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――約束をした。
「アルマ、必ず君を生き返らせる」
まだ、王になる遥か前。
真夜中の礼拝堂。忍び込んだ十九歳の若きルドリトゥスは、隷獣召喚の最上位、禁忌とされた“神呼びの儀式”の為に、白樺の十字架を血で濡らした。
幼き子を一人残して焼き殺された妻を想う。彼女に溺れていたルドリトゥスは、取り戻す為に縋る対象を選ばずにいた。
例えその神が“破壊の神”でも。
ただ、それだけを。
「何人分の血で濡らした? 未来の王よ」
声が聞こえた。美しい声。
顔を上げれば、十字架の前に少女が一人立っていた。
「神、なのか? 君が?」
ルドリトゥスは、罪人の血を満たしていた錫のバケツを落とした。
祈りが全てでいた彼は、疑う心に欠けていた。
「ええ神よ。だけど“ルドリトゥス”、私は世界を逝き交わす神。人には成れず、今は白樺の十字架に封じられた力なき存在」
背を向けて十字架を見上げた少女。長く、美しい黒髪。
自身の思う神とは違う。伝承上の、いずれとも違う。しかしその時から、ルドリトゥスはそれを神と認識した。
「妻を生き返らせたい。叶えてくれ。お願いだ、なんでもする」
ルドリトゥスがそう言うと、彼女は長い髪を翻しながら振り返った。
そして屈託の無い、無邪気な笑顔を見せた。
「なら、“血”、を、もっと集めてきて。私が力を取り戻す為に、貴方に力を与える為に――」
美麗なステンドグラスから差す、燦たる光に照らされていた。
──❦──
見せしめを兼ねた斬首が終わり夜になり、鉄塊は破壊の跡残る礼拝堂で停止していた。
魔導学者が恐る恐る調べているがその構造は理解が追いつかぬ程に複雑であり、それこそ“神の創造物”としか結論付けられなかった。
ただ、一つ。
「鉄塊の中に、人間の“頭部”らしきものが埋め込まれています。故に自ら思考して動いているではないかと」
それだけが、魔導学者の導き出せた答えだった。
王は執務室に入った。例の鉄塊を踏まえて、進軍の計画を立てなければならない。
それは深夜にまで及んだが苦ではなかった。神を信じればこそだった。
と。
「父上!」
日も昇ろうとしていた時分。突然扉が開き、そして入ってきた顔を見て王は目を見開いた。
「アルキネウス!!」
すぐに立ち上がり、王は走り寄った。
混乱の中、終日伝令も無かった。故にその確実な報せに何よりも王は喜んだ。王にとって唯一の肉親となった息子の帰還。
アルキネウスの両の肩を力強く掴んだ。
暗君とも呼ばれた王はしかしその時は少し、涙ぐんでいた。アルキネウスは、アルマの残した子。
「良かった! 生きていたのだなアルキネウス!! 死んだと聞いて後を追おうとまで思った程だ! いや、しかし、良かった……!!」
「いえ、確かに一度は死んだのですがどうにも息を吹き返しまして……しかし父上、これはどういう事ですか? 戦況は……その、言いたくありませんがかなり押し込まれていたのものだと……」
「一度死んだ?」
そう聞いた王の顔は、一瞬険しくなり、しかし直後にまた笑顔を見せた。
「そうかアルキネウス、ならば“神呼びの儀式”が成功したんだ! お前が生き返ったのはそれだ! 喜べ、もうすぐお前の母親に会えるぞ!!」
「……? 母に……?」
アルキネウスは、父の言葉の真意を読めずにいた。
ひとしきり再会を喜んだ後。
王はアルキネウスを連れて、礼拝堂に降りた。
そして薄暗い暁光の中、救国の“鉄塊”を見せた。
「これ、ですか……?」
「ああそうだ、これも“神”が我々に与えてくれたものだ。敵の尽くを潰し回り、遂には追い払った英雄だ」
「…………」
――危険だ。
アルキネウスは思った。論理的な思考ではない。直感的なものだった。
「父上、これは、しかし……」
「軍の再編後にはこれを先頭に立たし、反攻に移るつもりでいる。お前は見ていないが凄い働きをするぞ、貪欲に血を求めているかのようだ」
