読み飛ばし、流し読み

   

 今回は少し異例です。

 特定の作品を読んでいて思ったことではなく、近況ノートのコメント欄での書き込みが発端となっています。

 その上、かなり話が脱線すると思いますので、ご容赦ください。皮肉なことに、それこそ読み飛ばされたり、流し読みされたりするレベルの脱線になるでしょう。


 まず最初に、コメント欄で披露した私の持論。それは「読み飛ばされるとしたら、読み飛ばされる側にも原因があるのではないか」という話でした。

 元々は小説の文体の話題ではなかったのですが、私の中では、自分の書くWEB小説のことが頭に浮かんでいました。無駄に文章が長かったり、文字がギュッと詰まっていたり。

 逆に、自分が読む側になった場合。市販の小説を読み漁っていた子供時代、今思えば勿体ないのですが、凄いスピードで流し読みをしてしまうことも結構あった気がします。ましてや現在、無料のWEB小説を読むとなると、「とにかく読もう」という気持ちから、やはり流し読みになることが多い。でも、そうやって流し読みをしていても、いつのまにかじっくり読んでしまう作品もあるので、その辺りは作品の魅力次第ではないかと思うわけです。

 ともかく、そんな感じで、我々のような素人WEB作家は、プロである商業作家以上に『読み飛ばされない文章』を意識しないといけないのだろう……。

 そんな結論でした。「ではどうやって」は提唱できずに、「言うは易く行うは難し」な終わり方で、かなり宙ぶらりんな話でした。

 そんな私に対して、同じくコメント欄で、アドバイスをくださったかたがいたのです。


「読者が読み飛ばしてもストーリーの理解に支障がない書き方、それを実行している作者もいる」


 これは衝撃的でした。

 それまで私は「読み飛ばされないようにしたい。だって読み飛ばされたら困るから」という視点だけで考えていたのに、そこに「読み飛ばされたっていいじゃないか。読み飛ばされても困らないようにしておけば」という角度からの見方を与えてもらえたのです。


「なるほどなあ。凄いなあ。私も目指そう」と思うと同時に。

「でも、そういうこと無理な作風もあるよなあ」と、最初は考えてしまいました。例えば、推理小説のような、あるいは別のジャンルであっても、伏線をたっぷり仕込んだ作品。私が好きなタイプの小説です。

 ただし、よく考えてみると。

 ひとくちに『伏線』と言っても、色々な種類の伏線があります。

 さらっと紛れ込ませた一文が実は伏線、みたいな場合。そこを読み飛ばされたら、とりあえずのストーリーを理解する上では問題なくても、読者は『伏線』を見落としたままストーリーの大筋だけを追っていることになるので、後々「あれ?」となるでしょう。

 一方、あるイベント自体が伏線となって後々のイベントに影響する、みたいな場合。本来これは『伏線』ではなく『布石』とか『シークエンス』とか言うべきなのかもしれませんが、広い意味では『伏線』だと私は思っています。私の「伏線が好きです!」には、こちらも含まれているので。

 ともかく、こちらのタイプの伏線ならば、ストーリーだけを追う読者の頭の中にも残っているはずですよね。イベントの積み重ねがストーリーですから。

 いや、そもそも私が読んだり書いたりする作品の中には、伏線なんて一切含まれていない小説もあるわけで、それこそ『読者が読み飛ばしてもストーリーの理解に支障がない書き方』は有効でしょう。

 ちなみに、伏線について語り始めると、実は少し前に「伏線回収の素晴らしい、真似したくなる小説」に出会っているので……。それに関しては次回にでも語ることにして、これ以上ここでは『伏線』に関して述べるのはめておきます。


