第7話 山田肇くんと彼の忌避すべき怪談
山田肇は窓の外で山に沈みゆく陽の光を眺めていた。学友たちがこっくりと舟をこぐのも仕方がないほど数学教師の声は単調であった。校舎の屋上から山に鴉が飛びさりその遥か下を私鉄電車が通過していく。
退屈であった。終了のチャイムが鳴りはじめると教師がまだ授業をしているにも関わらずノートをとじる音がちらほらきこえる。肇はいつまでこんなことをするのだと嫌になりはじめていた。
図形と証明の文章を今になって書きうつしている者がちらほらいる中で、文化祭委員の男子生徒が教壇にたち有無を言わず消した。そして『○文化祭の出し物』と題して折り畳んだルーズリーフを書き写した。
・タオルの販売
・たこ焼き屋(粉もん屋)
・怪談集
・演劇
一人につき二度手をあげてほしい、それ以上でも以下でもなくとのことだった。候補は昨日のこの時間に絞られていた。一晩考えてほしいとのことだったが、肇は、屋台ならどちらでもいいとしか考えていなかった。
屋台の二つに手を上げた。しかし、肇が想像していたよりも票が集まらなかった。タオル販売は下級生がやるだろうし、粉もんは他のクラスと被るとのことだった。
その結果、粉もんと怪談集が同票となった。因みに一番の不人気である演劇は、提案した演劇部部員とクラスで一番の優等生である鈴音さんのみであった。
決選投票で怪談集派が、出し物のプランが明白であることや、展示物であるため当日は遊べること、しかし用意のために前日まで作業しなければならないことなど、肇には何がメリットかわからないが賛同を得ることに成功した。対しての粉もん派は、提案した理由が「とりあえず文化祭っぽいから」というものであり結束力が乏しく、結果、接戦のすえ怪談集に決まった。
地域の怪談を集めて写真などを模造紙で展示、また、文芸部や演劇部をはじめ有志の人たちには朗読会などはどうかというプランまでたてていた。
肇はこの怪談が創作ではなく、地域から集めた事故物件や事故現場での心霊譚を纏めようとするという点に反対した。表向きは、そんなに集まらないからだという理由であった。その内心は、彼自身も把握できていない。
すると、提案した男子生徒がアテはあるし、足りなければ創ったりパクったりすればいいと言ってのけた。実話怪談集から知られていないライターの話を借りるならバレないという厚かましさであった。
はやく帰りたいという大部分の学友たちの支持を受けて、怪談集に決まった。お化け屋敷みたいなものにしようかという女生徒までいた。
実際、粉もん屋は別のクラスが行うらしい。彼の唯一の親友である敷屋のクラスがそうだと聞いた。
数日後、クラスメイトが持ち寄った怪談が語られた。肇はこの地にいた陰陽師は宇宙怪物と闘っていたという嘘を提出し、タイトルを読み上げられるだけで一顧だにされなかった。人気を集めた怪談は、この街のどこかで死んだものが悪霊となり誰かを襲うという、オーソドックスな内容ばかりであった。これらは採用される運びとなった。
○三番ホームの怪
X駅は都心に向かう電車が幾つも交差している。あらゆる人々の喜びだけでなく疲労や恨みをのせるのも電車である。人の負の思いは堆積しやすく独特の磁場をつくりだす。その磁場が収束するところが三番ホームである。事実、その三番ホームだけは、他のホームよりも自殺者が多い。磁場は彼らが成仏することを阻み49日をこえた地縛霊たちが潜むそうだ。
○山中から甦る屍
Y山は県境に位置する。トンネルを作るときに落盤事故があり作業員の幽霊がでる。という噂があるけれど、それではない。この山は人の世にはいえない事情をもった他殺体が遺棄されることでも有名である。また自殺者が火をつけて燃え上がる車も多い。彼らはまだ此岸に訴えなければならないことがある。そして彼らは甦り、街に出てくるのである。
肇は唖然とした。このようなつまらない内容に、自分が、なにか労力を費やさねばならないのかと。このようなことに携わるくらいなら家でカーペットの模様を模写しているほうが有意義かもしれない。実話という体でなければ凡庸になるまやかしに嫌悪感を覚えた。
肇は、その二つはやめておこうと提案したものの、彼が提出した内容である陰陽師対宇宙怪物を揶揄されるだけであった。実話に基づくものを楽しむのは間違っているといった。クラスメイトには肇の切実な顔の理由が伝わらなかった。
なにが怪談だと肇は激怒しそうになるが彼にはどうすることもできなかった。不甲斐なさから肩を落として、一段と冷え込む夕方、落ち着くまでファミレスでコーヒーを飲むことにした。我ながら、何を怒っているのかわからない。
頭を抱え不貞腐れている肇に「空いてるよね」と声をかける人がいた。クラスメイトの鈴音さんであった。あまり話したことがないにも関わらず彼女は真正面に腰かけた。
