第13話 社畜対談(1)

 義孝と未来との食事の数時間後。


「はぁ、疲れた……」


 椎名葵は疲れ切った身体に鞭を打って会社から駅に向かって歩いている。

 会社は都心にあるため、駅が近くなるにつれてカップルや家族ずれなどが多くなり、それも葵の精神を削る要因になっていた。


(楽しそうだな……私はなんで働いているんだろう……)

 

 色彩の失った目で腕時計を見る。

 現在の時刻は9時半……今日は始発で出社したので、働いた時間は12時間を軽く越えていた。

 それなのに「今日は終電じゃないし、早く帰れたなぁ……」と、内心で思ってしまっているあたり、救われない。


「はぁ……私も転職したいけどなぁ……」


 今日生き生きと引継ぎ資料を作っていた同僚のことが頭をかすめる。


「あー、だめだめっ! 弱気になっちゃ! 明日も仕事なんだから!」


 日曜出勤した後だが、当然振り替え休日などあるわけもない。明日も仕事だ。救いがあるとすれば、今日納期を乗り越えたので、明日は午後出勤でもいいということだ。


「そうだ! せっかくだから飲みに行こう! 悩んでもしょうがないよね。こういう時は睡眠時間を削ってでも遊ぶものだと先輩も言ってたし」


(くすっ、それなら定時で帰った裏切者の先輩も呼んじゃおう。あの人、明日はニートなんだし)


 葵はスマホを取りだし、義孝へ電話をかける。

 そして何度目かのコールで電話に出た。


「あっ、先輩――」


『あなたは誰ですか!? パパの嫁ですか!? 私もエッチに入れてもらってもいいですか!?』


「…………えっ?」


 スピーカーからは知らない女の人の声が響いた。

 その声はやけに楽しそうでわくわくしているような感じがした。

 頭が真っ白になる……「あれ? 番号間違えちゃったかな?」という考えがよぎったが……。


『おいてめぇ! なに人の電話に出てるんだよ!』


『えー、いいでしょー。『噂の葵ちゃん』だよー。冗談通じるでしょ? ちっちっち、最初はインパクトが大事なのだよ』


『ただの頭のおかしい人間だろ!』


(せ、先輩の声だ。えっ!? も、もしかして彼女!? あっ……風俗店の人かな?)


「先輩、プロの方には優しくしてあげてくださいよ。お金貰ってるとはいえ、先輩の相手をさせられてるんですから」


『なんだそのよくわからんフォローは……。何を勘違いしてるかは知らんけど、昼間会った未来の姉だ』


『はろはろ~。初めまして~、未来ちゃんの姉の実花です~。趣味は可愛い服を着ることと、AV研究です♪ 最近はエロゲーも勉強中です』


 声はとても明るい、未来とは正反対の性格に思えた。


『……お前は初めて話す人間に何を口走ってんの?』


「あはは……元気な子ですね」


(そうか、先輩の姪っ子さんかぁ……。多分未来ちゃんに似て可愛いんだろうなぁ~)


『それで何か用か?』


「あっ、そうでした。今日早く上がれたので、飲みにでも行きませんか~? というお誘いです」


『きゃあああああああ! 未来ちゃん! パパにデートのお誘いだよ!』


『お姉ちゃん、うるさい……えっ? ほ、本当に? う、嘘だよね……? そんな世界の終わりより可能性が低いことが起こるはずないよね?』


『いや、私たちのパパだよ。なんなら、毎日日替わりで違う女性からお誘いがあるよ』


『てめぇら黙ってろや! ガキはさっさと寝やがれ!』


 義孝がそう言うと、葵は女の子たちの声が遠のいていくのを感じた。どうやら義孝が未来と実花から距離を取ったようだ。


(ふふっ、仲いいなぁ。でも? パパ? 未来っちも先輩のこと父親って言ってたし……先輩まさか姪っ子ちゃんに変なことを吹き込んでるじゃないよね……これは私が説教しないと!)


『ちょうどよかった。お前に相談があるんだ』


「? 相談?」


『ああ。しかもいくつかな。これはもう俺の手に負えそうにない。正直心が折れそうです!』


 義孝の声は本当に困ってるようで、葵にはその表情がすぐに頭に浮かんだ。

 なんだか、手間のかかる弟に頼られた気分なる。

 それは決して嫌な感情ではなかった。


「くすっ、先輩はしょうがないなぁ~。いいですよ。その代わり一杯奢ってくださいね」


『ああ。それともう一人呼んでいいか?』


「いいですよ~。誰ですか? あっ、でも男の人は嫌だなぁ~。めんどくさいし」


『お前はそれでも年頃の娘か? もっとがっつけよ』


「別にそんなことどうでもいいですよ。今は恋してる暇はないですし」


『ほんと社畜の鑑だな。まあ、安心しろ巨乳美女ナースだ』


「えっ!? ほ、本当ですか!? もしかして彼女ですか!? キャー!!」


『いや、違う。まあ、詳しくは会った時に話すわ。とりあえず、駅まで行くから店を決めて待っててくれ。先飲んでていいからな』


 そして電話が切れた。


(まあ、事情はよくわかんないけど、先輩が頼ってくれるのはうれしいよね~。くすっ、まったく先輩は手がかかるんだから)


 葵は足取り軽く、夜の繁華街でお店を探し始めた。



   ◇◇◇


 1時間後。

 俺は葵ちゃんの指定した店に到着した。


「あっ、葵ちゃん、待ったか」


「待ちましたよ~。もう先飲んじゃってますからね」


 葵ちゃんが選んだ店はおしゃれなイタリアンで、どうやらピザをメインに出すお店のようだ。店内に入った瞬間チーズのいい匂いが空腹を刺激した。

 20席ほどのテーブル席がある店内は、席ごとに壁で仕切られていて、客層も年配が多く、落ち着いて話せる雰囲気だ。


(相談のことを考えて静かな店を選んでくれたのか……やっぱ葵ちゃんは仕事ができるなぁ)


「それで、それで、先輩。早く隣の『美女』を紹介してくださいよ」


 葵ちゃんが楽しそうに俺の『隣にいた人物』に視線を送る。

 すると美女はほわーっとした可愛らしい微笑みを葵ちゃんに向けた。


「初めまして。わたしは夢野明菜です。よろしくお願いしますねぇ~」


 こうして3人の社畜の飲み会が始まった。

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