チッペンデールと青い猫 3

 外はどしゃぶりの雨だった。しばらく止みそうにない気配に、昨日の気象予報士による丁寧な解説が断片的によみがえる。

 蛇行した偏西風。梅雨前線が北上。記録的な大雨。それらの単語に、今日の出来事を意味もなく重ね合わせていく。

 突然きた訪問者。仲野沙耶と再会。奇跡的な休日。昨日までの日常は崩れることになるでしょう、と聞こえてくるみたいだ。

 たしかに彼女を一言で説明するなら、どしゃぶりの雨のような女の子がしっくりとくる。

 沙耶の部屋を出たついで、俺は自分の部屋に戻って約束の合鍵を渡した。彼女がそれを使って鍵をかける様子に緊張し、傘を持つ手に力がこもった。

 そうしている間にも雨は激しさを増している。空気に混じる土のにおいも強くなっている。


「町が水没するなんて騒いでた子がいたけど、馬鹿にできないな。川が氾濫しそうな勢いだ」


 俺は沙耶を待たずに歩いた。ややあって彼女の足音が聞こえてくる。


「それは楽しみだね。タイトルは溺れゆく町にしよう」

「描くつもりなの?」

「当然じゃん。私のファンの文彦には最初に見せてあげるから、光栄に思いなさい」

「呪われそうだから見せないでくれ」


 怖がりなんだね、と彼女はやたらと上機嫌に呟いた。俺は聞かなかったことにして歩き続ける。高校時代の習慣が染みついているのか、女の子の前を歩くのには違和感があった。

 やがて違和感を無視できなくなり、俺は階段の前で立ち止まった。わざわざ追い抜かれるまで待っている俺のことを、沙耶は不思議そうな目で見ていた。


「やっぱり、きみに前を歩いてほしい」

「……なるほどね。階段はこうやって降りるんだよ」

「ありがとう。俺は帰りたくなってきたよ」


 階段を降りきると今度は彼女のほうが足を止めたので隣に並び、俺たちは同時に傘を差した。目が合い、彼女はまたしても意地の悪い笑みを浮かべる。すぐに頬についたままの絵の具のことだと察し、言葉のかわりに肘で小突いてやる。耳元では吐息のようにかすかな風が巻いていた。

 容赦なく町を水浸しにする雨の音にじっと耳をすませ、衣服の濡れ具合を確認した。雨嫌いの大人の大半がそうであるように、湿った衣服を想像するだけで気が滅入ってしまう。

 雨嫌いになった日は憶えていない。

 幼稚園に通っていた頃は間違いなく雨が好きだったはずだ。捨てるときに大泣きしたほどお気に入りの傘があったし、泥水に沈んだ靴を履くのも平気だったのに、今ではお気に入りの傘はビニール傘になってしまった。

 沙耶の存在もあってか、透明人間の四文字が脳裏にちらついた。それは空虚という意味ではなく、カラフルな傘がビニール傘になるように、失くしてしまった純粋な心だとすれば悲しいものだ。

 どうも雨は余計な記憶を呼び起こして感傷的にさせてくる。思い出したくないことが増えたから雨嫌いになったともいえた。



 アパートの近くにあるのはこぢんまりとした古風な外装のカフェで、手書きの読みにくい看板と、木製ドアの両脇に飾られた不気味なフクロウの置物が目印となっている。

 休日というのにカフェには客がいなかった。店内はレンガ柄の壁紙で統一されていて、その上の黒板シートに描かれた可愛らしいマグカップがよく目立つ。メニュー表にはコーヒーの名前がずらりと並んでいるのだが、肝心のコーヒーは美味くないどころかほどよく不味い。

 しかしランチメニューはどれを選んでも絶対に後悔しないと評判があり、特にカツサンドとミネストローネのセットは若者を中心に人気をはくしている。

 

「初めから絵描きを目指してたのか?」


 ほどよく不味いコーヒーをかき混ぜながら訊いてみる。

 彼女は定番のセットメニューを頼んだが、俺は食欲がなかったのでコーヒーだけで済ませた。


「違うよ。絵を描くのは昔から好きだったけど、男の子のいうゲームが好き、くらいの感覚だったんだ」


 沙耶は否定した。

 ということは、どうやら趣味が娯楽から競技へと移り変わったきっかけがあるらしい。


「本格的に絵を描いて生きていこうって思ったのは、文彦と会うすこし前のこと。高校二年生の冬に初めて美術館に行ったんだけど、そこでフェルメールの絵画を見たとき、私は頭を殴られたみたいな衝撃を受けた」


