人間の家族」
「ルーミアは兄さまに会いに来ました。開けていただけますか、ユウキ兄さま」
扉の向こうから、妹のルーミアの声がした。
またこっそり、こっちの建物に来たらしい。
グロッサリア男爵家の敷地には、2つの建物がある。
ひとつは父さまとゼロス兄さま、妹のルーミアが住んでいる本館。
もうひとつは、俺が住んでいる離れだ。
離れは2階建ての小さなもので、いるのは俺と、メイドのマーサだけ。
本館と渡り廊下で繋がってはいるが、俺はそっちに顔を出すなと言われている。
「離れには来るなって兄さまに言われてるんだろ。ルーミア」
「妹が兄さまに会いにくるのは自然なことだと思います。お兄さま」
ドアが開いて、金髪の少女が顔を出す。
桜色の大きな目が特徴の、小柄な少女だ。
これが妹のルーミアだ。今年10歳になる。
「お食事の時間なので、マーサの代わりに呼びにきました」
もじもじと指をいじりながら、ルーミアは言った。
「食堂に行くまでの間、兄さまとお話がしたくて」
「近況とか?」
「そうです」
「俺は今朝起きて、朝食を食べた。一般人向けの学園に入るための本を読んで、それから、父さまに剣術を教わろうとしたらゼロス兄さまに取られた。昼食後は一人で木剣を振ってた。それで今に至る」
「兄さまはもっと女の子の気持ちに寄り添うべきだと思います」
「なぜ怒る?」
「怒ってません」
「まぁとにかく、途中まで一緒に行こう。ルーミア」
俺はルーミアの手を取った。
「はい。兄さま!」
ルーミアはとたんに笑顔になる。
まったく、人間ってわからない。
大昔に断絶してたグロッサリア家を、戦で手柄を立てた父さまが引き継いだからだ。
領地もそんなに豊かじゃないので建て直すこともできず、結局、古いままに使ってる。
領地は王都の北にあり、冬はめちゃ寒い。
特産品は果物と毛皮。今のところ敵対してる相手はなし。
住人は父と兄さま、俺とルーミア、他、使用人数人。
あともう1人、魔術の指導教官がいる。
「離れはすきま風がすごいですね。兄さま」
「魔術でなんとかならないもんかな」
「そういうアイテムがあればいいんですけどね」
「兄さまが行く『リンドベル魔術ギルド』にならあるかもしれないな」
俺とルーミアの兄、ゼロス=グロッサリアは、王都にある魔術ギルドの研修生を目指している。
『リンドベル魔術ギルド』は、魔術の教育機関と研究機関がひとつになった巨大組織だ。
ギルドの研修生になると、強力な『古代魔術』を教わることができるらしい。
ギルドには
だから男爵家でも家庭教師を雇って、兄さまを魔術ギルドに入れようとしている、というわけだ。
俺も興味はあるけど……正直、関わりたくない。
『古代魔術』のことを考えると、『聖域教会』を思い出すからな。
それにしても……前世から何年経ったんだろう……?
10年20年ってことはないと思う。
転生してから教わった国の名前や王家、貴族の名前で、俺の知っているものはなかった。それくらい時間が経ったってことか。
なぜか『聖域教会』のことは教えてもらえなかった。
本当に、あの後、世界はどうなったんだろうな。
「ユウキ兄さま、聞いてますか?」
「悪い。聞いてなかった。どうした?」
「いつもの復習です。今日、習ったところを読み上げますから聞いてください」
ルーミアは詩の一節を口ずさみはじめる。
俺の時代にもあった詩で、魔術に必要な発音を学ぶためのものだ。
「……で、どうでしょうか。兄さま」
「最初に出てきた人の名前、発音がおかしかった。それと最後のフレーズが早口すぎる。うろ覚えなのごまかしてただろ」
「……うぅ。父さまにはばれなかったのに……」
「ルーミアは発音でつっかえることが多いな」
「そうですか?」
「もっとゆっくり。舌の動きを意識してみるといい」
「『ろぃーっ』、ですか?」
「もうちょっとゆっくり。息を長めに」
「やってみます、兄さま」
こうしてると前世を思い出す。
あの頃の俺も、村の子どもたちに勉強を教えてたっけ。
俺が死んだあの部屋は玉座の間でもなんでもなくて、ただの教室だった。あの場所で俺は120年くらい、村の先生をやってた。
そういえば、いつの間にか『フィーラ村』の
転生したあとは、俺は執事やメイドから勉強を教わってた。
男爵家の子どもで家庭教師がついたのは、
俺としては、この時代の知識を学べればよかったから、まったく不満はなかったのだけど……。
……ルーミアに『勉強についていけません』って泣きつかれちゃったからなぁ。
『ついうっかり』、サポートしてるうちに、習慣になってしまった。
ルーミアには内緒にするように言ってあるし、誰もなにも言ってこないから、今のところは、ばれてないようだけど。
「『──炎をつかさどる者たち』『ああ、大いなる光をつかさどる者たち』──どうですか」
「発音はよくなってる。次の授業で父さまに聞いてもらうといい。もう、魔術の発動まで進めるんじゃないかな」
「……ルーミアは、兄さまにも見ていただきたいです」
「俺のことは
「じゃあ次です。兄さま。次はですね……」