 ともかく、こうして色々と考えていくと、次の課題は「具体的には、どうしたら『読者が読み飛ばしてもストーリーの理解に支障がない』ように出来るのか」ということですね。

「まあ、それは具体的には難しいから、なんとなく意識する程度に留めておこう。『読み飛ばされない文章』を書きたくても、なかなか書けないのと同じだ」

 と、そこで思考停止する私。

 ところが。

 突然、思い出したのです。

「待てよ? そういえば私も、昔は『読み飛ばし』対策として、具体的に心がけていたことがあったなあ」


 さあ、ここで話は大脱線します。興味がなければ、どうぞ読み飛ばしたり、流し読みしたりしてください(笑)。

 私にとっての『昔』。

 プロフィールなどで記していますが、素人WEB作家としての私は、実は三段階に分かれています。


 第一段階。

 個人サイトを立ち上げて、推理小説っぽいものを披露していた時期(ハンドルネームは、かなり本名に近いものを使っていました)。

 これ、まだブログというサービスも存在していなかった頃です。アフィリエイトなんてものもなかった、あるいは私が知らなかっただけかもしれませんが、少なくとも一般的ではなかった時代です。

 それぞれがHTMLを打ち込んでホームページを作っていましたから、今よりは更新も煩雑でしたが、でも、それが楽しかった。むしろ「HTMLで遊ぶ」というのが主。あるいは「そこまでしてでも発信したい情報がある」という人々だけが、個人サイトを作っていた感じでした。

 今ほど検索も発達しておらず、無名の個人サイトには、とにかく人が来ません。そこで小説を発表しても、ほとんど読まれません。

 なので。

 全世界に向けて公開している形でありながらも、ほとんど読者を意識することなく、ただ好き勝手に書いていました。相手側の仕様次第で表示が変わってしまうこともわからずに「ダッシュって何? 棒が二つあればOK?」というレベルでした。


 第二段階。

 いくつかの小説投稿サイトの利用、ただし、オリジナル小説ではなく二次創作小説の投稿サイト(二次創作はアングラという意識もあって、本名とは似ても似つかぬペンネームを使用)。

 好きな漫画があって、その二次創作小説を読むうちに、自分も書いてみたくなった……。そんな経緯だったので、初めての投稿サイトでは、その投稿サイトに掲載されていた作品をたっぷり読んだ後でした。二次創作でしたが小説作法などには厳しい場であり、そういう感想もたくさん。おかげで「ふむふむ。なるほど」と、いくつかの基礎的な注意点を頭に叩き込んだ上で、投稿活動を始めることが出来ました。

 厳密には、第二段階も前期「好きな漫画の二次創作を書く」と後期「二次創作を書くために買ってきたラノベ、それの二次創作を書く」に分かれているのですが……。本来、後者は邪道ですからね! 何故か後者の方が評判良かったんですけど!


 第三段階。

 パソコンが壊れました。買い換えました。OSが変わりました。そのようなことを繰り返すうちに――OSのバージョンがマイナーチェンジした際に――、以前のファイル形式のファイルが非対応となり、一切開けなくなりました! せっかくバックアップを取ってあったのに!

 真っ白に燃え尽きて、数年間「書くこと」から離れて……。しばらくぶりに書きたくなっても、とにかくプロットから何から何までゼロから作り直しだし、そもそも「二次創作を書くために買ってきたラノベ」の方は、細かい原作設定を忘れている! あの世界には、どんな魔法があったっけ? 誰がどの魔法を使える? 文明レベルは? マッチってあったっけ? それとも火打ち石?

 元々が、二次創作を書くために買ってきたラノベなだけに――もちろん嫌いではないけれど「とっても好きだから!」というほどではないので――、あらためて二十巻以上も読み直す気がしない!

 ああ、二次創作界の『邪道』をやってしまった報い。もう二次創作は書けません(まだ頑張れば「好きな漫画の二次創作を書く」の方は出来そうですが)。

 ならば、今度はオリジナル小説だ! オリジナル異世界ファンタジーという形で、ちょっと書いてみたい物語もあるし!

