プラスティックメンタ―_再生

 Detecting unknown threats

Downloading anti-virus information and pattern file

 COMPLETE

 Disconnecting from network server

 ………………

 ERROR! ERROR!

 ERROR! ERROR!

 Downloading unknown file data

 No operation allowed

No operation allowed

 ……

 COMPLETE

 REBOOT 


 ごと、ん。

 冷たい床と重たいものが接触する音が、部屋中に響き渡り、わたしの腹を震わせる。目の前で起きたことの一部始終を見ていたはずなのに、一体目の前で何が起きたのかが理解できない。

 短い呼吸を繰り返しながら、私はまるで壊れたおもちゃのように、非常に緩慢な動きで視線を床へと滑らせる。


 わたしの眼下には、足下には、メンタが倒れていた。


 仰向けになって四肢をだらりと投げ出したメンタ。瞳は固く閉じられ、薄く開かれた薄桃色の唇からは白い前歯を模したパーツが覗く。人間そっくりに作られた顔は一見すれば、ただ眠っているように見える。

 しかし、メンタはあくまでも人間を模しただけの存在だ。眠るという行動を模した行為は、決められた時間の前後にしか発生しないのだ。我が家のメンタのそれは、ちょうど日付の変わる時刻に設定してあり。すなわち現在このような状態になっていることは、異常なのである。

 そんな掻き乱れた思考を髪の毛と共に両手でかき乱し、わたしは椅子から飛び上がった。

 おい、と喉から漏れた声はひどく掠れている。早鐘のように心臓が鳴り響く。喉の奥が乾いて張り付く。

 おい。もう一度声を掛けながら、肩を揺らす。ぐらり。わたしの手の動きに合わせて、メンタの頭が揺れる。ただそれだけ。メンタの肌の下を這う排熱管も一時的に停止しているのだろう。ただの冷たい鉄の塊に人工皮膚を覆っただけの存在へ戻ってしまったメンタ。わたしの手の熱が伝わったのだろう、いやに生ぬるい、まるでそのゴムのようなぐんにゃりとした肌に触れながら、わたしは舌打ちをした。

 ああ、だからこんなオンボロは早急に捨てなければいけなかったのだ。今日聞いてきたばかりの金額が頭の中をぐるぐると回る。あぁ、早くどうにかしなければ金が貯まるまで、この人型の死体もどきを家で保管し続けなければならなくなるのだろうか。ベッドに寝かせればいいのか。それとも、人間と同じように棺桶でも用意すればいいのだろうか、なんて。自分自身でも制御できない思考の断片が浮かんでは消え、わたしの思考をかき乱す。

 わたしの手の下にある、メンタがどんどんと冷たくなっていく。メンタの冷たさがこちらの手の熱を奪い始める。

 そうだ。わたしは唐突に思い出す。メンタに突発的な不具合が発生した際の、強制起動の方法があったはずだ。不具合を起こしたメンタもといアンドロイドは、ウイルス感染をしている恐れもある。特にうちのメンタのように旧型は、ウイルス対策ソフトが万全でない可能性もある。そのため、サーバーと接続をしているネットワークを速やかに手動で切断する必要があるのだ。手動での切断方法は――。

 アンドロイドの所有者であれば必ず一度は確認する手段のはずなのに、遠くから聞こえる、あの骨董品から漏れる声がわたしの思考を邪魔する。髪をぐしゃり。かき乱した。ああ、全く今日は良いことがない。

 アンドロイドの廃棄の値段も。鞄のか中でどういうわけか起動した骨董品が勝手に動画を再生し始めたことも。メンタが不具合を起こしたことも。何もかもついていない。

 乱れた思考のまま、わたしは舌打ちと共に己の使い慣れた端末に手を伸ばし、メンタの再起動方法について調べようとした――その時だった。

「あ、ぁ」

 目の前で、メンタの唇が震え、音が出る。人工毛髪で作られた睫が震え、ゆっくりと瞼の下から瞳が現れる。わたしの指の下で、熱が灯る。人間の体温と同じ三十五度の熱が生まれ始める。どうやらメンタは自力で再起動をしたらしい、と気が付くのと同時に、きょろりと。メンタの瞳がわたしを射貫いた。