「今日の肇くん、変だった気がするのだけれど」
「自分のが採用されずムカついたんじゃないの」
「他人事みたい」
「過ぎた事です」
「まだ始まってないけれど」
「僕から始めなくていいよ」
鈴音さんは大学ノートを取り出した。
「インタビューしたいっていったら受けてくれる?」
「言うことは何もありませんし、つまらないですよ」
「私が興味わいただけなんで肇くんは気にしないで」
「すごく、変な人ですね」
「すごく、変な人ですよ」
鈴音さんは差し出された水を飲んで、彼と同じものをと注文した。
「一つ目。陰陽師と宇宙怪物は真面目に言ったの?」
「僕の誠実さです。渡された紙に文章を埋めただけ」
「ならもう少し伝わりやすいふうにするべきでした」
「僕は怪談が嫌いなんです。怖いというよりダルい」
「二つ目。肇くんはあの題材に今も反対かな?」
「うん。分からないけれど嫌悪感がしているよ」
「それを言えば、聞いてくれる人がいたはずね」
「そうかもしませんけれども、僕には無理です」
「三つ目。私の手伝いをしてくれる?」
「ものによるけれど、気が進みません」
「全部、肇くんのためになると思うよ」
鈴音さんは差し出されたばかりの湯気がたつコーヒーを一口で飲み干す異様な飲み方をした。
「最後。嘘をつくのは?」
「とっても大好きですよ」
鈴音さんの顔色が変わった。そして大学ノートに勢い良く文章を書き込んでいくのだった。
「実は昨日の山田くんは私のことを気づかってくれてのことだったんです」
翌日、鈴音さんは教壇にたっていた。クラスメイトは大人しい彼女が主張している、珍しい光景に驚いていた。
「私の母は、ニュースにはならなかったような場所で亡くなりました。その場所は」鈴音さんは言葉を切って目を強く閉じた「すみません、やっぱり言えません」
「なんだよそれ」と男子が言った。
「黙ったげて。鈴音、落ち着いていきや」と女子が言った。
クラスメイトが泣きそうな顔をしているため、動揺しているのだ。しかし肇の手元にあるメモのままに進んでいた。
「母が亡くなって、そこが死者たちのご加護があったり反対に心霊スポットでもあるという噂が流れているのを知りました。
私の母は、無償の愛を振り撒く人ではありません。なによりも、見知らぬ誰かを恨む人ではありませんでした。そこで亡くなったのは、母だけではないことがわかります。でも、それでも、そこに母がいると思うと、すごく辛かったんです」
そこから先は肇が受け継いだ。
「昨日は取り乱してごめんなさい。鈴音さんから頼まれて、隠していました。それでも、僕からもお願いです。一時の楽しみとかで、そこで亡くなった人たちを勝手に纏めないであげてください。人の死を物語のようにしないであげてください。僕たちが、彼女のお母さんのような方々にできるのは、沈黙だけだと思うんです」
教壇で鈴音さんがぐすぐすと涙ぐんでいた。肇は嘘だと分かっていても、狼狽えてしまった。物語のようにと自分で言って自嘲しそうになった。自分も鈴音さんが作った物語を利用しているくせにと。
昨日のこと。
受け取ったメモに目を通すと、肇は、自分はこんなことを考えていたのだと納得しそうになった。それほど、情に訴えかけられる切実な内容であった。
でも鈴音さんはトラウマを話していいのと聞いた。すると彼女は、どこかに電話をかけた。「もしもしお母さん、友達と寄り道してもうたから帰るの遅くなる」といって通話を切った。肇は彼女の思いきりの良さに舌をまいた。
「どうなっても、受け入れる?」
「たぶん上手くいくと思います」
「じゃあ、最後まで頑張ってね」
人が混み始めるまで演技の練習がはじまった。肇は意気投合とはこのことかと言うほど楽しかった。文化祭前の高揚をはやくも味わった気がした。
「ごめんなさい肇くん」
「大丈夫だよ鈴音さん」
二人は視線を合わせた。そして肇は席についた。後は鈴音さんが皆をうまく言いくるめるという段取りだった。
クラスメイトたちからは、実話怪談を推そうとする声がなくなった。肇は釈然としない思いがした。
「鈴音、なんで山田に相談した」
「そうやな。わざわざ山田って」
「いや、言わんでもわかるやろ」
「ふたりまさか付き合ってる?」
鈴音さんはいっさい否定をしなかった。この先の展開がメモに書いていなかった。つまり、肇の命綱が断たれたことを意味していた。彼はため息しか出てこなかった。鈴音さんは、ここまで想定していたはずだと断言できた。ならばどうして、と考えた。鈴音さんに聞いてみることにした。
山田肇にはこの日から鈴音さんという恋人がいる。
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