父の言葉に、アルキネウスは反対の意を紡げない。実際に彼自身、この鉄塊の働きを直接には目にしていない。
しかしそれでも、何故だか言いようのない不安が募った。
何よりもアルキネウスの心臓が、恐怖を感じていた。
それから数日が経ち。
疲弊からまだ回復していない軍に対し、王は進軍を命じた。
カウディオ峡谷のスラヴェト軍を追い払い、同要塞の奪還が第一の目標とされた。
要塞は居住機能も持った石造りの構造物であり、狭い峡谷に小高く土を盛り建てられていた。
上階から矢や投石での攻撃を行えば接近も難しく、スラヴェトは仲間の屍を壁や盾として使用しなければならない有様を経て漸く攻略を果たした。
「ペルガニア軍が奪還を画策しているが、それは不可能であります」
そう本国に報告したのは、スラヴェト軍中将エヴゲニー・ミクヘーエフ。“攻城の猛将”と云われた老兵であり、現在カウディオ要塞部隊の指揮官を任じられている。
ミクへ―エフ中将は要塞攻略後、すぐさま修繕と補強を施し、隷獣を数多く配置する事でこれを更に頑強にした。
特にペルガニアが軽視していた、初激を防ぐ重装兵を増強した。トロルやオークなどの巨体を持つ隷獣で“鉄塊”を始めとする敵を足止めし、上階からの攻撃で打撃を与える。
「我軍は立て直りつつあります。防衛戦は三日かからず終わり、すぐに敵首都アルマの再攻撃に移れるでしょう」
蓄えた美髯を悠然と撫でながら、敵を迎え撃つ態勢に入っていた。
鉄塊には、ミクへ―エフ中将の策は一つも通用しなかった。
矢も投石も物ともしない。小高い丘への走破性は馬車を大きく上回り、制圧力はレギオンを超えていた。補強された壁も巨体の重装兵も、構わず破壊しそして潰しながら前進した。
策など立てようも無かった。あらゆる攻撃・防御が全くの無意味であった。
「あれは、ただただ化物だった」
そう書き残し、ミクへ―エフは自害した。
要塞を目前とした位置。早朝にアルキネウスは陣を布いたが、日が真上に昇る頃には既に戦闘は終わり、鉄塊が敵軍を粉砕していた。
数ヶ月に渡ったかつての防衛戦が嘘であるかの様であった。
「アルキネウス様、要塞は破壊が著しく入城は危険かと。野営の準備を致します」
「ああ……そうしてくれ」
アルキネウスは、鉄塊を見ていた。彼の目には、あれがただ無作為に破壊をしているようには見えない。
それは敵と味方の区別、といった事は勿論の事、それ以上に、殺し方に特徴がある。
(心臓を選んでいるのか?)
そう見えた。
鉄塊は人の歩みより速く、馬よりは遅い。
対峙した兵はその鉄塊に向かってくるにしろ逃げるにしろ、最期はその前部のローラーで倒され、轢き潰される。
その場合大抵、足先から潰されていく。しかし鉄塊は一息には完全に潰さず、腰上辺りまで潰した所で一旦止まる。
そして何かを確認したかのように“両の目”を一瞬だけ輝かせると、改めて完全に潰す。
それは、頭から人体を潰すときも同じだった。頭を完全に潰し、首元まで潰し、一旦止まる。
(心臓を探しているのではないか?)
そんな動きに見えた。
理由は分からない。そもそも鉄塊は機能し動いている。心臓など必要なのだろうか。そんな疑問が浮かぶ。
アルキネウスは自らの胸に手を当てた。
剣で貫かれた筈の心臓。不思議と動いている。
(もしや……? しかし、だとしてもならばどうして……)
このままペルガニア軍が進撃を続け、最終的な勝利を得たとして。
それから世界はどうなるのか。
栄光を信じて誇り高く戦死した精鋭の第一師団を、遠く思い出していた。
――神は、力を与えると言った。
王は信じている。あの鉄塊こそがその力だと。
――ああ、お救い下さい神よ――
道なき道を切り拓き 向かい来る敵全てを潰し下さいまし
その血はあなたの為の血です 必要なだけ捧げます
だから神よ我らを救い
どうか願いを叶えて下さい
神よ、神よ
狂いの神よ――
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