第176話 それぞれの戦い(1)
それから朝ご飯を市場で楽しんだ。
釣りたての新鮮な刺身が食えて余は満足だ……運転はフレアさんがしてくれるということで、遠慮なく酒も飲ませてもらったしな。
もう、気分は今家に帰ってもいいぐらいだ。
だが……当初の目的は海鮮丼を食べることではなく――。
「すげぇ……プールだな……」
俺は水着に着替えて1人プールサイドに立っていた。
清潔感に満ち溢れたプールサイドは白を基調とした手入れの行き届いた床。あそこにはライオンの噴水があるんだけど……。
さらにはゴールデンウィーク初日というのに、プールには従業員しかいない。従業員も可愛い姉ちゃんだけだ……。
「如月のやつ本当にプール貸切りやがったのか……」
ホテル内には他の客もいたから、ホテルごと貸切ったわけではなさそうだが……まあ、どっちも変わんねぇ。庶民からしたら規格外だ。
ホテルの部屋も前に爺さんに連れていかれた部屋と比べると、広さは4分の1ぐらいだが、内装のクオリティはほぼ同レベルだし……ちなみにこんな高級ホテルの部屋代を一般サラリーマンの俺が払えるはずがない。
なので俺ら川島家の旅費は爺さん持ちだ。当然庶民代表の俺はそんな高額の旅費を出してもらうなんて胃が痛くなるので、避けたかったのだが……。
『息子よ。時には甘えるというのも強さじゃぞ。というか甘えるのじゃ。甘えてほしいのじゃ。わしは息子や孫に甘えられたいのじゃ!』
と、電話で泣きつかれて、折れてしまった……。
不思議な経験だった……なんで奢ってもらう側が妥協した形になってるんだよ……。
あの爺さん、俺らを可愛がり過ぎだよな……なんか恩返しがしたいのだが……いや、跡をつぐ以外で。それはマジで勘弁。
「はぁ、あいつら遅いなぁ……」
そろそろ従業員の姉ちゃんたちの視線が痛くなってきたな……「あのオヤジひとりで何してるの? マジでチョーキモイんだけど」とか、思われてそう……。
「はぁ……ビール飲みたい」
「義孝様、そう言うことでしたらすぐに用意致します。ドイツ産の地ビールがおすすめです」
「おっ、それはいいな。偶には海外ビールも悪くな――」
フレアさんの声が背後からしたので、待ちわびたように振り向くと……そこには軍服姿のフレアさんが……。
「えっ? ここプールですよ? な、なんで軍服を着てるんですか?」
俺がそう言うと何故か顔を赤らめるフレアさん。いや、まあプールで軍服を着てたら恥ずかしいのかもしれないが……。
「いえ、今日はお嬢様の好意で私は休暇なんですが……私、休日は身体を鍛えてないと落ち着かなくて……なので着衣水泳のトレーニングでもしようかと思いまして。もちろんホテルの許可は得てます」
「……………」
おい、如月。何故止めなかった……。
どこの世界にホテルのプールで軍服で着衣水泳をする人がいるんだよ。
い、いや、なんか落ち込んでるし……。
「変……ですよね。何よりも筋トレを優先する女なんて……」
俺も駄目とは言いづらい。
「ま、まあ、服を着てるか着てないかの違いだし、問題ないんじゃないか?」
「! よ、義孝様……お、お嬢様と同じことを仰って下さるのですね。ふふっ、お似合いのおふたりだと思います」
「…………」
そうか。如月は俺と同じような言い逃れをしたか……まあ、俺も逃げたし何も言えないな……。
「そ、それで如月はどうしたんですか……? 随分時間が掛かってますが……」
「もうすぐ来ます。義孝様、お嬢様と実花様、未来様からの伝言なのですが……」
フレアさんが突然苦笑い交じりの顔をする。なんか嫌な予感……。
プールに軍服を着てくる人間を苦笑いさせるってどれだけの事態だよ。
『わたくしの水着姿を見て、気の利いたことを言ってくれなければ……貴方の会社の株価を暴落させるわ』
『なら誰の水着がいいか勝負しようよ! パパを悩殺させるんだから!』
『お父さんは私を選んでくる、選んでくれる。選んでくれる……ふふっ、選んでくる。可愛いって言ってくれるよね』
「…………」
待て、俺の言葉に全従業員の未来が掛かってるの? 何その突然イベントは……。
「よ、義孝様。大丈夫です。お嬢様もさすがにそこまでは……」
しない。とは言い切ってくれないフレアさん。
俺は言葉を慎重に選ばなければいけないようだ……いつも、危険はどこからともなく来るものだ。
勘弁してくれ……。
◇◇◇
同時刻――。
場所は代わり、夢野家。
そのリビングに3人の美女がテーブル向かいで正座をしていた。アヤメ、明菜、そして由衣。
「ゆ、由衣さん、目が怖いなぁ……」
「……これが冷静でいられますか……? もうすぐ店長の『誕生日』なんですよ」
「うん、血沸き肉躍るバーべキューでござるな」
(あ、アヤメちゃん……微妙に意味が違う……うぅ、由衣さん気合入ってるなぁ。もちろんわたしも義孝さんに喜んでもらいたいんだけど……えへへ)
「そこ、にやつかないでください。可愛いです」
「ご、ごめんなさい……」
「それで、由衣ちゃん、今日は何が目的なの? 急に呼ばれたでござる」
「ここらへんで一度はっきりさせましょう。互いに店長のどこが好きか……」
由衣がキリッとした表情で言い切り、残りの2人はぽかーんとしている。
そう、今高校生の修学旅行先でのホテルの部屋の寝る前のよいうな『戦い』が始まろうとしていた……。
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