2章 夢見るバレンタイン

第91話 夢見るバレンタイン(1)

 2月第1土曜日の夕方。

 夢野明菜は自分の家の玄関で珍客を前にして混乱していた――。


「えっ、えっとぉ……どちらさまですか?」


「あっ! あなたがお兄ちゃんが言ってた夢野さんだね! ふふっ! 私はアヤメ! お兄ちゃんの上の部屋の301に住むからよろしくでござるっ!」


 混乱するのも当たり前だ。いきなり金髪美少女が同じマンションに越してきたのだ。それも明菜の想い人である義孝のことをお兄ちゃんと言っている。


 それも変な語尾の人だ。


(えっ? 川島さんって……外国の妹さんがいるの……? わ、わたしと同じぐらいの歳だけど……ま、またライバルが増えた? うぅ、由衣さんよりも外国人っぽいっ。か、可愛い子だなぁ……)


「これアヤメの国の特産のワインだよ! お兄ちゃんに聞いたんだけど、お酒好きなんでしょ! ふっふっふ、お主も好きよのぉ、遠慮することないでござる」


 混乱している明菜をよそに、アヤメは持ち前の明るい性格で話を進めていく。



「あ、ありがとうございます……」


 明菜はそんなアヤメの空気感に呑まれながらアヤメが差し出した紙袋を受け取る。


 確かに明菜はワインは大好きだ……家にもちょっといいワインを隠しているぐらいには……。

 こないだ『臨時収入』が入ったので義孝と2人で飲むことを妄想して、奮発してしまったばかりだったりする。


(ば、バレンタインも近いし……一緒にお酒を飲むぐらい不自然じゃないよね……うぅ、誘う勇気があるかどうかは別問題として……)


「ん? 夢野さん、なんか顔が赤いけど大丈夫? 寒いでござるか?」


「えっ! そ、そんなことないです。元気ですから、あはは……」


 妄想により発生した熱が、どうやら顔に出ていたようだ。明菜はそれをどうにか誤魔化そうとしていると――隣の部屋の扉が開いた。


「おっ! 夢ちゃん! 丁度良かった!」


「あっ……実花ちゃん」


 その時、実花が隣の部屋から出てきた。

 明菜は今日休みで、これから『友人』たちと、明菜の家でご飯を食べる約束をしている……。その友人は実花と葵で、実は『悩み』があったので相談しようとしていた。


 ちなみに最初は義孝たちも来る予定だったが、急遽職員向けのパーティーが入って休日出勤になった。


 それで従業員である由衣と麻衣、臨時で『アルバイト』をしている未来も都合がつかなくなったのだ。


 最近妙に意識をしてしまっているせいか、義孝とまともに話せないので、悲しいようなほっとしたような、複雑な気持ちである。


「ねぇねぇ、夢ちゃん、急で悪いんだけど、アヤメちゃんも今日呼んでもいい?」


「よろしくお願いするでござる!」


 明菜はいきなりの事態に少し戸惑ったが、実花と顔見知りならそこまで警戒する必要はないと考え、柔らかな笑顔を浮かべる。


「ふふっ、いいですねぇ。親交をふかめましょう。葵さんもすぐに来るみたいですから♪」


(相談はいつもできるし……それよりも、か、川島さんとの関係も気になるから……話が聞けるかも。はぁ……私って変に狡猾だなぁ……いやな女だな……)


 明菜は笑顔を見せながらも内心で自己嫌悪に陥っていた。

 ……明菜と同年代の女から見れば明菜が内心で考えてることは狡猾でも何でもない。むしろ微笑ましいのだが……恋愛経験が皆無の明菜にとっては……とても悪いことをしている気がした。


   ◇◇◇


 休日出勤が終わって時刻は夜の9時。俺は娘の未来と一緒に帰路についていた。

 仕事が終わったというのに、俺のテンションはとても暗い――。


「この世は狂ってやがる。世界滅びねぇかな」


「お父さん……家の近所で物騒なことを言うのはやめてもらってもいいですか……?」


 やっぱりダメか……いやでも愚痴の1つも言いたくなる。

 突然休日出勤に駆り出されたんぞ? はぁ、今日は夢野さんと飲み会だったんだぞ……? 最近妙によそよそしいかったから仲良くなるチャンスだと思ったのに……。


「なぁ、未来、俺って夢野さんに嫌われてるよな?」


「はぁ、前も言いましたが知りません……自分で聞いてみればいいと思うよ」


「…………」


 この話題になると娘たちは冷たい……実花ははぐらかすし、未来は不機嫌になる。はぁ、これは本格的に嫌われてるのを娘たちも察してるのか……?


 はぁ、おっさんには若い子の考えがわからねぇよ……。


「うぅ、露骨に落ち込まないでください……。お父さんの悲しそうな顔は見たくないし……はぁ、本当は私が言うのはどうかと思うですけど……嫌われてはいないよ」


「ほ、本当か……?」


「お父さんに嘘は言いません。というか、本当に直接聞いてよ」


 拗ねたように言う未来。うむ、こいつとは仲良くなれて気がする。最近ちょいちょいタメ語が入るようになってきたし。このぐらいわかりやすいと楽なんだけど……。


「ん? あれ……夢野さんじゃないですか?」


 うちのマンションの近くにあるコンビニの前に着くと、そこには大きな買い物袋を持った夢野さんがいた。


 ん? 周りをかなり気にして、何かを怖がってる感じだな。なんかあったのか……? というか実花たちと飯を食ってるんじゃ……。


「あっ……! 未来ちゃん! 川島さん!」


 夢野さんもこちらにすぐに気が付き、安心した表情を浮かべて駆けてきた。頬がほんのり赤く染まっていて、どうやらお酒が入っているようだ。

 なんというか……めっちゃ色っぽい。


 さらには潤んだ瞳で俺のことを見つめてくる。そして意を決したように口を開いた。


「川島さん! お願いです……! 今だけ彼氏になってくださいぃ!」


「「はっ……?」」


 夢野さんの突然の言葉に俺たち親子は同じような反応をした。

 い、いや、なにこれ……数秒前まで嫌われてないか不安だったのに、これが都市伝説のモテ期か……?

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