1章 家族として

第1話 娘現る(1)

 人生で一番輝いていた時期はいつだろうか?

 

 最近34歳の誕生日を迎えた俺、『川島義孝(かわしまよしたか)』は深夜残業の帰り道にそう思った。

 季節は6月、時間は深夜を回り、都心から電車で30分ほど離れた我が家がすぐ近くだ……長い勤務時間を終えてようやく家で寝れる……なのにネガティブなことばかり考えてしまう。


「はぁ、いつからこうなった……」


 三流大学に入り、そこから流れるようにブラック会社である『開業物産』に経理として入社し、今は休みどころか、基本給も安く、残業代も出ない。

 そんな状況では彼女もいない――。

 そして今の状況から脱しようとする意志もなかった。

 本当なら、すぐにでもこんな仕事は辞めて、もっと割のいい仕事を探すべきだが、その気力がない。


 馴れてしまっているのだ。今の状況に……満足でない現状に満足してしまっている。

 これが当たり前になってしまっているんだ……。


 皮肉な話だ……心の底では金持ちや彼女持ちになることを夢見ているのに、それは酷く遠い話に見え、今の現状を受け入れている。


(人間は馴れる生き物とはうまく言ったもんだな……)


 ただ、流れに身を任せるだけの人生……。今できることはキラキラしていた日々を妄想することだけだ。


 学生時代はよかった……毎日友達と馬鹿やって、遊びつくした青春時代だった。そして恋をして……結局叶わなかったけど……あの日々に戻れるなら戻りたい……。

 まあ、現実的に考えて無理なんだけど……。


「はぁ……冗談じゃねぇぞ!!!!」


 道端で急に叫ぶ。突如として、不満が爆発した。

 それはもうここ数年分の不満だ。毎日毎日毎日、会社と家との往復で終わる日々。親しい友達すらいない。このままだと一気に年老いて、孤独のままこの世とおさらばだ……。


「はぁ、転職活動でもするか……マジで」


 人生とはこういう思い付きで変わるのかもしれない……。

 現にそう考えただけで心が軽くなった気がする。

 そんな近所迷惑の一幕の後、やっと我が家であるマンションについた。


 築30年ワンルームで部屋数が10という、古いマンションだが、都心に近いのに家賃が安い。日々家に寝に帰るだけの身としては非常にありがたい。


(ん? あれ……? 家の扉の前に誰かいる?)


 家は3階建て2階の端っこの部屋で、廊下に着くと15メートルほど前にある自宅の前に、人影が見える。

 廊下が薄暗いせいで、誰だがわからないが……女性ということだけはなんとなくわかった。

 あっ……年齢は若そうだな……高校生ぐらいか……? 


(お隣さん……は考えず辛いか……お隣さん夜間勤務って言ってたしな……そのせいで殆どあったことがない)

 

「あっ……」


 そこで女性……と言うにはまだ若い、高校生ぐらいの年齢の少女がこちらを向く。

 ……可愛い子だ。身長は俺よりも15センチほど小さい150中盤で、背中までの長い黒髪に黒を基調としたワンピースが特徴的だ。

ぱっとみどことなく儚げで、顔は幼いが見た目以上に年齢を重ねているようにも見える。


(誰だ……? マンションの人か?)


「あっ、」


 少女はこちらに気が付くと、その無表情な顔を笑顔にして駆け寄ってきた……というか突進してくる……!!


「やっと帰ってきたあああああああ!!!!」


『ぎゅゆうううううううううう!』

 

「は、はあああ!? いきなりどうしたんだよ!」


 少女はいきなり俺に勢いよく抱きついてきた。

 そしてそのまま俺の着ているスーツに顔を押し当てる。


 俺の腹部にぷにぷにとした柔らかい身体の感触が伝わってきて……どうやらこの美少女は華奢に見えて一部の発育は非常にいいようだ。


 その上腰は締まっているので決して太っているということではない……って、何だこの状況は!!!!!!!!


「ふふっ、いい匂い~」


「!?!?!?!?!?!??!?!?」


 まずい。完全に理解が追い付かない。

 いきなり匂いを嗅ぎ始めたぞ!? なんでいきなり見ず知らずの美少女が!?


「あっ、私まだ離れないよ? ふふっ、15年分は可愛がって貰うんだから」


少女は戸惑う俺を他所により強く、身体を押し付けてくる。

何が何だかわからない。こんな美少女に抱きつかれているのに興奮よりも、戸惑いが強いなんて相当なことだと思う……。


「え、えっと……」


「ん? なぁに?」


 少女は首を上に向けて上目遣いで俺の顔を見た。

 近くでマジマジと顔を見るとやはり相当可愛い。人気アイドルだと言われてもすんなり納得するレベルだ。


「きみは……一体」


「もうっ、きみじゃなく、実花、竜胆実花だよ?」


 ちょっとふくれて怒る少女。やはり名前にも聞き覚えはない……。

 親戚にもこのぐらいの年頃の女の子がいるなんて聞いたことないし……というか胸を押し付けるのそろそろやめて……。


 段々と冷静になってきたせいか、この状況になんか妙な罪悪感を感じる……。

 いや、勝手にあっちが押し付けてきてるんだから楽しめばいいのか? いっそ揉んでやろうか……。


「あっ、そう言えば知らないんだったね」


 少女はそう一言口にすると、途端に悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 その表情は何故だか何となく懐かしい気がした……まるで昔どこかで見たことのあるような……そんな感じ……。

 ……どこでだろう?


「私はパパの娘の実花だよ? これからよろしくねっ」


 また思考が真っ白になった……今度こそ何も考えられない。

 人生34年、娘を持った記憶どころか結婚した記憶などなかった。


「……は?」


「ふふっだから、娘、パパの娘なのぉ~」


 少女、実花はそういうと再び俺のスーツに顔を押し付け始めた。

 俺はいきなりのことで反応ができない。


 人間は馴れる生き物……果たして俺はいきなりやってきた非日常に馴れることができるのだろうか……。

 そんな考えがふと、脳裏に過った。

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