 ヨハネス・フェルメールは十七世紀のオランダで活躍した画家の一人で、バロック期――絵画の光の時代を生きた巨匠といわれている。

 彼は生まれ育った町であるデルフトを愛し、デルフトを彩る穏やかな光を絵画に閉じ込め、自らの存在も光の時代と共に二百年間も忘れ去られた。

 光の魔術師と称されることがあるように、フェルメールの絵画からは計算や技術といった作為の片鱗すら見えてこない。ただそこに在るだけを描く。大衆は日常を切り抜いたワンシーンに圧倒される。

 その魔法に、沙耶もかかってしまった。

 フェルメールの青に心を奪われたのだという。彼の代表作は「真珠の耳飾りの少女」だが、暗闇にくっきりと浮かんだ青いターバンに釘づけになっている彼女の姿を想像できた。

 瞳をきらきらさせて話す彼女を見ていると、感動や嬉しさが伝染してくるみたいだった。

 俺は少しだけ、絵画に興味がなかったことを残念に思った。絵画好きの友人の美術館巡りに付き添っていれば、もっと共感することができたかもしれないのに。


「それからずっと私は絵を描いてる。ピアノはしばらく習慣として弾いていたんだけど、文彦に贈った〈透明人間のために〉が最後。あれは私にとっても別れの曲になるのかな」

「沙耶の気まぐれだと思っていたよ。まさかそんなに重大な意味があるなんて考えもしなかった」


 俺が真剣に聞いていると、彼女はおどけた表情をする。


「というのは嘘だけどね」

「嘘なのか……」

「まァ、実際は何となくかな」

「あっそう」


 これまでの話に意味はないらしく、手に持っていたマグカップを落としてしまいそうになる。

 適当にはぐらかしたとは考えにくいため、謎は深まるばかりだった。

 沙耶は思い出したみたいにカツサンドにかじりつき、もぞもぞと口を動かしながら、何かを思案するように天井を眺めていた。


「ひとはさ、大層な志がないと何かを目指しちゃいけないって思い込んでる。私はそういうの嫌いだし、始める理由も辞める理由も何となくでいい気がする」


「その考えには賛成だが、人間に与えられた時間は限られている。誰もが挫折はしたくないと思っているし、努力が実らずに笑われるくらいなら端から何もせず、やっておけばよかったと白々しく嘆きたがるものさ」


 ひとは後悔するふりを好む生き物だ。人生が一度きりしかないことを熟知しているから、本能は挫折に対して過剰な嫌悪を示す。成功と失敗を天秤にかけ、失敗の喪失感に心が耐えられない人は、何もせず、まだ間に合う時期が通り過ぎるまで息をひそめて待つのだ。

 谷崎先生はこれを「失敗アレルギー」といっていた。失敗アレルギーを発症した人にとって、あのときやっておけばよかった、もし人生をやり直せるなら、という台詞は甘美な響きに聞こえて病みつきになる。

 いかにも心理学教授らしい考えだった。そして、ひねくれた物書きである俺はこうも考えてしまう。

 神様が一度しか命を与えないのは、時間が巻き戻せないのは、二度目に意味がないからだ。

 二度目の人生で得られるものは何もなく、過去を変えても未来は変わらない。だからチャンスは与えない。そんな悪意混じりの優しさを神様が持っていたのであれば、少なくとも俺の心は救われる。

 なぜなら俺自身も、後悔するふりをして生きている失敗アレルギー患者の一人で、さっきの言葉は嘘偽りなく自分の過去の行いそのものだったからだ。

 失敗アレルギーがもたらした弊害の最たる例は、三年間も続いた荻原唯との歪んだ距離だろう。あのとき荻原が話しかけてくることなく町を去っていたとしたら、彼女は記憶のなかで神格化されたに違いない。

 ごく最近の、相澤に対してもそうだ。二人の関係を進展させずに彼女の感情をくすぶらせてしまい、最終的には失望させた。女の子らしさが溢れていたメールの文章も、明らかに機械じみた短文ばかりになった。

 

「そうまでして逃げるなら大したものじゃん。特に芸術分野においては、関わらずに逃げたほうが生きやすいのは確かだし。始めるのは何となくでいいけど、続けるには命を懸けなくちゃいけないから」


