蓮池にて

赤、という色が、昔はあったのだそうだ。

それは人間が怪我をしたときに見えたりだとか、あとは、不気味にすぎるけれど、そんな色をした花すらあったりだとか、

道を渡ってはいけないときに、その色の光がともったのだとか、そういう話を、本で読んだことがある。

データベースから拾ってくる「本」に当たり前のように描かれている「赤色」というものがどうしても理解できなくて、何度調べたかしれない。もし紙という媒体が今の時代まで生き残っていたならば、

もしかしたら、その「赤色」も、紙に残っていたのかもしれないのに。僕は、そんなことを考えながら、ぼんやりと蓮池を眺める。


蓮池にて


蓮池は、僕の家からモノレールでだいたい五分のところにある。黄色や桃色、緑や水色のいろとりどりの花に囲まれて、とうめいな水の上にぽつり、ぽつりと、

僕の頭くらいの大きさはありそうなまっしろの蓮が、咲いている。ここはどこよりも静かで、そしてどこよりも気持ちが落ち着くから、僕は好きだった。


池のへりに座って、水に脚を浸しながら、今日も僕は、蓮の絵を描く。白い紙に、白いインクで、インクのふくらみで落ちる影を頼りに。

あんまりにもまっしろな蓮を描くすべを、僕はこれしか、知らないのだ。


絵は、やさしい。


僕の作ったものだから、絶対に僕を否定しない。声を発することがないから、怒鳴ったりもしない。

そして、蓮の絵を描いているかぎり、ぼくは蓮に睨まれることももちろんなければ、視線を気にする必要だって、ないのだ。

とろり。

整形シリコンの瓶に詰めて持ってきたインクに同じ素材のペン先をつけると、何でできているのか分からない白いそれが、糸を引く。

この間読んだ「蜘蛛の糸」という本を、思い出した。この糸も、誰かを救ったりするのだろうか。


まるい風が吹く。僕の髪が揺れる。




今日は、旧暦でいう冬。あと半月もすれば春。そんな頃だ。僕は懐古主義者というわけではないし、

今に不満があるわけでもない、ただの読書好きなのだけれど、旧暦にあった四季を知っているひとが、今、どのくらいいるのかは分からない。


僕の変人扱いは今に始まったことではないから。僕にとっては普通の、そして面白いことが、

他の人にはどうやらそうでないと知ったのは、ずいぶん前のことだから。スクールで、「もうすぐ夏が来るよ」と無邪気に言ったあの頃の僕を、今でも僕は恨んでいる。


「蜘蛛の糸」だって、きっと読んだと言ったら白い目で見られるのだろう。温室育ちの僕らにとって、あんな光景はたとえデータとしてすら与えられることがないから。

自分で手に入れようとしなければ手に入らない情報を持っていること自体が、もしかすると、「変」なのかもしれない。


でも、たとえば。

この池にこうして咲き誇る、うつくしい花の名前さえ知らないなんてことは、あんまりにも、もったいないと思うのだ。


ざらつく真っ白な紙に、僕はまた、線を引く。

それが何を生み出すことはない。

それが、僕に何をもたらすこともない。


非生産的で、そしていっそ反社会的ですらある行為だということは、理解している。

それでもやめることができないのは、僕がわるい人間だからなのだろうか。


この蓮池に、「僕と同じ誰か」が来る日を願いつつ、「僕とは違う誰か」が来ることを恐れるのは、僕にその悪の自覚が、あるからなんだろうか。

白い紙に引いた白い線が落とす、影。

それを見てくれる「誰か」は、「どこか」に、いるんだろうか。

僕のあきらめが、そうしてまた糸を引く。

 ねばつくインクが、また、白い紙に白い線を引く。

 僕の諦めが、またそうして、影を落とす。


 蓮はいつも、変わらない。変わらないで見守り続けてくれていることへの安心感と、少しくらい、変わってくれてもいいのに。

なんていう、身勝手な不満が渦を巻く。蓮池はまるで僕の諦めを映し出したように、変わらない。

 蓮はきっと明日も、変わらない。


 その時、ふと、真っ白だった紙に、僕がうみだしたんではない影が落ちた。ぶわ、と、無数に広がったしみのような影。

それにつられて目を上げた、僕の視界に映ったのは、見たこともない花だった。

 その花は、見たことのない色をしていた。

 ふわふわと揺れながら、どこから来たのか、僕の紙に、僕のちっぽけな世界ともいうべき紙に、落ちてくる。ゆらゆらと降ってくるそれは、菊によく似ていた。


 見たこともない、鮮烈な色。

 その景色に、心がざわついた。生まれてから今まで考えたことのない心持だった。

 僕のこの世界は、変わるのだという予感。それがもたらしたざわつきは、決して、喜びだけではなかった。

「喜びだけではない」その他のものが、いったいなんという感情なのか。それが、どうしても分からなかった。それを考えるうち、僕は気付いた。


 これが、赤色なのだと。


 向かい風に、ぶわりと髪がふくらむ。

 向かい風に、僕のシャツもまた、ぶわりとそれをはらんでふくらむ。それはまるで、ざわつく心が風に可視化されたように。


 ざわざわと降り続くその「赤色の花」を、必死で手を伸ばして、つかみ取る。僕の手の中でくしゃりと潰れたそれは、

手を広げるなり、すぐにまたぱっと、花弁を誇らし気に見せつけてくる。たとえば、死の真際なんかに。僕はこんな気持になるのだろうか。

なんて思いながら、僕はその手の中に捉えた花を、整形セラミックのインク壺から流したべたつく白インクの海に浮かべて、僕の世界に、押し込めた。


例えば、花びらを紙に貼り付けたとして。

例えば、何かを服や鞄なんかに縫い付けたとして。

そんなことができようもないのは承知の上での、例えば。そういったことをして、外のものを、自分のものにしてしまおうとした、として。

それがほんとうに自分のものになったのか、というところに関しては自分の主観だけが頼りだし、

誰に答えを求めたって返ってくるはずのないものだ、ということくらいは、知っている。

僕はそれでも、閉じ込めたかった。


その「赤色」の端と端を白で塗り込めて、絵の具の中に固定して。やっと手に入れたその赤が、

よいことの前兆だとしても、悪いことの前兆だとしても、なんだってよかった。そこにいてくれるだけで、僕と、僕の世界は、あの頃とは違うのだと、思えたから。

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