ɹǝɥʇǝƃoʇ uʍop oƃ plnoʍ ǝM

「洋介君って、優しいよね」


 とある日の事。広末メイはそんな事を言った。

 特段、仲良くは無かった。

 その日、どういう経緯か一緒に帰る事になったメイと洋介。交わす言葉も、途切れ途切れだった。

 趣味も、嗜好も、互いに知らない。


「どうして? 俺はそうは思わないけど」


 メイは縁石の上を歩いていた。

 時々バランスを崩して転びそうになるのを、危なっかしそうに洋介は見ていた。


「だって、一緒に帰ってくれてるし」


「……そんなつもりじゃないけど」


「私が」


 メイが、縁石から降りて、俯いた洋介の顔を覗き込む。


「クラスで浮いてる事、気にしてくれてたんだよね」


 言われて洋介は、否定できなかった。

 彼女を放っておけなかったのは事実だった。






 ――それから数ヶ月。


 雨もなく、風もない穏やかな日。


 洋介の両親は、決断を迫られていた。


「頭部は潰れましたが、彼の心臓はまだ動いています。それが必要なんです」


 医師は言った。

 医学的には有り得ない事だが、人体は時に理論を超越する。

 頭は潰れたが臓器は動いている――まるで蟲の様、と医師は思ったが、それは口には出さなかった。


 その医師の必死の説得、無理を言っている事はわかっていた。

 今朝死亡した息子。両親はまだ現実を受け止めきれていないだろう。そんな状態で息子様の心臓をください、と言っている。親が簡単に決断出来る事だとは思えない。


「二月程前に運び込まれた患者は、心臓に傷がついています。いくら治療しても不思議と塞がらず……」


 などと言う医師の説明など、両親は半分も頭に入らなかった。


「今すぐに決断を、とは言いません。ですが、心臓もいつまで動いているかは未知数……可能な限り、早く」


 それから一昼夜。母親はひとしきり泣いて、父親は呆然としていた。

 翌日、雨はないが風の強い日。少し、ただ僅かにだけ平静を取り戻した父親は、


「……洋介は、優しい子だったな……困っている人を、助けずにはいられないような……」


 そう、息子を想いながら呟いた。


 診察室の外、廊下の椅子に、広末メイは座っていた。

 俯いたままでいた。家に帰らずそこで寝て、起きて、尚も座っていた。

 自分の行動の結果によって、山本洋介は死んだ。それは彼女にとって事実だった。






       ──❦──






 ――王は鉄塊を追って外に出た。

 鉄塊は壁を突き破りそのまま城外にまで飛び出し、侵入を始めていた敵兵達を踏み潰した。

 骨ごと砕き潰していた。容赦なく、慈悲もなく。やがて夥しい量の血が、城塞内を覆い尽くしていった。


「何だあれは、何故動いている? 誰も乗っていないのに……」


 王は訝しんだ。御者もないが、しかしあの鉄塊には意志があるように見えた。そんな動きをしている。

 確実に、指向性を持って敵を轢き殺している。


 スラヴェトは人間、亜人、隷獣入り混じった軍であった。しかし鉄塊はそれら全てを問題にせず、全て轢き殺しながら城門の外にまで走り出た。

 平原を埋め尽くす敵、攻勢に逸るスラヴェト軍も、その異様な鉄塊を見てたじろいだ。

 たじろいだ、が、鉄塊は構わずその軍勢の中に突っ込み、次々と跳ね飛ばして轢き殺していった。


「私が止める」


 そう言って鉄塊の前に進み出たのは、巨体のトロル。

 三メートルを超える身長に特注の巨大な斧を持っていた。

 その斧を、振り上げた。

 そして鉄塊が目前に迫る中、


「でやッ!!」


 気合一閃、振り下ろした。

 が、斧は虚しく柄の根元から折れ、直後トロルは鉄塊の前部ローラーに轢き潰された。

 人よりは頑丈な身体であっただろう。だが、それでも容易く轢き潰された。


 なまじ勇敢で決死であるが故に、判断は遅れていたスラヴェト兵達。だがその惨状を見て、


「駄目だ! 槍も、弓も、魔導の火も効かない! 退がれ!!」


 散り散りに逃げた。

 その敵を、鉄塊は追っていった。


 残されたのは、城塞内に押し込まれていたペルガニア軍。

 王都を包囲した六十万のスラヴェト軍に対して、ペルガニア軍は三万を切っていた。

 あとは神に奇跡を祈るしかない状況に於いて、あの鉄塊は、その神が与えたとしか思えない。弱り切り絶望の中にいた兵達にとっては、救世主。

 故に、戦意を取り戻した。


「走れ!!」