 真意を掴めずにいるのを視線から汲み取ったのか、彼女は理由をいった。


「芸術は無駄が多いんだ。絵画も、音楽も、小説も、生きていくのに必ずしも要るとは限らない。むしろ無くていいもの。

 必要ばかりが求められる世界で、無駄をかき集めて生きていくのは並大抵のことじゃない。だからアーティストは全身全霊で訴える。言い換えれば、アーティストってのは命懸けで横道を突っ走る人たちのことだよ」

「必死に馬鹿やってるわけだ」

「そういうこと」

「聞いてしまうのは野暮だろうけど、突っ走った先にあるのが行き止まりだったらどうすればいい?」

「思いっきり叫ぶだろうね」と沙耶は大きく腕をひろげて背後の壁にもたれかかった。「何ひとつ、私の人生に意味はなかった!」

 

 悔いの欠片もなさそうに後悔の言葉を口にするのが可笑しく、「沙耶のことかよー」とついつい笑ってしまう。

「悪いかよー」と照れくさそうに抗議するものだから、彼女が可愛く思えて仕方がなかった。

 来客をしらせる鈴の音が響き、老夫婦、若者の集団がぞろぞろと空いているテーブルに座った。

 途端に静かだった店内が騒がしくなる。

 ちっとも進まない政策について楽しそうに文句をいう老夫婦。ほぼ感嘆詞だけが飛び交う会話を成立させている若者たち。どちらも心のすさんだ人間の目には、少しばかり輝きが強すぎた。

 俺は輝きから逃げるように沙耶に視線を戻した。退屈してきたのか、彼女はテーブルの上で自分の指をからめて遊んでいる。

 視線に気づいた沙耶は冗談のつもりなのか分からないが、食べかけのカツサンドを差し出してきた。


「食べたいなら素直にいえばいいのに」

「いや、うん……食べてないほうをもらうよ」


 ただ見ているだけとも言い出せなかったので、断らずに一切れだけ食べることにした。

 今度はじっと凝視してきたかと思えば、沙耶は目を細めていった。


「文彦は食べるのが下手なんだね。ぼろぼろ零してうちの子どもたちみたい」


 うちの、というのは児童養護施設のことを指すのだろう。


「昔から治らないんだ。自分では気を付けているつもりだけど」

「食べるのが下手なひとは生きるのも下手だ」と彼女は諭すようにいった。「よくお母さんがいってた」

「否定できないな。実際に食べるのも生きるのも下手くそな人間がひとり、きみの目の前でカツサンドを零してる」

「コーヒーもね」

「うわ、ほんとだ」


 備え付けの紙ナプキンで汚れを拭き取っていると、くすくす笑う声が聞こえてくる。


「きみは私を笑わせずにはいられないんだね。あのときも笑わされたし」

「あのとき?」

「ほら、私が曲を作ったときに文彦ずっと思ってたでしょ。また会えたら聴きたいって」

「いわれてみれば思ってたような」

「心のなかでは褒めてたくせに、感想を訊いてもまともなこと何もいわずに帰っちゃうんだから、この人どれだけ意気地なしなんだって」


 俺が帰った後に一人で思い出して笑っていたらしい。失礼なやつだ。それはそうと、よく笑う子だと思った。

 沙耶はどしゃぶりの雨のような女の子だけど、よく笑うから天気雨を想像させられる。


「文彦に喋ってたらすっきりしたよ。正直にいうと迷いもあったんだ。美大に行くっていったら、めずらしくお母さんが反対してたから」


 娘の就職先を考えて、というわけでもなさそうだ。使い古されてそうな台詞は智香さんには似合わない。


「私が物凄く大切なものを捨てようとしてるって怒ってた」


 おかしいよね、と彼女は続ける。


「ピアノを辞めるだけなのに」


 俺は何も答えられなかった。

 しかし冷静に考えてみれば、絵を描くことが趣味だとしてピアノを辞める必要はない。

 ピアノを辞めたのは何となくではなく、そこには理由がある。訊ねようとしたら沙耶は席を立った。


「ごちそうさま」と彼女は礼をいった。「私は帰るけど、文彦はどうする?」

「俺も帰るよ」


 早々と会計を済ませ、店を出る。

 俺は帰り道の一分間をはっきりと憶えていなかった。上の空というべきか、沙耶の声は雨音と同じように聴こえていた。

 

「あとで部屋に行くから」


 といった沙耶の背中を見送り、もし雨が止んだら彼女に小説を読んでもらおうと、わけもなく思った。


 

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