第253話 リレー開始直前(1)

 午後16時過ぎ――

 俺はひとり食堂裏のベンチで営業終わりのコーヒータイムを楽しんでいた。


 営業が終わった……。

 そう! 仕事の山場が終わったのだ! 片付けは終わってないけどな!


 だが、あとは可愛い従業員たちと雑談でもして祭りあとの雰囲気を味わいながら、グダグダと片づけをするだけなんだ。


 プロ野球で言うと消化試合だ。しかも勝ちが確定している楽しい試合だ。


 本来ならば……だ。


 だが今の俺は消化試合の後に日本シリーズを控えてる身だ。言うなれば戦いを控えている戦士の心境だ。


「…………はぁ」


 リレーなど子供の遊びでそこまで気負う必要はない……筈なんだけど、何だこのよくわからないプレッシャーは……。


「なんか無駄に緊張している俺が嫌だな……」


 いや、気楽にやればいいんだ。なんか勝敗によって俺の人生が左右されそうだけどな……。まあ、勝てばいいんだ。


 ジェントルマン上司としては由衣の悩みも気になる。人に悩みを言うことは一番のストレス発散になるから由衣にとってもいいだろう。娘たちの変態的な願いを叶えるのもあれだし。


「はぁ…………俺走るのは得意じゃないんだけどな」


「あっ、店長ここにいたんですね」


 俺が黄昏ていると、由衣が俺のことを探しに来た。


「もう、そろそろ行きますよ? あと20分ぐらいで出番なんですから」


「ああ……もうそんな時間か」


「しっかりしてくださいよ。でも……まだ時間はありますね。麻依さんたちと待ち合わせは10分前ですし」


 由衣はそう言うと俺が座るベンチ横に座ろうとする……1人でごちゃごちゃ考えるよりは由衣と話した方が楽しい時間を過ごせるか。


「おい、由衣。好きな物を買えよ」


 俺は由衣に自分の財布を渡して、ベンチの隣にある自販機を見る。


「えっ? 奢ってくれるんですか……? わ、悪いですよ」


「はぁ? 若いやつが遠慮なんかするなって。別、百円のことで恩をきせようとかも思ってないからな」


「ふふっ、店長の性格的にそうですね」


 由衣は俺の財布から小銭を取り出すと自販機に入れて、俺に財布を返してくる。


「……その財布いいですね。かっこいい」


「ああ、明菜が選んでくれたからな。さすが動画配信者っていう人気を取る職をやってるだけあるよな。センスがいい」


 正直なんで俺の周りにいるんだろう? とか考えちゃうぐらいのハイスペック美人だ。巨乳だし……。


「はぁ、ライバルとしては巨大です……」


「ん? 今何か言ったか?」


「いーえ、何でもないです。それにしても、私に財布を渡すとか不用心すぎないですか?」


「いや、お前だしな……お前は絶対にそういうことやらんだろ」


「…………ふふっ、信用されていると思うことにします。さて、何にしようかな? オレンジジュース……は太るし……」


「そんなこと気にする体系か? むしろもう少し太った方が――」


「店長、私太る時は腕やお腹に出るんです。ふふっ、胸にはまったくいかないんですよ」


「…………す、すまん」


 なんか地雷踏んだ。


「はぁ……店長がせっかく奢ってくれたのに、好きな物を頼まないのは勿体ないですね」


 由衣は深くため息をつくと、諦めたようにオレンジジュースのボタンを押した。そのままジュースを取り出して俺の隣座り、缶のフタを開けようとするが……爪が短いようで中々開けられないようだ。


「あ、あれ……?」


「仕事で爪を手入れしたのか。飲食業として100点だな。おい、貸してみろって」


 俺は由衣から缶を受け取ると代わりにタブを開ける。カシュっと子気味のいい音を立てて空く。


「ほらよ……ん? どうしたキョトンとした顔で俺のことを見て……」


「いえ、ありがとうございます、くすっ、どうせならビールが飲みたいです」


 由衣は悪戯っぽい笑顔になると、楽しそうに缶に口を付けた。


「ガキが生意気言ってるんじゃねぇよ……って、前にこのやり取りしなかったか?」


「ふふっ、そうですね。店長――」


 由衣はまっすぐ俺のこと見据える。


「今日勝ちましょうね。バーに連れて行ってくれて悩みを聞くっという約束、忘れないでくださいよ?」


 由衣は清々しい笑顔でそう言う、迷いなどなく、何か信念をもった瞳に思えた。


 ……はぁ、そんな顔されたら適当に力を抜くことなんかできねえじゃないか。まあ、偶には全力を出すことも悪くないか……。

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