 そこで「小説家になろう」に登録して、さらに半年くらいしてからカクヨムへ……。

 なお、第三段階のペンネーム『烏川 ハル』の『烏川』は、まだ小説家を夢見ていた幼き日に――ひとつも書いたことないくせに書きさえすれば一躍有名作家になれると妄想していた頃に――、「これを筆名に使おう」と思っていた名称です。だから、これが最終進化系のはず。


 ……と、前フリが長くなりましたが。

 私が『読み飛ばし』対策を心がけていた『昔』とは、上記の第二段階です。そして第二段階と第三段階の間に空白期があったために、すっかり忘れていたことが色々とあったわけです。

 中には、とても初歩的な大失敗もあったのですが……。それはカクヨムに来て、カクヨムのシステムのおかげで気付けたミスだったので、別のエッセイで書きたいと思います。今さらですが。

 カクヨムのシステムに関することは『カクヨムを使い始めて思うこと ――カクヨム初心者の視点から――』の方へ、ということで。


 さて、話を戻しますと。

 第二段階の当時、今とは違って「地の文と会話分の間、および会話文と会話文の間は、一行空ける」というスタイルで書いていました。

 こんな感じです。


 地の文。


「会話文」


「会話文」


 地の文。

 地の文。


「会話文」


 地の文。


 本当は、第三段階でも、そういう書き方をするべきだったのでしょうけどね。WEB小説である以上は。

 でも「小説家になろう」では、読む前にまず「書く」をしてしまったため、どういう書き方が主流なのか確認を怠っていたのです。さらに第二段階における書き方も忘れていたため、今のようなスタイルになってしまったようです。個人的に、空白が多いのって、どうも好きではないので。

 さて。

 上記のように地の文と会話分の間に空白があると、会話文が、いっそう際立つと思いませんか?


 そもそも昔、流し読みをしてしまっていた子供時代。

 面白くないから「早く終わらせよう」と思って『流し読み』になったわけではなく、逆に面白くて「早く先の展開が知りたい!」と感じたからこそ『流し読み』になっていた気がします。

 そう、『流し読み』でも物語の展開を知る上で、支障はなかったのですね。子供時代の『流し読み』、後になって思うと「地の文ではなく会話文を中心に読む」というスタイルでした。

 ならば。

 普通にギュッと詰まった紙の本ですら、そういう読み方があるならば。

 会話文が目立つWEB小説ならば、ますます「会話文中心に読む」という人がいても不思議ではありません。

 それを考慮して「地の文を飛ばして会話文だけでも、何となく物語が理解できるように書こう!」というのが、第二段階で私が心がけていた『読み飛ばし』対策でした。

 確か当時は「物語の展開におけるポイントだけでなく、設定的なポイントも、なるべく要点だけ会話文に紛れ込ませて、後から地の文で補足する」という意識で書いていた気がします。「ポイントを要点だけ」というのは「頭痛が痛い」のような重複表現に近い気もしますが、それだけ強調したい話だと思ってください。だって会話文では端的に書かないと、それこそ説明口調な、不自然な台詞になってしまいますからね。


 こんなこと、最近では、もうすっかり忘れていましたが……。

「だって今は、地の文と会話文の間には空白を入れていないから」というのは、言い訳に過ぎないのですよね。子供の私が『普通にギュッと詰まった紙の本でさえ、そういう読み方』をしていた以上、空白なしで書かれたWEB小説でも、会話文だけ目で追ってしまう読者は出てくるのでしょう。

 というより、敢えて読み飛ばしたりせずとも。

 ザーッと流し読みをしている場合に、地の文で書かれた内容は頭に入って来にくい、あるいは残りにくいのに。

 なぜか台詞だけは頭に浸透しやすい、と私は感じます。

 これが私個人の現象ではなく、それなりに一般的な話であるならば、やはり「会話文だけでストーリーが繋がるようにする」というのが、『読み飛ばし』対策として、一つの有効的な手段なのかもしれません。

 あるいは、会話文以上に「流し読みする読者でも、そこだけは見てしまう」というくらい目立つ場所があるのだとしたら、そこに「そこだけ読めばストーリーが繋がる」要素を配置するべきなのでしょう。



 ともかく。

 具体的に、私のやっていたことが良いのか悪いのかは別にして。

 今回の結論として「なるべく意識してみよう」という点を、最後にもう一度、記しておきます。


「読み飛ばし、流し読みを前提とした書き方を考えてみましょう」

   

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます