試し読み各種

魚倉 温

プラスティックメンタ―_手記

 日付はいらない。私の名前もいらない。この手記は私のためだけにあり、読者もまた、恐らくは私だけだろうから。

 もし後世に人間という種が蘇り、この手記が読まれるようなことがあったとしたって、その頃に私はもういない。私が誰であったのか、何をし、何を思い、何を求めたのだかということはきっと伝わってなどいない。ストレージはもう飽和状態だ。あの日同級生の卒業論文が一斉になかったことにされたように、私の記憶も記録もすべてまとめて吹っ飛んでしまうだろう。そのリスクはあの頃よりも現在の方がうんと高く同様に現在よりも未来の方がまた、高い。もし吹き飛ぶことがなかったとしたって、ストレージが誰だかの手で拡張でもされない限りはきっとあと数年を数十人の人間が生きればそれだけで、私の人生などはきっと他人に上書きされる。


 というわけで、この手記の筆者たる私を見つけられる人間はきっとおらず、もし私がここに手がかりのひとつも残そうものなら私は、「私の人生」を伴わないこの「手記の筆者」としての概念だけが残るのだ。人間として人生を保存されているのならばまだしも、それのない、物語としてだけの人生。そう考えると、やはり恐ろしい。

 私の手記は、過去の保存のために行うのではない。いずれ消えるものを遺そうとすることに、何の意味があるのか。以前の私であればそう言って、一笑に付すことすらなく不要と断じて捨て去っていたのであろうものだ。それを今更、後生大事に保存しようとしているのではない。この行為が私を清算することになる、と、考えてのことだ。奇しくも私は、あの日彼が断言した「不変ではありえない」人間の性質を今更、自覚している。


空が、見えている。それは私にとっては、数年前に見た光景とまったく同じ空だ。


この「空」というものの微細な表情の変化を読み取れる人間は、今やひとりもいない。そもそも空というもの、無機のうちに表情という概念を見出す者すら、きっとひとりもいなくなってしまった。私は、単にそれに憧れるだけの、情緒に欠けた男だった。だから今、私の隣には大気がある。私にとっては、「空」というのも無機の集まりとしての「大気」だった。窒素、酸素、二酸化炭素。汚染される前の環境に近づけるべく稼働する、エアーコンディショナーの排出する人工物。この大気にも、エアーコンディショナーにも、シナプスひとつありはしない。

思考し、電気信号で筋肉を動かし、喉の奥から大気を震わせる愛しい肉の器も、ここにはいない。

 無機に囲まれて、情動のうすぼけた無機的な人間の名残りがひとり、いるだけの景色だ。

 彼は私のこんな感情を、感傷や、情緒と呼ぶのだろうか。


 空に表情があるのだという概念を受け入れ、その表情を読み取る。無機に有機を見出して朗らかに笑う、そんな特別だった彼がこの世界を後にしたのは、もうずいぶん前のことだ。


 彼は、社会的には何ら特別なところのない、平凡な人生を送った労働者だった。労働者の家庭に生まれ、労働者として生きた。彼が特別だったのは、あくまでも「私にとって」という、きわめて限定的な条件下においてだった。

 学生時分。私は研究者であったから、第四学位への進学が決まっていた。彼は労働者として、第三学位を修了後は彼の両親と同じシェルターで畜産に携わることになっていた。研究者と労働者は、将来的に相互扶助の立場になる。そのことを理解するため、私たちは学科をちょうど二分するように配置された。私と彼は、近づく別れを惜しんだり、将来の夢を語りあったりでその群れが見事に混ざり合った部屋の中から逃げだして、植物園に駆け込んだ。そこにいてはまるで自分たちも混ざり、違和感のひとつもなく溶け込むように呑み込まれてしまいそうだ、と、彼が言ったのだ。そこにいる人間にではなく、人間たちのいる環境に呑み込まれてしまう、と。

 彼にとって、どうしてそれが嫌だったのかは分からない。一般的な研究者、労働者、という枠にはまってしまいたくなかったのかもしれない。彼がそのような枠組みを嫌がるタイプの人間だったのかは分からないが、そもそも私が人間のタイプや気質を気にかけることがなかったから、分からない。懐かしむこと、思い出すことが精いっぱいであることを、今はすこし、淋しくも思う。


