それは「死者を生き返らせること」



 くて物語を結んだ私はデスクに筆を置き、コップに注いだばかりの冷水で口をゆすいだ。

 カーテンを押しのけて室内に舞い込んだ風が、昨日よりも涼しく、夏の面影が秋にさらわれているみたいに思えた。

 アロマキャンドルをいてデスクに戻り、今しがた完結させた小説の気にくわない箇所を訂正する。

 すこし都合が良すぎたかな。

 私の小説はありえない展開ばかりだと痛い指摘を受けたっけ。

 いいじゃない、物語なんだから。

 唐突に誰かに肯定されたくなった私は、抽斗ひきだしからファンレターの束を掴み取って眺める。

 そのうちの一枚は、恩師からだった。

 

____



 荻原おぎわら ゆい 様


 秋風にたなびく雲が気まぐれに時雨しぐれを降らせる時節、変わらずにお過ごしでしょうか。

 ぼくからのファンレターにさぞかし驚いたことでしょう。

 先日、〈夏の雪解け〉を寄贈していただいたお礼に、この手紙をしたためた次第です。


 荻原さんのくらい記憶を小説として世に出されたということは、入水自殺で亡くなった窪田くぼたくんへの想いに、ようやく区切りをつけられたのだと推察いたします。


 言葉足らずですが、とても温まる物語でした。


 沙耶さやがもし、この小説のように窪田くんと出い、ピアノの道に進んでいたら。絵描きを辞め、海外留学を決意していたなら。交通事故で命を落とすことはなかったのではないかと、ぼくは考えてしまいます。


 (中略)


 それでは、どうか無理はなさらず、くれぐれも体調には気を付けてお過ごしください。


 谷崎たにざき 雅也まさや


____



 手紙に目を通した私は、三つ折りにたたんでから抽斗の奥底に仕舞う。まったくなぐさめられるどころか断崖から突き落とされた気分だ。

 フィクションとは違い、現実には救いなどないのだとつくづく実感させられるよ。


 救いはなかったが、ヒーローはいた。

 腐りきった現実世界でただひとり、窪田くんだけは本物のヒーローだった。


 でも最初は、何の期待もしてなかった。私をいじめるくせに、私についてまわる男の子。家でも学校でも、虐められるのは慣れてるから気にしないようにしてたけど、三年も飽きずに付きまとってこられたら意識するでしょう。話しかけるのはなんだか負けたみたいで癪にさわるから、彼が話しかけてくるのをずっと待っていた。

 私を虐める人間にも種類がある。もとから虐めようと悪意を持って近づいてくるやつと、雰囲気に流されたり周りがそうするから何となく虐めてるやつ。窪田くんは後者だった。

 取り立てて恨みもないくせに、私に危害を加えてくるのは悪意よりも腹立たしいことだけど、義父による徹底的な暴力にくらべたら、学校でのクラスメイトの嫌がらせはそよ風みたいなものだし、家よりよっぽど安全で生きやすい場所だった。

 だからもし窪田くんが話しかけてきて、「ごめん」と一言謝ってさえくれれば、水に流してやろうくらいには考えてたかな。

 高校三年生の十月。身体が成熟するにつれて性的暴行も酷くなってきたし、安全な場所がもうすぐなくなると知った私は、まわしい義父から逃れるために家を出ようと決意した。

 逃げようと思えば、いつだって逃げられた。そうしなかった理由は、はっきりいってわからない。

 どうやって生きたらいいのか私にはわからなかったし、訴えたあとの復讐も怖かったし、そもそも逃げようなんて意志すら奪われていたんだと思う。ただ生きて、踏みにじられるだけ。怒りも悔しさもわかず、恐怖ばかりに耐えていた。

 十月はたまたま一人で生きようと考えたのであって、やっぱり死のうと考えたら自殺していたと思う。

 とはいえ、私が死のうと考えるのはうんと先の話だろうね。自分自身の境遇に絶望して死を選べる人は、幸せを知っているからなのだ。

 私はずっと不幸だった。私は、私が幸福な瞬間を知らない。身体に消えない傷をいくつも残された自分が不幸とすら、当時は考えてなかったのかもしれない。

 そうでなければ、私があのとき、「窪田くんも頑張れ」なんていえなかったと思うよ。

 自分から一度も話しかけてこなかった彼は、小説と同じように私を思いきり泣かせて、あの男から救いだしてくれた。

 これだけは本当の話。

 残りはぜんぶ作り話。

 私は、あの男の遺体に火を放って証拠隠滅できるほど機転のく子じゃなかったし、窪田くんは川に飛び込んで助からずに溺死した。

 死んでしまった彼の心は、知るべくもない。

 なぜ話しかけなかったのか。なぜ救ってくれたのか。なぜ殺害を選んだのか。なぜ自殺したのか。

 何一つ語らずにいなくなって、彼こそがヒーローだと思った。きみがそうだと知っていたら、もっとちゃんと襲われてあげたのにね。



 事件後、担任の葛城かつらぎ先生に引き取られた私は無事に高校を卒業し、大学にまで進学させてもらって、心理学教授の谷崎先生にめぐり逢った。

 谷崎先生のカウンセリングを受けるなかで、心が読める女の子の沙耶ちゃんとも知り合った。

 沙耶ちゃんは私と友達になってくれて、私も沙耶ちゃんと話すのは楽しかった。たぶん、心を読んで楽しませてくれたのかな?

 卒業してからもたまに会ったりして、あるときに窪田くんのことを話したの。そしたら珍しく興味を持ってくれて、色々話し込んでしまったのだけれど、それから数日も経たずに彼女は事故にった。 

 まるで窪田くんを追いかけていったみたいで、私はちょっとだけ羨ましかった。だから二人が、二人で幸せになる小説を書いてあげようと思った。

 現実の沙耶ちゃんは最初から絵描きを目指してて、ピアノの天才でもなんでもなくて、小学生のときに辞めている。

 そういうわけで、窪田くんと沙耶ちゃんの再会を、ピアノを辞めた後にしたんだよ。

 私も窪田くんを好きだったから、書いているうちに欲が出てきて、「ああいう関係」にしてしまった。


 二人のためといいながら、私が幸せになりたかったのかもね。


 小説では窪田くんは死なないし、沙耶ちゃんは留学して交通事故を免れて、私は大好きな二人と一緒に生きることができた。

 誰もが幸せになれるから、嘘を書くのを辞められない。批判の嵐にまみれようとも、私は小説家という職業に生涯しがみつくのだろう。



 ひとつ、私の担当編集者に伝え忘れていたことがある。この〈夏の雪解け〉のジャンルは「現代ドラマ」ではなく、「ファンタジー」だ。

 

 なぜなら私という作家めがみの手によって、死んだはずの二人が、現実と酷似したパラレルワールドに転生し、それぞれが才能ギフトを与えられて二度目の人生を謳歌おうかする。


 窪田くんは小説家として。

 沙耶ちゃんはピアニストとして。


 つまり誰が何といおうと、〈夏の雪解け〉はまぎれもなく「異世界ファンタジー」なのだ。

 

 おや、どうも腑に落ちない顔をしているね。でもちゃんとヒントはあげたはずだよ。


 


 


 


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