「時間切れだよ。ルーミア」
俺たちはいつの間にか、離れの一階にたどりつていた。
まっすぐ行けば食堂。
左に曲がると、本館に通じる渡り廊下だ。
「俺は離れの食堂に行く。ルーミアは本館の食堂な」
俺はルーミアの手を放した。
「早く行きな。父さまとゼロス兄さまが待ってるよ」
「ルーミアは、兄さまと一緒にお食事がしたいです」
頬をふくらませるルーミア。
「兄さまも、本館の食堂に行きませんか?」
「俺はそっちでは食事できないんだ。知ってるだろ」
「父さまは、兄さまが望むなら構わない、って言ってます!」
ルーミアにはそう言ってるのか、父さまは。
ずるいな。
「ご一緒しましょう。兄さまは今年のうちには、どこかの学園に行ってしまうのでしょう?」
「まだ進路は決めてないよ」
「兄さまは優秀ですから、どんな学園だって入れるはずです!」
ルーミアは小さな手で、俺の手を握りしめた。
「兄さまの教え方は、どんな人よりわかりやすいです。兄さまなら『リンドベル魔術ギルド』で魔術の
「かいかぶりすぎだって」
「そんなことありませんっ!」
ルーミアは、目を輝かせて俺を見てる。
「ルーミアは本気です。兄さまがいれば、家庭教師なんていりません!」
「声が大きい」
「……一緒にごはんを食べましょう、ユウキ兄さま」
「…………ルーミア」
「兄さまはきっとルーミアなんか手の届かないくらい偉い人になると思います。だから、今はできるだけ一緒にいたいんです。お願いします……」
「わがままを言われては困りますな。ルーミアお嬢様」
本館の方から声がした。
俺とルーミアが渡り廊下の方を見ると、白髪の男性が立っていた。
その後ろには、金髪の少年がいる。俺の兄、ゼロスだ。
「人はおのれの立場を知るべき、というのが魔術に関わる者にとっての大事なことです。奥方さまの子であるルーミアお嬢様と、
白髪の男性は俺を見ながら話している。
男性の名前は、カッヘル=ミーゲン。
ゼロス兄さまを『リンドベル魔術ギルド』に入れるため、父さまが雇った家庭教師だ。
「何度でも言います。庶子の方は、この屋敷にいられるだけでも幸運に思うべきなのです」
教師カッヘルは言った。
口調は気に入らないけど、言ってることは間違ってない。
俺は父さまが戦に行っていたとき、現地の女性との間に作った子どもだ。
だから
この屋敷に引き取られたのは、ただの幸運だ。
うちの父さまは貴族としてはかなり良い人だと思う。
戦のさなかに、うっかり現地の女と恋に落ちて作った子どもなんか、普通の貴族は放置する。
まして、その女が「この子をお願いします」という遺言状ひとつ送りつけてきただけならなおさらだ。
だけど父さまは俺を探し出し、この屋敷に引き取ってくれた。
田舎貴族だからか、家族もみんなおおらかで、俺を普通に受け入れてくれた。
状況が変わったのは3年前、家庭教師カッヘルが来てからだ。
「ユウキさま……いえ、
「知ってます」
「ほぅ。言ってみたまえ」
「種族としての最高位は人間。次にエルフなどの
「では、貴族の家での格付けは?」
「最高位が当主である父上。次に正妻である母上。ゼロス兄さま、ルーミアさま……その下にいるのが、妾腹の俺、ユウキ=グロッサリアです」
「ひとつ間違えている。君にはグロッサリアの家名を名乗る資格はない。母方の姓を使いなさい」
「失礼しました」
「カッヘル先生!!」
「なんですかな。ルーミアお嬢様」
「訂正してください! ユウキ兄さまは、ルーミアの兄さまで、グロッサリア家の一員です!!」
「そうなのですか? ゼロスさま」
兄さまに聞くなよ。大人のくせに。
「貴族の
「……庶子は庶民と変わらない」
ゼロス兄さまは、俺とルーミアから目を逸らした。
「貴族として、庶民と食卓を囲むことは許されない。僕は上に立つ者として、貴族の自覚を持たなければいけないんだ」
「兄上はこうおっしゃっていますよ? ルーミアさま」
「……兄さま」
「食堂に行きなよ。ルーミア」
俺はルーミアの背中を押した。
「俺も本館で食事をするのは気を使うからね。別館でメイドのマーサと一緒に食べるよ」
「…………わかりました。ユウキ兄さま」
ルーミアは涙目でうなずいた。
身分制か。
相変わらず人間って、そういうのが好きなんだな。
「ひとつおうかがいしていいでしょうか。カッヘル先生」
教師カッヘルに向かって、俺は言った。
「かつて『聖域教会』が『
「『聖域教会』の名を軽々しく口にするな。それは
教師カッヘルは叫んだ。
「だが、質問には答えよう。『
そう言ってカッヘルは立ち去った。
「……『聖域教会』が
あれだけの組織が?
『古代魔術文明の都』を見つけ出し、大量の遺物を手に入れたあの組織が、か。
本当に、それだけの時間が経ったんだな……。
前世の俺が死んだのは、『聖域教会』が『古代魔術文明の都』を発見してから20年後。
つまり今は、俺が死んでから200年後ということになる。
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