異世界ロードローラー
小駒みつと&SHIMEJI STUDIO
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きっと神様は無邪気なんだと、祈りをやめた少年は思う。
人が植物の痛みを解せない様に、神様も人間の痛覚を些末な事象に捉えている。
即死だった。
残暑茹だるアスファルトの上、まだ青いイチョウの木の下。
高校二年生・山本洋介は、大型のタンデム式ロードローラーに潰された。
二車線の国道、見通しのいい交差点。
横断歩道の先で手を振る同級生・広末メイに気を取られ、左右の確認を怠っていた。
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死体検案書
氏名 山本洋介 男性 十七歳
死亡日時 9月13日 午前8時15分
死亡場所 東京都八王子市
死亡の原因 (ア) 直接死因 脳損傷
(イ) (ア)の原因 車両と地面による頭部圧潰
即死
死因の種類 交通事故
特記
頭部への強い衝撃により脳が著しく損傷、回収不能となる。
上記のとおり検案する
検案日 9月13日
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左方向から走ってきたロードローラーは時速20キロと低速だった。
洋介は前部ローラーの下敷きとなり、車両の下部へと引き込まれた。
左手の指先からまず潰された。
骨が砕かれ皮膚が引き千切られた為に激痛があったが、洋介の意識はまだはっきりとしていた。
痛かったが、まだ生きていた。
非日常的な惨たらしさが自身の腕に降りかかり、神経を焼く激痛は感覚を鋭くし時間を鈍重にさせた。
故にそれが混乱を齎し、既に機能が絶望的な左腕を引き抜こうとしてしまった。
前進を続けるロードローラーに引き込まれる形で、身体は車体により近づいた。
腕を捨てれば生還は望めたが、その決断に至るには洋介はまだ若すぎた。
左下腕が完全に潰された時、洋介は地面にうつ伏せの状態。
アスファルト上の落ち葉が、殊更青く見えた。
ローラーは目前にあり、速度が緩まないそれは彼を絶望させた。
見上げてしまったローラーに視界が完全に塞がれた数瞬の後、頭部は左側頭部からローラーに巻き込まれ始めた。
髪の毛がまず巻き込まれ、やがて頭蓋骨が砕ける感覚に左腕以上の激痛があったがすぐに消えた。左脳が四割潰れた頃には意識も消えた。
やがて頭蓋骨は完全に破壊された時、夥しい量の血が飛び散っていた。
青い落ち葉は、洋介の頭部を中心に半径一メートルまで真っ赤に染まり、ローラーにもその血は飛び散っていた。
誰から見ても、明らかな即死だった。
不思議な事に、頭部は欠片も散らばらずに消えていた。
全てを見ていた広末メイは、ただ、そこに立っていた。
──❦──
――王政ペルガニア。
西方大陸中部、海洋性気候の君主制軍事国家。
優れた魔導練度と隷獣使役術を背景に領土を拡張、一時は大陸全土を支配圏に置いていた事もあった。
しかし悪政に属国の民心は離れ、反乱は絶え間なく続き、国家は疲弊し、今は亡国の時を待つだけとなっている。
最後の領土、王都アルマは強固な城塞都市だが、敵国スラヴェトとその衛星国によって完全に包囲されていた。防衛線は既に崩壊している。
十二の聖剣は折れ果て、魔導士達はその力を失い、隷獣達は尽く狩られた。
スラヴェトは武具も魔導もペルガニアに劣っていたが、盲信的な戦意の高さと人海戦術によって戦線を押し返した。
ペルガニアの兵達は城塞に立て籠もるが反攻の目は無く、都市内の非戦闘民――女子供達は行く末を憂い、自害の為の短剣を常に肌身に離さずにいた。
破壊を免れる唯一の策は、敵に王都を明け渡し、武器を捨て絶対恭順を誓う事。しかしそれには虐殺と陵辱が付随する。
故に誇り高きペルガニアの民は、女子供に至るまで死を選ぶ。
現ペルガニア王ルドリトゥス・クラビヌアもまた、絶望の中にいる一人だった。
居城は城塞の門を見下ろせる位置に、石造りのゴシック様式で造られていた。最上階の最奥に執務室は位置していたが、王は執務を放棄し階下の礼拝堂で尚も祈りを続けていた。
近衛の兵すらも戦闘に出払い、三百人を収容できるその堂内には王と側近の二人きり。
臨時税によって作られた巨大な金の十字架は、輝きを失い傾いていた。その奥の壁一面には、在りし日の繁栄を語る美麗なステンドグラス。しかし今は、光も差し込まない。
「神よ」
それでも王は、祈りをやめずにいた。