 高性能カメラを人間の目の形に加工しただけのそれは、極端に言ってしまえば無機質なガラス玉だ。どれだけ形よく人間を模しても、メンタがアンドロイドである以上こればかりは仕方がない。

 しかし、その瞳がわたしを見つめた瞬間。ぞわりと。わたしの二の腕が粟立った。

「メン、タ?」

 アンドロイドやメンタ、またわたしたちの生体情報やその他様々な情報によって、形のありなし関わらずありとあらゆるものが管理されている現在。危険なものはそれらの情報を元に事前に退けられている。わたしたちの周りには、そういう『危ないもの』は極端に言ってしまえば存在しない。わたしたちはまるで赤子のように大切に大切に、見えない柔らかな布に包まれている。

 しかし、この目の前にいるものを、見慣れたメンタであるはずのものを見たわたしの脳が、本能が、叫び、わたしの体にサインを送ったのだ。

 ――このメンタは恐ろしいものだ、と。

 わたしは宙に浮いたままだった手を伸ばし、ひったくるように端末を手の中に納める。素早く緊急ダイヤルの三桁の数字を入力。そのまま通話ボタンを押そうとする――が、その寸前、わたしの手首をメンタが勢いよく掴んだ。

「ひっ」

 かしゃん、と。わたしの手から零れた端末が、冷たい床を跳ねる。緊急ダイヤルの画面のまま、端末はメンタによってピカピカに磨き上げられた床を滑り。そうして、部屋の隅に向かってくるくると回転し、ようやく停止した。

 ぎちり。わたしの手首に今まで感じたことのない、強い圧がかかる。メンタに本気を出して掴まれたことがないとはいえ、人間を軽々と運ぶことのできる力を持つメンタだ。きっとわたしのこの枝のような腕なんて、あっという間にへし折れてしまうだろう。思わず息を呑み、身をすくませたわたしであったが。しかし、わたしの予想に反し、メンタはわたしに危害を加えることなく。それどころか、少し高いその身を屈ませ、わたしと視線を交わらせた。

「怖がらないで。君を怯えさせたい訳じゃない」

 まるで幼い子供をあやすような。優しい、囁くような声色。記憶を探るが、過去に、このメンタがそんな声を出したことなんてない。

 突然倒れたメンタ。

 再起動後にわたしに恐怖を与えたメンタ。

 わたしの行動を無理矢理止めたメンタ。

 今まで出したことのない声色で話しかけてくるメンタ。

 どれもこれもわたしの記憶にあるメンタとは重ならず、否応なくこの目の前にいるメンタが、わたしの知っているメンタとは全く違う存在であることを認識する。一体何が起きているのだろうか。ただただ身を震わせるばかりのわたしに、メンタが、否、メンタではない何かが再び口を開いた。

「驚かせてしまったことは謝る。ただどうしてもこれと同期するためには、ああするしかなかった」

 君に危害を加えるつもりはない。

 そうソレはゆっくり、噛み砕くように言うと、わたしの手首を掴んでいた指をあっさりと離す。じくじくと痛む手首は赤くなってはいるものの、鬱血はしていないようだ。わたしは手首を擦りながら、メンタをじろりと見つめて、そうして、問うた。

「あなたは、」

 ――誰。

 何、ではなく誰、と。わたしの脳は自然とその言葉を選んだ。

 そんなわたしの問いにソレはほんの少しだけ驚いたように目を開いてから、ふ、と口元を緩めて見せる。ゆっくりと、倒れ込む直前まで座っていた椅子に座り直し、肘をついて見せるその姿はあまりに人間らしかった。私は、とその血が通っていないはずなのに妙に赤々とした唇が動く。

「私は、君が思っている通りの人物だよ」



<Written by 暗炬>

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