A Vous Aussi_書き下ろし
「降りる、アタシは降りるわ、さっさと降ろして!」
樹々深い密林と呼ばれる区域に、人の声が響く。実にどのくらいぶりかに聞いたその声に驚いた鳥類が、六つ脚たちがばたばたと慌ただしく枝々から離れてゆくその下に、がうん、と大きく揺れる鉄製の四輪駆動車がある。
声はその車内から響き、そして言葉通りに降りようとしたのだろう彼女を引き止める男の頼りない、弱弱しい声が反響していた。
まだもう少し待っておくれよ、だとか、走っている間に降りるのが危険なことだというのは説明書には書いていなかったけど安全なわけがない、とか、およそ常人が耳にすればそんなことは当然だと一蹴して終わりになってしまうような<理由>をつけて、その声は彼女を引き止める。
「説明書説明書って、読んだだけで訓練もしてない奴の助手席になんて乗ってたら、命がいくつあったって足りないわ! どうりでぐらつくと思ったのよ、何度も脱輪しそうになったし!」
事の発端は、些細な一言だった。
「二輪車の訓練だけでも大変だったし、実際支給されるもんでもなかったから今はもうきっと乗れないわね」という彼女、アイビーの思い出話だ。
エイデンはそれに対し、なんてことのないように返した。曰く、自分なんて訓練もなく乗ることになってしまって、それでもここまで横転することもなくやってこれているのだから、自分よりも有能な上に訓練まで受けているという彼女が乗れないなんてことはないはずだ、と。彼にしてみればまっとうで単純な、信頼感と彼女への評価に基づく言葉だったのだが、アイビーにとっては、そんな信頼感も評価もどうでもよくなってしまうくらいの衝撃だったのだ。
「……アンタ、ものは試しでここまで乗ってきたなんて言わないわよね」やっとのことでそう言ったアイビーの顔色は、まっすぐ前を向いて運転するエイデンの視界には入らない。
「あはは、ぼくがそんな器用なこと、できるわけがないじゃない」笑い飛ばしたエイデンのその表情、声色に嘘偽りが一切ないことは、彼を横目に見ただけでも分かった。
「じゃあどうしたの」
「教習用の映像が残っていたからね」
「……あの、それ、アレよね。私有地のコースを延々ぐるぐる回って、なんか、プラスチックじみた」
「そうそう、人形みたいなものがさ、事故に遭う」
アイビーは、己の顔から、顔といわず全身から血の気が引いていくのを感じながら、顔を覆う。
エイデンの乗車技術は、上等というほどではなかったが悪路にあっても安定していた。トラブルも何度かあったが、それだって、言ってみればこの土地の性質が原因だろうと思えるところが多分にあったから気にしなかった。水辺から張った根を伸ばし、地表に露出して硬化し、更には時折瘤のように栄養か水分か何かしらが滞って、車輪の道行の邪魔をする。悪路も悪路だ。ともすれば訓練なしでここまで横転しなかったというのも、彼の技術の高さを示してさえいるのかもしれない。
が、アイビーに、そんな冷静な判断を下す余裕など微塵もない。彼女にとっては命がけだ。つい最近まで泥水を啜って、死んでゆく仲間の姿を見て、その屍を越えて、六つ脚や鳥類にたかられながら生きていたが、その環境で死んだとしたって自己責任のひとことで片が付いた。自分の命を、自分で、握っていられたからだ。
これが、自分を載せて運ぶ鉄の塊が横転し、その最中に外へ投げ出され、ついでにその鉄塊に押しつぶされて死んだとあればどうだろう。
「あっ、アイビーちゃん、ね、そろそろ西日が、」
おまけに運転手はこのざまだ。眼鏡があれば見えているが、なければまったく見えないのだという。おまけに強い光にすこぶる弱く、西日の頃になると目が潰れるなどと言って進路変更を申し出る。にっちもさっちもゆかなくなって車中泊した日も、少なくない。――そして、彼女は叫んだ。
「降りる、アタシは降りるわ、さっさと降ろして!」
「もう止まるからぁ……」
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