「ここには、プランターがあるだろ」

 「整形セラミックだ」

 「そういう話じゃないんだ。頼む。いいか、ぼくが良いって言うまでは何も言わないでくれ。こんなことを頼むのはきっと今日だけだから」


無機に最も近い、物言わぬ生物に囲まれて、私たちはそんなやりとりをした。彼はそれまで私の話すのを遮ることはなかったし、きっと今日だけだ、と言ったことばの通りにそれからもずっと、私が話しだすと決まって笑って、私の言動があちらこちらへ寄り道をしながら走り続けるのを眺めていた。私は彼のその行動、それに至る思いというものにまったく想像が及ばなかったが、それは決して居心地の悪いものではなかった。彼は非常な夢想家で、私のことばが「どうしてそう紡がれたのか」ということに考えを巡らせるのが好きだったのだと、それを聞いたのは結局、彼と過ごした最後の日の、三日前。彼の名誉のために言うと、彼自身が夢想家であると自称したわけではない。

こと彼との会話、すごした日々に関しては、私の記録に誤りはない。私は後の私のために、ここで断言しておく。

彼との記憶自信を持てくなる未来など想像もつかないが、万が一その日が来たら?


 私と彼は、まるきり異なった思考、そして嗜好の人間であった。彼は飲料の中でもナンヤラという名前のどぎつい緑色をしたものが好きだったし、それに赤い果物と、白い氷菓を載せると喜んだ。それが最高級の贅沢だからというわけではなく、目が楽しく、心が浮かれるのだと語った。彼は食時の際にはフォークとナイフとスプーンを器用に使ったがカチャカチャと音を立てる癖だけは直らなかったし、今挙げたいずれもが私とは正反対だった。私は色のついた飲料、特にその色の原料が不明であったり、逆に高名で多くのクレジットを支払う必要があったりしても苦手であったし、味が付いているのもそうだった。私の飲料は、ようく濾過して煮沸した淡水。食事の際には極力カトラリーを使わないで済むようにしていたし、レセプション等で必要とされた際にはほんの少しの音も立てられず、彼には「いったい何が恐ろしいんだい」と笑われさえするくらいだった。しかも、カトラリーを使わないようにしていたのだって、べつに彼に笑われたくなかったとか、そういうわけではなく単純に使うのが苦手だという理由からだ。

私は今に至るまで、突き詰めて、己の満足いくまでの完成度に至っていないものを人前で披露するなんてことはできないのだ。自分さえ満足できていればいいのだ。誰に笑われようと気にすることもないし恥じることもないが、中途半端なものを指摘された日には目も当てられない。自覚している、分かっている、と形容しがたい感情に襲われる。

 何を始めても満足するまで止まらない私と、何を始めても随時手を、思考を止められる彼。

 私が話しだしたのを遮られた時、私が感じたのはそんな彼への違和感だった。


 「ここにはプランターがある。プランターの素材がなんであるかは置いておこう。それはそれとして、プランターでは、植物を育てている。植物の種子は、中央プラントに保存されていたものを複製して、研究者たちが何度も何度も、土と、気温と、湿度と、そういう複雑な実験を繰り返して分析して、成長させるための環境を整える。労働者はその種子を受け取り、伝えられた環境で育てて、次の種子を取って研究者に渡す。そうやってできたサイクルが、このプランターの中に閉じ込められている。これは、一緒に受けた講義で語られたはずだ。」

 その違和感のベクトルは、決して負には向かなかった。彼は、この時から、私の特別になったのだ。

 「けれどぼくらは、どうだろう。最近そんなことを考えるんだ。ぼくらの起源はずいぶん昔、プラントができる前だと言われてる。起源の種子は保存されてなんていないし、ぼくらはそのレプリカでもなければ、レプリカなんて作られる予定もない。それなのに、年々、個体数は減る一方だ。きっとぼくが生きている間はゼロにはならない。けれどぼくらの次の世代は?」

なにせ、私はそんな疑問など一度も、抱いたことがなかったのだから。

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