――突然、礼拝堂の扉が勢いよく開いた。
援軍の到着を期待した王だったが、飛び込んできたのは翼竜の首だった。首都アルマの制空権を担う、最後の一翼だった。
翼竜は無残にも大量の血を流し、屠殺された牛の様に無機的な顔で死んでいた。
開かれた扉の向こう。城門の外の広大な平原が見えた。スラヴェトの兵が埋め尽くしていた。
「陛下、もはやこれまで……」
それを見て、側近の老魔導士は、ワインを差し出した。言われずとも、王はそれが毒とわかっていた。
「……まだ、その時ではない……」
その手を、退けた。
王位を簒奪して二十余年。
記憶を辿れば前王も、毒を煽って自害した。自らが陥れた相手と、同じ最期は迎えたくない。
「この王都は……アルマだけは、陥とされたくはない」
“アルマ”は、元は彼の妻の名。王になり最初の政策として王都の名を変えた。
若かりし日の、彼女が焼かれ殺されたあの時の事を思い出せば、心はどれだけでも残酷になれた。
「陛下、“神呼びの儀式”は、終ぞ実を結びませんでしたな……」
「息子は」
十字架に跪いている王はその横に、剣を一振り立てかけていた。
鞘にも納められていないそれは、見るも寒々しく、頼りない。
切っ先は、錆びていた。
「……アルキネウスの軍は、いつ到着する」
「王子は」
言いかけて、側近は言い淀んだ。彼は真実を知っていた。
騙り無き事が忠誠か、心を汲む事が忠誠か。判別しかねた。
「……良い。正直に申せ」
「……王子は、戦死なさいました。もう、二月も前に……もうおりません! 貴方の息子と一万五千の精鋭第一師団は、帰ってきません!!」
そう胸の内を打ち明ける様に叫ぶと、側近はワインを飲み干した。
足音が、響いていた。
敵の足音だろうと、王は分かっていた。
そして王は、四十五年の生涯を思い返す。
それはまるで今宵の様だと。
月夜でありながら血と炎でのみに照らされる今宵のこの戦場の様に、虚飾ばかりの日々だった。
近く城壁からは兵達の叫びが聞こえていた。
遠く城下からは臣民の嘆きが聞こえていた。
憎き敵スラヴェトに国家が蹂躙されるまで残る時間は少ない。
それでも王は心に祈りを保ち、城塞で戦う兵への撤退命令は下さない。
“一兵たりともアルマに入れるな”
「狂王め!」
突然そんな言葉が聞こえ、王は顔を上げ振り返った。
壊れた扉を見れば、そこにはスラヴェトの若き騎士がいた。兜を失くしたプレートアーマーが、彼のブロンドの髪をより強調していた。
「我が剣に落ちるがいい!!」
そう言って、王に向かい剣を掲げ突進してくる。
優秀な男らしかった。翼竜の首を刎ねたのであろうその大剣に、魔導の雷光を纏わせている。
王は、思い出していた。
(きっと、彼の故郷は西方ヴォルゴーシだろう。私が、燃やした街だ)
三十五万の損害を出しながら、五十万のスラヴェト人を殺戮した街。
“神呼びの儀式”の為に、必要な犠牲だった。しかし儀式は、失敗した。
――あの時から、戦局は悪化した。
「若造が!」
王は、錆びた剣を手に取り立ち上がった。
「この首ただでは渡さぬ!! 貴様も共に地獄へ連れてゆく!!」
「何を!! この最終局面まで神に縋る臆病者が、何を言うか!!」
若き騎士が走ってくる。
あの若さと想いに、勝てる気はしない。それでも王は、剣を上段に構えた。
「来い!!!」
「おおおおおおおおお!!!」
これが最後、と、思っていた。
――その時。
不意に、背後から雷鳴の様な破砕音がしたかと思うと、ステンドグラスに大きな亀裂が走った。
そして次の瞬間。
粉々にステンドグラスを砕きながら、一個の鉄塊がそこへ飛び込んできた。
「!?」
突然の出来事に、王は困惑した。
何しろステンドグラスを割り頭上に跳ぶのは、見た事もない形の鉄塊。前後に巨大なローラーを一対履いた、馬車の荷車の様だが、馬がいない。
その巨体は見るからに重く、油の臭いがした。
それがアスファルト舗装工事の為の締固め用機械、即ち“ロードローラー”と呼ばれる物体である事を二人は知らない。
事態を飲み込めていないのは王だけでなく、対峙する若き騎士も同じだった。
「な、なんだこ……」
最後の言葉を言い切る事無く、若き騎士は、ぐしゃりとその鉄塊に潰された。
一目見て即死と分かる程に、完全なまでに、頭部は圧潰されていた。
「……??」
何が起こったか分からないまま、王はその場に呆然と立っていた。
毒を煽った側近は、既に事切れていた。
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