 誰かが、叫んだ。


「あの鉄の荷車を追って走れ! 神は我らを見捨ててはいない!!」


 おおおお、と、そこかしこから雄叫びが聞こえた。

 死を待つしか無い兵達が、最後の力を振り絞り、再び立ち上がっていた。




 王がかつて思っていた神は――伝説上にて語られる神とそれは同じく、神々しくも人間の形だった。


 それは人が見下ろせぬ程に巨大で、直視出来ぬ程に眩しく、穢し難い程に美しい。


 やがてその認識は改められたが、それでも心の何処かでそれが真実だと信じていた。


「神呼びの儀式は成功していたのか? その結果の産物なのか?」


 惑っていた。

 自身の知る神と違う。しかし自身が神に望む結果の一端を齎してくれている。即ち前王マティアヌスが封じたという“破壊の神”としての力。

 もしも神が試しているのなら、その敬虔さで信心を証明しなければならない。

 あの異形の鉄塊は神なのだと。或いは神の遣わした救世の徒なのだと。

 狂信しなければならない。




 ――一昼夜の後、スラヴェトの軍は遂に平原から駆逐された。

 何万もの死体と、幾万杯分もの血を残して。


 捉えられた敵将校は、中央広場にてギロチンにかけられた。

 傷ついた民達に誇示するように、王が自らギロチンの刃を落とした。

 首から流れる血は銀盃に集められ城へ持ち帰られた。


「神に捧げる」


 王は、敵将校の首を掲げ高らかにそう言った。




 その行為の意味を、誰も見いだせない。見いだせないまま民は熱狂した。

 ただ幸薄きペルガニアの未来から、一時でも目を背ける事が出来ればそれで良かった。

 戦争はまだ続くだろう。逃げ場所など、何処にも無い。


 暗澹の都にて、民はただ狂歌に興じた。




“王よ、王よ、狂いの王よ”

 

“どうか下賤なこの民草に 向かう世界をお教え下さい”






       ──❦──






 ――アルキネウスが目を覚ましたのは、暗い棺の中だった。


(何処だ、ここは……?)


 どれだけ眠っていたのか。そして何故眠っていたのか。

 思い出せる最後の記憶を探った。


(私は……確か死んだのではないか……金髪の若き騎士に心臓を貫かれ……)


 一万五千の精鋭兵を引き連れ、東方カウディオ峡谷にて敵を迎え討っていた。峡谷は、スラヴェト西方から王都アルマへと続く道。そこを敵に突破されればアルマにどんな悲劇が訪れるとも知れない。

 強固なカウディオ要塞で頑強な抵抗をし、陥落後も峡谷の地の利を活用した遅滞戦闘を繰り返した。

 だが、兵数の差は如何ともし難く。

 援軍も補給も期待できない状況では限界があり、相手に多大な損害は出しつつも終ぞ六十万の敵軍を通してしまった。

 一縷の望みを託し、ペルガニア最強の隷獣であった翼竜を逃がす事は出来た。しかし、それがどの程度の意味を持つものかも知れない。


「ペルガニアの誇りの為、最後の一兵になるまで戦う」


 父は――王は、危うくなれば要塞を捨て王都へ戻ってくるよう言っていた。

 しかしアルキネウスはそう鼓舞した自身の言葉の通り、味方が尽く倒れた後も剣を振るい続けた。


「聖騎士アルキネウスとお見受けする! これ以上、兵を無益に損耗はさせられぬ!! 一騎討ちにて決着をつける!!」


 最後は、そう言って進み出た金髪の若き騎士に、心臓を貫かれ敗北した。


 味方も、全て玉砕したと記憶している。

 生き残りはいないだろう。撤退は許されていない。


(ならば私を棺に入れたのは、スラヴェトの者か)


 その騎士道精神には感嘆した。しかし、自分は息を吹き返してしまった。


 アルキネウスにとって幸運だったのは、棺が薄い木製の簡易な物であった事。

 そして、埋葬も浅かったという事。

 スラヴェトと言えど疲弊し、味方の弔いもある中でその様な、敵将とはいえある種杜撰な形で埋めるしかなかったのだろう。


 故にアルキネウスは棺を壊し、土を掘り、地上に這い出る事が出来た。

 当然の事ながら武器も防具も剥ぎ取られている。その状態で戦地へ行けど何が出来るとも知れない。

 だが、峡谷を突破された今、王都がどうなっているか。

 すぐにでも確かめねばならなかった。


 アルキネウスは走った。疲れは感じなかった。貫かれた筈の心臓は、正常に動いていた。

 痛みも無く。

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