A Vous Aussi_35.139.

 かつて文明が栄華を誇ったその名残り。舗装されていたのがひび割れ、この環境に適応することで生きる術を見出した逞しい植物に犯された路を、ふたりの男は悠々と過ぎる。四輪駆動の車の荷台に、ガスの切れたバイクを載せて。


 うちのひとり。車内でハンドルを持つ男、エイデン。

 道端にあふれかえっている生き残りの人類のおおよそがそうであるような細い手足、歳のせいかこけた頬。衣服はこぎれいに保たれているが、鼻に乗せた眼鏡はヒビだらけで割れかけている。代替品もなく、そんな状態でも掛けていなければ、車の運転どころか数メートルの歩行だって困難になる、男。いかにも温室育ち、というか、ほかでは生きていられなかったから、そこで生きる術、そのための価値を得る術を更新し続けたのだろう、と、アイビーは推測していた。

 そのアイビーは、エイデンの隣。彼には狭い座席に浅く腰を沈めて、ダッシュボードへ脚を逃がしている。

 努めて柔らかいまま保とうとした、努力の結晶たるくすんだブロンド。シートに圧迫されぬようその髪を低めに結わえて、「荷物減ってんだから、座席下げてもいいでしょ」と文句を垂れる。エイデンの倍かそれ以上に太く、引き締まった腕。替えがないからとまとったままの制服の袖を肘までまくり上げているから、エイデンの横目にもよく見えた。

 「だめだよ、荷物を増やしに来ているんだから。」

 「甘やかしたらあとが大変、とでも言うつもり?」

 「ご名答だね。ぼくの特技は君に甘やかしてもらうこと。それから、君をいらつかせることだから。」


 軽口を載せて、ため込んだ数週間分の食糧や水のすっかり尽きかけた軽い車が、路のヒビ割れ、隆起に足をとられて跳ねる。

 どうん、という重い音。サスペンションが心配になるそれに続いて、ばさばさばさ、と、紙の山が崩れる音がした。燃費のために捨てなさい、と、何度言ってもエイデンが聞く耳を持たなかったゆえにまだそこにある、何が書かれているのだかも分からない彼の<宝物>。

 「アンタがそんなこと言ってるから、」

 「悪かった、悪かったってば。だから拗ねていないで、破れてしまう前に……、しわくちゃになってしまう前に、ちょっと片付けておくれよ。」


 頼むからさぁ。


 なんて、普段より一層情けない顔をしたエイデンを見ると、この男が生きてこられた理由も少しは分かろうというものだ。庇護欲をかきたてるその表情は、いくら彼の中身が変人で変態で歓迎できないとしたって見過ごせない。

 冷静にそんな事実をみとめる己の思考に苛立ちながら。

 アイビーは後部座席の足元へと身を乗り出し、手を伸ばして、たとえ助手席にエイデンが乗っていたとしたって、彼にこの重量を掴んで引き上げるなんて芸当はできないだろうなと考えながらひとつかみ。そしてまた、ひとつかみ。紙束を持ちあげては積み直す。


 「あぁほらアイビー、見なよ、ぼくの言ったとおりじゃないか。ぼくはここへ来たことがあるんだよ!」

 まずは礼を言うことを憶えたらどうか、と、腹斜筋に力を込めて身体を起こしたアイビーは、眼前に広がるそれを見て絶句した。繭だった。ちょっと豪華なホテルほどの高さのある繭が、地面から、生えていたのだ。


エイデンが「来たことがある」と言った、例の巨大な昆虫の繭のような建物には、驚くべきことに、電気が通っていた。

 それはさてあの建物の中に入ってみるか、どうするか、とふたりが膝を突き合わせて悩んでいた夜、繭の一部に煌々とあかりが灯った時に明らかになった。そして、それは同時にあの繭の電気系統が生きていること、それを灯す方法を知っていて、かつ、どんな利害が発生するのだかを十分に承知の上で灯している人間が、そこにいることをも明らかにした。

 電気系統が生きていること。外からくる人間や、変異し巨大化したり、凶暴化したりしている生物を拒まない人間が、生きていること。それだけでもふたりにとっては十分に衝撃的な出来事であったが、アイビーの拒絶を無視して走り出した四輪駆動でふたりがそこへたどり着いた時の衝撃は、繭が光った、その時の比ではなかった。


 水道はとっくに腐蝕が進んで使い物にならなくなったと彼らは語ったが、冷え込みのきついこの時期にこうして快く、得体のしれない外の人間を招き入れてくれるだけのおおらかな人格を保った人間が存在することが、それだ。


 特にアイビーは、それまでの旅の中で何度も拒絶されてきた。エイデンだけならば住処に入れてやるが、アイビーはダメだ。と、何度も突き放されてきた。

 エイデンは非力に見えるし、実際かなり非力だ。たとえ害をなそうとしたって力づくで止めることなんてたやすいものだ。そう考えてのことだろう、ということは、アイビーにもよくよくわかっていたこと。だからこそ、背も低く、肉付きも悪く、ついでにアイビーが一発本気でぶち込めばあばらの一本二本はたやすいはずの彼が、一片のおそれも見せずにアイビーを受け入れたことにはひどく驚いた。

 「繭はその中身を進化させるために、それに必要な期間だけ中身を守るものだというけれど、」

 「……そうね、言いたいことは分かるわ。」


 エイデンは歪んだ眼鏡を掛け直し、アイビーは、乱れた髪をかき上げる。繭の中にいる彼らは、おそらく繭の中で生きていられる限りずっと、ここから離れるつもりがないのだろう。離れなくてはならない、進化の時。それはきっと何世代も後のことになる。

 アイビーが連想したのは軍隊で、エイデンが連想したのは、群体だった。

 戦果の報告にはたった一人が生き延びればいい。そして、戦果が無事報告された暁には、その情報を元に対策を立てたり、兵器を開発したりと、敵となる者に対しての軍は進化したものとなる。それは一つの生命体であっても同じで、特に細胞分裂によって代謝を行い次世代を生み出しているものに関しては、あまたある細胞の群れのうちひとつだけでも活動を停止していなければ、他のすべてが停止していたところで分裂できる。次の世代が残せるし、また元通り殖えることさえできることもある。


 この繭の中。全部で何人が生活しているのだかまでは把握できなかったが相当数の人間が、そうして互いの垣根をいっとう低くして、進化の時を待っている。

 そしてその進化の時へ至るきっかけが外からもたらされることを期待して、彼らを呼び寄せ、招き入れた。ふたりは、そんな風に考えた。

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