第259話 由衣の疾走

   ◇◇◇


「麻依さん!」


「由衣いいいいいい! 任せたああああ!!」


 音無由衣は三沢からバトンを受け取った。

 その瞬間、パシっと子気味のいい音を立てて、全力で走り出す。

 周りの観客から声援が会場に響き渡るがそれは気にならない。


 2位の生徒チームとの差は10メートルほどだ。

 だが由衣はそれは大した差ではないと考えていた。


(次の走者が実花だということを考えるとすぐに抜かれてしまう)


 由衣はそう考えていた。


(練習で見る限り、実花の方が私よりも少しだけ速い。気持ちで負けないようにしないと……!)


「由衣にゃん、まてえええええええええ! 勝ってみんなにチヤホヤされるんだからああ!!」


 実花が欲望駄々洩れなことを叫びながら由衣の後を追う。由衣は実花の勝ちたいという気持ちを感じる。


 だが、由衣も負けたくないという気持ちでは引けを取らない。

 由衣はこのリレーに何が何でも勝ちたい。

 なぜ勝ちたいかというと……それは願掛けだ。


 負けたところで何かリスクがあるわけでも、罰ゲームがあるわけでもない。だが……なんとなく、この願掛けで前に進める気がした。


「はぁはぁ……はぁはぁ」


 そんな曖昧な物のために由衣は走っている。他の人からしたら、たいしたことではないと思うだろう、という自覚はある。まるで子供みたいだと……。


 だが、そんな不確かな考えでも不思議と迷いはなく、勝つことだけを考えていた。


(絶対にトップでバトンを店長に渡すんだ!)


 後ろから実花が近づいてくる気配を感じるが、それを振り払い中間地点までやって来た。

 後は100メートル。


 由衣にはもう振り返る余裕はない。前を向いて走ることしかできない。

 振り返れば迷いが生まれ、一気に抜かれる気がしたのだ。


 しかも後ろから声が聞こえ――。


『まてえええええ! パパに後でべた褒めしてもらえるぐらい、記憶に残る走りをするんだから!!!』


(ちょ! こ、声が近くなってる! くっ、じりじりと追い付かれてる!?)


「はぁはぁ……くっ、絶対に……はぁはぁ……負けない……!


 焦りのせいか、息が切れてくる。200メートルという全力疾走するには長い距離が由衣に襲い掛かる。

 さらには足も重く感じてくるが――。


(ここで足の動きを緩めたら絶対に追いつかれる……! それだけは……嫌だ!)


 そんな気持ちで走る中、由衣を後押しする2つの声が耳に入る。


『まんま~~~~!!! がんばれえええええええ!』


『由衣いいい!! そのままトップでバトンをくれええ!!』


(ああ、嬉しい……本当に嬉しい)


 その声を聞くとあれだけ重かった足が軽くなった気さえした。

 そして由衣は加速をする。ただひたすら足を動かす。


 やがて目の前に、必死に手を伸ばす義孝の姿が見えてきた。


『頑張れ由衣! あと少しだ――!!』


 由衣はその声に反応するように義孝にバトンを渡した。実花との差は10メートほどなので新井と三沢のリード守りきることができた。

 自分はやり切った。そんな充実感があった――。

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