第266話 由衣の決意

 食堂の裏庭はさっきまでの体育祭の喧騒とはうって変わって、辺りは静まり返っており、俺と由衣の他には誰もいない。


 その静寂さのせいか、妙な緊張感があるが……俺はそれを誤魔化すように口を開く。


「それで悩みってなんだ?」


 正直、由衣の雰囲気からしてかなり重い相談な気がするのだが……俺はあえて軽い気持ちで聞いてみる。


 だが――。


「そ、そうですね。どうですかね? 私は何が言いたいんですかね? そもそも、私は

どうしてここにいるんでしょうか? 私は誰でしょうか?」


「お前大丈夫か!?」


 由衣は瞬きもせずに慌てた様子で早口にまくしたてる。さらによく見ると、耳と頬は赤くなっており、不安げな表情を浮かべている。

 なんなら、今にも泣き出しそうな感じだ。


 よほど緊張してるようだ……ん? 待て、これだけ緊張してるということは……。


「…………」


 待て……本当に待て。

 これだけ緊張しているのは尋常ではない。もう人生を賭けるような勢いだ。この表情から出る言葉が「今日の晩御飯のメニューが……」とか言われたら逆に困る。


「あ、あの、店長、私……店長に相談が……」


 待て待て、この年代がこんな憂いの表情を浮かべる理由は、娘たちに鈍い、鈍いと言われる俺でもわかる。

 ま、まさか……俺は告白されるのか!?


 い、いや、待て、由衣ほどの超美少女が冴えないおっさんである俺に告白とかありえないだろう。

 だ、だが……この表情は……。

 い、いや、わからん……だ、だって、告白されたことなんて美奈の時以来だし……い、いや、あれは告白とはまた違うのか? 

 と、ともかく、これはどうなんだ……?


「…………」


 俺はかつてないほど心臓をバクバクさせながら、由衣の方を見た。


 由衣は緊張を和らげるためか、深呼吸をしている。


「すぅ…………はぁ…………よし、覚悟は決まりました」


 待て! ちょっと待って! 俺の覚悟は決まっていない!!!


「お、おい、あ、明日とかにしないか? お、俺にも心の準備がいるし」


「な、何を乙女みたいなこと言ってるですか、店長!」


 普通に怒られた!


「い、いや、そうは言っても――」


「ごちゃごちゃ、うるさいです。黙って聞いててください」


 また、普通に怒られた……。

 もう、黙るしかなさそうだ……。


 俺はどう答えたらいいんだろうか、どうしたいんだろうか。


「店長……私……」


 俺は息をのんで由衣の言葉を待つ。マジで緊張する……こんなに緊張することなんて30年以上生きてきて何度も記憶にない……。


 緊張の具合は由衣も同じようで顔面蒼白だ。元々白くて綺麗な肌が、今では青白く、今にもぶっ倒れそうだ。

 だが……そんな状態でも瞳は言いえない力を持っていた。

 そして――意を決したように口を開く。


「店長、私……! 夜間の高校に通おうと思います」


「……………………えっ?」


「うぅ、店長が失望するのもわかります……。絆を育てるとか言っておきながら、自分のことを優先させようとしている。で、でも、言い訳になりますが、通うのは絆が小学校に通ってから、2年後にしようと思いますし、経済的にも時間的にも負担の少ない夜間性の学校に通います」


「………………ま、待て! あ、あれ…………?」


 俺の予想に反して、すげぇ真面目な相談をされている……。

 そう言えば由衣って高校を中退してるんだったな……。


「て、店長……驚いてますね。やっぱり、情けないし、自分勝手ですよね。でも……私は絆のことも大切にします。それでいて自分も前に進まなきゃいけないんです。絆のことを言い訳にしちゃ、いけないんです……」


「い、いや、勘違いするな。俺は別に失望はしてない」


「ほ、本当ですか!?」


「ああ、子育てをしながら学校に通うっていう決意は立派だと思う。素直に応援したい」


 嘘はない。由衣の性格、絆ちゃんを想う気持ちを考えれば大きな決断だ。それは痛いほど伝わってくる。


「そ、そうですか…………はぁぁぁぁ、よかった…………」


 由衣は緊張が解けたのか、安心するように息を吐く。俺に怒られるのを覚悟していたのかもしれない。

 それは杞憂なんだけどな……いや、立派だ。


 絆ちゃんのことだけじゃなく、自分も大切にしている。俺にはそれが輝いて見える。


 だけど、一つだけ言わせてほしい……。


「紛らわしすぎだろ…………」


「えっ? 何がですか?」


 キョトンと首をかしげる由衣の反応になんだか悔しくなる。いや、勝手に勘違いした俺が100パーセント悪いんだけど……ほ、ほらねぇ?

 性格が悪いとは思うが……ちょっとぐらい悪戯したくなる……。


「いや、お前の緊張した雰囲気だから、告白されるのかと思った」


「はぁ!? な、な、な、何を!?」

 

 俺がそう言った瞬間、再び由衣の顔が赤くなる。


「て、店長! 何を言ってるんですか!? 悩み相談って言ったじゃないですか! そ、そんなわけ……!!」


「あはは、悪い、悪い、冗談だ」


 俺の言葉に由衣は子供っぽく頬を膨らませて、口を小さく開き何かを呟く。


「告白する時は、私が店長と釣り合った時です……」


「ん? 由衣、何か言ったか?」


「なんでもありません! いーーーだ!!」


 これはご機嫌を損ねたよだ。当然か……。


「由衣」


「……何ですか? 性格の悪い店長」


「大変だと思うけど、頑張れよ。心から応援してる。協力できることがあれば何でも言ってくれ」


「…………はい。ありがとうございます」


 由衣は不機嫌な顔のまま照れ臭そうにそっぽを向いてそう答えた。

 俺はそんな由衣が可愛らしく、そして……眩しく見えた。

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