第3話 娘現る(3)
俺は部屋の中央に置かれていたテーブルの前に座っていた。
夢野さんの部屋は若い女性らしく、俺の座っている可愛らしいクッションやピンクを基調としたカーテンなどで彩られている。
俺と同じフローリング8畳の部屋なのに、なんだか別空間にいるように感じられた。
はぁ、普段なら美人の夢野さんの部屋に入れたことを喜ぶんだけど……。
「えへへ、パパ~」
俺の腕に抱きついている妄想女のせいでそんな気分にはなれない。
それに――。
「えっと、すごい量の料理ですね……」
俺は正面にニコニコした表情で座っている夢野さんに声をかける。
肉じゃが、豚の角煮、焼き魚、ほうれん草のお浸し、サーモンの刺身、から揚げ、てんぷら、ピザ、等々、テーブルには所狭しと料理が並べられていて、とてもじゃないが3人で食べる量じゃない。
「ふふっ、やっぱり嬉しい時はいっぱい食べないと」
「は、はぁ……」
いや、限度を越えてるような……明らかに10人前はあるぞ。
まあ、腹は減ってるからありがたいにはありがたいな。
「すみません、ありがたくいただきます……おい、メルヘン女。そろそろ離れろや」
「え~~~やだよ~~~。パパ食べさせて♡」
鼻にてんぷら突っ込んでやろうか?
「それにパパもこんなに若くて可愛い子が抱きついてるんだから、このままのがいいでしょ?」
「自分で言うな……と、言いたいが、それはある。だけど、それ以上に社会的立場が危ない気がするから離れろ」
人間は本能だけは生きられない悲しい生き物だ。本心では向こうから言い寄ってくるんだから胸でも揉んでやりたいが、その一線を越えるとさすがに警察屋さんのお世話になる。
それがたとえ娘を名乗る変人女でも。
「ちぇ~、パパに嫌われるのはもっといやだから、仕方ないかぁ~」
変態は渋々といった感じで俺の腕から離れた。
「さあさあ、遠慮せずに食べてくださいねぇ~。川島さん、お酒飲みます?」
「えっ? えっと……」
16時間以上働いてこのわけのわからん騒ぎだ。正直言って飲みたい。というか飲まずにはやってられない。
しかし、そこまで甘えてしまってもいいものだろうか……?
この時間に家にお邪魔して料理をごちそうになってる時点で今更な気がするが……。
「ふふっ、遠慮しないで下さい。ビールを用意しますね。あっ、そうだ♪ ちょっといいワインもあるんで、それもふうを切っちゃいましょう。実花ちゃんは何がいい?」
「す、すみません……」
「私オレンジジュース!」
夢野さんは笑顔を見せると、立ち上がりキッチンの方にお酒を取りに行った。
美人なのに気遣いもできて優しい……本当にいい女だなぁ~。こんな状況じゃなかったら口説きたいくらいだ。
まあ、女性経験が少ない俺がそんなに上手く口説けるかは謎だけど。
「ねぇねぇ、パパと夢ちゃんって仲がいいの?」
「ん? いや……数回しか話したことないぞ? ……というか、いい加減そのパパっていうのやめろ。変態プレイをしてるみたいじゃねぇか」
「私とパパは親子なのでそれはスルーしますっと。へぇ~意外だね。お隣同士だしもっと仲がいいと思ってた」
「隣って言っても俺は仕事で殆ど家にはいないから、周りとは殆ど交流はなかった」
都会の住民事情なんてこんなもんだろう。むしろ隣同士で仲がいい方が稀な気がする。
「わたしも川島さんと同じようなものですねぇ~。お昼は寝ていますし。はい、まずはビールです♪ 実花ちゃんも昼間とは違ってちょっといいジュースを用意したよ」
「す、すみません。何から何まで……」
「ありがとう夢ちゃん!」
笑顔で缶ビールを渡される。やべぇ、キンキンに冷えてやがる。
地下の労働施設なら涙を流してるぞ。
「いえいえ。ふふっ、わたしここに引っ越してきて2年近くになりますけど、川島さんとこうして落ち着いて話すのは初めてかもしれないですね」
「ええ!? 2年もお隣同士やってるの!?」
「まあ、そうだな……俺はここに10年以上住んでるし」
夢野さんが引っ越したて来た直後は美人が来たということで舞い上がって喜んだが、特に何もなかった。会うこと自体が稀だしな。
現実なんてそんなもん。
「え~、勤務時間とかで会わなくても、休みの日には廊下とかで会うこともあるでしょ?」
「……」
「……」
社会不適合者女の一言で俺たち二人の表情が固まり、瞳から色彩が消えうせる。
「休み……やべぇ、日本語が理解できないぞ?」
「ふふっ、そうですねぇ~。あっ、でも川島さん聞いてくださいよ! 私今年初めての休みを貰えたんですよ」
「すげぇ、俺なんか一日休みがあったの去年の10月なのに!」
「えっ……? 今年もう6月……といか労働基準法……」
「おい二次元女。現実と二次元の境界線はしっかり引いた方がいいぞ? そんなのがまともに機能してるのは二次元だけだ」
「そうですね……。でもわたしたちは働きたくて自主的に出勤してるから、その法律は守ってますよね。ふふっ」
「あはは、そうだな。表向きは……」
もう、ぶっちゃけ正直真面目に言うと、マジでやってられない。
決めた。絶対に転職する。何なら明日は風邪をひいてハローワークに行こう。決めた絶対にそうしてやる。
もう1年近く休んでいないんだ。それくらいの暴挙は許されるだろう。
「ぱ、パパも夢ちゃんも早く乾杯しようよ」
「そうですね……せっかく休みなんですから満喫しないと」
「ああ……俺も明日風邪ひくことになったから、思いっきり飲んでやろう」
カシュ。缶ビールを開けてこぎみいい音が鳴る。
「わたしグラスにつぎますね」
「あっ、夢ちゃんずるい~。次は私がやるからねっ!」
「やかましい。おらっ、さっさと飲むぞ! 夢野さんもお酒飲みましょう」
「もちろんです。特性のお湯割り作っちゃいました♪」
「おっ、いいですねっ! それじゃあ――」
『乾杯~』
こうして奇妙な関係同士の飲み会は始まった。
何が面白いって、娘だと言い張る女の話を先送りにしていることがギャグだ。
それもこれもブラック会社なんてもんがあるのが悪い……とは、いかないか……。
飲み会の最中にでも事情を聴くかな。十中八九言いがかりだから、くそ面倒くさいけどな……。
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